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2015年12月 7日 (月)

「企業論」講義記録(9):株式持ち合いの批判的検討 (1)

株式持ち合いについて、その解消が「企業統治」の観点から推進されている。それは率直に言って、企業統治の観点から、株式持ち合いが世界から奇妙で不思議な制度または慣行だからである。

株式持ち合いの当初の目的は「乗っ取りを防ぐ」ということだが、それは、経営者が自己の地位をお互いに保持するためのものである。経営者が自らの判断で株式持ち合いをして、自らの地位を守る。これは当然、一般株主を軽視していることになる。

このような大企業の体制が、かつての「六大企業集団」と呼ばれたものである。これは換言すれば、日本型「経営者支配」の体制とみなすこともできる。経営者が会社の資金を用いて、自らの地位を守るために、お互いに大株主になる。これを経営者の「なれ合い」と言わずに何というか。

こういう批判は、私の学生時代、1970年代から1980年代に学者の間で活発に議論された。しかし実務界に対する影響は皆無であった。こういった批判は無視されたと言っても良い。

しかし、ようやく今になって、株式持ち合いの解消が現実に進行している。個人的な感想を大げさに言えば、科学また学問の勝利。正しいことは最後には勝つ。現実の風潮や大勢に迎合して、正義または大義を等閑視しても、歴史は正義に向かって帰結する。

最近の株式持ち合い解消の新聞報道に接して、以上のようなことを私は感じている。

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