2006年7月17日 (月)

科学研究費補助金=公的資金による海外出張:問題点

 今回の7月7日からのベトナム訪問は、少し前に話題となった日本学術振興会が提供する「科学研究費補助金」に基づく出張であった。これは公的資金=税金による支出である。

 上記の「話題」というのは、不正流用事件である。本来の研究目的以外に研究費を私的流用するという早稲田大学の某教授の事件のことである。

 これが大きな事件になったのは、その内容が悪質であったからだと思う。金額も大きいが、公金の私的流用資金で「投資信託」を購入していたいというのだから驚きである。普通の研究者の感覚では考えられない。

 この科学研究費補助金は、略称「科研費」と呼ばれていて、公的に審査された優れた研究計画に対して支給される研究費である。私の勤務する大学でも、この受給者に対する評価は高い。外部から公的資金を受給できる研究者を擁するということは、その大学の研究水準が高いことを意味し、大学の評価を高めることになるからである。

 私の研究テーマは「ベトナム・ラオス・カンボジアの企業経営におけるWTO加盟・AFTAの影響と対応」である。簡単に言って、ベトナムが年内にWTO加盟するかどうかという時期に、各国の政策担当者や企業経営者は何を考えているかという調査研究である。このことから3カ国における経済発展や企業経営の課題そして提言を導き出すことが目的である。

 現在進行形の実態研究であるから、研究の主要な場所は現地である。文献を収集するだけで目的は達成できない。このような時に、この科研費の「使い勝手」が悪いことがある。

 公金=税金であるから、その使途に規則があるのは当然である。しかし私の場合の不便は次の点である。

 (1)お土産代に使えない。私の場合、企業経営者にインタビューするとき、少しのお土産を持っていく。最近では「フラッシュ・メモリー・スティック」、日本人の場合は「佃煮」などが定番である。こういう使途の場合、相手から領収書または受取証が必要である。常識からして、お土産に領収書はもらえないから、これらは私費となる。私のような場合、この出費がかなり大きい。

 (2)外国出張の時間がない。今回は4泊6日(機中1泊)の出張であるが、その理由は、帰国日の午後の講義と教授会を欠席できないからである。せっかくの出張であったから、ラオスやカンボジアも訪問したかったのであるが、その時間がない。短期間の出張は効率的でない。結局は公金の非効率的に使用していることになる。かつては教授会の欠席に寛大であった大学も、最近ではマイナス評価となる。科研費の受給をプラス評価しながら、その研究を効率的に実施しようとすればマイナス評価となる。矛盾した話である。しかし、そういう規則なのだから、それに従わざるをえない。もちろん講義の休講では補講をするのは当然である。

 (3)予算の締め切り日が3月上旬となっている。こうなれば、3月中の研究活動はできないことになる。春休みで最も海外出張に最適の時期に研究費が使用できない。これも変な話である。

 以上のほかに、いろいろ「科研費」の使用方法に問題点はあると思われる。科研費の不正受給は、前述の早稲田大学のみならず東京大学などでも発生している。規則に従わない研究者のモラル改善が最も重大であるが、その使い勝手の悪さにも原因のひとつがあるようにも思われる。そのために「資金をプールしておく」といった不正行為が、やむにやまれず行われるのではないか。

 実際に使う人の立場で研究費の使用方法が再検討されてもよい。そのような意見を述べる機会は、これまでに皆無であった。公的資金を使用するということで、自信と誇りをもって研究をしたいと私は思っているのだが、実際は、そう単純ではない。

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2006年7月 4日 (火)

企業論の最終講義:株式持合いの復活を危惧する

 今日で、私が担当する前期の「企業論」の講義は最終であった。企業論は、株式会社や企業集団などを主題として、かつては「企業形態論」と呼ばれた伝統ある科目である。今学期は「村上ファンド」事件もあり、そういった時事問題の解説に時間を取られたので、やや時間が不足気味であった。

 私の講義は、日本企業の特徴である「株式持合い」を詳細に議論することが特徴である。初めての私の論文は、大学院生時代の1981年に発表した「株式持合い比率の研究」というテーマであった。このように、株式持合いと私は長い付き合いである。

 この株式持合いが、バブル崩壊後の外国人株主の増大や、株式評価損の発生のために次第に解消されているという。株式持ち合いの本質は、「紙のやり取り」と喝破したのは故・大隅健一郎教授(京都大学)であるが、まさに至言である。お金を実際に出資して株主となった個人株主と、紙=株券の交換(相互に第3者割り当て増資する)で株主となった法人株主とは、その権利が相違して当然である。言い方を換えれば、個人株主の権利が法人株主によって不当に侵害されていると考えられる。

 株式持合いの起源は、乗っ取り防止、経営者の地位を安定させるためである。この意味では、経営者自らが株主主権を侵害しているとも言える。さらに「紙のやり取り」では実質的な資金調達にならない。したがって、このような不当な経営者の行為が、諸外国で容認されるはずがない。だからこそ株式持合いは、日本独特の株式所有形態と言われている。それは日本の特徴というよりも、日本の恥部というべきものなのである。

 この株式持合いが解消されるというので、やっと日本も普通の国になると期待していたが、買占めや乗っ取りを防止するための安定株主を確保するために、株式持合いが復活する傾向があるらしい。欧米流の乗っ取りやTOBの防止策が、いくつか紹介されるようになったが、それよりも最も容易で低コストな防止策が株式持合いという判断であろう。

 株式持ち合いは、経営者が自分の地位を安定化させるための目的である。要するに、経営者の自己保身である。経営者が自らの地位に執着するということである。このようなことを考えると、日本銀行の福井総裁のことを連想してしまう。そこまでして地位に執着したいのだろうか。

 そもそも大部分の銀行の代表取締役は、自らを「頭取」と呼んできた。製造業と違って銀行業は経済的に重要である。そこで呼び方も別格で頭取とする。そのなかでも日本銀行は「銀行の銀行」である。したがって頭取ではなく、「総裁」と呼ぶ。以上、それぞれの特権意識が、その肩書きからもうかがい知ることができる。

 特権意識があるがために、私は特別だから辞任しなくても良いと思い込んでしまうのであろうか。株式持合いは大企業に多い。三井・三菱・住友などの企業集団の紐帯となってきた。伝統ある財閥を起源にもつ大企業のトップにまで登り詰めた経営者は、それにふさわしい自負と特権意識をもって当然である。その地位・役職を簡単に譲り渡すことはできない。そこで株式を持ち合う。このように福井総裁の事件と株式持合いは、本質的に同根であるかもしれない。

 いずれにせよ、いいかげんに株式持合いは、やめたほうがよい。日本にとって恥ずかしいことである。

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2006年3月20日 (月)

白石太良教授の「共同風呂」

 3月19日(日)、兵庫農業会館において、流通科学大学・サービス産業学部・白石太良教授の最終講義があり、その後に国指定重要文化財に指定されている「旧居留地十五番館」で送別パーティーがあった。

 Dsc07154 白石教授は、大阪市立大学大学院を卒業され、流通科学大学の開学(1988年)以来、ご専門の経済地理学に関する講義を担当された。退職される今年までに図書館長・副学長を歴任されて大学の発展に貢献された。

 最終講義のテーマは、「共同風呂と地域のかかわり」であった。先生が最近に研究されている「共同風呂」について、その研究の集大成を2時間に渡ってお話しされた。出席者は流科大の教員のみならず、幅広い大学や年齢層の人々であり、さらに学生の出席が多いのに驚かされた。そのゼミ生10名が全員、卒業論文を提出したそうである。「本のまる写しではダメだ。自分で調べたことを書きなさい」と日常から指導されていたとのことである。厳しい指導にもかかわらず、ゼミ生から敬愛されるのは、まさに白石先生のご人徳である。先生のお人柄を反映して、義務や打算に基づく出席ではなく、心のこもった人々が集まったように思われた。久しぶりに暖かい至福の数時間を過ごすことができた。

 先生は、一般の人々の生活環境に目線を置いて現代社会を検討されている。この一貫した問題意識の中から、その一つのアプローチとして「共同風呂」という研究対象に着目された。現代の経済・社会現象は、ホリエモン事件に関連する報道からも理解できるように、企業側の利益追求の視点から描かれることが多い。これに対して白石先生は一般庶民の生活の視点を強調される。その立場から見えるモノの典型・象徴として、かつて日本の農村部で見られた「共同風呂」という庶民生活に極めて密着した事象が注目される。

 日本人の生活=暮らしを考える場合、入浴という習慣・慣行は不可欠である。その中で「共同風呂とは、主に農村地域において、集落内の何軒かの家が仲間を組織し、共同の浴場を設け、湯沸かし作業の交代制などの協力関係を維持することによって、仲間の家族全員が日常的に入浴した風呂をいう。形態からは銭湯に類似するが、毎回の入浴に対して入浴料を徴収しない、当番制のような自主的な維持・管理が多い、入浴者が特定のものに限られるなどの相違点がある。また、用水や燃料の確保、釜焚き労働が必要なことから温泉地の共同浴場とも異なり、さらに、日常生活のなかでの入浴である点で宗教行事としての風呂とも違っている」。通常、かつての日本では農村部に限らず「もらい風呂」が普通に行われていたと思われるが、それとも「共同風呂」は相違している。

 以上は、最終講義時に配布された小冊子・白石太良『日本の共同風呂』平成18年3月に依拠している。この小冊子は、白石先生が受給された日本学術振興会・科学研究費補助金の研究助成の成果の一部である。

 「共同風呂」は、簡単に言えば、近隣の住民が共同で裸のつき合いをするということである。上記の小冊子の中にも書かれているが、男女混浴もあったそうだが、そうだからといって不道徳とは考えられていない。古き良き時代のおおらかな農村生活を想像できる。それは、貧しいけれども、お互いに助け合って生活し、文字通り肌と肌を触れあう家族のような慈しみ合う生活である。

 現代日本の「ストレス社会」において、家族ですら、その絆が疎遠になる時代である。このように考えれば、上記の「共同風呂」生活は夢の世界である。この研究テーマを選択された白石先生は、このような現代社会に対する無言の抗議をされているのではないか。古き良き時代の風景を夢想される特上のロマンティストではないか。三宮から帰宅途中に私はこのように思うようになった。なぜなら私にとって「共同風呂」と同じ役割を果たす研究テーマがベトナムであり、ラオスであり、そしてアジアの人々だからである。今後の白石先生のご健康とご発展をお祈りしたい。

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2006年1月28日 (土)

大学の差別化戦略

 1月28日と29日は、勤務先の流通科学大学の入学試験である。その後、昔の言葉で言えば「特待生」のための試験が2月9日と10日にある。この特待生になれば、奨学金として年間100万円または50万円が給付される。筆者は他大学の入学試験制度に詳しくないが、このような給付制度は普通に多数の大学で行われている。

 少子化が進行している状況下で大学間の競争が激化している。この競争手段として、上記のような奨学金給付や授業料減免という金銭的な誘因で受験生を増やそうとすることは当然である。しかし企業競争においては、このような「価格競争」は競争企業間の「共倒れ」もしくは「体力勝負」ということになる。一般の競争戦略では、このような競争状態を回避するために、個々の企業が自社の特徴を顧客に訴求する「差別化戦略」の採用が主張される。

 それでは、大学の差別化戦略は何かということである。伝統・実績・歴史は有力な差別化要因であるが、それだけに依存して、大学それ自体が面白くなければ、受験生にとって不幸である。自由な時間を過ごすことができる大学生活は、長い人生にとって貴重である。その自由な時間を有意義に面白く過ごせる大学は絶対にお勧めである。このような大学時代を送った学生は、その体験を通して、社会人としての重要な事柄を何か学んでいるはずである。その結果として就職も有利になる。

 大学生は授業料を払って「自由な時間」を購入している。これは、どのような大学にも共通している。大学の競争市場は、授業料そのものではなくて、その次の「自由な時間」の使い方なのである。大学は「自由な時間」を販売している。この時間が楽しく有意義ならば、より高額の授業料を払っても受験生は来るはずである。

 そうは言うものの受験生は、自らが購入した「自由な時間」の使い方を入学当初は知らない。ここで丁寧に使い方を指導することが重要になってくる。ただし、かつてのように「勉強は大事だ」というだけでは指導にならない。「自由な時間」という商品の使い方を顧客に応じて、丁寧に「提案」するのである。本当に顧客=学生の立場で考えれば、場合によっては転学や進路変更という結論になってもよい。

 以上、これからの大学は、顧客=学生の多様な要望に対する「ソリューション(問題解決)ビジネス」と考えられる。これを可能にするためには、昔から指摘されているような「木目の細かい指導」というのではない。これは、あたかも店舗にフラッと入って商品を自分で探しているのに、すぐに店員が近づいてきて「これがお勧め」と言われるようなものである。これは、うっとうしい。今の言葉で言えば、ウザイ。こういう店での買い物はしたくない。

 常に学生に注目し、さりげなく要望を聞き、さりげなく的確な提案をする。その商品の購入(自分のやりたいことを見つけた)後も、アフターサービス(助言や相談)は当然であり、場合によっては返品(コース変更)もできるし、場合によっては競争相手の店舗(他大学や専門学校)も紹介する。学生の立場に立って、学生のための提案・指導体制が整備されている大学が、現在の学生にとって魅力ある大学ではないか。

 このような大学であるための重要点は、会社経営と同じである。顧客と直接に接する社員の質を高めることである。大学の教員と職員がどのような人間であるか。これが重要である。顧客にとって、お店の内装や品揃えも重要であるが、商品購入を決める要点は従業員の人間的な魅力であろう。これからの大学にとって、わたしたち教員の個人個人の責任は重い。これが大学の差別化戦略の基礎であると思う。

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