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2015年9月17日 (木)

悲壮感ある無責任:ベトナム人の「いい加減さ」の背景

一般にベトナムの「女性はしっかりしている」とか「女性は強い」と言われている。その背景には、戦争の長い歴史の中で兵士として死に直面してきた男性に対して女性は、両親や義父母・子ども・田畑を守ってきた実績がある。そのような母親を見てきた娘は、そしてそのまた娘は、その気質を継承しているとみなされる。

他方、戦争が終わり、平和になれば、兵士であった男性は「失業」する。次の仕事を見つけなければならない。兵士として死ぬ覚悟を持っていることが男性の「誇り」であるとすれば、「死ねばすべて終わり」という人生観または死生観が生まれてもおかしくない。

たとえば借金を返済しない男性が、返済の努力をするのではなく「死んでやる」と言うことがあるらしい。当然、銀行を始めとする債権者は「もう少し待ちましょう」となる。これは死をかけた「無責任」とみなされる。いい加減な無責任ではなく、悲壮感が伴う無責任である。

ベトナム人が「いい加減で適当」と批判される場合、こういう「無責任」な意識が影響を与えているのかもしれない。「戦争になれば、そんな細かいことは無意味だ」という反論が潜在的な意識に存在しているとも考えられる。これが正しいとすれば、ベトナムは戦争意識から依然として脱却できていないとみなされる。

どのように平和を持続させ、その時代をどのように考えて生活するか。このような問題は、ベトナムのみならず、「戦争法案」が争点となっている日本人も含めて考えるべきことである。他国からの侵略を常に心配して「抑止力」に依存した考え方が伝統的であるとすれば、それに代替する考え方(=思想または理念)は何か。その理念こそが、日本国憲法第9条ではないか。 

追記:多数のオートバイの流れの中を歩くベトナム人に対して「怖くないのか?」と聞いたことがある。その答えは明確。「銃弾よりは遅いから・・・」。確か「生死を掛ける体験をした人間は、死に対する恐怖がなくなる」という内容の映画があった。さらに敷衍すれば、死に比較すれば、借金など怖くない・・・。それが正しいとすれば、恐るべきベトナム人である。

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