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2015年9月 9日 (水)

証拠資料がないのは当然!?:「従軍慰安婦」の強制性

『週刊現代』(2015年9月5日号)の「日本一の書評」(116ー117頁)では、保阪正康『安陪首相の「歴史観」を問う』(講談社、1,600円)が紹介されている。著者の保阪氏に対する次のインタビューとその回答(117頁)が注目される。

・・・・・・本書では、昭和20年8月14日から1週間ほどかけて、軍事指導者の命令で戦争に関する公文書を末端の役所にあるものまで、一斉に焼却させたことが紹介されています。

日本が受諾するポツダム宣言の第10項に、「戦争を起こした指導者の裁判を行う」と書いてあった。それで、裁判の資料になるものを全部燃やせと命令を下したわけです。自分の保身のことしか考えていない。たとえアメリカ側から裁かれるとしても、自分たちの国の子孫にはわかってほしい。そう思って資料を残すなんて考えはなかった。・・・・・・(以上、引用)

従軍慰安婦問題」では「強制連行」の「強制」の有無が論点の一つとなっている。「強制連行はなかった」という論者の主要な根拠は、「資料・証拠は見つかっていない」ということである。しかし、上記の保阪氏の指摘のように上意下達の官僚的・体系的な「証拠隠滅」が実施されたとすれば、「従軍慰安婦」の強制連行の資料・証拠が発見されないのは当然である。

それでも、現在までに発見されている資料が存在する。そういった資料は、その「焼却=証拠隠滅」が担当者の何かの不注意で免れた文字通りの「貴重」な資料と考えることが論理的と思われるのだが、そうではないか。

普通に推理・想像すれば、自分が罪を問われるとすれば、自分に都合の悪い資料や証拠を消去するであろう。これに対して保阪氏の主張は私見では、自分が正しいと信念をもって実行したことなら、たとえ裁判で自分が有罪になろうとも、その資料は子孫に残すべきであるという意味である。

いずれにせよ、証拠となる文書の焼却の可能性を謙虚に受けとめることが、現在も継続している「従軍慰安婦問題」の客観的・公正・理性的な議論のためには必要と思われる。率直に言って、「証拠がないから無罪」というのでは、少なくとも被害者の感情は収まらないであろう。

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コメント

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引き続き、よろしくお願いします。

投稿: 上田義朗 | 2015年10月 4日 (日) 10時05分

先生のブログは簡潔で分かりやすく、いつも楽しみに読んでおります。
また、いち早い安保法制への反対表明を尊敬し、賛同致します。

投稿: 上田佳香 | 2015年9月11日 (金) 10時11分

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