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2015年8月24日 (月)

「テロとの戦い」と「民族独立運動の弾圧」の相違は?

20世紀に存在した「植民地」といった国家統治の形態は、今日もはや国際社会が許容しない。民族や国家の独立は、人類が維持・追求すべき普遍的価値であると考えられる。この「普遍的」という意味は、普通の現代人なら常識的に考えて否定できないという程度の簡単な内容でも議論に支障はない。

それだからこそ、民族の「独立運動」に対する「弾圧」や「鎮圧」は国際社会から批判の対象となる。ただし、弾圧・鎮圧する側から見れば、この「運動」が暴力的・軍事的になれば、それは「テロ」とみなされる。2001年9月11日以降、米国が主導する「テロとの戦い」は、広く容認される風潮が世界に形成された。

他方、かつての「ベトナム戦争」は、当時の南ベトナム政府や米国から見れば、現代的には「テロとの戦い」であって、それを口実にして米国や韓国はベトナム派兵した。しかし現在の定着した歴史評価から言えば、それはベトナム民族の独立と統一運動に対する弾圧・抑圧とみなされる。

ここでの問題は、上記の「テロとの戦い」と「独立・統一運動の弾圧・抑圧」の区別、または定義は何か。どちらも軍事力が伴う場合、その区別は難しいように思われる。しかし共通して言えることは、できうる限りの非軍事・非暴力が、運動側と抑圧側の対峙する双方において追求されなければならない。それが過去の教訓を学んだ現代人の「智恵」であろう。

このような観点から「ベトナム戦争(=ベトナム人は「アメリカ戦争」と呼ぶ)」の検証は、今でも重要な課題である。もちろん、その後の「アフガン戦争」や「イラク戦争」等も同様である。これらに日本が関係しているだけに、研究者のみならず、日本政府としての教訓が導出されるべきである。それが、今日の国会審議における日本の安全保障政策の策定にも貢献すると思われる。

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