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2013年6月28日 (金)

「敵ながらアッパレ!」の精神は日本で消滅したか?

日本の伝統的な文化とみなされる「武士道」には、これまでの小説や書籍や映画を私が見る限り、「敵ながらアッパレ」の精神が含まれていると理解している。

最近、古賀誠さん(自民党元幹事長)が、思想信条は異なる日本共産党の機関誌『赤旗』に、日本国憲法を擁護するために自らの記事の掲載を承諾された。私は古賀さんを人間として大好きになった。その勇気気概を高く評価したい。おそらく彼は「敵ながらアッパレ」と日本共産党を評価したのであろう。

日本の愛国者が、当面の領土問題で敵対する中国・韓国・ロシアを敵視することは当然である。しかし中国・韓国・ロシアにも愛国者は存在し、その立場は同じ愛国者として理解しなければならない。

自国を愛する心情は各国で共通である。この共通点である相互の愛国心の存在を前提にして、見解・意見の相違点を率直に対等に主張して「敵ながらアッパレ」と思わせたら交渉は「勝ち」である。

日本人固有の精神が「武士道」とすれば、以上のような考えがあってもよいと思うのだが、それは現在どこにあるのか?

たとえば韓国映画を見ると、北朝鮮について、このような描写や表現が感じられる。韓国と北朝鮮の思想信条は異なり、部分的に軍事衝突もある。しかし同じ民族として韓国は北朝鮮に対して一定の敬意を払っていると思われる。これが「敵ながらアッパレ」の精神に似ている。

この精神はビジネスにおける競争企業に対しても妥当する。味方のみならず、敵=競争企業からも「アッパレ」なことは評価・学習・吸収する。

「愛国心」とは何か? 少なくとも仮想の「敵国」を単純に批判・非難することではないと思う。また、自らの想定する敵が「敵ながらアッパレ」と評価できるか否かで敵を判断するべきであろう。「アッパレ」と評価できない「敵」は、そもそも敵に値しない。その対応は無視が最適である。

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