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2015年7月31日 (金)

「企業論」の期末試験問題:「株式持ち合い」について(前半)

7月31日に実施された企業論の問題の一部を紹介する。最近、企業統治の改革が新聞紙上で頻繁に取り上げられ、それに伴って「株式持ち合い」の減少・縮小が指摘されている。以下の問題を考えることで、株式持ち合いの本質を検討することが出題の意図である。もちろん講義では、より詳細な内容を解説している。

 株式持ち合いの説明について、(6974)に該当する最も適当な言葉を①~⑤の中から選択して解答欄にマークしなさい。

 株式持ち合いは、故・大隅健一郎教授(京都大学法学部)が指摘したように、企業間の「(69)のやり取り」が本質である。それは、それぞれの企業の(70)に貢献しないことを意味する。その目的は、自社の経営権の乗っ取りに対して株主総会で経営者が自分自身の(71)を防衛することである。このような経営者の相互の関係は、日本の企業経営における経営者の(72)を示しており、外国人投資家から見れば批判の対象となる。

69 ①権利、②意見、③地位、④情報、⑤紙

70 ①ブランド化、②資金調達、③競争戦略、④独立性、⑤利益

71 ①資産、②組織、③地位、④家族、⑤従業員

72 ①不安定性、②無責任性、③保守性、④革新性、⑤安定性

問題は続く

解答 69:⑤、70:②、71:③、72:②

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2015年7月30日 (木)

戦争体験から学ぶ

戦後70年となり、戦争体験を「ナマの声」で語るることができる人々が次第に少数になっていると指摘されて久しい。

私の母はすでに亡くなっているが、奈良県で米軍機の列車に向けた機銃掃射に合ったことを聞かされた。母は助かったが、死者が出たらしい。母の弟は天寿を全うしたが、学徒出陣で名古屋の工場で働いていた時、母と祖母が慰問に行った時の様子が、やはり母から語られた。これは私の小学生の頃だったか・・・。

父は満州(現在の中国北東部)に従軍していたが、軍隊内での私的制裁について語ったが、実際の戦闘や現地住民との関係についてはまったく聞いていない。

自分の子ともに伝える直接の戦争体験を私はもたないが、これまでの戦争を対象にした小説・映画・舞台・テレビ番組が今でも継承されている。その主張や趣旨の適否はともかく、戦争体験は間接的に脈々と継承されている。

「戦争法案」に反対する人々を「平和ボケ」と揶揄する人々がいる。しかし少なくとも反対派は、前述のような戦争体験を引き継いだ人々である。戦争体験を直接経験しなくても、それを想起した人々が戦争に反対する。それは自然な論理だからである。

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2015年7月29日 (水)

『ベトナムの風に吹かれて』ポスター掲示

映画『ベトナムの風に吹かれて』のチラシとポスターが手元に届いた。そこで大学に貼ってもらう。20150729_171148a右側の四角いネームプレートは「アジア流通研究センター」。その掲示版をお借りした。ポスター前には「商学部・上田義朗教授がプロデューサーです。」と書かれている。こういう説明がないと、何のことか意味不明・・・。

今日は、神戸・三宮の馴染みのベトナム料理店にポスター掲示をお願いしてみよう。

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2015年7月28日 (火)

「子どもの権利条約」を広く教育することが最優先

日本では、国連の「子どもの権利条約」の効力が1994年から発生している。この条約は、以前に本ブログで紹介し、ベトナムでは小学校から教えていて、子どもが自らの権利を理解していると指摘した。

ベトナムに比較して日本では十分に子ども自身に教えられていないし、大人も認識していないようである。注:ここでの子ども(=児童)とは18歳未満のすべての者である。

この条約は、子どもの意見表明権や遊び・余暇の権利など、この条約独自の条項を加え、児童の人権尊重や権利の確保に向けた詳細で具体的な事項を規定している(参照:ウィキペキア)。

アイドルグループである制服向上委員会が政府批判の歌詞を歌っていることに対して、「子どものくせに」という批判があるらしい。これは、上記の「子どもの権利条約」に無知な証明である。

18歳になって選挙権が獲得できると、ようやく子どもは自分の権利を投票によって表明できる。このような教育が小学校から段階的に実施されることが、子どもの権利条約を批准し、18歳の選挙権を認めた政府の整合性ある施策であると私は強調したい。

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2015年7月27日 (月)

東芝問題:「株主資本主義」の影響は?

東芝問題の「粉飾決算」の発生原因が、株主利益を最優先する米国流の「株主資本主義」の影響があったためだという指摘がある。

「株主のために」、換言すれば、株価を高く維持するという目的のために経営者が利益を水増ししたというのである。

しかし現在の日本企業では安定株主が大部分を占めている。その理由もしくは背景は、「株式持ち合い」が依然として残存していることや、企業間の取引や提携関係を保持・強化するための「政策投資」(=株主利益追求のためだけの「純投資」と区別される)が存在しているからである。

このように考えれば、これまでの日本企業における「株主のために」という意識は、大株主である法人企業や金融機関で議決権を行使する経営者との親睦的・協調的な関係を維持するということを意味する。これが「日本株式会社」と呼ばれた日本的な企業システムの本質であった。

したがって、これまでの日本企業も「株主資本主義」の下にあったわけで、何も今更そうなったわけではない。要するに、最近の株主(=株式所有者)の変化が「利益追求」のための新たな圧力になったと考えられる。

この変化とは、外国人投資家が30%を超え、投資ファンドを始めとする機関投資家が「モノ言う株主」になっていることである。「安定株主」の減少に対応して経営者は「株主のために」意識改革が求められる。

ここでの配慮とは、単なる「利益追求」ではなく、もはや上述の「日本株式会社」システムは終焉したという自覚と行動でなければならない。東芝の経営者は、目先の変化である「利益追求」には配慮したが、より構造的な後者の認識が欠落していたのではないか。一般に、人間の意識や慣行は急には変えられない・・・。

「日本株式会社」は、日本企業の中の「慣れ合い」「無責任体制」「ご都合主義」の温床となってきた。ここからの決別が、東芝のみならず日本企業全体に求められる。理由は簡単。日本企業の活動が、日本国内の身内の論理が通用しないほどに「グローバル化」しているからである。

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2015年7月26日 (日)

東芝問題:「歯止め」としての経営理念

利益追求や目標達成のために企業は、さまざまな手段を行使する。それが「腕の見せ所」である。換言すれば、経営者から新人従業員や派遣社員を含む企業組織すべての実力が問われる。

その場合、何をしても良いと言うわけではなく、法令順守がギリギリの限度である。しかし、それだけでは「法律違反でなければ、何をしてもよい」「犯罪として摘発されなければ、何をしてもよい」という発想になる。

このような発想の「歯止め」となるのは、経営理念・社是であると思う。通常は意識されないと思われるが、これが企業組織における結束力の核になって当然である。

東芝の経営理念は、同社のHPから引用すれば、次の通りである。

・・・・・・・・経営理念・・・・・・・・・
東芝グループは、人間尊重を基本として、豊かな価値を創造し、世界の人々の生活・文化に貢献する企業集団をめざします。

1.人を大切にします。
2.豊かな価値を創造します。
3.社会に貢献します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

経営理念は当たり前のことを書いていて、それだから通常は認識されないが、それだからこそ企業活動の「原点」として認識されなければならない。

以上、利益や目標の達成のために、法令順守は当然であるし、経営理念を逸脱しない。その枠内で総力を挙げて頑張る。こういう企業経営が本来の姿であろう。だから企業にとって経営理念は重要である。

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2015年7月25日 (土)

東芝問題:利益追求の「歯止め」

経営トップが利益の追求や経営目標の達成を部下に促すことは当然である。それが経営者の役割だからである。

しかし、その指示のために何をしてもよいというわけではない。コンプライアンス(法令順守)が最低限の「歯止め」である。今回の東芝の「粉飾決算」において、なぜその歯止めができなかったのか? これが最大の問題と思われる。 

通常の会社は、その「歯止め」の一歩手前のギリギリのところで創意工夫・全力を尽くす。もし目標が達成できない時は、その目標を設定した社長の責任か、または従業員のモーティべーションの問題か。または不可抗力の外部環境の変化があったのか? これらが次の課題となるのが普通だろう。

この「歯止め」を超えた東芝は、どこか異常な会社ということになる。

報道では、企業統治制度の不備や形骸ということが指摘されているが、それより以上に東芝固有の問題点が改善されなければならない。法令順守に甘い体質の会社であれば、どのような制度改革も意味がない。

もちろん「ウィッスル=ブローイング」(社内の「告げ口」)の相互監視を奨励すれば、不正はなくなるだろうが、そういった会社が創意工夫ある革新的な企業であるはずはない。連想すれば、「北朝鮮」のような会社・・・。東芝について経営体質の根本的な改革が検討されてよい。

 

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2015年7月24日 (金)

映画「ベトナムの風に吹かれて」:草村礼子さんの名演技

映画と言えば、主演俳優と監督が一般に注目される。日本とベトナム初の合作映画「ベトナムの風に吹かれて」では、主演・松坂慶子、監督・大森一樹となるのだが、共演の草村礼子にも注目である。

それは当然。認知症の母親という役だから、その役作りは大変だったと思われる。

草村さんとは昨年に東京で初めてお目にかかり、ハノイの撮影時にはホテルからハノイ駅の撮影現場までタクシーでご案内したことがある。私は気を利かせたつもりで、市内の様子を説明したのだが、「少し静かに・・・」と注意されたことが印象的であった。

ちょうど初めての撮影の出番ということもあり、精神的に緊張または集中されていたのだと思う。今でも恐縮であるが、草村さんとの良い思い出になった。

確かに私の経験でも、学会報告や講演会などで緊張・集中している場合、知人に偶然に電車の中で会って雑談をするのは鬱陶しいものである。

プロとしての厳しさを草村さんから教わることができたし、それに共感もした。そして、その結果が、映画の中にも十分に発揮されている。

これまでの何度かの「試写会」でも、草村さんの演技は絶賛されていた。映画「Shall we ダンス?」の教師役。最近では昨年に放映されたNHK時代劇の「ぼんくら」に松坂慶子さんと一緒に出演されていた。斯うご期待!!

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2015年7月23日 (木)

今回の学生運動は「本物」だ!

60年や70年の「安保闘争」時代の学生運動が、現在の戦争法案に反対する学生や青年よりも大規模で情熱もあった。だから今の学生の「戦争法案」反対運動は大きな影響はないという指摘がある。

しかし今回の学生の多くは、自分の考えたことを自然に心から自分の言葉で語っている。この運動は「本物」と私は思う。自分が理解できない・・・難解な・・・他人の言葉の「受け売り」をしない。特に女子学生の発言・スピーチに名演説が多い。

過去の学生運動の「反帝〇〇」とか「マルクス☓☓」なんていう常套句は、今の若者の運動にはまったく出てこない。なお私は70年代当時、中学生から高校生。現実の学生運動と無縁だったが、こういう演説は記憶に少し残っている。

この現象は、現在の若者が受けてきた今までの「ゆとり教育」の成果だと思う。自分の思ったことを的確に正直に表現する。知識の詰め込み教育は良くない。これは当然だ。その成果が今になって出てきているのだと思う。政府にとっては皮肉な結果である。

上からの押しつけではなく、自分の意思と頭で考えた思想・思考は持続・発展する。若い彼らが言うように、おそらく現在の「独裁政治」は長続きできないであろう。

日本の民主主義を将来に継承する彼らを最大限に擁護・支援する。これが中高年齢者の役割である。自分自身の人生の終末を過ごす日本を彼らに任せなければならないからである。

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2015年7月22日 (水)

東芝問題:企業統治の観点から

東芝の「利益水増し」問題が注目されている。この注目の理由には次の2点が考えられる。

第一に、東芝のような伝統ある大企業が、いわば稚拙な不正事件を起こすのかという疑問である。第二に、日本の企業統治がどうあるべきか、その前に企業統治の現状がどうなっているかを再検討しなければならないということである。これは私の経営学における「専門分野」である「企業論」に属する問題である。

この問題で私が個人的にご意見を伺いたいコメンテーターは、次のお二人である。現在も評論家として幅広く活躍している佐高信氏、そして日本証券経済研究所大阪研究所に私が勤務していた時の大先輩である奥村宏氏(龍谷大学教授から中央大学教授)である。

お二人は私の学生時代からの信頼出来る先生である。それをお待ちすると同時に、私自身でも、この問題をここで検討してみたい。

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2015年7月21日 (火)

「経営学」を使いこなす:応用学問として

「経済学」に対応して「経営学」と呼ばれる学問分野があり、その中に企業論・経営管理論・経営戦略論・経営財務論・人事管理論(=人的資源開発論)・マーケティング論といった細分化された専門分野がある。

大学における私を含めた「経営学者」は、上記のような専門分野のいずれか(私の場合は企業論)を担当して大学で講義している。この学問的な現状は、現実の企業経営にとって何を意味するか。

企業経営には、単なる経営学のみならず、経済・政治・文化・社会など総合的・包括的な知識や情報処理能力、それらに基づく判断力・決断力が求められる。さらにリーダーとなれば、リーダーシップを行使できる人間的な魅力も不可欠であろう。

こういった企業経営の現実の指摘が的確であるとすれば、それに対応し、それに貢献するための経営学も総合的・包括的な学問でなければならない。多様な専門分野のハイブリッド(複合的)な応用学問が経営学とみなされる。

それでは、そういった経営学を教育できる教員が存在しているのか。また、そういった教員を養成するための制度・体制は存在するのか。このような指向性をもった新たな経営学の教育が必要ではないか。

自分自身を振り返れば、本ブログの副題「大学教授「実学」を追究する」は、以上の試みの一つとして意義づけられるかもしれない。

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2015年7月20日 (月)

ユニクロの戦略:フルラインの「品ぞろえ」ができるか?

すでに本ブログで紹介したが、『週刊現代』(7月25日/8月1日)のビジネスレポートとして「ユニクロが突然、売れなくなった」という記事(58~61頁)が掲載されている。ここでは次のユニクロの戦略について提案してみたい。

記事の中では、長沢伸也氏(早稲田大学商学研究科教授)がユニクロに対して「新しいブランド」を立ち上げて、「今とは逆に、高価格でデザイン性の高い日本製の服も展開する。ユニクロブランドだけでは、海外展開を進めてもいずれ頭打ちになるのは明らかですから」と述べている。

ここで「新しいブランド」の立ち上げは、やはりM&Aであろう。高い買い物になるかもしれないが、世界の高級ブランドをM&Aすることが、高級ブランドを自社で徐々に育成するよりも、総じて「費用対効果」は大きいのではないか。

これが実現すれば、ファーストリテイリング社は、次の3社を傘下にもつことになる。ユニクロと、ユニクロよりも低価格の商品を志向するGU(ジーユー)、そして高級な「新しいブランド」である。この中で、ユニクロの商品が価格と品質で「中途半端」になる懸念もある。企業の「競争戦略」において「中途半端」は一般に厳禁である。

しかしファーストリテイリング社の全般的な戦略から見れば、この3社体制は、あらゆる所得階層の顧客ニーズにフルラインで対応できる。さらに、それが日本国内で完結しなくてもよい。たとえばヨーロッパでユニクロが人気となり、中国で「新たな高級ブランド」が支持され、日本ではGUの顧客が拡大するかもしれない。このようにグローバル市場においてフルラインの商品を提供する。

これら3社において共通した成功の鍵は、先日に述べた「ワクワク感」「ときめき感」を顧客に対して常時提供することであると思われる。この顧客とは単一化した顧客ではなく、さまざまな階層や消費性向に属する顧客である。それぞれの顧客にきめ細かい対応をする。以上のような観点(=私見)から、ユニクロの今後の展開に注目したい。

注:先週末に近くのユニクロに行った。そこで夏向きのジャケット(2,980円)を買ってもよいと思った。Lサイズで袖丈はピッタリだったが、情けないことに「腹回り」が合わなかった・・・自覚はあるのだが。スーツの場合、私の体型は「B体」でピッタリなのだが、こういったサイズはユニクロには用意されていなかった。この不満。大きくはないが、次からは別の紳士服店に行こうということになる。

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2015年7月19日 (日)

映画「ベトナムの風に吹かれて」が『文化通信』(7月8日:16163号)に掲載(続)

文化通信』(2015年7月8日)における映画「ベトナムの風に吹かれて」について、岡田裕プロデューサーの次の発言を引用しておきたい。

近年の日本映画は両極端で、漫画を含むベストセラー原作か、極度のアート寄りか。その中間のマーケットが育っていない。この映画はそのマーケットを狙い、母親を海外に連れていく新しい介護の形や、団塊世代の老後を描いており、通常の映画ファンだけでなく、介護や老後の話題が身近な50~60代の女性を中心に見てもらいたい」。

本映画の観客ターゲットを岡田さんは「50~60代の女性」と言われるのだが、私は、ぜひ60歳代周辺(アラカン=還暦周辺世代)の男性にも見てもらいたいと思う。私自身が60歳になって、「ベトナムの風に吹かれて」から「元気」をもらったからである。本映画において自分自身を投影できる男性の登場人物は、奥田瑛二が演じる小泉である。

還暦になって思うことは、もう10年、20年、30年の残りの人生をどのように生きるか。この最後の時期で各人の人生のあり方が決まる。このように一般に言えるのだろうが、それを特に意識する必要もない。人間、自由に生きれば良い。こういったことを自省・内省する好機が還暦なのだと思う。

この映画「ベトナムの風に吹かれて」は、残りの人生を考える契機にもなる。

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2015年7月18日 (土)

映画「ベトナムの風に吹かれて」が『文化通信』(7月8日:16163号)に掲載

アルゴピクチャーズ社の岡田裕社長から、表題の『文化通信』の記事を頂戴した。「きょうのニュース」(7月8日)で日本・ベトナム合作映画「ベトナムの風に吹かれて」が紹介されている。
参照 文化通信 http://www.bunkatsushin.com/

この記事では、この映画の内容に加えて、その製作の経緯が明らかにされている。映画製作に関与してきた私自身が書けないことを書いてくれているので、私にとっては貴重である。

残念ながら有料記事であるから、ここでは紹介できないが、この映画の「誕生秘話」と言っても良い。それに付記するとすれば、実は「この本を映画化できないか」という私の提案の中には、もう1冊、人気コミック『大使閣下の料理人』があった。

この企画は、本年正月のフジテレビの特別番組で実現した。しかし現地ロケやベトナム人俳優を重視せず、製作費を人気の出演者に配分して視聴率を上げるという「テレビ番組」の限界を私は感じた。とは言うものの、テレビドラマとしては楽しめたが・・・。
参照 http://www.fujitv.co.jp/taishikakka/

一般に、広告宣伝は厳格な「情報管理」が必要。そうしなければ、顧客=買い手=観客に「ワクワク感」が生まれない。これは岡田さんから教わったことである。教科書の中の知識または情報として理解していても、その実感が沸かなかったが、この映画製作を通して十分に「実学」を体験できた。

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2015年7月17日 (金)

在日米軍基地の縮小交渉はできないか?

2015年7月16日に「戦争法案」が国会で通過した。この法案は、単純に言えば、日本を軍事的に守ってくれる米国に対して、もっと日本も米国に対して軍事的に協力するという趣旨である。これで日本は米国と少しでも「対等」な関係になれる。これは、本法案の賛成の要点の一つだとみなされる。

この「戦争法案」の施行によって、これまで以上に同盟国・米軍に協力するのだから、米軍に向けた「思いやり予算」削減米軍基地縮小といった対米交渉もできるのではないか。こういった交渉はビジネスでは常套である。

ただし国会審議の前から米国に法案成立を首相が約束しているのだから、交渉のカードに使えない。いやはやビジネス交渉では失格である。このように主体的に外交交渉できないなら、日本は「米国従属」と世界から評価されてもやむをえないと思われる。これまでにも「日本は米国の51番目の州」という指摘があった。日本の悲願である国連の常任理事国加盟が進まない一つの理由は、日本に独自性がなく、対米従属国と世界がみているからではないか。

私は憲法違反の「戦争法案」に反対であるが、百歩または千歩を譲るとして、日本政府は、この法案通過を契機にして、在日米軍基地の負担軽減・縮小を交渉してほしい。こういう発想ができないとすれば、それは米国に対する自主外交の放棄(=思考停止、盲目的な従属)ともみなされる。「美しい日本」ではなく「情けない日本」・・・日本人の誰も望んでいない。

付記:こういうアイデアは、「戦争法案」反対派の結束力を弱めることになる。沖縄を始めとする在日米軍基地負担が軽減されるなら、今回の「戦争法案」もやむをえないと考える人々も少なくないであろう。私が賛成派なら、こういった「作戦」を考えるが、そういった発想すらできないほどに米国に従属している。これが日本の現状と言えるのかもしれない。

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2015年7月16日 (木)

映画「ベトナムの風に吹かれて」:予告編の「キメ台詞」

日本ベトナムの初の合作映画「ベトナムの風に吹かれて」の予告編は、以下のHPから見ることができると紹介した。
〇参照 日本版:http://www.vietnamnokaze.com/  1分56秒
〇参照 ベトナム版:http://dongdoshow.com/ 1分54秒

そこでの最後の「キメ台詞」・・・日本版では草村礼子さんの「冷めない内に早く食わっシャイ」という新潟弁。ベトナム版では「おかま」の守衛役ダオが「女の人はダメだけど、男の人は歓迎よ」という。

それに周囲にいる松坂慶子や奥田瑛二・草村礼子が「エーッ?」というような顔をする場面で終わる。この映画、どちらかといえば、女性が主人公の女性に向けた映画なのだが、それに対して「男の人は歓迎よ」は思わせぶりな絶好のメッセージである。

ぜひ、とにかく上記の映画「ベトナムの風に吹かれて」予告編をご覧ください。

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2015年7月15日 (水)

「科学」を否定する「ご都合主義」に反対:「流通業は平和産業である」

憲法学者の大多数が「違憲」という「戦争法案」が衆議院の特別委員会で採決される。素人の私でも「違憲」と理解できる。

ここで私の「社会的責任」として「反対」を明言したい。私の勤務先の流通科学大学の関係で言えば、創立者・中内功(ダイエー創業者)は「流通業は平和産業である」と断言していた。かつて関西経済団体連合会で「徴兵制」の議論が出たとき、中内功は毅然と反対意見を表明したことは有名な逸話である。

「実学」を志向する流通科学大学にあっても、入学式や卒業式に日章旗が大学内で掲揚されないのは、中内功のひとつの「遺言」のように私は思っている。フィリピン戦線で「死線」に触れた中内功は、一貫して「反戦平和」を信念にしていた。

他方、大多数の憲法学者が「違憲」という法案を通過させる理由は、より一般的に言えば、学問=科学の専門家として生活している学者・研究者は「現実を知らない」「視野が狭い」「規範的」ということである。そして「違憲」か「合憲」かはさておいて、現実の国際環境が「戦争法案」を必要としているので、たとえ「違憲」であっても、法案通過は必要であるという主張がある。これは、科学(事実と論理)を否定した「ご都合主義」「便宜主義」にほかならない。

その時々で政府が主張を変化させる。これは現実の変化・変容に柔軟に対処していると言えないこともない。しかし、これは科学=学問の否定・軽視であり、ご都合主義・便宜主義の結果である。それを学者が認めたら、学者の存在意義はなくなる。理性・知性を尊重しない国は、国民からも世界からも信用・信頼を獲得することはできない。

企業経営においても「経営理念」「社是」に揺(ゆ)らぎがあってはならない。それと似ている。ただし企業経営の責任範囲は個別企業の枠内であるが、それが政府となると国民全体が重大な影響を受ける。戦争世代の中内功が生きていたら、何と言うか。この問題を私自身に提起したい。

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2015年7月14日 (火)

「ワクワク感」がなくなる・・・

今週の『週刊現代』(7月25日/8月1日)に注目される記事が掲載されている。ビジネスレポートとして「ユニクロが突然、売れなくなった」という見出しである。

その原因の注目点は「ワクワク感がなくなった」というものである。同じ意味のことを私は本ブログで「ときめき感」とすでに指摘した。

いくら安くても、それが当たり前になると、安さだけでは売り物にならない。品質が良いとなっても、それが当たり前になると「ワクワク感」は生まれない。

価格でも、品質でも、雰囲気でも、サービスでも、けっして悪くない、平均の水準以上としても気持ちに「ときめき」がないと、なかなか買うという行為にまでは進まない。それでも買っているとすれば、それは顧客の購買行動の惰性が原因だろう。この惰性は売り手にとって有難いことであるが、新しい別の店舗ができれば、すぐに顧客は逃げていくだろう。売れていると言っても安心できない。

人間の「ワクワク感」「ときめき感」を刺激する。すべての人間行為について、この観点から再検討すれば、新しい商品やサービスのアイデアが生まれてくるような気がする。

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2015年7月13日 (月)

映画『ベトナムの風に吹かれて』:映像・予告編の紹介

映画『ベトナムの風に吹かれて』がネット上で多数紹介されるようになった。

9月26日の新潟先行上映、10月17日からの東京・大阪・福岡に始まる全国公開を前にして、それは当然である。マーケティング的に言えば、これから次第に関心を盛り上げ、ドキドキ感・ときめき感を高揚させなければならない。

この予告編では日本版とベトナム版が公開されている。両国初の合作映画であるから両国で成功してほしい。その予告編が微妙に異なるところが興味深い。両国の観客の関心の所在が相違していることを背景にしている。

この映画が最初に映像として紹介されたのは、そのハノイの撮影現場を紹介したベトナムテレビが最初であった。これは2015年1月9日の本ブログで紹介している。
〇参照 http://vtv4.vn/videodetail/13724

これはベトナム国内の日本語放送であるが、映画の部分は以下で紹介されている。
〇参照 http://www.j-veec.or.jp/archives/1347

ここでは、大森一樹監督、主演の松坂慶子さん、それに奥田瑛二さん、原作者の小松みゆきさんのほかのインタビューが紹介されている。そして何よりも、ベトナム側のタントビン監督や主演俳優の本映画に対する意見も聞くことができる貴重な内容となっている。

このほかに映画製作委員会に参加しているNST新潟総合テレビ新潟日報社も、ハノイと新潟の撮影風景を映像や記事で紹介している。

映画の予告編は、以下のHPから見ることができる。
〇参照 日本版:http://www.vietnamnokaze.com/  1分56秒
〇参照 ベトナム版:http://dongdoshow.com/ 1分54秒

ベトナム版では、新潟の雪景色やその中を疾走する上越新幹線、日本のお葬式の風景が描かれている。ベトナム人にとって新幹線は日本の最先端技術の象徴であるし、お葬式風景は同じ仏教国として親近感を増すに違いない。他方、日本の新幹線に対応するかのようにハノイ市内を流れるように走るバイクの群れは、今日のベトナム経済の発展を対照的そして象徴的に示している。

他方、日本版ではベトナム紹介というよりも、松坂慶子・草村礼子・奥田瑛二の人間関係の断片を見せている。還暦世代(アラカン)以上の人々に向けた「大人の青春映画」をアピールしている。おそらくベトナム人にとって、このメッセージは通用しない。ベトナム人向けに何をアピールするか。ベトナムでの成功の要点であろう。上記のタットビン監督はベトナム側で多数の実績をもった巨匠である。おそらく的確なアピールを考えるに違いない。

ベトナム版でも日本版でも、最後の出演者などの紹介(=エンドロール)の後に「最後に一場面」の観客に対するメッセージが挿入されている。これは共通した手法である。日本版では草村礼子さんの「冷めない内に早く食わっシャイ」という新潟弁が印象深い。ベトナム版では「おかま」(・・・ベトナムでは昨年から「同性結婚」を認めた)の守衛のダオが同じ役割を果たしている。それがベトナム人に向けたメッセージを集約している。その内容は?斯うご期待。

わずか2分弱の時間に込められた製作側の思いが、それぞれの国の観客予備軍に伝わるかどうか。予告編さらに広告宣伝の醍醐味である。もっとも日本ベトナムの友好相互理解に貢献することは共通している。これについては両国の関係者は自信をもっている。

なお、ベトナム版の予告編には、映画の主題歌「たまには仲間で」が挿入されていない。映像原盤を渡す前の一部の映像に基づく予告編だからである。より正規のベトナム予告編が近々に作成されるであろう。現在、ベトナムではスポーツ文化観光省に上映許可申請中である。その許可後、上映館の決定や予告編・ポスター・チラシの作成が始まる。

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2015年7月12日 (日)

よくできた長期戦略:日本の軍事国家化

若い人々が「戦争法案」に反対し、その数が増加しているという。学生団体シールズ:SEALDsStudents Emergency Action for Liberal Democracy - s)は自発的な無党派の学生団体である。
参照 http://www.labornetjp.org/news/2015/0710shasin

こういった集会に参加しようと思っても、バイトがあって参加できないという大学生も多い。親世代では自分の「お小遣い」や「旅行費用」を稼ぐためのバイトが一般的だったが、最近の学生は学費や生活費を自分で払う。また将来の奨学金返済を軽くするためにバイトする。こういう学生が増加している。

私は大学院生の時に5年間に渡って奨学金を当時の「日本育英会」から受給していた。書籍購入や定年退職した親の負担の軽減など大いに有り難かった。さらに所定の「研究教育職」に就けば、返済義務が免除された。今は、このような「返済免除規定」がなくなっている。

大学生や大学院生に対して考える時間をないようにすれば、より一般に「批判精神」が醸成され難くなる。既存の体制・制度・組織を批判するためには、それに迎合したり、それを容認したりするよりも、より膨大な精神的なエネルギーが必要である。このエネルギーを減衰させるためには、余分なことを考える時間を与えないことが効果的である。奨学金給付が、先進国(OECD加盟国)の中で最下位とは、どういう理由があるのか。このような文脈で考えれば、よく理解できる。

日本経済全体を不安定にし、さらに社会の競争原理を強化し、それを若者の中にも浸透させる。こういった中では、日々の生活の維持や限定された「勉強」に関心が集中し、批判精神は生まれない。たとえ批判精神が芽生えたとしても、「しかたがない」と「まあ、いいか」で時間が過ぎていく。

日本の徴兵制の導入について本ブログでも指摘したが、同様のことを「経済的徴兵制」という名称で以下は紹介している。この映像は面白い。
参照 http://buzzap.jp/news/20150710-akari-chan-beats-hige/

大がかりな長期戦略の中で日本は「軍事国家化」に進んでいるように思われる。こういった戦略の全貌がようやく今になって見えてきた。しかし他方、こういった戦略の「矛盾」も明示化されている。そのひとつは、情報伝達がグローバル化し、グローバル人材が育っていることである。政府が推進する「グローバル人材」が、それを促進する政府を批判するようになる。

若い世代がもっと英語情報に直接触れるようになれば、もっと外国人や留学生の友人とコミュニケーションできるようになれば、国際社会から見た日本の客観的な評価が理解されるようになる。経済成長を考えるなら、グローバル化は不可避・不可逆であり、それが「軍事国家化」を抑制することになる。これが「弁証法」というのだろうか。

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2015年7月11日 (土)

映画『ターミネーター:ジェニシス』を見た

これから夏休みにかけて続々と新作映画が公開される。封切り映画は『ターミネーター』にするか『アベンジャーズ』にするか?結局、3D『ターミネーター:ジェニシス』を見た。
参照 http://www.terminator-movie.jp/

主演シュワルツネッガーは「好々爺(おじさん)」の役回りであるが、第1作の「怖い」お兄さん役も見てみたい。ロボットでも人工皮膚が劣化して、年を取ったように見えるという設定が面白い。おじさんが何度か言う「古いけど、ポンコツではない」という意味の日本語訳があり、これが最も印象的だった。高齢化社会を元気に生きる高齢者の「決め台詞」になるかもしれない。

予告編を見ていると、今後の公開は『ジェラシックパーク』や『スターウォーズ』など昔の「ネタ」の繰り返しのように思われる。少し前は現在も上映中の『マッド・マックス』それに『猿の惑星:ジェニシス』・・・。この「ジェニシス」も流行である。これらのことは、新しい企画の枯渇を意味している。換言すれば、過去のヒット作をリメイクしておけば、興行的なリスクが低い。だから資金も集まる。安易な映画作りと言えないこともない。

今回初めて年齢60歳以上になって、割引料金が適用された。これはかなり嬉しいが、そうであるなら、大人の鑑賞できる映画がもっとあってよいとも思う。

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2015年7月10日 (金)

訃報:藤元尚宏さん

私が「ライオンズクラブ」に入る紹介者となっていただいた藤元尚宏さんが78歳で亡くなった。

7月9日のことである。ベトナム産の日本酒「越の一」を美味しいと飲んで頂いた。必ずしも「大吟醸」が美味しいとは限らない。これは本当の「通」の指摘であろう。何度かお土産に持参した日本酒に嬉しそうな顔をされたことは印象に残っている。

大きな声で率直に意見を言う。反骨精神も旺盛な人であった。他方、繊細な気配りができる。こういう人は稀有である。関西大学法学部の卒業。このことも少しの自慢の種であった。

ご冥福を祈りたいと思います。合掌

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2015年7月 9日 (木)

大阪府内のどこでしょうか?

わが家の愛犬・GIOI(ゾイ)が眺める風景は、大阪府内。果たしてどこでしょうか?20150706232219正解は、大阪府箕面市新稲。大阪都心の梅田から阪急電車で20数分で箕面市。写真のような緑の山並みが続き、その前には小さいながらも水田がある。この場所は自宅から徒歩20分ほど。

こういった風景は私が子どもの時から変わっていない。もっとも当時は牛小屋があったり、山羊が木に繋がれていたりした。私の故郷の風景を見てゾイは何を思うのだろうか。

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2015年7月 8日 (水)

日本ベトナム合作映画『ベトナムの風に吹かれて』:ベトナム版予告編

日本ベトナム初の合作映画「ベトナムの風に吹かれて」(主演:松坂慶子、共演:草村礼子、監督:大森一樹)の全貌が次第に明らかになってきた。

単なる「良い映画」でなく、「見たい映画」さらに「劇場に足を運んでもらう映画」にするためには、心の「ときめき」や「ワクワク感」が不可欠であると思われる。これは、すべてのマーケティングに妥当する手順であろう。

そういった感情を醸成するためには、厳しい情報管理が求められる。この管理とは、何でも野放図に情報開示しないという意味である。単純に言って人間は「隠すから見たい」のである。

さて、映画合作のベトナム側パートナーであるドンドショー社のHPには、本映画の予告編が早くも登場している。参照 http://dongdoshow.com/

その中には「雪の舞う新潟を走る上越新幹線」が登場する・・・ベトナム人が見れば、おそらくワクワクするに違いない。他方、日本人が見て印象深い風景は「流れるように走る無数のバイク」かもしれない。ワクワクするような期待を高める予告編は、日本とベトナムで異なって当然だ。

日本側から考えると、9月公開の映画の予告編の公開はやや時期尚早のようにも思われるのだが、ベトナム側ではちょうどよい時期なのかもしれない。日本でも、これから映画タイトルの露出が徐々に増えることになっている。ご期待下さい。

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2015年7月 7日 (火)

自慢話:甲陽学院高等学校

手前味噌ながら、記録(日記)として残す目的を含めて紹介するが、私の出身校である甲陽学院高等学校(西宮市)が以下のランキングで第1位となった。002490815thumb208xauto26079参照 http://www.diamond.co.jp/magazine/002490815.html

全国的に有名な灘高等学校第3位。個人的には中学受験で失敗した灘中に少しばかりの恨みがないわけではないが、還暦の年齢になって、こういうランキングに出身校の名前が出て、恥ずかしげもなく嬉しくなる。私にとって数少ない「自慢話」をご容赦願いたい。

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2015年7月 6日 (月)

ベトナム株式市場で外国人所有規制が緩和

ハノイに本社があるロータス投資運用会社によれば、ベトナム株式市場における外国人所有の比率が緩和されるそうである。

これまで外国人の株式所有が制限されていた業種の公開会社49%まで拡大され、それ以外の公開会社は100%まで所有できるようになる。ただし会社の定款に記載することが必要だそうである。

より具体的な指針は今後に発表されるそうであるが、この首相令によって株式市場の流動性が増加することは間違いない。

ベトナム株価指数は、2007年3月12日に最高値1170.67ポイントを付けた以降、その3分の1から半分の水準を低迷している。
参照 http://vietnamkabuhelp.blog22.fc2.com/blog-entry-215.html

これは、米国の住宅バブル崩壊(2007年)やリーマンショック(2008年9月)以前の出来事であり、ベトナム株式市場の内在的な「バブル崩壊」であったと思われる。

経験的に言って、当時の最高値に対して回復度が低い個別銘柄は、当時も現在も優良株である。優良株だからこそ、当時その株価は過剰に高騰した。まさに名言「山高ければ谷深し」である。

TPP加盟による米国からの投資、それを促進する今回の外国人所有の緩和、インフレの沈静化、ドン通貨の安定。マクロ経済の環境は好材料となっている。残りの材料は、個々の企業の国際競争力の有無または強弱である。ベトナム株価低迷の今、私は「買い」と思うのだが、果たしてどうか?

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2015年7月 5日 (日)

学者が怒るのは当たり前

憲法学者の大多数が「憲法違反」という「戦争法案」を本国会で通過させようと政府は意図している。憲法違反の法案に対して「対案」を出すという野党の対応に私は違和感もある。憲法違反の一点で反対すればよい。しかし「対案」の審議で「会期切れ」を狙う戦術という見方もある。それはともかく「憲法違反」の法案が通過する事態に憲法学者そして多数の学者が怒るのは当然である。

「学者は現実を知らない」。「学問と現実は異なる」。「政府の言うことに学者は従え」。これらの主張は「科学としての営み」を否定することと同じ意味である。

ここでの「科学としての営み」とは、事実と論理に基づく議論である。さまざまな人々の間で賛成と反対の意見が存在するのは当然だが、共通の土台として事実と論理に基づく議論を相互に容認するという前提が科学には存在している。

子どもに対して親が言うことが必ずしも正しいとは限らないのと同様に、政府が言うから、社長が言うから、政治家が言うから、先生が言うから、大学教授が言うから、大多数が言うから、それが常時正しいとは限らない。「正しい」というためには「事実と論理」に基づいた検証が常に反復して必要である。

たとえば福島原発事故の教訓の一つは、少数の反対意見にも十分に配慮する謙虚さが必要なことである。「電力喪失があるのではないか」、「水蒸気爆発が発生すれば大変なことになる」といった少数意見があったにもかかわらず、それを無視した結果、現実に原発事故が発生した。少数意見が結局は正しかった。

政府権力を背景に少数意見を無視・嘲笑した「権威」と言われる原子力学者が「雲隠れ」し、少数意見を述べた学者が高く評価され、一般に感動すら覚えさせた・・・小出裕章先生である。その時々の権力ではなく、自らの信念に基づいて事実と論理を最優先に尊重する。こういう学者がいるからこそ学者は学者でいられる。多数の学者は小出先生に感謝しなればならない。

憲法解釈は「政府の言うことに従え」という政府の露骨な主張は、学者の存在それ自体を否定することと同義である。多数の学者が怒るのは当然である。

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2015年7月 4日 (土)

問題を無視して事態を悪化させる

憲法違反とみなされる「戦争法案」に一定の支持がある理由は、日本に対する軍事的な危機が増大している背景がある。その代表は尖閣列島の中国の領土侵犯である。

しかし政府は、尖閣列島は自国の領土であるから「問題は存在しない」という対応であった。いわば「無視」である。そして中国船にやりたい放題をさせておいて、日本の領海侵犯の緊張感や危機感を国民の中に醸成したように思われる。

「歴史問題」についても、最近まで「村山談話」で一件落着していたと思われるのだが、それを見直すと主張したのは日本政府である。日本政府が中国関係を意図的に悪化させたと指摘できるのではないか。事実関係の検証が求められるが・・・。

こういった状況を意図的に作り出して「戦争法案」の支持を獲得し、世論を誘導する。こういった長期的な戦略をもって政府は政策を推進しているとみなされる。この戦略の全体像を暴露することが反対派には不可欠である。

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2015年7月 3日 (金)

「良い商品」でなく「ときめきの商品」を売る

良い商品」であることは理解できても、買う気にはならない。日常に経験することである。

企業側から考えれば、こういう商品を売れるようにできれば、売り上げは増加するに違いない。どうすれば良いのか?

この問題を人間の心理の問題と考えれば、「良い人」であると理解していても結婚したり、好きになったりしない人が男女を問わずにいることに似ている。

もう1歩踏み出すためには、何か「ときめき」が必要なのだ。かつて「ビ・ビ・ビと来た」と言って結婚を決めたタレントがいたが、こういう気持ちになった時、モノを買ってくれるのではないか。

観点を変えれば、結婚のためには必ずしも相手が「良い人」である必要はないのかもしれない。同様に「良い商品」であることだけではダメなのだ。「ときめきの商品」。売れる商品のヒントだと思う。

映画も同様である。名作と呼ばれる映画が欧州に多々ある。「良い映画」と分かっていても、なかなか映画館に行って見る気にならない。それを見てもらうために・・・。今、映画「ベトナムの風に吹かれて」で考えていることである。




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2015年7月 2日 (木)

批判精神の封殺は国を滅ぼす

現状を批判的に分析することで、新しい発想や提案が生まれ、それが現状を改革・改善する。

これは、企業経営でも、国家でも、社会でも、科学でも妥当すると私は信じている。すべての人間の営みにとって批判精神は不可欠である。それがあってこそ人間は進歩してきた。より大げさに言えば、人類は存続・発展してきた。

これに対して、沖縄基地問題や戦争法案(=安保法制)審議をめぐる政治情勢の中で、政府批判を抑制する主張が出てきた。これは、上から目線の独裁的な発想そのものである。

「長いものに巻かれる」ことは人間の処世訓である。それは理解できる。そうであっても内面的な批判精神を失う必要はない。それがなくなれば、個々人のみならず、その総体である人類の進歩が止まる。批判の封殺は、やや大げさに言えば、人間社会の進歩を否定するものである。世界に通用する主張ではない。

「原発」批判を権力が封じてきて、福島で事故が発生した。この教訓をも忘れさせようとする日本に未来はない。こうなれば、「批判精神を持ちましょう」という人間の内面的な段階ではなく、積極的に「行動しましょう」という段階に日本の現状は突入したのかもしれない。

日本の現状が続けば、近い将来に日本は経済的・社会的にも破綻するのではないか。私は現状について、このような危機感をもっている。

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2015年7月 1日 (水)

徴兵制よりも自衛隊志願者を増やす経済政策を推進

戦争法案(=安保関連法案)を批判する中で、将来は徴兵制が日本に導入されることが危惧されるという主張がある。これに対して政府は、それはありえないと反論している。

この反論は妥当していると思われる。米国でも徴兵制は導入していないが、軍隊に対する志願は維持されていると聞いている。それは、若い世代の生活の貧困化・不安定化や、学生に対する奨学金の支給などによって、志願兵を維持することに成功しているからである。

たとえば将来の日本においても、自衛隊に入れば、年金が増額支給され、戦死した場合でも家族に十分な遺族年金が支給される・・・生命をかけて国を守るのだから当然・・・となれば、わざわざ徴兵制を導入しなくても自衛隊員は集まる可能性は高い。しかも「英霊」として神格化されたりして・・・。そうなれば、あえて徴兵制は必要ない。

事実、大学卒業しても非正規労働者であり、生活は親に依存している。また正規に就職したとしても給料は上がらない。しかし正規労働者というだけで文句を言わずに働く。学費の負担をかけた親には申し分けないので低賃金でも我慢する。こういった心優しい青年は私の周辺にも存在している。今後、こういった経済的に不安定な青年が拡大すれば、上述の可能性は実現化する。

このような「シナリオ」が当たっているとすれば、野党の中で、徴兵制の導入に対する懸念を質疑する政党があるが、それは政府与党にとって「痛くも痒くもない」。逆に政府を「応援」する質疑である。

小泉内閣から「新自由主義」的な政策が導入されてきたが、それは以上のような「シナリオ」の伏線であったのかもしれない。新自由主義に基づく競争社会の「敗者」に対する「セーフティネット」が必要と言われていたが、その一つが自衛隊に志願することなのかもしれない。

戦争法案⇒徴兵制」という短絡的なシナリオを政府与党は考えていないことを指摘しておきたい。

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