「企業論」講義記録(7):補論
もう30年近く前になるが、「株式会社の所有と支配」という問題に多数の論者が「参戦」していた。また経営学に関するいくつかの大学院入試や公務員試験の問題に何度も出題されていた。
奥村宏、三戸公、西山忠範、宮崎義一、北原勇・・・といった学者・研究者のお名前が直ちに思い浮かぶ。しかしバブル経済が崩壊し、日本企業の「株式持ち合い」が次第に解消され、また三井・三菱・住友に代表される6大企業集団の再編成が進むに伴って、「企業支配」の問題は次第に忘れられるようになった。
それに代わって最近は「企業統治」の問題が注目されるようになった。現在、企業統治の議論で普通に使用されるアカウンタビリティ(accountability)という英語に私が初めて出会った時、適当な訳語がなかったと記憶している。今日、「説明責任」が定訳となっている。
「企業支配」と「企業統治」の問題の対象や領域の相違は何か。私見では単純に、問題の対象が企業支配では株主であるのに対して、企業統治では株主を含む利害関係者である。このように学生に説明している。
企業統治の枠組みは、企業支配を巡るより幅広い主体をより現実的に把握できるとみなされる。たとえば銀行や政府が中心となって企業を再建することは、株主とは違った利害関係者が企業支配に関与する事例と理解することができる。
現在の企業統治は、制度的な論点に関心が集まっているようだが、こういった企業支配の動態的な動向も分析できる概念が企業統治であると考えられる。他方、たとえば東芝の「粉飾会計」問題は、企業統治の制度上の観点から議論されているようだが、企業支配の観点からは、東芝における「経営者支配」下の経営者の暴走の事例とも考えられる。
このように企業支配と企業統治は別個の問題ではなく相互に関係している。これらの議論の整理や体系化は今後の課題である。時間と体力と気力があれば、私が挑戦したいのだが・・・。
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