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2012年10月 2日 (火)

「討論型民主主義」への期待と挑戦(3・完)

これまで説明してきたDP(=討論型世論調査)が現実の原子力政策に利用され、それが大きな波紋を呼んだ。まさにDPは、現実の政治を動かすまでになっている。

それは、樺山登「原発「国民的議論」のわな:民主党政権の体質を露呈」『週刊東洋経済』(2012年9月15日号、104-105頁)で紹介されている。

樺山氏は次のように述べる。「原発ゼロへのテコとなったのは「国民的議論」だった」。「何をどこまでやれば国民的議論をしたことになるかわからんぞ」と民主党最大の支持母体、連合の古賀伸明会長は述べたが、それに回答するように「古川氏(国家戦略大臣)と枝野氏(経済産業大臣)らが顔を寄せ合い、「全国11カ所での意見聴取会」・「パブリックコメントの募集」・「討論型世論調査」の三つの採用を決めた」。

この中で「討論型世論調査」(=DP)が統計的な代表性をもっており、最も世論を表明すると考えられる。その討論の結果、「意外にも段階を追うことに「ゼロ」支持が増えた」のである。国民は経済性よりも安全性を選択したとみなすべきである。

このDPの結果を重く見て「原発ゼロ」政策を政府は採用したが、現実には閣議決定もされず、原発建設は再開するなど「ゼロ」指向とは矛盾した対応となっている。

上記の樺山氏は最後に述べている。「国民的議論」の名の下に世論調査で国策を決めるなら政治家はいらない

樺山氏の指摘に従えば、まさに民主党は政治家の集団である。「原発ゼロ」政策に対する経済界の反対に呼応して、DPに基づく世論に反する決定をしている。それが矛盾を生んでいる。

私は樺山氏の「政治家はいらない」という主張には賛成しない。DPは、ある特定の問題に関する世論であって、国家全体の総合的な問題を議論しているわけではない。また世論は「総論」であって、具体的な「各論」の推進には政治家が必要であろう。また、政治家が世論に反する決定をしてもよい。しかしその場合、国民に説明責任を果たさなければならない。それが不十分なら選挙で敗北するであろう。

より客観性・信頼性の高いDPに基づく世論が示されるとすれば、その世論に対する政治家の態度が明確になる。

民主党は、国民の世論と経済界の双方に配慮する政党であることが明示された。したがって矛盾した原発政策を採用するに至った。それで良いという評価もあれば、それが悪いという評価もある。それが選挙の投票で示される。

DPが一般的になれば、より総合的・大局的・長期的な判断力が政治家に求められる資質となるであろう。また国民の政治参加の意識を成長させる効果もあるだろう。

すでに日本では一般の国民が裁判制度に参加しているのであるから、国民が政治により直接参加するDPの本格導入も無理ではない。ただし残念ながら、DPは未だ一般に知られていない。その普及には、いくつかの障害や問題点もあろうが、その広範な実践によって日本における民主主義の進化が期待される。

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