2006年7月15日 (土)

NHK第1放送「新聞を読んで」出演の雑感

 NHKラジオ第1放送「新聞を読んで」に出演した。その1週間の新聞5紙(読売・朝日・毎日・日経・産経)を読んで、そのコメントを10数分間自由に喋る番組である。7月15日(土)早朝5時35分から放送された。

 この番組は数十年の伝統があり、かつては日曜日の午後7時のNHKニュースの直後の時間帯に放送され、さらに再放送されたり、海外放送されたりもしていた。

 テレビでも1週間の新聞記事を紹介する番組があるが、その企画のオリジナルのアイデアは、このラジオ放送「新聞を読んで」であると思われる。

 この番組に私は、年間2回の出演を5年間ほど続けたように記憶しているが、これを最後に出演辞退しようと思う。新聞5紙を読んで、そのコメントを述べるという「体力」に限界を感じたからである。

 このような意図を込めて、最後の放送ということで、それなりの気持ちを込めたメッセージを伝えたつもりである。

 ただし事前に用意した原稿が10分弱であったために、収録時のアドリブで時間を延長することになった。これには当惑した。しゃべるのが仕事とはいえ、放送局のマイクを前にした一人での語りである。なかなか要領をえない。これが、少し残念であった。

 講義スタイルで、立ってマイクをもたせていただければ、自由に円滑に話せたのかもしれない。こういう「しゃべり」は、何百回と経験しているからである。

 この放送担当者として、NHK大阪放送局チーフアナウンサーの中村宏さん・坪倉善彦さんに同席していただいた。現役アナウンサーに自分の話を聞かれるというのも緊張する。私は、こう見えても?いろいろ気を遣う性格なのである。

 「滑舌がよくないですから」と私が言い訳を言うと、「よければ、私たちの仕事がなくなりますから」と中村さんや坪倉さんから慰めていただいた。確かにそうである。それぞれの分野には、それぞれのプロの仕事がある。

 夕暮れの大阪城に隣接したNHK大阪放送局に向かう個人タクシーの運転手さんとも同様の話をした。「タクシー料金の割引をしていないが、事故保険は十分に入っている。それがお客さんのためだと思う。安いだけが、お客サービスではない」という内容である。運転手としての「プロ意識」の話である。

 このようなことを考えると、それに関連して私自身の「プロ意識」を反省することになる。これについては、別の機会に論じることにしよう。

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2006年7月 6日 (木)

北朝鮮がミサイル7発を発射:近所づきあいの方法

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイル7発を発射した。朝からこのニュースの連続である。

 この話、要するに「困った隣人」が住んでいると考えることができる。同じ隣人であっても日本と違って韓国は兄弟である。いくら北朝鮮が困った隣人であっても、兄弟なので日本と同じ対応はできない。韓国にとって北朝鮮は「困った兄弟」なのである。日本は、このような韓国の立場を理解しなければならない。

 中国やロシアは「親しい友人」として北朝鮮に接してきた。しかし今回のミサイル発射で、中国やロシアにとっても北朝鮮は「困った友人」となった。もう友達ではないと言うのは簡単だが、これまでの長い歴史がある。それを無視するには強い決断がいる。いくら悪い奴でも友人だったことは歴史的な事実である。日本も中国やロシアの友人と言えるが、その関係は北朝鮮とは異なっている。「困った友人」であるが、やはり友人には変わりない。

 このように「困った隣人」・「困った兄弟」・「困った友人」が北朝鮮である。何とかして「普通」になってほしいとだれもが思っている。ただし兄弟や友人に対して北朝鮮は甘えるし、兄弟や友人も北朝鮮を甘やかしてきた。それだからこそ兄弟であり、友人なのである。このようなことも日本は理解しなければならない。ちょうど日本と米国の関係が親密であることに対して、他国から批判される理由がないことと同じである。その関係は当事者間の問題である。

 では、どうすればよいか。どのようにして普通の隣人になってもらうか。隣人であることをやめて、日本か北朝鮮が遠くに引っ越しする。それができればよいのだが、それは不可能である。これから永久に隣人であるから、その意味で長期的な戦略が必要である。日本に、そういったものがあるのかどうか。

 通常、「困った隣人」がいれば、その隣人の兄弟や友人に相談し、その「矯正」について協力を依頼する。しかし現在の日本には、必ずしも中国や韓国に対して親しく相談して協力を依頼する関係が形成されていない。最も相談しやすい親友・米国には協力を快諾してもらうのだが、その米国は「困った隣人」と「犬猿の仲」である。それに隣人と言うには、距離的にも歴史的にも文化的にも遠い存在である。これまでに韓国や中国との関係がより友好的に形成されていれば、現在とは異なった対応が可能であったと思われる。

 本来、隣人の問題は、その周辺の隣人の間で解決するのが本筋である。この場として、「6カ国協議」が用意されている。この協議における日本の立場も大変だろう。「困った隣人」という認識は共通しても、同席するのはその友人や兄弟であり、頼みの米国は隣人とは言い難い。よほど正当性ある論理を堅持・展開しなければ、日本が議論をリードするのは難しいのではないか。

 以上、「困った隣人」に対する対応として次の3点を指摘した。日本が長期戦略をもつこと、同じ隣人として中国・ロシアそして韓国との関係を重視すること、正当性ある論理を堅持・展開すること。これらの観点から、今後の北朝鮮の問題を注視したい。

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2006年5月30日 (火)

阪急ホールディングスと阪神電気鉄道の経営統合:一部の誤解を解く

 阪神電気鉄道の株式を「村上ファンド」が買い占め、その株式を阪急ホールディングスが買い取り、阪急と阪神が経営統合する。そのために阪急はTOB(株式公開買い付け)によって株式を取得することを5月29日に発表した。

 この事件は現在進行形であり、今後の展開は予測できない。ただし、テレビの街頭インタビューを見ていて気になることがある。「阪神タイガースがなくなるのは困る」・「阪神タイガーズが阪急タイガースや村上タイガースになるのは嫌だ」といった意見である。

 私見では、この心配はない。こういった意見を述べる人は、今回の阪急と阪神の「経営統合」と、これまでの「企業合併」を混同していると思われる。企業合併は、それが対等の条件での対等合併であっても、存続会社と非存続会社に区別され、合併するどちらか一方の会社は法的に消滅してしまう。このように考えると、阪神電鉄は消滅するのではないかと懸念されるのはもっともである。

 しかし今回は「企業合併」ではなく「経営統合」である。阪急ホールディングスという持株会社の傘下企業として、阪急電鉄と同じ立場で阪神電鉄が参加するのである。阪神電鉄の支配権は阪急ホールディングスに移行するが、阪神電鉄の経営組織は当面は保持されると考えられる。トップは代わるが、組織は温存されるのである。

 このような経営統合は、持株会社が解禁された1997年12月以降に頻繁に行われるようになった。社風や給与体系の異なった2社が企業合併によって1社になる場合、両社が融合するまでに多数の摩擦が生じてきた。これは、1+1=2ではなく、1+1=1.5といった結果をもたらす懸念がある。ましてや1+1=3が期待できるような「シナジー(相乗)効果」は望むこともできないであろう。

 これに対して、たとえば持株会社を頂点にした2社の経営統合は、当面の経営組織は維持されながら、2社で協力が可能な事業は優先して進めることができる。商品の共同開発や共同仕入れ、物流の効率化、人材の相互活用などである。企業合併に比べて、経営統合の「シナジー効果」は即効性があると考えられる。

 このような事例には、セブン&アイ・ホールディングスによるミレニアム・リテイリング(そごう百貨店・西武百貨店の持株会社)との経営統合がある。これによって、そごう百貨店・西武百貨店・イトーヨーカ堂・セブンイレブンなどが同じ傘下企業になる。そうだからといって、そごう百貨店をイトーヨーカ堂百貨店に名称変更するなどという愚策は採用されない。それぞれの企業には伝統があり、ブランドが蓄積されている。それを尊重しながら、前述のような即効性のある「シナジー効果」の発揮が期待されている。

 阪急と阪神は経営統合である。企業合併の弊害・問題点を最小にするための企業の統合形態である。このように考えれば、今まで通りの阪神タイガーズは確実に存続する。阪神タイガーズは不滅である。

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2006年4月29日 (土)

ベトナムとホリエモン釈放:報道の自由とは

 昨夜、ホリエモン(堀江貴文被告)が東京拘置所から釈放された。3億円の保釈金を払ったという。このニュースが新聞やテレビで大きく報道されたが、果たして、それほど重要な問題なのであろうか。まるでホリエモンが芸能人であるかのような報道姿勢である。

 ホリエモンの顔を見たからと言って、その真相が究明されるわけでもない。事件の本質を解明するために必要なことを事実に基づいて過不足なく的確に報道する。これは報道の基本だと私は思う。こういう観点から言えば、ホリエモン釈放の報道は過剰である。それほどまでに注目する価値があるのだろうか。もっと国民にとって重要な問題があるのではないか。

 他方、4月25日に第10回ベトナム共産党大会が終了した。これについては日本の新聞各紙が、これまでになく大きく報道した。ベトナム経済成長に注目が集まっていることの反映である。その中での共通点は、ベトナム報道機関の政府に対する率直で厳しい汚職批判が高く評価されていることである。ただし、やや偏見を交えていることが気になる。

 どのような偏見かと言えば、ベトナムは共産党一党独裁の国であり、報道の自由が制限されている。その報道機関が政府批判をしているのは、政府の「やらせ」であるという決めつけである。

 たとえば『日本経済新聞』(4月27日)は、「共産党青年部の機関紙トイチェーは三月三十一日、昨年からくすぶっていた運輸省の汚職事件を糾弾する記事を一面に掲載。これを機に、党・政府に都合の良い情報を流すだけだった他の国営メディアも党・政府の対応の甘さを批判する記事を大きく載せた。政府高官が相次いで逮捕され、運輸相は四月に辞任に追い込まれた。党の内部事情を知る関係者によると、メディアによる政府批判は、党大会を円滑に乗り切るため党指導部が三月中旬に決めた一大汚職追放キャンペーンの一環」と指摘している。

 この記事には、党・政府批判は党の「やらせ」という日本人記者の先入観がある。そうでなければ、ベトナムの報道機関が政府批判などできるはずがないという思い込みがある。上記の「党の内部事情を知る関係者」がどういう人物か知らないが、この人物と私は見解が相違している。私見では、ベトナム報道機関は伝統的に言論の自由を堅持してきた。

 元『トイチェー』新聞記者であり、現在はサイゴンタイムス副編集長チャウ氏に昨年私は会ったことがある。チャウさんは新聞記者の時Dsc02864代、南ベトナム政府出身の子弟が大学入学などで差別されている実態を新聞で批判し、政府に改善を促した経験がある。その当時、同僚の記者は「そんなことを書けば、逮捕される」と心配してくれたそうである。しかし今では、副編集長にまでなっている。写真は、カムラン空港から1時間半ほどのニンチュウ海岸に向かう途上で休憩中のチャウさんである。

 テレビ中継される国会審議では、国会議員の政府追及は厳しく、担当大臣がタジタジという場面が頻繁に見られると言う。これには、通常は国会中継など見ないベトナム人が驚いているほどである。私の経験でも、1998年にハノイで開催された「東アジア経営学会」の雑談の中で、中国人の出席者が「ベトナムは中国より20年ほど経済が遅れている」と指摘したのに対して、ベトナム人の出席者は「しかしベトナムは中国よりも言論の自由がある」と応えたことを鮮明に記憶している。

 このようなことを考えると、ベトナムの報道機関は批判精神を保持して、その社会的使命を十分に果たしているとみなされる。今回の汚職事件の批判記事は、確かに政府の指示やヤラセがあったのかもしれないが、そうでなくても、ベトナムの報道機関は政府批判したであろうと考えられる。

 報道機関が政府を自由に批判できることは、政治権力の暴走を抑制し、国民の意見を代弁する民主主義国家の前提である。多くの日本人は、ベトナムが共産党一党独裁体制の国であることだけで、国民のために「民主化」が必要と即断する。しかしベトナム国民は、それほど性急に強く「民主化」を熱望しているように思われない。なぜなら十分とまでは言わないが、かなり現在も民主的な国家だからである。

 このように考えれば、ベトナムの政治体制は安定的であり、経済活動に対するカントリーリスクは極めて小さいとみなされる。他方、冒頭のように日本の報道機関を顧みれば、かえって日本の民主主義が脆弱化しているのではないかと懸念される。さらに報道の自由を政府が制限・抑制しようとする動きもある。「ベトナムの報道を見て日本の報道を直す」というくらいの謙虚さが必要であろう。

 

 

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2006年2月18日 (土)

NHK「新聞を読んで」原稿

 NHKラジオ第1放送・土曜日・早朝に放送された「新聞を読んで」の原稿を掲載します。

「20060217.doc」をダウンロード

 これまで7回に渡って連載したブログの集大成です。この1週間の出来事を振り返っていただければ幸いです。

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2006年2月17日 (金)

NHK「新聞を読んで」:メディア共創(7)

 今日の午後6時30分からNHK大阪放送局で、ラジオ第1放送「新聞を読んで」の収録です。明日、早朝5時40分頃からの放送予定です。

 ちょうど1週間、この番組の準備のためにブログを使ってきましたが、ようやく総まとめです。

 結局、新聞5紙を読んできましたが、何を読むかと言うよりも何を読まないかということです。情報の取捨選択が重要です。神戸空港開港のことも言いたかったのですが、時間がありませんし、言うとすれば、批判的なことも言わなくてはならないので省略しました。

 明日から短期間のベトナム出張です。土曜日と日曜日は、JETRO元投資アドバイザーの中村さん、三洋ベトナム初代社長の竹岡さん、それに国立民族学博物館の樫永先生などにお目にかかれればと思います。またブログの読者であるAXIS社長の服部さんにお世話になります。

 来週になって、プレス部品の生産状況を調査する仕事もあります。こういった「すそ野産業」の調査は、昨年夏の鋳造部品に続いて2回目です。ハノイではベトナム証券市場の動向を主に調査します。ベトナム経済発展にとって、前者は「底上げ」、後者は「先導」の役割をすると思われます。

 明日からはベトナム現地からの報告です。とりあえず今日は、これで終わりです。

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2006年2月16日 (木)

NHK「新聞を読んで」:メディア共創(6)

 2月16日朝刊の第1面を見ると、各紙の記事に特徴があった。毎日新聞が「イラク陸自来月撤退」、産経新聞は「大阪市不明瞭支援5億円」、朝日新聞が「中央省庁天下り2万2千人」、読売新聞が「大阪大、別論文にも捏造データ」、日本経済新聞が「大手銀、純利益最高2兆8千億円」となっている。

 この中で毎日と産経は、いわゆる「スクープ」のように思われる。この中で個人的に注目されるのは読売の大阪大学医学部でのデータ捏造事件である。

 この偽データを用いた論文を発表したという理由で、教授2名が停職処分となったのだが、それを読売では第1面の顔写真入りである。たとえば朝日新聞でも、この事件は報道しているが、その扱いはそれほど大きくない。

 ソウル大学や東京大学でのデータ捏造事件があり、このような問題には共通性がある。大学における研究と教育のあり方や、さらに教授の間での競争関係、学問・学術の発展政策など、さまざまな大学をとりまく構造的な問題にまで分析を進めることが、再発防止の前提になる。

 私見では、学問の世界に過度の競争原理を導入することが、大学間および教授間の競争意識を過度に高め、「少々のことなら無理をしてもいい」という気持ちにさせるのではないか。もちろん欧米で競争原理は当然であるが、それには長い歴史がある。それを日本や韓国のようなアジア的な風土の国に急速に導入しても、そこからは摩擦や不適合が生じる。

 大学のみならず、これは企業にも共通した問題である。このような大学教授の不祥事は、たとえば以上のようなより深い問題にまで突っ込んで検討する必要がある。これに対して、読売新聞のような報道姿勢は、ともかく社会的に強い制裁を加えるということである。悪いことをしたら、社会的に抹殺される。だから悪いことをしてはダメという趣旨である。

 この問題は、大学教授として資格や資質についての問題であって、いわゆる大きな犯罪ではない。「セクハラ」や「アカハラ」は人権問題として被害者が存在する。しかし教授2名の被害者は、いわば学問に対する信頼といった抽象的なものである。それにもかかわらず、もしくはそれだからこそ「顔写真」の報道である。これは「見せしめ」である。週刊誌などでは、よく顔写真報道が問題とされるが、大手の有力新聞が、そこまでやるかという印象をもった。

 もっとも2教授の指導を受けていた学生が、最大の被害者であるかもしれない。この事件の詳細は、さらに事実が明らかにされなければならない。

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2006年2月14日 (火)

NHK「新聞を読んで」:メディア共創(4)

 2月13日朝刊は新聞休刊のために配達されなかった。13日夕刊では、各紙ともカラー写真を用いたオリンピック特集である。こういう中で日本経済新聞は、もちろんオリンピック報道も重視しているのだが、定例の経済ニュースを掲載している。 こういう記事を読むと私は安心する。

 オリンピックと言えば、すべての新聞がそれに熱中する。こういった加熱した報道は、紙面に制約があるとすれば、より重要な報道が削減されることを意味する。オリンピックは確かに大きな出来事であるが、その本来の目的は、国際交流の促進であるとか、スポーツ振興ということである。もっと極端に言えば、オリンピックは視聴者の広い意味で娯楽でしかない。

 オリンピックを私は批判しているのではない。選手が提供してくれる表情・気迫・技巧・勇気は、人間のすばらしさを実感させてくれる。選ばれた才能と努力の成果を結集させた選手の技量や演技は、人々を感動させないわけはない。他方、私たち人間の日々の生活が常に語られる報道姿勢が貫かれることも必要であると私は思う。このような意味で、日本経済新聞の経済報道を読むと、ホッとする。オリンピックがあっても、経済報道という本来の「日経」の特徴にブレがないからである。

 明日は14日と15日の新聞をまとめて紹介する。

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2006年2月13日 (月)

NHK「新聞を読んで」:メディア共創(3)

 12日(日曜日)の第1面は、読売・朝日・毎日・産経・日経のいずれもにおいて、「第20回冬季オリンピック・トリノ大会」を前日に続いてカラー写真入りで掲載している。

 「毎日」は、オリンピック特集紙面のページ最上部に横書きで「Passion lives here」という見出しをつけている。これに対して通常のスポーツ記事は「スポーツ 人間ドラマ」としている。「毎日」の紙面デザインは、このような最上部の横書きの見出しに特徴があり、これは親しみやすい紙面作りのための「毎日」独自の工夫とみなすことができる。この点では「産経」も、オリンピック特集の紙面ではページ最上部に「torino 2006」と水色のカラー見出しを付けて、さらに選手のコメントを紹介している。

 なお「毎日」と「産経」が使用する「Passion lives here」と「torino 2006」という英語は、オリンピックをTVで見ていると、頻繁に使用されている文字である。これは「商標」として登録されていて「毎日」と「産経」が、その使用料を支払っているのではないかと私は想像しているのだが、未確認である。

 新聞は記事の内容で勝負するというのは当然であるが、このような紙面のデザインについても「毎日」が読者に対して配慮していることは評価されてよい。デザインという観点からは、「産経」がカラーの写真や活字を多用することを特徴としている。新聞各紙は、読者が読みやすいようにという目的で活字を次第に大きくしてきた歴史がある。活字のみならず、紙面のレイアウトやデザインについても日々に改善されることを期待したい。

 さて日曜日には、新聞5紙に共通して書評が含まれている。先に指摘した「毎日」の横書きの見出しによれば、「本と出会う―批評と紹介」となり、さらに「今週の本棚」という縦書きの見出しも付けられている。

 「読売」は、書評の紙面を「本よみうり堂」として、書店のような雰囲気を出すように努力している。「日経」は、紙面の最上部を横書きにした「毎日」と同様のレイアウトで「SUNDAY NIKKEI α 読書」という名称を使用している。「朝日」は「読書」という名称になっており、ほかの紙面と同様の最上部の横書きには、人々が集まっている様子のイラストが描かれている。このように見れば、日曜日ごとの書評の紙面に新聞各紙は工夫を凝らしている。

 この日の書評で「毎日」と「産経」が、ダイヤモンド社・黒木亮『巨大投資銀行』を取り上げている。同書は、ライブドアのホリエモン逮捕を契機にして、マネーゲームに関心が集まっている時、その日本の実態を描いている。同じ本を書評として取り上げるとき、本の内容は同じでも、それぞれの評者の関心によって表現は異なってくる。

 「産経」の評者である荻原(おぎわら)博子氏は、経済評論家としてテレビにもしばしば出演されており、一般の庶民感覚からの経済分析は優れている。それを反映して、感覚的に面白そうだと思わせる語り口で同書を紹介している。これに対して「毎日」の評者である山内昌之氏は、荻原氏よりも詳細に同書の内容を紹介し、その事実に基づいて読者の興味を高めるという手法を取っている。

 この両方の書評を読まされると、同書を読んだ気分になってしまう。ますます国際化する日本の金融証券市場は、これからどのように変貌を遂げるのであろうか。経済活動は基本的に人間の営みであるから、小説という形式で人間を描くことは、経済の理論的な議論にも増して、経済を考える絶好の材料を提供してくれる。この意味で黒木亮氏の『巨大投資銀行』を買って読もうと思う。

 「朝日」の書評は、「カジュアル読書」の紙面で「コミック教養講座」として漫画本の紹介をしている。マンガも日本の重要な文化であり、それを無視することは出来ない。事実、この「コミック教養講座」で昨年に紹介されたリイド社刊・とみ新蔵『柳生連也武芸帳』というマンガを私は薦められるままに読んでみたが、「大人でも」というより「大人だからこそ」面白いマンガであった。この「カジュアル読書」は「朝日」のユニークな書評として注目に値する。

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2006年2月12日 (日)

NHK「新聞を読んで」:メディア共創(2)

 11日(土)は冬季オリンピックの開会式が開催された。これに関する新聞5紙の報道は共通しているが、毎日新聞は、日本選手のメダル獲得数を担当記者が予想している。最高で8個、最低で1個という予想である。すでに他紙は予想を終えていると思われるので、その意味では報道が遅かったのかもしれない。

 しかし有力新聞が、このような大胆な予想をするのが適当かどうかは議論の余地がある。もっとも、競技に対する読者の関心と興味を高めるための予想であると考えれば、それほど目くじらを立てる必要はない。ただし担当記者の氏名を明らかにしてのメダル予想であるから、その予想と実績の相違について、担当記者は説明責任を負うのではないか。予想が外れた理由を再び記事にしてもらうと読者はさらに記事を楽しめる。

 朝日新聞では「マティス「金魚」大研究」という特集が掲載されている。これについてすでに筆者も2月5日のブログで紹介した。この「プーシキン美術館展」(大阪中之島・国立国際美術館)は朝日新聞社が主催しているために、「朝日」だけが大きく取り上げている。新聞社間で競争関係があるとはいえ、こういった文化もしくは芸術行事は、主催者に関係なく相互に報道をしてもよいと考えられる。なお、ここで紹介する記事は大阪版である。こういった大阪での美術展は、同じ新聞でも東京では報道されていない。

 産経新聞は、「建国の日に考える憲法と皇室典範」という小堀・東大名誉教授の論説を「正論」で掲載している。この記事がなければ、2月11日が「建国記念日」の祝日であることに、他紙の紙面からは気がつかないところであった。

 土曜日が休日の企業や学校が多いのだから、日曜日のみならず土曜日が祝日の場合も「振り替え休日」を増やしてみてはどうか。「国民の祝日」を実感するためにも、休日を単に増やすだけでなく、自己研修などの充電時間を増やすためにも、休日を増やすことに私は賛成である。

 読売新聞では、解説記事について紙面に工夫がされている。編集委員もしくは解説部員が、ライブドア事件や防衛施設庁改革など最近の問題に関する質問に答えるという形式で、紙面全部を使って解説している。しかも実名のみならず顔写真入りであるから、解説担当者に対する親しみや信頼感が増える効果がある。しかしながら解説者の立場に立てば、顔写真の掲載によって、たとえば思い切った批判的な記事が抑制されるのではないか。このことは、匿名すなわち名前を明らかにしない記事の場合、より本音を書きやすいということを想起すればよい。

 記事内容に責任をもつのは当然であるが、それをすべて新聞記者の個人責任とするのは新聞社としての会社の責任の免罪符に使われることもあるように思う。前に述べた毎日新聞のオリンピックメダル予想も、担当記者の個人的な予想であると同時に、毎日新聞社としての予想という意味ももっているのである。

 どの新聞にも共通して、記事の執筆者の氏名を最後に付記するように、この数年前に変化したように思うのだが、このことについての功罪を新聞社自身が検証することがあってもよいと思われる。

 11日の日本経済新聞では、「キャノン、ベトナム新工場」という大きな記事が目を引いた。これからの日本の外国直接投資先として「中国プラスワン」が注目されている。つまり中国に加えて、もうひとつの投資国はどこかという意味である。すでにインドが注目されているが、ベトナムもこのプラスワンの有力な候補国である。そうであるにもかかわらず、新聞紙上に登場するベトナムの記事は多くない。

 「日経」の場合は、10年近く前からハノイに駐在員が常駐しているが、それ以外の新聞社はタイのバンコック支局からの出張という形態でベトナムを取材していることが多い。これが、ベトナムに対する関心が高いにもかかわらず、その報道が少ない理由のひとつである。ベトナム企業経営の研究を私は専門にしており、この立場からすれば、ベトナム報道の活発化を期待したい。

 なお、このキャノンの記事に掲載されたインクジェット=プリンターのハノイ工場も、現在建設中の新しい工場も訪問または見学したことがある。これらの部品が、中国の広州から陸路で運送されるという将来の展望もあり、中国とベトナムの連携した経済発展がベトナム北部のハノイを中心に進行するという可能性に注目しなければならない。

 以上、2月11日(土)の新聞5紙から印象に残ったことを紹介した。明日は、2月12日(日)の紙面を紹介しよう。

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