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2015年6月11日 (木)

『虚構の大義』余話:「虚構」を見抜く視点

先日、五味川純平『虚構の大義』(文藝春秋)について読了報告した。その後に考えたことを少し述べておきたい。

1.五味川純平(故人)は、その一連の小説を通して大日本帝国の軍隊の本質を追究し、それと同時に反戦を強く読者に訴えている。それは自らの戦争体験のみならず、膨大な資料に基づいた歴史的な事実を背景にしている。そらだからこそ、読者は共感・納得する。この小説は、今風にいえば「反日」とか「自虐」の小説に分類されるが、それを名目に批判するなら、資料解釈の段階からの批判をしてほしいと思う。なお私は「反日」とか「自虐」とは少しも思わない。これは、日本人として多数の同胞を殺すことになった戦争に対する痛恨の反省・自省の書である。

2.『虚構の大義』の「虚構」とは、思い込みや独善から形成された既成事実という意味であると思われた。この虚構を補強するために理屈や理論が付加される。そうなると、もはや虚構は虚構でなくなる。しかし本質は虚構であるから、将来それは必ず崩壊する。日本の終戦がまさにそれであった。

3.同様に「資本主義」や「共産主義」も「虚構」なのであろう。それが思想とか理想とか目標というならよいが、それが実際に制度化されると、現実から遊離した理想や建前に基づく「虚構」が形成されていくのではないか。

4.最近の「虚構」を考えれば、「原子力発電の絶対安全性」や「大阪都構想」がそうであったし、「集団的自衛権」の発動を伴う戦争法案もそうであろう。前述のように、一度「虚構」が出来上がると、それが虚構でないように感じられる。行きつくところまで行って初めて虚構であったことに気づく。

5.虚構を見抜いたり、その形成を防ぐには、虚構が建前や理想や観念で形成されているとすれば、それとは対局にある事実と論理に基づく科学的な視点である。それは、換言すれば、徹底した機能主義・現実主義・合理主義と言えるかもしれない。

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