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2012年10月 1日 (月)

「討論型民主主義」への期待と挑戦(2)

このDP(=討論型世論調査)とは、私のセミナーに参加した限りの理解によれば、無作為抽出で国民(一般には調査対象)に世論調査を実施し、その人々に集まってもらって意見交換をする。その場合、各問題の専門家が情報提供したり、質問に答えたりする。このような討論を通した最終の各自のアンケート調査が世論として集約される。

この討論に参加する場合、日当や宿泊費が支払われる。藤沢市の実施例では、女性のための保育室も設置されたそうである。通常のアンケート調査が、各自の現在の意見の表明であるが、DPは専門家の見解や他者の意見を聞いたり、自分の意見を述べたりした後の最終的な意見の表明である。

参加者は無作為抽出であるから、たとえば原発の廃止について賛成・反対・無関心の人など多様な人々が集まる。思想的に保守の人もいれば、革新の人もいるだろうし、さらに無党派の人も含まれる。年齢構成も様々になるだろう。学歴で言っても、中卒の人も大学院修了の人もいる。結局、集まった人々の構成は国民全体の縮図になっているはずである。

本来は全国民が議論すればよいのであるが、その時間も費用も膨大であり、その実施は不可能である。そこで無作為抽出で国民を選択し、その人々に特定の問題について議論してもらって最終的な意見を聞く仕組みがDPである。

DPは、各自の先入観・誤解・偏見に基づく現状認識を排除できる可能性が高いと思われる。その上での意見を表明する。当然、議論する間に当初の意見は変化するであろう。その変化を経た最終の結果は、国民の総意により近いはずである。ただし費用がかかるし、議論に参加協力する姿勢が求められる。

たとえば朝日新聞を読んで自分の意見を述べている人が、産経新聞を読んで自分の意見を述べている人と相互に意見を交換する。これまでになかった考え方に触れて、より的確な判断ができることが期待できる。

日頃は相互に毛嫌いしている自民党と日本共産党の支持者が、中立的な専門家の意見を参考にしながら同じ席で討論する。その過程で相互の意識や意見に変化があるかもしれない。意外と共通点が見つかったりする場合もあるだろう。

こういった変化が、議論を尽くして妥協点を探るという民主主義の本来の姿ではないか? 少数意見であっても、それが正当であれば、多数に受け入れられる可能性をもっている。文字通り「少数意見の尊重」である。

DPは進化した民主主義のあり方を示している。それは多数決の横暴といわれる民主主義とは異なった「決める」ことができる民主主義であると思う。

たとえば政界の第3極と言われる「日本維新の会」こそDPを積極的に活用した政策決定をすれば期待がもてるが、実際には旧態依然の多数決原理に基づいて「決める」民主主義を推進しようとしている。今回のセミナーのテーマである「討論型民主主義」の観点から見れば、それは逆流・反動である。

このようなDPが、日本では原発の是非について実施され、それが具体的な政策に反映されていたことを偶然に知ることができた。DPは机上の理論ではなく、実際の政治を動かすまでになっている。これには驚かされた。

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