大道を歩む:「大道本来無門」の含意
神渡良平『安岡正篤 人生を変える言葉 古典の活学』(講談社+α文庫、2013年12月)を読んだ。
その中に「大道本来無門」が紹介されている(118-119頁)。すでに本ブログで「大道を歩む」ということを紹介したが、その原典・出所はこれである。
この漢字6文字の意味は、要するに「大きな道には、いろいろな職業や地位の人々、自動車や動物までもが歩いたり、走ったりしている」。「大きな道は、何者をも受け入れる」。このような内容であると思われる。それでは、その含意は何か?
次のように同書は述べている。「・・・そうした一見混沌(カオス)のような状態であっても、ルールがあります。お互い相手の立場を認め、お互いのやり方を理解し、尊重しています。『お前は気にくわん』と否定するのではなく、存在していることを認めています。『そこを退け!』という傍若無人な態度では駄目で、自分も避けなければなりません。父はわたしに、先入観を持たず、いろいろな人の意見を聞いて、総合的に判断しろ、物事にとらわれない発想をしろと言いたかったのではないでしょうか」。
この様子は、まさにベトナムの路上に溢れるバイクの群れのように思われる。混乱しているように見えて、そこにはお互いを意識した秩序が形成されている。そうであるからこそ、多数のバイクの流れの道路を人間が横断できる。
なお、以上の引用部分は井手正敬氏(JR西日本元会長)の発言として同書で紹介されている。
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