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2015年12月31日 (木)

ハノイのイオンモール(2)

イオンモールの建物内ば、広くてきれい。多数のベトナム人の評判通りである。ただし、そういった顧客が買ってくれるかどうかは別問題である。20151228_170731a
多数の人々が「見に来る」が「買わない」という現状は、ベトナムのみならず一般の途上国に進出したショッピングモールで普通に見られる。その分析が不可欠である。20151228_185743a_2この場合、消費者の所得が低い現状があり、所得向上に伴って来客も増えると単純に考えてしまうことがある。その理由を多数が納得する。しばらくは「体力勝負」「忍耐力」が必要という結論になる。しかし、それは最初から予想できたことであろう。分析になっていない。20151228_171303aたとえばハノイ市内のロッテマートは、100万ドン以上の買い物に対して10万ドンの買い物券を配布し、さらにロッテマートのカードの割引きポイントも付く。買い物券の配布は、ロッテのイオン進出に対する対抗策と思われるが、現状なら、合理的な消費者はロッテマートを選択するだろう。

イオンの社是である「環境緑化」は、日本企業の好イメージを提供しているが、ベトナム人の購買に直接は結びつかないのではないか。

この意味で、いわゆる「ショッピングモール」ビジネスの「百貨店化」が懸念される。この意味は、百貨店が衰退した要因とされる「場所貸しビジネス」の悪魔的な誘因が、ショッピングモールにも潜んでいないかという疑問である。小売り業の原点は販売力。いかに売るか。この原点からの問いかけが、ベトナムや日本に共通して求められる。







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2015年12月30日 (水)

ハノイのイオンモール(1)

10月末に開店したハノイのイオンモール。その立地については「川向こうで遠い」という事前の評判を聞いていたが、その実態はどうか。「情報は現場にある」というビジネス観点から言えば、何が何でも見に行かなければ・・・。20151228_170633a大きな「バイク置き場」は、ベトナムのイオンモールでは普通の風景。市内中心部から来店のためにバイクを利用するとなれば、今の冬のシーズンは最悪の環境であろう。特にミンカイ通りから長い橋を渡るのだが、遮る物がない強風はハノイの底冷えを増幅して身体に入り込ませる。20151228_170623a開店当初の客足が今は止まったと言われているが、その理由は以上の季節的な要因もある。この指摘は、ハノイ在住25年を超える元ハイハコトブキ社長の鈴木さんであるが、さすがに妥当である。20151228_170645aメインの入り口には大きなクリスマスツリーが依然として華やかである。日本ではクリスマスからお正月の切り替えが早いが、ベトナムでは「旧正月=テト」(2016年2月8日)まで時間があるので、クリスマスの寿命は長い。

なお、この飾り付けだが、ベトナム資本の「ビンコム」ショッピングモールと同様の印象がある。何か差別化できないか?ベトナム人に任せると類似にならざるをえない事情も理解できないこともないが・・・。






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2015年12月29日 (火)

ハノイのベンツとBMW

これも私の定宿ホテルの近くでの風景。前からベンツ2台とBMWが並んで駐車されている。同じ白色だから、何かのグループだと想像される。こういう風景、日本で見かけない。

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こういった輸入車の所有者に対して特別に税務調査があると聞いたことがあるが、それは過去の出来事なのかもしれない。ベトナムでは、乗用車を所有しても違和感のない時代になった。

しかし、どういう人が所有者か気になる。不動産で儲けたベトナム人、株式上場で儲けたベトナム人、そして銀行から借金した人を知っているが、それ以外となると・・・。

これは単なる「ヒガミ」ではないかとも自省するが、高額所得層にターゲットを絞ったマーケティングと考えるというビジネス上の関心がより大きい。

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2015年12月28日 (月)

ハノイのロールスロイス

ハノイの定宿ホテルの近くで写真のような「ロースルロイス」が駐車されていた。20151228_133112a_2ベトナムでは、ダナンのクラウン・プラザ・ホテルでお客の送迎用にロールスロイスを見たが、街中では初めての体験である。

1980年代に台湾を訪問した時、路上に高級車ベンツが埃まみれで駐車されていたのを見て、台湾の経済発展の一端を実感できたが、ハノイのロールス・ロイスには経済発展というよりも、周辺の環境との不調和を強く感じる。貧富の格差の異様な象徴として、ハノイのロールスロイスは記憶に残る。


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2015年12月27日 (日)

関西空港からハノイに:忘れ物の連発に苦笑

12月27日(日)、満席のベトナム航空で関西空港からハノイに向けて出発。3年連続して新年は海外で迎えることとなった。

しかし初日から失敗の連続。忘れ物が多すぎる。まずベトナム用の携帯電話のSIMカードを忘れた。早速にハノイで購入。10万ドン(日本円500円未満)で20万ドン分の通話もできる。これだけ安ければ、日本経由での「国際ローミング」料金を払うのは「もったいない」。

また前回10月のベトナム訪問時に使い残したベトナム通貨・ドンを持参し忘れた。これも大失敗。そのほかに重要な書類や荷物を忘れたりしたが、それで何とかやって行くのが「ベトナム流」というよりも「私流」。

こういった理由を冷静に考えると、仕事が同時多重だからである。それだけ注意力が分散する。昨年の今頃は、まさに映画製作が中心的な関心事であったが、今は、それが継続しながらも仕事は多様化している。

「書籍や論文からの知識」ではなく「現場の情報」を重視する。これはビジネスの基本、実学の基本と思われるが、それを実践するとなると、特に年末の忘年会の時期となれば、いくつもの「分身」が必要となることは間違いない。

「忘れ物」には注意。小学生ではないのだが、その小学生に笑われるような自分自身に苦笑である。

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2015年12月26日 (土)

「企業論」講義記録(11):三菱ケミカルの「株式持ち合い」解消

『日本経済新聞』(2015年12月21日)の朝刊第1面に「三菱ケミカルホールディングス、持ち合い株1,000億円売却、成長事業に投資」という記事が掲載された。

企業論で講義中の「株式持ち合い」が最新の新聞記事として掲載された。おそらく「株式持ち合い」の歴史から問題点までを理解している読者は極めて少数であろう。

「財閥解体」といった古い歴史を教えながら、それが最新の新聞記事に連結する。これが「生きた講義」の醍醐味であると、教員の勝手な自己満足かもしれないが、すこしばかり嬉しくなる。

ここで「ホールディングス」という会社名から、同社は「持株会社」であることを指摘し、それには純粋持株会社と事業持株会社の2種類あることを説明する。

また、記事の中での「資本効率」とはROE(自己資本利益率)が指標になることがあるが、それを重視しすぎることも問題であることを指摘する。

この記事に合わせて「過去問」(本年度前期の「企業論」の期末試験問題)を学生に配布した。全部で99問のマークシート方式の問題である。問題を公開しない先生も多いのだが、これだけの問題数があれば、公開しても問題ない。また、まったく同一問題が出題されるわけでもない。

本年の講義は、ここで終わり、新年からは「企業統治」について講義する。すでに「企業支配」と「株式持ち合い」について講義を受けた学生は、その延長上で日本企業の「企業統治」改革が問題となっていることをより容易に理解するはずである。

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2015年12月16日 (水)

「企業論」講義記録(10):日本型「経営者支配」

通常の「所有と支配の分離」に伴う「経営者支配」は、「株式所有の分散」によって株主の支配力が軽微になった場合に発生する。これはバーリとミーンズの研究以来の定説である。

これに対して、日本型「経営者支配」とは「株式所有の集中」にもかかわらず、発生しているとみなされる。その株式所有形態が一方的なら支配と従属関係が発生するが、日本のそれは「株式相互持ち合い」である。

「株式持ち合い」が「乗っ取り防止」という目的で始まったことを考えれば、それは経営者の地位を維持・防衛するためである。経営者が「株主からの支配」を免れるために自社の資金を使って株式を持ち合う。経営者が自ら「所有と支配を分離」する体制を作り出す。

このような「株式持ち合い」は世界でも日本だけだと考えられる。社会科学の中での「ノーベル賞」的な新規性・独創性があると言ってもよいが、当然、これまでに指摘してきた弊害や問題点が多々ある。また「財閥解体」が占領軍(GHQ)に強制されたということで、財閥に対する郷愁という日本的な要素も株式持ち合い形成にとって重要であったと思われる。

なお、株式の相互持ち合いという場合、「支配の相殺」という主張があったが、それは誤りである。相殺して支配力が「無」になる企業関係と、最初から無関係の企業関係が同じであるはずがない。株式持ち合いによって企業間の協調・同調関係が強化される。

また相互会社である生命保険会社が一方的に上場企業を支配しているという主張もあったが、それも誤りである。生命保険会社の保険契約者による「総代会」は株式会社の「株主総会」と類似の最高意思決定機関であるが、その代表にはは生命保険会社が株式所有をしている企業の代表が多数含まれることになる。さらに、いわゆる生命保険の「法人契約」が法人側から保険会社に対する影響力となっている。

こういった日本独特の株式所有形態である「株式持ち合い」が、日本型「経営者支配」の基礎となってきた。その論理は、確かに日本国内では通用したのであるが、企業の国際化さらにグローバル化によって外国人株主が増加すれば、それは経営者の自己保身のための利己的な「奇妙な制度」とみなされる。

こうして株式持ち合いの解消、換言すれば「企業統治の改革」が推進されるに至る。私見であるが、「財閥解体」の強制性が「株式持ち合い」を生み出したと言えるのかもしれない。より一般に社会の発展また変化は段階的に進むものであり、強制性が伴うと、それによって不可思議な現象が生まれる。「株式持ち合い」はその産物であると結論するのは言い過ぎであろうか。

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2015年12月15日 (火)

日本は「中進国」になったのか?

安保関連法案や労働者派遣法改悪案の強行採決、報道の自由度、ジェンダーギャップ指数、一人親の子どもの貧困率・・・日本は、もはや先進国とはいえない。権威主義政権が支配する中進国と見なすのが適切だろう。

(引用)桃木至朗「新しい世界史教育を目ざして」『日本の科学者』Vol.51, No.1, January 2015, pp.24-25.

日頃に思っていたことが明示されると、少なからず感動する。このような客観的な指標に基づいた指摘または問題提起が、「自虐思想」「反日思想」として批判される時代が来ているような気配を感じる。かつての戦争前夜は、このような時代の空気だったのかもしれない。

自己の都合の悪い「客観的な指標」を無視するという意味は、反科学・反知性・学問否定のご都合主義である。

このような風潮は、「学者は現実を知らない」と都合の悪い情報や指摘を無視し、それで相手を「論破」したような気になっている弁護士が助長したのだと思う。また「出世主義」・「業績主義」という社会風潮に影響をうけた学者・研究者が実行役なのかもしれない。

上記の指摘に、どのように反論するか。また、どのように日本が先進国として復活・復興するか。反科学・反知性・学問否定と後世から批判されないために、考えるに値する意義深い問題である。

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2015年12月14日 (月)

「企業論」講義記録(9):株式持ち合いの批判的検討 (3)

株式持ち合いが「紙のやり取り」という意味は、持ち合いをしている株主は、実際には資金提供していないという意味である。1億円で新株を取得しても、自社の新規発行株式を1億円で買ってもらえる。1億円は環流して、手元には1億円相当の株式が残る。

これに対して1億円を投資した個人株主。本来もらえる配当金は減少する。

株式持ち合いの株主は資金提供なしで1億円分の配当金をもらえる。この配当金は、実際に1億円を出資した個人株主も同額である。

配当金が資金提供に対する利益配分であるとすれば、上記の場合、個人株主は大きな不利益を受けている。換言すれば、株式持ち合いによって個人株主の配当金は詐取されているのである。この「配当金の詐取」を指摘したのは、神戸大学名誉教授の二木雄策教授である。

このように株式持ち合いには、大きな問題がある。しかし現在も株式持ち合いは存在し、また新たに持ち合いが行われている。最近では、任天堂とDeNAの業務提携に伴って株式持ち合いが行われた。一方から他方に対する支配権行使の抑止力という意味なら、双方に緊張感があるが、それが「なれ合い」や「もたれ合い」という「ぬるま湯」に転化することが懸念される。

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2015年12月13日 (日)

「企業論」講義記録(9):株式持ち合いの批判的検討 (2)

株式持ち合いについて、その本質は「紙のやり取り」と指摘したのは、京都大学法学部の商法学者・故・大隅健一郎教授であった。

この「紙」とは、今や見かけることのなくなった「株券」のことである。A社とB社が新株発行して同金額の株式を持ち合うことにする。A社の資本金は増加し、流動資産としてB社の株式(有価証券)が新たに記載される。同様にB社の資本金も増加し、流動資産にはA社の株式所有と記載される。

確かに資本金は増えるが、実質的にはA社とB社の株式が増えているだけである。これは「株券の交換」、つまり「紙のやり取り」ということである。

さらに言えば、これは「資本金の水増し」に他ならない。実質的な資金は増加していないからである。

以上のことを学生に実感をもって教えるために、借金の借用書の交換という類似行為を考えさせる。上田君と田中君がお互いに1万円を借りて、それぞれが借用書を書く。

上田君には田中君の署名入りの借用書があり、田中君から1万円を返してもらえるということで、何か自分のお金が増えたように思う。しかし田中君も同額の上田君が書いた借用書がある。上田君が1万円を返してと田中君に言えば、同様に田中君も上田君に1万円を返してと言うだろう。結局、お金は何も増えていない。手元に2人と借用書があるだけである。

2人は、お互いの資金不足の時間的なズレを補完したということは間違いないが、最終的には、借用書を交換したにすぎない。全体のお金が増えたわけではない。

こういう話しをすると、株式持ち合いの「胡散臭さ」を学生は感じることができる。

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2015年12月12日 (土)

大森一樹監督トークショー:宝塚シネピピア

映画「ベトナムの風に吹かれて」の大森一樹監督のトークショーが、阪急電鉄宝塚線、売布神社駅前のシネピピアであった。

その前の上映も何人かの知人を誘って見たが、試写会を入れると10回を超えると思う。何度見ても面白い。

大森監督の指摘で興味深かったことは、次の命題である。

映画=映像+観客

これは意味深い。経営やマーケティングの考え方から言えば、製品に対して顧客の支持がなければ、商品にならないということに似ている。観客が入ってこその映画という意味で、大森監督の観客に対するサービス精神が感じられる。

まともかく、観客動員を増やす・・・。大森監督の自信作、「映画の神様が舞い降りた」作品となっている「ベトナムの風に吹かれて」。今後も全国で公開される。ぜひ、ご覧下さい。

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2015年12月11日 (金)

書くことは決まっていても書く時間がない

かなりブログを休載しているのだが、それは時間がないからという理由である。長い休載のために私に異変があるのではと心配して頂くことが何度かあったが、そういうことではない。

単純に時間がない。そうは言うものの、時間はあるといえばあるのだが、書くという仕事をするための時間がない。要するに「書く気にならない」のである。私の拙文であるが、それなりに工夫をしなければならないと心がけている。そうなると、なかなか書けない。

自分の考えと全体のストーリーを口述すれば、それを文書化してくれる人がいればベストなのだが・・・。このような考えが出てくるのも、次第に高齢世代に入り、次第に気力が失われる証拠なのだろう。

しかし反面、このアイデアは自分でも冴えていると思うことが何度かある。これは経験の蓄積を反映しているのだろう。こういった自分自身を肯定的に自然に受け入れる.無理してもしかたがない。より正確には、無理してもストレスだけが増える。寿命と健康を自発的に短縮する必要はないだろう。いろいろ考える最近である。

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2015年12月 7日 (月)

「企業論」講義記録(9):株式持ち合いの批判的検討 (1)

株式持ち合いについて、その解消が「企業統治」の観点から推進されている。それは率直に言って、企業統治の観点から、株式持ち合いが世界から奇妙で不思議な制度または慣行だからである。

株式持ち合いの当初の目的は「乗っ取りを防ぐ」ということだが、それは、経営者が自己の地位をお互いに保持するためのものである。経営者が自らの判断で株式持ち合いをして、自らの地位を守る。これは当然、一般株主を軽視していることになる。

このような大企業の体制が、かつての「六大企業集団」と呼ばれたものである。これは換言すれば、日本型「経営者支配」の体制とみなすこともできる。経営者が会社の資金を用いて、自らの地位を守るために、お互いに大株主になる。これを経営者の「なれ合い」と言わずに何というか。

こういう批判は、私の学生時代、1970年代から1980年代に学者の間で活発に議論された。しかし実務界に対する影響は皆無であった。こういった批判は無視されたと言っても良い。

しかし、ようやく今になって、株式持ち合いの解消が現実に進行している。個人的な感想を大げさに言えば、科学また学問の勝利。正しいことは最後には勝つ。現実の風潮や大勢に迎合して、正義または大義を等閑視しても、歴史は正義に向かって帰結する。

最近の株式持ち合い解消の新聞報道に接して、以上のようなことを私は感じている。

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2015年12月 1日 (火)

「企業論」講義記録(8):株式持ち合い(1)

企業論の講義について、たとえば経営戦略論や経営管理論を担当している先生から、2単位(15回)や4単位(30回)も講義する内容はありますか?と質問されることがある。

しかし現代の日本企業の特徴を考える場合、株式持ち合いの成立や解消の問題を理解することは不可欠であり、そこから多数の教育的な話題が提供されうる。

この株式持ち合いが始まる契機となったのは、藤綱久二郎による陽和不動産(現、三菱地所)の株式「買い占め」事件である。これを映像で紹介しているNHKテレビ番組・ETVがある。

企業論の受講生には必ず見せるようにしている。この内容を何回かに分けて紹介する。

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