2009年12月21日 (月)

なぜ『不毛地帯』の視聴率は高くないか?

 毎週木曜日に楽しみにしているテレビ番組『不毛地帯』の視聴率が上がらないと言う。唐沢寿明・小雪・岸辺一徳・原田芳雄・天海祐希らの演技陣は文句なしに熱演である。ゾクゾクするほどに魅力的である。

 かつてテレビで放映された『なにわ金融道』(DVD発売)でおなじみの泥沼亀之助氏は、結婚式のご祝儀泥棒に遭う時に証券会社に勤務していたが、その前職は商社マンであることがわかった。しかも米国近畿商事の副社長そして社長になる。この俳優は梶原善であるが、こんな連想をさせてくれることも私にとって個人的に楽しい。

 このような『不毛地帯』がなぜ一般に人気がないのか。原因はいろいろ考えられる。
1.時代背景が古いので視聴者に理解されない。
2.テレビ視聴者の「ボリュームゾーン」から逸脱している。
3.家に帰ってまで真面目な仕事の話を再び見たくない。
4.主人公の壱岐正が立派すぎて見ていて疲れる。
5.陸軍士官学校の人脈がすごいというだけの話とも解釈できる。
6.政財界の癒着は新しい問題ではなくウンザリする。

 私は、就職を前にした大学生に仕事・人生・結婚などを考える材料として『不毛地帯』を見てほしいと思う。また壱岐正の分析力や判断力を通して戦略の重要性が理解できるから若いビジネスパーソンにとっても有益である。

 『不毛地帯』を素材にして、それを現代に置き換えた作品にすれば、おそらく人気は出るだろうが、そのストーリーは難しいだろう。まったく新しい作品として書き上げなければならないからである。シベリヤ抑留や陸軍士官学校の想定を何に置き換えるか。考えると楽しいが、頭が痛くなる。

 やはり『不毛地帯』は歴史番組である。昭和史のエピソードを詳細に描いた記録的な映画である。それだけでなく、この番組には人間ドラマとしての普遍性があり、それだからこそ後世に『不毛地帯』は継承されていくと思われる。私はDVDの発売を楽しみに待っている。繰り返して見るに値する作品である。視聴率に関係なく、秀作は秀作である。

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2009年7月28日 (火)

映画・仲代達矢版『不毛地帯』を見る;期待される唐沢寿明版のテレビドラマ

 山崎豊子『不毛地帯』(新潮文庫)が新たに出版されている。「2009年10月よりフジテレビ系列で開局50周年記念ドラマとして前半部分が連続ドラマ化(主演・唐沢寿明)される予定」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%AF%9B%E5%9C%B0%E5%B8%AF)だからである。そこで、かつて映画化された山本薩夫監督のDVDを見た。

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 この『不毛地帯』の映画については、かつて学生時代に映画館で見た記憶がある。しかし詳細は忘れたし、原作は未読である。主人公の壱岐正は仲代達矢が演じている。仲代の体躯は陸軍大学を首席で卒業したという設定に合致しているように思われた。またシベリア抑留の風景では映画『人間の条件』を思わせる場面もある。果たして小柄な唐沢寿明が、この仲代達矢を超えられるのであろうか。

 同じ山崎豊子原作『白い巨塔』のテレビドラマで田宮二郎と比較された唐沢は、次は映画版の仲代と比較される。さらに『不毛地帯』はテレビドラマ化されていて、平幹二郎が主人公を演じているという(私は未見である)。これらのことは、唐沢が田宮・仲代・平に匹敵しうる現代を代表する役者であることを意味している。

 このDVDを見れば、ベトナム戦争や映画『戦争と人間・完結編』の場面も挿入されている。故・山本監督らしい反戦のメッセージが伝えられている。そしてまた、八千草薫・藤村志保・秋吉久美子という女優陣の若々しさが、今から見て新鮮である。

 唐沢版『不毛地帯』をより一層楽しむためにも私は小説を読んでみたいし、また仲代版の視聴を勧めたい。

 なお、多忙・多忙といいながら、なぜ私にDVDを見る時間があるのかという疑問があると思われる。これについては、私の日本証券経済研究所時代の大先輩である故・松井和夫教授(大阪経済大学)のご教示を引用することにしている。

 すなわち故・松井教授はテレビを見る時間でさえも勉強していた。私の場合、DVDを見る時間も、それ以外の時間も常時勉強している。これは、松井教授と違って私の場合ほとんどウソであるが、このように言えば、それなりの格好がつく。 

 それにしても山崎豊子『沈まぬ太陽』も映画化されると聞いている。こういった社会派小説が広く読まれ、そして映画化されることは、現代社会に対する国民の関心の高まりを反映しているのであろうか。

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2009年7月22日 (水)

高く評価されてよい韓国版『白い巨塔』

 これまでにも紹介したが、韓国版の『白い巨塔』は日本の田宮版・唐沢版を超える出来映えである。私は韓国版DVDを何度も見ているが、その度に感心・感動する。

 日本語のブログの中には、また韓国の「パクリ」だというコメントがあるが、おそらく実際を見ない先入観だけの意見である。日本から正式に版権を取得している韓国版のリメイクであり、その脚本・演出・配役は日本版に優るとも劣らない。

 柳原第一外科医局員の親友であり、里見助教授に近い存在の竹内医局員が唐沢版では佐々木蔵之介であるが、韓国版では女性のハー先生になっている。彼女が魅力である。

 特に日本版の里見助教授が大学を去る場面でのハー先生は輝いている。この場面で初めてハー先生はメガネを外して涙を流す。眼鏡をかけた秀才の女性医師が、本当は情感あふれる美人であることが示される。

 少し時間を取って韓国版の評価をしたいと思うのだが、残念ながら時間がない。

 

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2008年10月12日 (日)

カナリア~西條八十物語~:関西大学「学園座」公演を見る

 関西大学の演劇部には4団体ある。その1つが学園座である。機会があって、その公演を見ることになった。10月10日(金)~12日(日)の4回公演。http://gakuenza.yu-yake.com/

 11日(土)の昼に関西大学の校門前で、萩尾千里さん(株式会社・大阪国際会議場社長、関西経済同友会前事務局長)に偶然にお目にかかった。これはオマケの幸運だ。日越経済交流センターの活動に何度か支援をいただいている。立ち話であったが、ご挨拶できてよかった。

 学園座の演目は、「カナリア~西條八十物語~」(作:斉藤憐、演出:吉井恵)である。率直に言って、面白かった。演技も熱演であったが、それ以上に作品それ自体、さらに言えば、西條八十の生涯に共感したし、興味深かった。

 西條八十は、現在で言えば、マルチタレント教授である。このマルチとは、①叙情詩人、②児童文学作家、③作詞家(流行歌・軍歌)、④フランス文学者(元早稲田大学教授)。さらに⑤株式投資家。

 活動自体もマルチだが、それぞれの内容もマルチである。たとえば作詞家として次の作品がある。童謡「歌を忘れたカナリアは・・・」、軍歌「貴様と俺とは同期の桜・・・」、戦後の流行歌「父は夢見た、母も見た・・・青い山脈・・・」そして「吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・・」。驚くべき多様性と才能である。政治的には、左翼劇団に資金カンパしながらも、その後は従軍記者となり、戦後は戦犯容疑にも問われている。

 フランス文学者としては、逝去の3年前の75歳で『アルチュール=ランボー研究』(1967年)を刊行してライフワークを完結させた。

 これらのマルチタレントおよび多様性の基礎には、その天性の才能があることは言うまでもない。しかしその原動力や契機は、女性好きから生まれる多数の愛人遍歴、そして断り切れない優柔不断な性格である。また、それを容認する家族の理解と忍耐力。

 いくつかの教訓を以上から感じた。①優柔不断で断り切れない仕事は悪いことではない・・・仕事の幅を広げることになる。②ライフワークは完成させる・・・私の場合、「役員兼任ネットワークの研究」? または「博士号」を取得すること? そのほかに③好奇心を忘れない。④仕事には極度に集中する。 

 なお西條八十は、株式投資の利益で「詩人会館」を建設する夢があったそうである。株式投資のような不労所得は、自分だけのために使っては、世論の支持が得られない。東京には日中友好親善のための会館があり、格安で宿泊もできるが、私も、お世話になっているベトナムやラオス・カンボジアのためにビルを1つか2つ建ててもよいのだと思う。夢は大きい方がよい。

 いろいろ考えさせられた公演であった。時代の変革が求められている時代に、その変革の中でどのように生きていくか。人間の生き様=人生観を大学生にも考えてほしい。熱演の学園座の皆さんに感謝を申し上げたい。

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2008年1月24日 (木)

イチローと私の共通点:『白い巨塔』

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 いま「白い巨塔」を見てるヤツなんていないんじゃないか、もう30回も見てるよ。イチロー(NHK総合「プロフェショナル」)。

 これは『週刊文春』(2008年1月24日)の「清野徹のドッキリTV語録」(p.122)で紹介されているイチローの発言だ。

 ここで、イチローと私の共通点が判明した。中年の肥満気味のオッサンにもイチローとの共通点があったのだ。実は、私も「白い巨塔」は30回は見ている。田宮版と唐沢版の両方で言えば、それ以上である。田宮版の初回のTVまで見ている。さらに、つい数日前にも田宮版を見たばかりである。ひょっとしたら、イチローに勝っているかも? 

 特に「教授選挙」と「再審裁判」の場面は繰り返して見ている。もっとも、これらのDVD鑑賞は、仕事をしながらであったり、入浴をしながらであったりする。なぜ何回も見るのか。これまで、あまり真剣に考えたことはない。

 上記の清野徹氏は、「ここに私は、イチローの空恐ろしい孤独と不安を見た。移ろいやすい精神といったものが“自由”の根底にあるとすれば、イチローは世界一自由から遠い存在のヒーローかもしれない」と指摘している。

 イチローの「武士」もしくは「剣士」のような禁欲的・求道的な日常生活のことを清野氏は指摘していると思うのだが、それがなぜ「白い巨塔」なのか? この説明はない。なぜイチローが「白い巨塔」なのか? 

 おそらく「禁欲的・求道的」という「白い巨塔」の登場人物は、里見助教授である。イチローが里見を自己と重ね合わせて、財前との対比で里見を見れば、それは自己を反省することに通じる。自分の意識の中の財前的な部分と、里見的な部分を映像を通じて反省する。「白い巨塔」を何度も見る価値は、ここにあると私は思う。イチローはどうなのか?

 これから「白い巨塔」を見る楽しみが増えた。

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2007年5月19日 (土)

映画『北斗の拳:ラオウ伝・激闘の章』を見る

 『北斗の拳』は、私が40歳代になってから読み出したコミックだ。近所の散髪屋さんの待合いで偶然に読んだのが契機だ。もちろん全巻を繰り返し読んでいる。コミックとしては『柳生蓮也武芸帳』や『ゴルゴ13』に並んだ愛読書である。

 この映画は、ラオウを主人公にしている。ラオウの一直線の生き方は、主人公のケンシロウより以上に共感を生む。またラオウの最期の言葉、「我が生涯に一片の悔いなし!!」の名セリフは、世代を超えて多くの人々に継承されるであろう。

 「愛と哀しみを背負う」ことで修得できるという北斗神拳・究極奥義「無想転生」のコンセプトも魅力だ。ラオウに倒される(注:実質的には勝った)フドウも、南斗五車星に生まれずに、北斗神拳を学んでいれば、この「無想転生」を修得したであろう。

 この映画、原作のコミックに若干の脚色を加えながら感動的に仕上がっている。以下、コミック『北斗の拳』の魅力を私なりに少し語ってみよう。

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アーティスト:サントラ
販売元:ユニバーサル・シグマ
発売日:2007/02/21
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 1.時代背景の魅力
 このコミックの舞台は「暴力が支配する社会」。現在のような「お金が支配する社会」に代替する社会がありうることを若い人々に具体的に見せることがスゴイ。同様に新しい社会として頻繁に映画で描かれるは、「コンピュータが支配する社会」であろう。世界的にヒットした『マトリックス』がその典型だ、現代の資本主義が永遠に持続する社会でないことを若い人々に説明する場合、この『北斗の拳』は効果的な教材のひとつとなる。
 最近の政府が主張する「美しい国:日本」も、「お金が支配する社会」に対抗する社会像を示しているように思われる。「金儲けに熱心な社会」が「美しい国」であるはずがない。しかし実際は、「お金が支配する社会」に対して政府は本気で反省・自省していない。「経済成長を優先する社会」から、「人間性を重視した社会」や「日本の主権や独立を重視した社会」に変革されることが望ましいと私は考えている。

 2.「愛と哀しみを背負う」ということ
 人間の感情には様々ある。その中で「愛と哀しみ」は特別な意味をもっていると思われる。愛する者を失った哀しみ。これは人間のみならず、たとえば犬や馬などの動物にも存在する感情のように思われる。「愛と哀しみ」は哺乳動物に共通した感情ではないか。母親の体内から生まれ、母乳で育つという過程を通して発達する特別の感情ではないのか。もしそうであるなら、この感情を深く心に刻みつけた人間こそが、本来の人間らしい人間ということになる。
 ラオスは「強さ」を追求した。その剛拳それ自体は、その体格から見てもケンシロウを凌駕しているだろう。しかし勝負を分けるのは、拳の単純な強弱ではない。その拳に込められた精神力(=気力=オーラ)なのだ。この精神力は、学力・知力・財力・体力を基準にした評価に対する対抗軸となりうる。
 精神力=人間性の優位性を具体的に見せた『北斗の拳』は、前述のような学力・知力・財力・体力に基づいた「格差社会」に対する抗議の発端になる可能性もある。コミックの中のキャラクターである「コウケツ」を中心に描かれる社会は、まさに「格差社会」だ。家族のために無理矢理に働かされる競争社会と言ってよい。それを破壊するのは、ラオウの息子「リュウ」である。この構想力も『北斗の拳』が普遍的な名作である要因となっている。

 おそらく『北斗の拳』は、世界に誇る日本のコミックの一つとして歴史に残るであろう。若い人々に読み継がれて良い不朽の名作であると私は思う。

北斗の拳 プレミアムベスト Music 北斗の拳 プレミアムベスト

アーティスト:TVサントラ
販売元:ポニーキャニオン
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2007年4月29日 (日)

映画『ロッキー・ザ・ファイナル』を見る

 映画「ロッキー」のDVDシリーズは全巻購入済み。『ロッキー1』は、私が大学生の時の映画だ。その時から何と30年が経過した。このシリーズの最後となる『ロッキー・ザ・ファイナル』。これを見なければ、わが人生に悔いが残る。

 しかしながら、話の展開は予想通り。意外性がない。それでも見に行ってよかった。シリーズ作品の最後は、そういうものだ。もちろん印象深い風景があった。過去を振り返る。想い出の場所を再訪する。こういう回想シーンは、私のような世代になると「ジーン」なのだ。

 ロッキーのセリフで印象深いのは「自分を信じる」。I believe in myself.英語では、この表現ではなかったと思うのだが、こういう意味のメッセージは、われわれの年代には特に効く。それに起業したばかりの私にとって、さらに心に浸みる。

 予定調和的な感動。こういう映画は、それで満足だ。よーっし。明日から身体を鍛えよう。そして実は決心した。「ホノルル=マラソン」完走だ。有言実行。中学校時代、陸上競技部の部長だった血が騒ぐ。これは、ロッキーと同じ「胸騒ぎ」のような気がする。映画から元気をもらう。夢とやる気をが出てくる。でも家族はマラソン出場には反対だ。家族とは、そういうものなのだ。ロッキーの息子もそうだった。うーん。重なり合うな。

ザ・ベスト・オブ・ロッキー~ロッキー・ザ・ファイナル オリジナル・サウンドトラック Music ザ・ベスト・オブ・ロッキー~ロッキー・ザ・ファイナル オリジナル・サウンドトラック

アーティスト:サントラ,ディエッタ・リトル,ネルソン・ピグフォード,サバイバー,ジェームス・ブラウン
販売元:東芝EMI
発売日:2007/04/04
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2007年4月14日 (土)

『白い巨塔』と『華麗なる一族』:型にはまった様式美

 木村拓哉の『華麗なる一族』に誘発されて、かつての映画版をレンタルビデオで再び見た。「再び」というのは、若い頃に映画館で見た記憶があるからだ。

 その配役の多くは、旧作テレビ版『白い巨塔』に重なっている。田宮二郎(財前教授⇔美馬中)、佐分利信(船尾教授⇔万俵大介)、小沢榮太郎(鵜飼教授⇔永田大蔵大臣)、加藤嘉(大河内教授⇔銭高常務)、西村晃(滝村名誉教授⇔綿貫専務)、中村伸郎(東教授⇔松平日銀総裁)。

 山崎豊子原作の『白い巨塔』も『華麗なる一族』も、男性の権力欲・名誉欲・金銭欲を描いた人間ドラマという点で共通している。こういうドラマの配役となると、上記のように重複してしまう。同じ俳優が、同じ雰囲気をもって異なった役柄を演じているという印象だ。いわゆる「はまり役」だ。これらの映画は安心して見ていられるが、新鮮みがない。

 私は、それでよいと思う。これらは、一種の様式美をもった連続映画なのだ。それぞれの俳優が、活動分野や時代は異なっても、地下水脈のように連続する男の欲望を演じる。佐分利には佐分利の「型」がある。その目配りや仕草は、歌舞伎で「見栄を切る」ように型式化されている。同様に中村には中村、田宮には田宮の「型」がある。それらの演技が共鳴して、権力の構造や欲望の渦が地表に浮かび上がってくる。

 これらの男優に対して、『白い巨塔』と『華麗なる一族』に共通した女優は、北林谷榮(山田うめ⇔佐橋総理夫人)である。前者が、十津川村の農家のおばあちゃん。後者が、気取った総理夫人。この好対照を見事に演じる北林の演技力もスゴイが、それよりも一般に、前述のような男優の「型」に比べて、女優の「型」にはまらぬ柔軟性に驚かされる。

 「型」に依存して生きる男性、「型」の演技を期待される男優に対して、それに囚われることなく変幻自在に対応する女性と女優。上記の二作品から、このようなことを私は感じた。そしてそれは、かつての日本社会の特徴ではなかったか。これに対して、最近の日本はどうか。このような「型」を演じる男優がいなくなったように、男性も「型」から自由に生きている。それが現実ではないか。

 「型にはまらない人生」。以前には、こういう表現があったように思うが、最近では死語になっている。そもそも「型」それ自体が消滅しているからである。そういう現代であるからこそ、「型」にはまった往年の様式美を備えた『白い巨塔』や『華麗なる一族』は新鮮で見飽きない。

 以上は、私の世代からの一つの見解である。若い人々は、こういう映画にどのような感想をもつのだろうか。新作の唐沢版『白い巨塔』や木村版『華麗なる一族』が、つい最近に放映されたのだから、共通の話題になりうる。これらが描いた権力の腐敗や政治の汚職は今日までも解消されていない。この意味からも、こういった問題は、もっともっと積極的に議論しなければならない。それが原作者の意図であろうし、映画がリニューアルされる理由であると思う。

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2007年2月 1日 (木)

今日は「映画の日」:話題作「どろろ」を見る

 最近、やや疲れているような気がする。大学では試験監督・試験採点があり、ビジネスでは会社設立後の営業活動がある。東京に今週最初に行ったが、来週も東京訪問だ。大学とビジネスをつなぐ産学協同研究の推進が指摘されて久しいが、ひとりの人間が産学協同を研究・実践する実例は、特に社会科学系分野では多くないと思う。

 そんな中で、今日は休養。また偶然に「映画の日」。千円で新作が見られる。そうなれば、映画館に行ってみようということになる。そこで話題作、手塚治虫原作の「どろろ」を見た。

 この映画、子どもだましの特撮映画というのは偏見だ。そもそも「子供だまし」という言葉が、子どもに対して失礼だ。最近の子どもはしっかりしていて、そう簡単にだませない。十分に大人も楽しめるし、そもそもR12に指定されている。なぜなら、少しばかりの残酷場面が出てくるからである。

 全体の印象は、かつての「マカロニ=ウェスタン」のような新鮮な感覚だった。この「マカロニ=ウェスタン」とは、イタリアで制作・撮影された西部劇のことだ。それまでの米国製の西部劇に比較して、その荒涼とした場面とニヒルな主人公が人気だった。現在公開中の「硫黄島からの手紙」の監督をしたクリント=イーストウッドの映画界で出世作は、このマカロニ=ウェスタンであった。

 ニュージーランドを撮影場所にしており、それが超時代・超国籍の映画にふさわしい異様な雰囲気を感じさせる。音楽も、その雰囲気を助長する。それに柴咲コウが熱演だ。滑舌が明瞭だし、動きもよかった。今年の日本アカデミー賞の受賞も期待できるのではないかと思うのだが、これは素人の考え。親子の関係を問い直す内容になっており、それも感動を誘う。

 特撮は、「着ぐるみ」のレベルであり、期待はずれ。しかし私は、ウルトラマンを見て育った世代から特に違和感はない。この特撮場面がリアルになれば、世界で通用すると思った。これが残念。

 なお、まだ主人公の百鬼丸は完全な人間に戻っていないのだから、この作品の続編が期待される。さらに柴咲コウが男から女に戻るハッピーエンドがあってもよい。どうなるのかな?この興業収入に依存するのだろう。続編、見てみたい気もするが、レンタルDVDで見てもよいかという気にもなる。本作品の新鮮さを後編では感じないと思うから、後編の期待度は低くなるのだ。

 映画評価で言えば、少し甘く採点して☆☆☆☆。大人1800円の入場料に何とか匹敵する大作と思う。今回の「映画の日」の1000円なら明確に割安☆☆☆☆☆だ。

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2007年1月17日 (水)

日本以外全部沈没

 この映画は、レンタルの新作DVDで見た。皮肉たっぷりの怪作だ。

 日本人が見ると、ある部分で共感するが、反省の材料にもなる。内容と解説は以下を参照。http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=7116

 この映画に対する外国人の意見を聞いてみたい。 また、「韓国以外全部沈没」、「中国以外全部沈没」などの続編を想像するだけでも楽しい。日本映画の実力も大したものだ。

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