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2012年10月 3日 (水)

反省と謝罪は異なる

中国や韓国を始めとするアジア諸国と日本の近代の歴史において、いつまでも日本が謝罪する必要はないが、いつまでも日本は反省する必要があると私は思う。

謝罪する必要がないから、反省する必要もないという論調や風潮が日本で拡大することを私は懸念する。歴史を反省しないことは、人類の進歩や発展に対する逆行である。

一般常識として考えて、反省しない人間は傲慢で他者から尊敬されるはずがない。人間で組織される国家も同様である。

ベトナムの政府幹部において「自己批判」という言葉を聞くことがある。共産党政権らしい言い方であるが、一般には「反省」ということである。その中身は明らかにされていないが、しないよりはマシである。

率直な反省を忘れた人間・会社・政府・国家と信頼関係を形成することはできない。要するに、そんな相手を信用したくないと言うことである。

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