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2015年6月18日 (木)

小山内宏『ヴェトナム戦争』を読む:戦略と経営戦略

古い著書だが、小山内宏『ヴェトナム戦争』(1965年、講談社・ミリオン・ブックス)を読んだ。

小山内宏(故人)は小山内薫の次男であり、軍事評論家として活躍した。同書を読んで、軍事評論家としての彼の高い分析能力や先見性に感心させられた。北ベトナムに対する米軍の爆撃が始まったばかりの時の著書で、その将来の米軍の撤退=敗北を予見している。

本ブログ既出のヴォー・グエン・ザップ『愛国とは何か』(2014年、京都大学学術出版会)が指摘した「ゲリラ戦」の特徴は、小山内氏が本書で述べている「”民族解放戦争”という新しい戦争形態」の特徴と大部分が合致している。

民族解放戦争における「ゲリラ」を敵にするということは全国民を敵にすることと同義であり、そこでは民衆の中から次々に戦力が補給される。私見だが、こういった戦争に勝利するためには敵国ゲリラの国民・民族全部を抹殺するほかない。小山内氏が、ベトナム戦争を「汚い戦争」と呼ぶ理由である。しかし結局、この覚悟と決断が米国はできなかったので、ベトナムに比べて圧倒的な戦力を保有する米国であっても戦争で勝利できなかったとみなされる。

今年、ロシアのプーチン大統領が本年の「クリミア半島併合」で核兵器の使用を準備すると表明したことは、上述の「覚悟」を示唆したと解釈できる。しかし実際には使用できないであろう。国際社会からの批判と自国民からの批判もありうる。ロシア連邦憲法も、人間の権利や自由を尊重する規定をもっている。

ロシアを批判する米国でも、ベトナム戦争時に核兵器の使用が検討されたことは周知である。それ以前の朝鮮戦争でも検討された。それでも使用できなかった理由は、国際社会の批判と同時に、米国の「建国の精神」それ自体を自ら否定することになる。

核兵器は無差別殺人兵器であり、米国やロシアが使用するとすれば、両国が戦ったナチス・ドイツと自国が同列になってしまう。人間もしくは人類の智恵として、こういった自己矛盾の行為に対して抑止力が働くと思われる。

このように考えると、戦争に勝利するために「何でもあり」の戦略は現実にありえない。企業の経営戦略についても、これは同様と思われる。利益追求のために「何でもあり」の企業は、社会が容認しないであろう。それは、他国の侵略・領土拡大を公式に憲法に明記する国家と同類のように思われる。(続く)

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