2009年12月15日 (火)

生産者の視点か? 消費者の視点か?

 「教養特講:時事問題に強くなる」という講義を私は担当している。今日の講義で、松下幸之助と中内功の「仁義なき戦いを紹介した。この「仁義」とは法律・規則・商慣行と同じ意味と考えてよい。

 この歴史問題がなぜ時事問題なのかと疑問に思われるかもしれない。その両者を結びつけるキーワードは「デフレスパイラル」である。

 ユニクロを代表とする「価格破壊」・「低価格」の追求は、消費者に好ましいように思われるが、経済全体としてはデフレスパイラルの懸念がある。低価格⇒売り上げ減少⇒給与削減⇒消費低迷⇒低価格⇒・・・・・。

 簡単に言って、定価を維持しようとした松下幸之助と、安売りするのは自由と考えた中内功の戦いは、現在では勝負がついている。もはや定価はなくなり、「オープン価格」が一般的になったことから、中内功の勝利である。

 しかしながら、生産者の労働条件が無視されて良いはずがない。生産者も消費者だからである。低価格化の歯止めはどこにあるのか。そのキーワードは「フェアトレード」であると思う。

 学園祭の模擬店で「たこ焼き」を作る。その「たこ焼き」をがゴミ箱に捨てられている。「せっかく作った僕の「たこ焼き」を何で捨てるのか?」 そして「買った物をどうしようが、買った者の勝手でしょう」と言われた時の僕の気持ちを想像できますか? こんなことも講義で話した。

 消費者の視点が優先されてきたが、生産者の視点が見直されても良いのではないか。その生産者が日本人ではなく外国人になっている現実もある。こういった問題について、教条的ではなく現実的な「大人」の議論が求められる時代である。

  

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日)

今日は入学試験でした:流通科学大学の魅力

 流通科学大学で公募推薦入試が開催された。私は面接を担当。定員割れの大学が増えていると言われているが、本学は未だ定員以上の受験生がある。

 マーケティング・流通・実学という差別化された特徴が、本学の競争力の源泉であろう。また、かつては創業者が中内功であったために「ダイエーの大学」と言われたが、今やイオン・イトーヨーカ堂・ライフコーポレーションなどの支援もあり、「小売業界全体の大学」に変貌している。

 長期的な少子高齢化・人口減少、短期的なデフレ現象を考えれば、小売業の未来は不透明である。しかしそこで、明確にアジア重視を打ち出せば、新たな明るい未来が描けるであろう。成長するアジア諸国と共に日本も成長する。その実践の中から日本の役割も明示されるであろう。

 こういったビジョンを明確化・具体化することが、日本の小売業発展の戦略であると思われる。そうであるとすれば、流通科学大学が「小売業全体の大学」であるなら、大学自身もそれに対応しなければならない。そのために「アジア流通研究センター」が設置されている。

 以上が、流通科学大学の私的な近況紹介である。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 6日 (日)

居眠りの習慣化を防止する

 教員の忍耐力や寛容度の指標として、講義中の学生の居眠りに対する対応がある。

 居眠りをしていても、私語するよりも他人に迷惑をかけていないからよいだろうと自分を納得させる場合がある。また自分の講義は面白くないから寝てしまうのだと反省してしまう場合もある。

 これまでの私は以上のようであったが、最近は居眠りの学生を起こすようにしている。「寝たらあかん」「我慢して起きていなさい」「眠たければ顔を洗ってきなさい」と学生に注意することにしている。

 この理由の一つは、私自身が遠慮したり、我慢したりしなくなったからである。教員が思ったことを率直に学生に述べることも教育の一環である。「私は居眠りする学生は嫌いです」。このように述べて何が悪いのだろうか。

 このようにハッキリ言わないと、たとえば学生は「誰にも迷惑かけていないのに、なぜ寝て悪いのですか」という反論に合う。さらに「授業料を払っているのは私です」「講義中に寝るのも勝手でしょう」と来る。こう言われると、最近の大学は弱い部分がある。学生はお客という意識があるからである。

 これに対して私は簡単に「そういう学生は嫌いです」ということにしている。「お客だからと言って偉そうにする人を好きですか?」と質問すればよい。また第2の理由は、やはり学生の教育のためである。

 講義中に安易に居眠りすることは、それが習慣化する。就職活動や社会人になってからも居眠りをしてしまう。我慢が出来ない。少人数で企業訪問をしても、そこで寝てしまう場合がある。忍耐力や緊張感の訓練ができていない。

 大学中に寝ない訓練をする。忍耐力や緊張感の持続を大学で養成する。たかが居眠りであるが、その対応は大学での重要課題であると思う。大学生は、ここまで劣化していると言われるかもしれないが、少なくとも大多数の学生は真面目に真摯に勉強していることは間違いない。これは誤解のないように。

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月16日 (月)

外国人に人気の日本食は何か?

 最近、フランスの料理店評価本『ミシュランガイド』の日本版が出版されて話題になっている。これに対して一般的な日本の食べ物の美味しいランキングが、JAPAN TIMESのWhen East Marries Westという連載コラムに掲載されていた。

 タイトルはUnheralded Japanese foods (あまり注目されていない日本の食べ物)。ここでは、在日外国人が好きな日本の食べ物をコラム記者の私見でランキング形式で紹介している。

 先日来日した米国オバマ大統領は、神戸ビーフとマグロを日本で食べたいと異例の要望を日本外務省に出したそうだが、もっと安価に外国人を接待する日本食は何か? 以下、参考になると思う。

5位:お好み焼き。おいしくてボリュームがあってビールに合うとのこと。

4位:トンカツ。欧米にも「ポークカツレツ:pork cutlet」や「ウィンナー・シュニッツェル:wiener schnitze」といった似たようなものがあるが、日本のトンカツは肉が厚くジューシーである。そしてこれも美味しくてボリュームがあってビールに合う。

3位:ギョーザ。本場では茹でるのに対して日本のは焼いてあり、たれにつけて食べる。そしてこれもビールに合う。

2位:フルーツ。これは全く意外である。コラム記者も上記のパターンが壊れたと述べている。さすがの彼もフルーツをビールの肴にしないようである。皮の柔らかいミカン、種なしブドウ、大きなイチゴ、みずみずしい梨などが指摘されていた。

1位:カレーライス。寿司でもなく、天麩羅でもなく、焼き鳥や焼き肉でもなく日本人にも人気のあるカレーライスが堂々の第1位である。本場インドはナンなどにつけて食べるのに対して、日本のカレーはご飯にかけて食べるもので、スパイシーだったり甘めだったり、はずしたことがないと述べられている。どの外国人に聞いても「カレーは好き」と言うらしい。そしてもちろん、ビールにも合うようである。

 大阪名物のたこ焼きはどうか? シンガポールでも売られており、欧米人にも合うと思うが、タコは苦手なのかもしれない。こういうTV番組の企画は面白いと思う。実現を期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 5日 (木)

「新聞を読んで」・・・

 (財)日本証券経済研究所http://www.jsri.or.jp/大阪研究所に1983年4月~1988年3月の5年間私は在職していた。大学院生の生活を終えた初めて就職先であった。この間、主要な新聞5紙(読売・朝日・毎日・産経・日経)と『日経産業新聞』を読むことが日課であった。

 この研究所における勤務時代、私には専属の研究助手(黒田さん・大力さん)がいた。彼女達は、私の研究に関連した新聞記事に色鉛筆でマークしておけば、それらを切り取ってスクラップ帳に項目別に貼り付けてくれた。このような厚遇を受けたことがないので、今でも研究所や黒田さん・大力さんに感謝している。

 その後、NHKラジオ第1放送『新聞を読んで』という番組に出演する機会があった。この番組出演の最初は深夜と早朝の2回放送であったが、その後は早朝のみの放送となり、今でも続いている。約13分間、その1週間の新聞5紙(上記と同じ)を読んで、それについてコメントをするという番組である。

 この出演日の前日は、ほとんど徹夜であった。1週間分の新聞5紙を読んで、少なくとも何か気の利いたことを言わなければならない。これが大変であった。とても時間が取れなくなって、この出演を断ることにした。

 そして今日、変わらずに新聞は読み続けているが、便利なインターネット上のサービスを利用している。『日経テレコン21』http://t21.nikkei.co.jp/g3/CMN0F21.do)である。

 この『日経テレコン21』では、ほとんどすべての日本における新聞と雑誌の記事が過去から直近まで収録され、キーワードの入力で検索・保存できる。これがあれば、もはやスクラップは必要ない。このように便利になったからこそ、かつて「私用スクラップ帳」を作成してくれた黒田さんや大力さんの貴重な仕事が思い出される。

 私の職業(プロフェショナル)としての研究生活は20年を超えたが、、以上のように新聞を読むことから始まり、その形態は変化しているものの今日まで新聞を読むことが継続している。いつも大学生に「新聞を読みなさい」と言うのだが、それを実行する大学生は少数のようである。

 当初それを「怠慢」と批判する気持ちがあったが、自分の経験を振り返れば、やはり最初は義務的に新聞を読まなければならない。それが習慣化すれば、読まなければ、不安でたまらなくなる。ただし、勉強熱心な学生は「新聞は高いからインターネットで読んでもいいですか?」と質問してくる。それはそれでよい。「図書館で読んでもいいんだよ」と答えることにしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 3日 (火)

ご心配をおかけしました:1週間の出来事

 毎日ブログを続けると宣言しているにもかかわらず、それが中断すると何人かの読者の方々からメールを頂戴する。

 中断の理由は健康問題ではなく、時間の問題である。どうも、ご心配をおかけいたしました。申し訳ありません。参考までに11月からの仕事は次のようであった。 

・11月1日(日):日本ベトナム友好協会兵庫県連で講演
・11月2日(月):日本ベトナム経済交流センターで面談(3件)
・11月3日(火):祭日
・11月4日(水):講義(1回)と教授会
・11月5日(木):講義・研究演習(3回)
・11月6日(金):講義・研究演習(3回)
・11月7日(土):休日

 この11月3日(火)は祭日であったが、通常は講義が2回ある。また複数の教員による分担講義が来週から週2回(月曜日と火曜日)追加される。こうなると週に最大11回の講義となる。さらに11月中旬から土曜日に桃山学院大学大学院の非常勤講師の仕事が始まり、それは来年2月まで続く。

 特に今週は、日本学術振興会の科学研究費補助金の申請締め切りがあり、その申請書の作成のために休日や祭日も多忙であった。これについては、後述する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 8日 (土)

「偏差値」は人間の一つの指標:「大学卒業資格試験」の提案

 「偏差値」と言うと、それは学力優先の格差社会を助長する象徴のように考えられる人々も多いであろう。

 私見では、試験成績の分布に基づく偏差値だけが、その人間全体を評価することには断じてありえない。他方、私は、偏差値が全面的ではないが、部分的な人間の個性の評価指標であることを容認する。

 偏差値に代替する何らかの客観的な指標があればよいのだが、そう簡単に見つからない。それなら、それを積極的に受け入れたらどうか?

 たとえばTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)については、その点数を履歴書に明記することは普通になっている。また就職のためには、SPI(Synthetic Personality Inventory)試験を受けることが一般的である。

 このSPI試験では中学生程度の問題が出題され、それに早く解答することが求められる。この成績が良いからと言って、大学の勉学・研究が熱心であったかどうかの指標にはならない。企業は、就職希望の学生に対する最初の選抜方法として使用しているにすぎない。

 SPI試験は、たとえば有名私立中学校や高等学校の受験生が最高得点を示すのではないかと思われる。大学生に対しては不適当な試験問題と言わざるをえない。そうであるとすれば、大学生としての資格試験を年に何回か実施して、その偏差値を就職時にも明示すればよい。 

 18歳人口の過半数が大学進学する時代である。大学教育の内容が問われている。その内容を評価する意味でも、大学卒業時の資格試験といった新たな学力指標が必要である。それは学力であって、それだけが人間すべてを評価しないことは当然である。そのために企業は現在までも何回かの面接を実施している。

 このような資格試験を実施すれば、大学教育の内容改善が促進される。また大学の講義に出席しなくても、資格試験で高得点に達する学生もいるであろう。それも悪くない。このようなことを通して、大学入試の偏差値に大きな変動が伴うかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 7日 (金)

能力別クラス編成によって効果的な教育を!!

 日本をダメにしたのは誰か? この質問の解答として「日教組」と答える人が多いように思う。この意味は、主に「日教組」が競争のない平等主義を学生や生徒に教え込んできたことの弊害である。

 注:先日の東京出張の宿泊先が「アパホテル」であったことが、このようなことを考える契機になった。

 人間は平等である。すべての人々の人権は平等に尊重されなければならない。これは人類に共通して受け入れられるべき理念または政治目標である。それには異論がない。ここで問題となるのは、このことを教えた場合、自分の努力不足や能力不足を考慮せず、その結果の不平等を取り上げて苦情を言う人々がいることである。こんな人々が増えると、経済や社会は停滞する。

 能力の高い人々に「平等」や「公平」を教育することは、その人々の特権的な「エリート意識」を抑制し、人間的に魅力のある人物を育成する効果がある。鼻持ちならない「エリート」ではなく、能力のみならず人間的にも立派な人々を養成することは重要な教育課題である。常に自省的・内省的な思考や態度は、本来のエリートにとって不可欠の要素であると私は思う。このキーワードは、平等や公平といった意識・理念ではないか。

 これに対して努力不足や能力不足の人々に同じように「平等」や「公平」を教えると、それを自分の都合のよいように解釈して、さらなる努力や向上心を放棄していまう。そして文句ばかり言うようになる。この懸念がないとは言えない。

 日本をダメにしたのは、このような「平等」や「公平」の教育ではないか。つまり、その教え方に問題がある。「平等」や「公平」を教育する場合、たとえば偏差値70の学生と偏差値30の学生とでは、教える内容や方法が異なって当然である。なぜなら、それぞれの理解力に相違があるからである。

 それぞれの学生の理解力に応じた教育がなされるべきである。そしてそれぞれの個性が発揮され、それぞれが能力的・人間的に向上・成長することが理想である。たとえば大学において英語を読めない学生に「英語文献研究」といった講義を受講させることは無意味である。日本語文献を使用するか、または英語の基礎を教えるべきである。

 以上のような意味で、理解力に応じたクラス編成によるきめ細かい教育が望まれる。そのためには教員の増員は必要であるし、学生の能力に応じた専門性の高い教育方法の開発が望まれる。

 いわゆる「日教組」批判に対して、私は以上のように考えている。要するに一律的な教育ではなく、各自の能力に応じた個人個人に適切に対応した教育を追求するする。これが教育の理想である。個人に適応していない一律の教育に起因して、さまざまな弊害が発生しているように思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月30日 (木)

草食系人間について:成熟経済の産物か?

 3回生の就職活動が始まろうとしている。大学のキャリア開発(=就職支援)課に「就職予備登録票」を提出しなければならない。

 ・家族構成
 ・ゼミを選んだ理由
 ・大学時代に熱心に取り組んだこと
 ・私の性格
 ・クラブ・アルバイト
 ・ ・・・・・・

 こういった個人情報を記載する書類である。もちろん「マル秘」扱いである。これに基づいて教職員は就職指導する。私のゼミ学生が相談に来て「私の性格」について議論になった。

 「そういえば、私には「負けん気」が強いという性格はないですね」。「・・・・・・」。

 これは現状肯定の思想を意味している。「今に見ていろ」とか「負けてたまるか」という気持ちが彼には起こらないのであるとすれば、それは向上心の欠如といえるかもしれない。

 あらゆる手段を活用して自分を常に奮い立たせてきたと私は思うが、最近の学生はそうでもないらしい。こういった学生が特殊なのか一般的なのか。一般に「草食系」人間が増えていると言われているから、ギラギラした闘争心は時代遅れとみなされるのかもしれない。

 これが、戦後に経済成長を追求してきた日本社会の到達点ともみなされる。成熟経済とは、こういう状態を意味すると理解されうる。それでは次の目標は何か。経済成長最優先からの「パラダイム転換」が検討されてもよい。

 このような大きなテーマではなく、上記の学生のような個人レベルの話で言えば、そのひとつの答えは「自分自身に負けない」ということである。柳生連也齋が述べているように、「昨日の自分と今日戦う」(とみ新蔵『柳生連也武芸帖』リイド社)。他人を相手にするのではなく、自分自身を相手にして戦う。こういう心境の人に会ってみたいし、そのような心境になってみたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年7月24日 (金)

「企業論」の最終講義から:予想試験問題の解説

 7月24日(金)は補講日であって、「企業論」の補講2回を担当した。これで流通科学大学の講義は終了である。依然として公開講義の科目「アジアビジネス特論」という講義が2回残っているが、ほぼ「山場」を越えた。いよいよ著書の執筆に集中できる。

 上記の補講では、前回の試験問題を配付して、その解答を解説した。そして最後に「これと同じような問題が出題されるから、ちゃんと勉強してね・・・」というメッセージを学生に送った。中間試験はレポート書いてもらっているから、期末試験はマークシートによる選択式の解答である。その問題は、たとえば次のようである。

 時価会計について誤った説明は次のどれか。
①時価会計によって企業の資産評価は安定し、企業の評価に及ぼす影響は小さくなる。
②時価会計は、企業が保有する資産を決算時の時価で評価することである。
③時価会計の導入前の日本企業は、取得原価で資産を評価していた。
④時価会計の導入によって「含み益」や「含み損」が消滅した。
⑤時価会計の導入によって株式持ち合いの解消が促進された。

 この解答は①である。このような問題が50問出題されて、試験時間は60分である。大学生の学力低下が問題視される昨今、学生を厳しく指導するのは当然という風潮になっている。将来の就職は容易でないし、在学中の勉強も厳格化される。まさに学生受難の時代である。

 経済成長のための重要課題が「人材育成」ということは、特にベトナムに限ったことではなく日本も同様である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧