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2012年10月31日 (水)

ベトナムに対する米国の大きな誤解

『日本農業新聞』(2012年10月28日)によれば、ベトナムのTPP加盟について米国には次のような意見があるようだ。 

「繊維産業も含む「米国製造業貿易行動連合」が、ベトナムTPP参加再考を求める書簡をカーク代表に送ったのは10月9日。同国での児童労働や強制労働などを問題視し、TPP参加に「ふさわしくない」として再考を促すものだ」。

ベトナムにおける「児童労働」や「強制労働」の存在は、大きな誤解または偏見であると私は確信をもって言える。そのような主張の根拠を事実として明示してほしい。もし、そういう事実があるなら、それはベトナム政府に通報すればよい。政府は厳重に取り締まりを実施するであろう。

この問題については、在米ベトナム大使館が関係者に抗議する必要があると思う。

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2012年10月30日 (火)

韓国から日本を考える

竹島問題によって日本と韓国の関係が不安定になった。ここで、韓国に対する自らの視点を再検討することが必要である。マスコミや有名人の言動に迎合するのではなく、自分自身の頭で考える場合、自己の視点=見方を確認することが求められるからである。

私は、韓国は「多大の犠牲を払って民主主義を自ら獲得した国」であると認識している。日本の植民地下における「独立運動」、さらに戦後の「軍事政権」に対する学生や労働組合の「民主化運動」は客観的な歴史的事実である。こういった国民の運動があってこそ、今日の韓国が存在している。これは、今日のミャンマーの民主化運動の成果を連想させる。

これに対して日本は、上記の「多大の犠牲を払って民主主義を自ら獲得した国」かどうか? 第2次世界大戦で「多大の犠牲」を払ったのだが、その後の戦後民主主義を「自ら獲得」したのかどうかが疑問に残る。このことが「自主憲法」を制定する論者の根拠となっている。

ここでの問題は、「民主主義を獲得」ことと「自ら獲得」したことを区別することである。このどちらを優先するのか? 私見では、韓国では両者が一致しているが、日本では後者に問題がある。日本は「民主主義を獲得」したが、それは「自ら獲得」したことではないのである。

「自ら獲得」した国家の独立や民主主義をもった国は、韓国と同様にベトナムもそうであるが、自国に対して非常に誇り高い愛国的な国民意識となるように思われる。そうでなければ、過去の「多大の犠牲」者を冒涜することになる。

韓国で解決済みの問題が、日本には残されている。

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2012年10月29日 (月)

MBSラジオ「上田義朗のベトナム元気!」:「制度のすき間」

10月28日(日)放送の話題の趣旨は、「制度のすき間」という発想が、ベトナムのような新興国のビジネスで成功するためには重要であるということであった。

この参考文献は以下の通りである。タルン=カナ、クリシュナ=G=パレプ著、上原裕美子訳『新興国マーケット進出戦略:「制度のすき間」を攻める』日本経済新聞社、2012年、2500円。

たとえば日本でも「脱法ハーブ」がある。これはビジネスではなく犯罪に近いが、少なくとも法律が規制していない商品である。これも「制度のすき間」の商品と言えるかもしれない。

他方、日本のように成熟した社会では、多数の規制があり、それが行き過ぎると自由なビジネスを阻害する。そこで「規制緩和」が主張される。

いずれにせよ、法律を守るために法律を知ることも重要だが、法律の「抜け道」を知ることも必要である。こういう過激な意見は率直に指摘できないので、「制度のすき間」にビジネスチャンスありというような主張に要約されるのかもしれない。

もちろん政治家もしくは立法者が、自国の経済社会の実態に即応した法律や規則を制定・改定することも重要になってくる。こういう観点から言えば、最高裁判所が判決した「違憲状態」の選挙制度も「制度のすき間」が発生している事例である。

番組で紹介したエースコック=ベトナム社の販売促進キャンペーンは、ベトナムの制度と実態を熟知した同社ならではの試みである。日本の即席ラーメンの大手企業とのベトナムを舞台にした今後の競争が注目される。

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2012年10月28日 (日)

戦争準備か?平和維持か?

石原東京都知事の辞任に伴って、衆議院議員の総選挙が近づいていると言う。この政策の対立軸は何か? 消費税や地方分権、財政再建や経済成長戦略、原発推進可否などの論点は多数あるが、外交政策を単純化して「戦争準備か?平和維持か?」という論点が考えられる。

この対立軸を明示して、もし「戦争準備」派の政権が成立すれば、それは、日本が戦争準備を本気で始めるという国際的なアピールにもなる。この論点の提示は、外交関係のリスクも大きいことが懸念される。

このような観点からは、この対立軸は安易に使用しない方がよいのかもしれない。しかし、さまざまな外交政策の中で比較的明確な論点である。

原発推進の是非についても、単純に言えば、「お金か?命か?」という対立軸である。

近い将来に実施される総選挙では、このような人間の本質的な「価値観」の判断が問われることになるのかもしれない。

より極端に言えば、「生か?死か?」といった究極の選択をしなければならないほどに、日本の政治経済は深刻な岐路に立たされつつあるのではないか?

東日本大震災と福島原発事故の発生後の最初の国政選挙であるから、そういった問題意識があっても不思議ではないと思われる。

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2012年10月27日 (土)

ベトナム南部・カントー市にご一緒しませんか?

11月20日~23日にベトナム南部の大都市カントーで投資セミナーが開催される。私も参加し、講演する予定である。

ホーチミン市のサイゴン川はメコン川の支流であって、ラオス・カンボジアをめぐるメコン川はカントーを通して南シナ海に至る。

ベトナム農産物の最大の産地であり、豊かな農家が多い。またカントー大学は農学部で有名であり、今後の農業ビジネスの拠点となりうる。

カントーに私はは5回ほど伺ったことがある。1994年、最初のカントー訪問ではダイエー創業者の故・中内功(当時の大学理事長)と一緒であった。カントーの農産物の集積流通市場に接して中内が興奮したということを後に聞いた。

詳細の情報は近々にお知らせ致します。ご期待ください。

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2012年10月26日 (金)

喜んで顧客がお金を払う

昨日の2年生のゼミで、企業経営の目標が「価値創造」または「顧客の創造」という議論をした。

なぜ企業経営の目標が「利益の追求」ではいけないのか?

ある学生が、「利益の追求」では直接的過ぎるという意見を述べた。あまりの露骨さは、顧客から嫌われるという理由である。

顧客が喜んでお金を払ってこそ、企業の利益は当然視される。顧客はリピーターとなり、長期的な信頼関係は企業の「ブランド」となっていく。そうなれば、ますます企業は利益を獲得できる。

企業利益のためには、それなりの準備や仕掛けが必要である。

利益の追求は結果であって、それ自体が目的ではない。それを目的としたら、実際の企業活動の発想・工夫・創意が限定的になると思われる。そのために価値創造といった幅広く奥深い抽象的な概念が目的とされる。

同じ意味で、最も抽象的な企業目標は、「経営理念」とか「社是」というものであろう。そんな無意味なものよりも当面の利益だという指摘があって当然だが、当面の利益だけでは会社の長期的・持続的な成長・発展は望めないであろう。

こんなことを学生に理解してほしかったのだが・・・。

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2012年10月25日 (木)

ベトナム経済の不運を好機に転じる

ジェトロ(日本貿易振興機構)の月刊誌『ジェトロセンサー』(2012年11月号)は「ベトナム経済」の特集である。ここで理解できたことは、ベトナム経済の「不運」である。

2007年にWTOに加盟し、世界経済の連動を深めつつある時に、リーマンショックを契機にした「世界同時不況」の発生である。

WTO加盟の影響もあって国内外の投資または投機資金がベトナムに流入し、株価や不動産価格は暴騰した。当然、経済活動も活発化した。その結果、2008年にインフレ率は20%を超えた。

その「インフレ対策」として、金融引き締め対策を政府は採用したのに、「世界同時不況」のための「景気対策」も必要とされる。政策金利を下げたくても下げられない。この政策的な「苦境」が、ベトナム経済の現状を示していると思われる。

ただしベトナムの株価変動を見れば、世界同時不況と言われる前に株価下落は始まっていた。自国内で「バブル」は崩壊していたのである。しかし「世界同時不況」がなければ、下落した株価に積極的な「買い」が入っても不思議ではなかった。注:この状況は今も変化していない。

このような現状の「苦境」を打破するために政府は産業構造の改革を真剣に考え始めた。その一つが裾野産業の育成であり、そのためには日本の中小企業の支援と協力が不可欠となっている。

政府が真剣に改革を考え始めたという点で、ベトナム経済の不運は好機となったのである。今後のベトナム経済の動向は、たとえ時間がかかるとしても、上向きであることは間違いない。これが、『ジェトロセンサー』の読後の感想である。

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2012年10月24日 (水)

「従軍慰安婦」の問題について

いわゆる「従軍慰安婦」の問題について現在、日本政府の姿勢が国際的に問われていると思われる。

国家が関与したという公式文書が存在しないという「閣議決定」があったと言うのだが、都合の悪い書類は終戦時に焼却・処分したのではないか? 政府にとって都合の悪いことを隠すのは当然だと想像される。少なくとも私が官僚的な政府担当者ならそうするが・・・。

それより重要なことは、従軍慰安婦は人権問題として極めて重要である。それは被害者の数の多寡ではない。たとえひとりでも「従軍慰安婦」という人が存在すれば、それは重大な人権侵害問題として認識されなければならない。これは現在そして世界の常識(=普遍的な価値)と思われる。

私の理解では、閣議決定は「公式文書が存在しない」ということであって、河野談話は「従軍慰安婦は存在した」と述べている。両者は矛盾しない。「閣議決定」が「河野談話」を否定したことにはならないと思う。

国際社会から日本がどのように評価されるか? こういった問いかけを常にしながら、日本人としての矜恃(きょうじ)を発揮・発信する。ひとりよがりの内向きの「日本人の矜恃」は、日本国内だけで通用する自己満足であって、世界からの支持を獲得できないであろう。それは、日本の国際的な孤立化を招くことにならないか?

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2012年10月23日 (火)

櫻井よしこ氏の「討論型世論調査」の見解を批判する

『正論』(平成24年11月号)では「橋下新党」に関して特集している。その中で櫻井よしこ氏は次のように述べている。

「民主党政権は、討論型世論調査なるものを実施して、国家戦略そのものを民意に委ねています。こんなことがまかり通るなら、世論調査会社の社員と社長が政治をすればいいのであって、政治家なんか必要ありません」(209~210頁、強調は引用者)。

これは明確に間違っている。櫻井氏は、これまでの世論調査と討論型世論調査の区別が理解できていない。その根拠は「世論調査会社の社員と社長が政治をすればいい」という指摘である。

調査会社の社員と社長は、あくまでも調査の統計的な実施と処理を担当するだけであり、政治家の代役をできるはずがない。これは当然のことであるが、それを櫻井氏は極端な比喩として無理に使用している。

討論型世論調査は、討論に参加した無作為に選出された人々の意見が、十分な情報提供によって変化することに特徴がある。したがって単純なアンケート調査というような世論調査とは性格が異なっている。

それは、限定・制約された情報による判断や、先入観や感情に基づく判断をできる限り排除した世論を集約するという新しい試みである。

原発については0%を選択した討論型世論調査であるが、消費税増税については、当初の反対意見が討論を経て賛成(やむを得ない)という意見に変化している。だれでも増税は避けたいが、そういった人々が討論を経て賛成に転じたのである。

討論型世論調査の結果を尊重した政治的決断をすることは、これまでの世論調査に基づいた政治的決断よりも国民の意識に近いと思われる。櫻井氏には、そのことを理解してほしいと思う。

注:討論型世論調査については、すでに本ブログで紹介している。ただし、私は専門家ではないので、誤解があれば恐縮・訂正である。より詳細は、慶應義塾大学のDP(討論型世論調査)研究センターの情報や研究成果を参照していただきたい。http://www.karc.keio.ac.jp/center/center-36.html

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2012年10月22日 (月)

MBSラジオ「上田義朗のベトナム元気!」:ベトナム鍋料理

10月21日(日)放送のMBSラジオ「上田義朗のベトナム元気では、ベトナムの鍋料理の定番である「カインチュア」を紹介した。

このレシピはインターネット検索で多数紹介されているが、番組では日本で調達しやすい食材や調味料を紹介した。ここで最も重要なことは「甘酸っぱい」スープ味を作ることである。

この「酸味」の原点は、高井アナウンサーが強調していたようにベトナムでは「タマリンドー」であるが、私が紹介したレシピでは「お酢」であった。

「タマリンドー」の代役として「お酢」が役立つかどうか? トマトやパイナップルが「酸味」を補足できるかどうか? これらのことが番組放送後に気にかかった。「タマリンド-」が日本で普通に入手できればよいのだが、そうでない場合は「お酢」で代用できる。

要するに、魚介類と野菜を豊富に使用した「甘酸っぱい」鍋料理という「カインチュア」の特徴は番組で紹介させていただいたと思う。その味付けは各自で多様である。

この料理を通して、自分で工夫した好ましい味を創作していただきたい。その契機になれば幸甚である。このような各自に応じた味付けは、ベトナム料理の特徴でもある。

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2012年10月21日 (日)

「食堂型」飲食店の考察(2・完)

昔ながらの「食堂」を特徴とする飲食店の主要な顧客は、家族連れではなく高齢者・独身者と思われる。

そうであるなら、総菜や弁当の「宅配ビジネス」も兼業できると思う。「食堂」で実際に食べる(=試食する)こともできて、さらに会員登録すれば、お好みの食材や弁当の宅配もしてもらえる。

このようなビジネスモデルは「ガスト」などで導入されている。飲食店で実際に食べて、さらに宅配もしてくれる。これを「食堂」のようなレトロな店舗でやればどうか。

総菜ではなくて食材の宅配ビジネスも既存であるが、「食堂型」飲食店では、そこで実際に総菜を食べることもできる。

さらに飛躍して夢想すれば、最近の中学校の学校給食の導入が想起される。この調理設備を活用できないか? 小中学校の給食調理設備を一般にも開放する。

これによって官業が民業を圧迫するという批判もあるだろうが、それは「官民連携」で対応できる。

民間の「食堂型」飲食店が、小中学校で開店すれば、地域の高齢者や独身者や保護者が児童・青少年に自然に接することにもなる。教育上のメリットとデメリットの議論も当然あるが、ここでは保留しておく。学校の調理施設が、その地域の高齢者向けの食事や食材を「宅配」することもできる。

多数の小中学校が災害時の避難場所になっていることを考えれば、その学校の調理施設が日常的に開放されていることが好ましいのではないか? 

以上のような「官民連携」の推進が、少子高齢化や財政赤字の日本にとって「効率性」の観点から検討されてもよい発想であると思われる。一緒に食事することで人間関係が深まることは、ビジネスのみならず、世代間でも妥当する至言であると思われる。

「食堂型」飲食店で食事して、以上のようなことを考えた。

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2012年10月20日 (土)

「食堂型」飲食店の考察(1)

自宅の近くに「食堂」と名乗る飲食店がある。どんなものかと家族で入ってみた。

自分の好きなお総菜を順番にトレーに取る。この形式は大学などの食堂(=レストラン)と同様である。

焼き魚、天ぷら、フライもの、卵焼きなど、それぞれの味は悪くないが、要するに特徴がない。

今日、多数の飲食店が「差別化」・「差異化」を検討していると思うのだが、この店は「普通」・「平凡」、さらに言えば「レトロ=懐古」が特徴とも言えるのかもしれない。その証拠に店舗内ではテレビ放映までしていた。

面白いコンセプトの店舗であるが、その対象となる顧客はだれか? 私は、「ぎょうざの●●」や「ラーメンの△△」・「焼き肉の××」が良かったな・・・と店を出てから思った。しかし・・・

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2012年10月19日 (金)

旅館の「心付け」はワイロか?

日本旅館に宿泊する時、部屋担当の女性に「チップ」を渡すことがある。宿泊料金の中にサービス料が含まれているにもかかわらず、日本旅館では、そういったことが慣行になっているのかと思って、お客が「払った方がよいのか」と気を遣ってしまう。

このような場合、旅館の支配人が「必要ない」と助言してくれたり、担当女性が「規則で受け取らない」と受け取り拒否してくれれば、お客は安心する。

他方、欧米のホテルやレストランでチップは当たり前になっている。ベトナム・ラオス・カンボジアで私はチップをあげることもあれば、あげないこともある。その時の状況次第である。基本的には必要ないのだと思う。

それでは、ビジネスにおける「机の下」(=ワイロ)はどうか? ベトナムにおいて「ワイロ」の存在が指摘されるが、それは私見では「チップ」または「お中元」と「お歳暮」である。または「ロビー活動」と言ってもよい。

ベトナムで「ワイロ」根絶をするなら、ワイロを要求したり、それを受け取ったりする人々を告発するための匿名の窓口を政府が設定すればよい。それが実現可能となるためには、公務員の給与の大幅な増加が不可欠であろう。

こういったことをベトナム人は理解・認識していると思う。それができないとすれば、公務員の給与引き上げが十分にできる状況に未だ至っていないということだと思われる。近い将来の実現を期待したい。

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2012年10月18日 (木)

ジェトロセンサー11月号はベトナム特集

ジェトロ(日本貿易振興機構)の月刊誌『ジェトロセンサー』11月号は、「総点検!ベトナム経済:変化する投資環境の今」という表題で24頁の特集を掲載している。

ベトナム経済情勢の最新版である。ベトナムに関わる人々は必読である。

これについては別途にコメントしてみたいと思うが、ハノイで旧知の馬場さんと佐藤さんの執筆となれば安心して読むことができる。

ここで指摘できることは、ベトナムに限らず外国でビジネスで成功しようと思えば、その国にどれだけ深く真剣に関わるかである。その情熱がベトナム人に伝わり、その気持ちが一つになってビジネスを成功に導くのである。この「深く真剣に関わる」ということは「愛する」ということと同義のように思われる。

今回のジェトロセンサーの記事それぞれには、ベトナムに対する十分な愛情が込められているように私には感じられる。

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2012年10月17日 (水)

iPS細胞移植の成功?:「虚言癖」の実例

東京大学の教授とか、ハーバード大学の客員教授だとか自称して、iPS細胞移植の自らの成功を吹聴した人物がいる。

山中教授のノーベル賞受賞に合わせて、本人は売名行為と虚栄心を満たす絶好のタイミングと考えたのだろうが、世間から見れば最悪のタイミングであった。

こういう人物が世の中には存在していると実感できた。私も思い当たる人物がいるし、また自分自身の中にも同様の感情が潜在していると自覚できる。

この人物を報道で知って、堺雅人が主演した映画『クヒオ大佐』を思い出した。この映画には私が少し気にしている満島ひかりも出演している。

クヒオ大佐は結婚詐欺師であり、別人物に成りきる感情移入は常人ではない。それが小説や映画なら面白いのだが、似たことが現実にもあるのだ。

クヒオ大佐は女性を騙したが、先生は大手の報道機関を騙した。この意味で今回の先生も映画に劣らぬ「名優」なのだと思われる。小説化できそうなニュースである。

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2012年10月16日 (火)

MBSラジオ「上田義朗のベトナム元気!」:ベトナムの学生事情

10月14日(日)のMBSラジオ「上田義朗のベトナム元気!」は、ベトナムの大学生の就職や日常生活を話題にした。

参照 http://www.mbs1179.com/genki/

これについては、ぜひ以下の記事も参照してほしい。ホーチミン市人文社会科学大学の日本語学部3年生のロアンさんが投稿してくれている。

http://www.j-veec.or.jp/daigakusei/882.html

もちろんお礼の原稿料を支払っているが、それが少しばかりの奨学金としての役割を果たしていると思うと嬉しい。ぜひ、日本留学が実現するように応援したいと思う。

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2012年10月15日 (月)

中川八洋『TPP反対が国を滅ぼす』は☆

表題の本を読んだが、こういった本がPHP研究所から出版されるのが不思議だ。

TPPに反対する中野剛志氏を罵詈雑言で強烈に批判しているのだが、TPP反対論の反論には十分に至っていないと思われる。

「国産小麦は品質が劣悪で、それでパンは作れない」(59頁)。

「大豆も、国産のは、価格・品質ともにまったく不合格」(60頁)。

これらは事実なのか? たとえ筆者がそう考えたとしても、日本で小麦や大豆を作っている人々に対して傲慢で失礼な話である。 

経済学者のケインズは「ヒットラーのナチズムの信奉者で、心底ではスターリンの計画経済にも傾倒する」(158頁)と紹介されているが、この見解は初耳である。

「日本におけるケインズ主義者が、ほぼすべてマルクス経済学のシンパか狂信者である事実」(160頁)と指摘されているが、これは事実なのか? これも初耳である。

宇沢弘文氏は「化石のような”マルクス経済教の狂信者”」(135頁)で「教条的なマルクス経済学者」(183頁)と紹介されているが、これも初めて聞いた話である。

著者は「真理や真実への畏敬」といった言葉を使用して、いかにも自分がそれを持っているように読者に思わせるのだが、以上のような私が疑問に思う著者の指摘(ほんの一部であるが)は、真理・真実なのであろうか?

この著書の値段が1,500円(税別)。映画の評点(☆から☆☆☆☆☆)で言えば、私の評価は☆である。

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2012年10月14日 (日)

集団&&&第2回公演「歩く、空想タイムライン」を見た

かつて「労演」で劇団民芸や文学座などの演劇を見てきた。故・滝沢修の「セールスマンの死」は今でも目に浮かぶようである。

最近は、中空よおい氏の脚本の舞台作品を見る機会がある。それ以外、なかなか観賞の時間がない。

中空氏は、本年2012年の第4回泉鏡花記念金沢戯曲大賞を受賞しており、若手脚本家として注目されているらしい。この大賞記念の公演が、金沢市で11月17日と18日に開催される。http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11020/bungaku/gikyoku/gikyoku.html

その中空氏の最新作である「歩く、空想タイムライン」を大阪・日本橋のインディペンデントシアターで見た。

内容の評価基準が、いわゆる「新劇」とは異なっていると想像されるので、簡単な評価はできないように思われた。ちょうど同じ経済学でも、精緻な数式を多用する経済モデル分析を理解できない経済学者がいることと同様であろう。

しかしながら、この作品を通して、現実から遊離した独自の世界、独創的な世界の存在が舞台上に出現したように感じることができた。

ノーベル賞を受賞した山中教授ではないが、研究者の世界でも研究の独創性・独自性は重要な評価基準である。それと同様に演劇や芸術でも、その独創性・独自性が不可欠であろう。この意味で、中空氏の作品には、その不可欠な要素が含まれていることは素人の私でも理解できた。

こういった独創性・独自性は、経営学で言えば差別化された新製品の提供にも不可欠であるが、企業経営においては、それを顧客が広く認知・共感することがより重要である。そうでなければ簡単に言って「売れない」のである。

ビートたけし氏は映画『アキレスと亀』で売れない画家を描いていたが、芸術家の世界では「売れない」ことが普通になっているようにも思われる。しかし、そういった人々がいるからこぞ、その国の芸術や文化が維持・発展していると考えられる。これは科学の世界でも同様である。だれもがノーベル賞を取れるわけではない。受賞者の山中教授が言われたように「皆さんのおかげ」なのである。

中空氏の今後の作品が、どのような発展をするのか? 注目したい。

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2012年10月13日 (土)

しっかり勉強しろよ、コノヤローのバカヤロー

映画『アウトレイジ・ビヨンド』を見て、言葉の終わりに「コノヤロー」と「バカヤロー」を付けて、映画鑑賞後にもその雰囲気を楽しむことができるぞ、コノヤロー。

どんな言葉の語尾にも「スミダ」を付けて韓国語の雰囲気を楽しむのと同じだぞ、バカヤロー。

この映画を外国人が見て、日本語を勉強すれば、その外国人はちょっと怖いぞ、コノヤロ-。

学生に事前に断っておいて、講義で「しっかり勉強しろよ、バカヤロー」などと言えば、教員は少し気持ちが良いかもしれないが、学生も「この講義は面白くねいぞ、コノヤロー」などと反論されて、教員もシュンと落ち込んでしまったりする。

おそらく、この映画、こういう流行語の普及を期待しているのかもしれないが、あまりにも下品であり、そう簡単にはいかないだろうと思うぞ、コノヤロー。

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2012年10月12日 (金)

映画『アウトレイジ・ビヨンド』を見る

夕方から映画『アウトレイジ・ビヨンド』を見た。北野たけし監督・出演でベネチア国際映画祭の出場作品である。

この映画が国際的な映画祭に出品される意味が不明である。やくざ映画なら、深作欣二監督の不朽の名作「仁義なき戦い」がある。また故・佐分利信が主演した「日本の黒幕」シリーズも何回も見た。それを本作が上回るのだろうか。警察とやくざの癒着を深く描いている点では新しいのかもしれないが・・・。

この映画、確かに面白く痛快であったが、基本的に「柄の悪い」映画であり、あまり子どもや青少年には見せられない。また、拳銃の乱射が現実の日本であるという誤解を世界に与えることもあるだろう。

とは言うものの、映画を見終わると、かつてのやくざ映画と同様に歩き方や目つきに変化がある自分が面白い。西田敏行の親分の風格も注目されるし、神山繁の大阪弁は初めて聞いたような気がする。

娯楽作品として合格だと思うが、ベネチア国際映画祭での受賞となると、ちょっと勘弁してほしいというのが日本人としての正直な気持ちである。

予告編:http://www.youtube.com/watch?v=ha_6-xS3WwE

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2012年10月11日 (木)

数百円のマーカーが1万円で売れる

時事問題で「バブル経済」と「バブル崩壊」について解説した。

わかり易い話として、「この白板のマーカーを1万円で買う人いませんか?」という質問をした。おそらく買値は数百円と思うが、それでも1万円で売れることがある。それはどんな場合か?

その解答は「1万円以上で買ってくれる人がいる場合である」。「数百円のマーカーを1万円で買っても1万5千円で売れれば大もうけである」。

ではなぜ、1万5千円で買う人がいるか? それは2万円で売れると思うから。しかし、1万5千円で買った人がそれ以上で売れなかったら、儲けがなくてもよいので1万5千円で売りたいと思う。それでも売れなければ、少し損をしてもよいと考えて1万4千円で売る。

1万4千円で買った人は、それより髙く売れると思って買ったが、やはり買い手がいなければ、少しでも損を小さくして売りたいので、1万3千円で売る。こうなれば、どんどん価格は下落する一方となる。

実際の価格が数百円の商品なのに1万円とか1万5千円で売買される。まさに中味が空洞の泡(=バブル)のような売買活動になっている。これこそ「バブル経済」である。どんどん価格が上昇して、ある時点で価格は一転して下落する。この「ある時点」とは買い手がいなくなる場合、または買い手の資金が尽きる時である。

こんなことが1980年代後半の日本でもあったし、1997年のアジアの通貨危機を発生させたし、米国のリーマンショックの原因となった住宅価格の高騰の原因にもなった。また、同じことが今後も発生するであろう。こんな話をした。

ところで、テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」で、その鑑定価格に依頼者は悲喜こもごもなのだが、その本当の価格は、その依頼者が決めるものなのだろうと思う。それぞれの思い出の込められた品々はどれもが貴重なものである。

これに対して投機または投資目的で骨董品を買う依頼者がいる。こういう人々が「バブル」発生の原動力になるのかもしれない。5千円の花瓶を50万円で買うのだから・・・。

このように考えれば、株価や不動産価格の高騰時に、それらの適正価値を告知する中嶋さんや安河内さんのような鑑定士が活躍するようになれば、経済はどのような影響を受けるのだろうか。考えてみたい応用問題である。

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2012年10月10日 (水)

新興国の成長に限界:ベトナムの場合は・・・

ダニ=ロドリック氏(米ハーバード大学教授)「新興国の成長に限界」の指摘(『日本経済新聞』2012年10月1日)が、論争的・刺激的である。

「過去60年間に経済で成功した国はどこもハイペースの工業化が成長の原動力になった」。そのためには「農業から製造業への労働力移転が速やかに」進むことが要因であると説明される。このことは、日本・韓国・シンガポール・台湾・中国、そして初期の米国やドイツでさえ妥当する。

「未熟練労働者は、東アジアでは都市の工場で働き農家の数倍の賃金を得た。しかし、インドでは農村にとどまるか、生産性の低いサービス業で働く」。

「経済の主役がサービス業に移るより前に、工業化の効果が薄れてきた。主因は、製造技術の変化とグローバル化だ。・・・製造業は以前ほど多くの労働者を吸収できなくなった」。

そして結論は次のようである。「貧しい国にとって製造業はなお豊かになるための「エスカレーター産業」だ。ところが、その速度は遅く、それほど高いところには到達できなくなってしまった」。

ベトナム・ラオス・カンボジアの事情を考えれば、思い当たることは多々あるが、そうではないというところもある。

以前に私は、ジェトロの資料に基づいて、アジア諸国の一般製造業労働者と一般サービス業スタッフの賃金を比較したことがある。たとえば18歳の若者が、製造業で働くか、サービス業で働くか。単純に考えると、賃金の高いサービス業で働くと思われる。

日本のような成熟経済になれば、両者の賃金の相違はなくなっているが、ベトナムのような途上国ではサービス業の賃金が高くなる。このことも、製造業の速やかな発展を阻害する要因であると思われる。参照:日本ベトナム経済交流センター「ニュース」2012年8月号・9月号・10月号。http://www.j-veec.or.jp/

2020年までにベトナムは工業化を達成するというが、それは過去の成功体験に基づく机上の目標になるのであろうか?ベトナムの現状分析と対応・対策について検討が求められる。これらは改めて議論したい。

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2012年10月 9日 (火)

ミャンマーについて勉強しています

岩井コスモ証券の「上田義朗の週刊ベトナムレポート」では、ミャンマーについて何回か記事を掲載しています。

参照 http://www.iwaicosmo.co.jp/investment/report_vietnam/

ベトナムに1994年、2001年にラオス、そして2003年にカンボジアと私は関心領域を拡大してきましたが、ミャンマーには1998年に初めて訪問し、その後の2001年に再訪問しただけでした。

ミャンマーまで手を広げるのはちょっと・・・と躊躇していましたが、私の周囲の情勢はミャンマーの知識も不可欠になっているようです。こうなると、東南アジア諸国の後発国といわれるCLMV4カ国をすべてカバーするという意欲も出てきました。

現在、ミャンマーの経済成長に関する私見は、潜在力は豊富だが、時間がかかるということです。円高の今、資金的な余力のある今、海外に布石を打つことを考える中小企業にとって、ミャンマーは時間がかかると思います。

1998年当時に見学させていただいた三井物産が建設したミンガラドン工業団地が今も健在なら、今からの中小企業の進出も容易だったでしょうが、残念ながらその後に三井物産は撤退してしまいました。

いずれにせよ、現在の私は「座学」中ですが、年内にはミャンマー訪問を実現したいと思います。

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2012年10月 8日 (月)

名古屋に出張:中部大学校友会での座談会

名古屋の中部大学は、国際関係学部を含む7学部があり、国際的な人材の輩出には熱心な大学である。

この大学を支援する企業や卒業生の組織の会報にベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマーの情報を提供するという趣旨で10月8日に座談会が設定された。

名古屋からベトナムに進出されている丸菱工業株式会社川村嘉希・代表取締役のお話が興味深かった。
参照 http://www.marubishi-industry.co.jp/ja/company/about.html

「ベトナム人は勤勉だ」とか「ベトナム人は器用」いうのだが、その「勤勉」や「器用」とは日本人の感覚と異なっているという指摘があった。

たとえば操業開始の当初、作業工程表があるのに、それを守らないで勝手に仕事を従業員が進めたりする。その理由は、その方が仕事がやりやすいから。仕事熱心なのであるが、行程表には日本で蓄積されたノウハウが詰まっている。それを勝手に自分中心に変更されると製品に不都合がでる。

もちろん現在は改善されているのだが、こういった日本の常識が通用しない出来事がこれまでに多々あったということである。

また退社率=離職率を下げるために、換言すれば、従業員の長期雇用のために、一定以上の勤続年数に達した人たちを優遇する政策も採用しているそうである。たとえば5年以上勤務すれば、プレゼントがもらえるといったことである。

日本の会社でも、勤続20年で海外旅行券をもらえるというような社内の福利厚生の制度があるが、ベトナムでもそういったインセンティブは有効に機能するそうである。ただし、日本のこの種の福利厚生費は削減されているのが現状であると思う。それがベトナムでは有効である点に注目したい。

経営者は従業員のために精一杯のことをしているという姿勢を見せれば、その熱意や気持ちはベトナム人に伝わると思われる。それは世界共通だと思うし、特にベトナム進出の日本企業について言えば、日本とベトナムの間に基本的な友好信頼関係が醸成されているからである。

人間関係・信頼関係を重視することは、ビジネス成功の要点であると川村社長から改めてご教示いただいた。貴重な名古屋出張であった。機会を頂戴した中部大学の皆様に感謝を申しあげたい。

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2012年10月 7日 (日)

MBSラジオ「上田義朗のベトナム元気!」企業決算の話

今日のMBSラジオ「上田義朗のベトナム元気」では企業決算の話をしました。日本では4月~3月を会計年度としていますが、ベトナムでは1月~12月が一般的です。

しかし3カ月ごとに企業決算を発表して、年間途中の企業情報を発信することはベトナムでも普通に行われています。通常、これは第Ⅰ四半期とか第Ⅱ四半期と呼ばれるものです。それぞれの期日の決算発表が、ベトナムの株価にも影響することは当然です。

また、番組ではベトナム経済が良くないということを指摘しました。インフレ抑制のために高金利政策が採用され、企業にお金が回らないのです。また、そのために株価や不動産は低迷しています。

しかし、このことは外国投資家にとっては好機です。ましてや空前の円高が続く日本では、為替でも得をして、さらにベトナムの不動産や株価が安くなっていて得をするという状況です。

日本企業の進出によって技術移転が進み、高品質の製品がベトナムでも製造できるようになれば、つまり国際競争力のある製品がベトナムで製造できるようになれば、ベトナム経済は自然に景気回復することになるでしょう。

また、番組では触れませんでしたが、銀行の不良債権の回収ビジネスはベトナムで未開拓の領域ですが、必ずニーズはあると思われます。しかし、銀行自身が債権を手放さないということも想定されます。政府主導の銀行経営改革が推進されると、その場合に不良債権の回収機構の設立もありうるでしょう。

バブル経済の崩壊を経験した日本は、こういったビジネスのノウハウは米国から吸収しているはずです。こういった分野でも日本の支援が期待されます。

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2012年10月 6日 (土)

ベトナムと中国の関係:『週刊文春』の取材

日本と中国の関係悪化が問題となっていますが、それに関係してベトナムと中国の関係について『週刊文春』から取材の電話がありました。

数年前にはラオスについて『週刊新潮』からの取材がありました。またカンボジアについても政府官庁からの取材もありました。

ベトナム・ラオス・カンボジアについて私はビジネス面からの研究調査をしていますが、また最近はミャンマーにも関心をもっていますが、それは「ビジネス」という切り口=視点からにすぎません。

これらの国々については、もっともっと大先輩の専門家がいらしゃるのですが、なぜ私なのか?と思います。

おそらく、その理由は一般に対する情報発進力であると思います。まず、このブログでの情報発信の影響が大きいのでしょう。さらに研究者らしく難しく書くのではなく、誰にでも理解できるように書くことに心がけていることも一因でしょう。さらに大学教授という肩書きが重要なのでしょう。取材には肩書きの権威づけが必要なのかもしれません。

以上、自分で自分を分析した結果ですが、その当否は別にして、私は私です。また常に謙虚でありたいと思っています。「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」。犬の散歩で見かける近所の稲穂を見て思い出す言葉です。

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2012年10月 5日 (金)

映画『プロメテウス』を見た

もう劇場公開は終了になったが、その少し前に映画『プロメテウス』を見た。

確かに大作。スケールの大きな映像に圧倒されるが、何か不満が残る。まず、主人公の女性科学者がミスキャストと思う。映画『エイリアン』の女優シガニー=ウィーバーなどを期待するとガッカリする。

次に人類創造主と思われる人間像にユニークさがない。映画『ウォッチマン』のようでもあるし、コミック『力王』の終盤に登場する「無界(むかい)」にも雰囲気が似ている。

映画『エイリアン』のエイリアン誕生が主題なのか、人類誕生が主題なのか。前評判からは後者を期待するのであるが、前者に焦点を当てた方が落ち着きがよい。

リドリースコット監督の作品は、『エイリアン』・『ブラックレイン』・『グラディエーター』など見ている。『プロメテウス』は『エイリアン』続編として彼が作りたかったに違いないが、独立した作品としては???という印象を受ける。

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2012年10月 4日 (木)

韓国映画『哀しき獣』を見た

この映画、韓国の社会問題を鋭く描いたアクション・バイオレンス映画と言える。また寡黙な主人公も悲しみを背負った男性象を的確に表現している。

ここで」社会問題と言うのは、中国朝鮮族と韓国の関係である。韓国の中での中国朝鮮族に対する差別問題の存在を感じさせる。

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この夏に韓国ソウルのミョンドンで上記の中国人学校の前を通りかかった。かつては古く暗い印象だった学校の校門は大変身し、子どもたちの明るい声が校庭に広がっていた。
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中国人に対する韓国人の見方や感覚も変化していると感じられる。私の知る限り、これは偏見かもしれないが、かつて韓国ソウルに「中国人街」がないのは韓国人が中国を嫌っているからだと言われたことがある。しかし今では、両国の経済交流の発展とともに相互理解・相互親善が発展していると理解できる。それが上記の学校の雰囲気の変化に表現されている。

それでも『悲しき獣』を見る限り、中国朝鮮族は中国でも差別され、韓国でも差別されているように思われる。アクション・バイオレンス映画と同時に、社会派映画として面白い。

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2012年10月 3日 (水)

反省と謝罪は異なる

中国や韓国を始めとするアジア諸国と日本の近代の歴史において、いつまでも日本が謝罪する必要はないが、いつまでも日本は反省する必要があると私は思う。

謝罪する必要がないから、反省する必要もないという論調や風潮が日本で拡大することを私は懸念する。歴史を反省しないことは、人類の進歩や発展に対する逆行である。

一般常識として考えて、反省しない人間は傲慢で他者から尊敬されるはずがない。人間で組織される国家も同様である。

ベトナムの政府幹部において「自己批判」という言葉を聞くことがある。共産党政権らしい言い方であるが、一般には「反省」ということである。その中身は明らかにされていないが、しないよりはマシである。

率直な反省を忘れた人間・会社・政府・国家と信頼関係を形成することはできない。要するに、そんな相手を信用したくないと言うことである。

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2012年10月 2日 (火)

「討論型民主主義」への期待と挑戦(3・完)

これまで説明してきたDP(=討論型世論調査)が現実の原子力政策に利用され、それが大きな波紋を呼んだ。まさにDPは、現実の政治を動かすまでになっている。

それは、樺山登「原発「国民的議論」のわな:民主党政権の体質を露呈」『週刊東洋経済』(2012年9月15日号、104-105頁)で紹介されている。

樺山氏は次のように述べる。「原発ゼロへのテコとなったのは「国民的議論」だった」。「何をどこまでやれば国民的議論をしたことになるかわからんぞ」と民主党最大の支持母体、連合の古賀伸明会長は述べたが、それに回答するように「古川氏(国家戦略大臣)と枝野氏(経済産業大臣)らが顔を寄せ合い、「全国11カ所での意見聴取会」・「パブリックコメントの募集」・「討論型世論調査」の三つの採用を決めた」。

この中で「討論型世論調査」(=DP)が統計的な代表性をもっており、最も世論を表明すると考えられる。その討論の結果、「意外にも段階を追うことに「ゼロ」支持が増えた」のである。国民は経済性よりも安全性を選択したとみなすべきである。

このDPの結果を重く見て「原発ゼロ」政策を政府は採用したが、現実には閣議決定もされず、原発建設は再開するなど「ゼロ」指向とは矛盾した対応となっている。

上記の樺山氏は最後に述べている。「国民的議論」の名の下に世論調査で国策を決めるなら政治家はいらない

樺山氏の指摘に従えば、まさに民主党は政治家の集団である。「原発ゼロ」政策に対する経済界の反対に呼応して、DPに基づく世論に反する決定をしている。それが矛盾を生んでいる。

私は樺山氏の「政治家はいらない」という主張には賛成しない。DPは、ある特定の問題に関する世論であって、国家全体の総合的な問題を議論しているわけではない。また世論は「総論」であって、具体的な「各論」の推進には政治家が必要であろう。また、政治家が世論に反する決定をしてもよい。しかしその場合、国民に説明責任を果たさなければならない。それが不十分なら選挙で敗北するであろう。

より客観性・信頼性の高いDPに基づく世論が示されるとすれば、その世論に対する政治家の態度が明確になる。

民主党は、国民の世論と経済界の双方に配慮する政党であることが明示された。したがって矛盾した原発政策を採用するに至った。それで良いという評価もあれば、それが悪いという評価もある。それが選挙の投票で示される。

DPが一般的になれば、より総合的・大局的・長期的な判断力が政治家に求められる資質となるであろう。また国民の政治参加の意識を成長させる効果もあるだろう。

すでに日本では一般の国民が裁判制度に参加しているのであるから、国民が政治により直接参加するDPの本格導入も無理ではない。ただし残念ながら、DPは未だ一般に知られていない。その普及には、いくつかの障害や問題点もあろうが、その広範な実践によって日本における民主主義の進化が期待される。

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2012年10月 1日 (月)

「討論型民主主義」への期待と挑戦(2)

このDP(=討論型世論調査)とは、私のセミナーに参加した限りの理解によれば、無作為抽出で国民(一般には調査対象)に世論調査を実施し、その人々に集まってもらって意見交換をする。その場合、各問題の専門家が情報提供したり、質問に答えたりする。このような討論を通した最終の各自のアンケート調査が世論として集約される。

この討論に参加する場合、日当や宿泊費が支払われる。藤沢市の実施例では、女性のための保育室も設置されたそうである。通常のアンケート調査が、各自の現在の意見の表明であるが、DPは専門家の見解や他者の意見を聞いたり、自分の意見を述べたりした後の最終的な意見の表明である。

参加者は無作為抽出であるから、たとえば原発の廃止について賛成・反対・無関心の人など多様な人々が集まる。思想的に保守の人もいれば、革新の人もいるだろうし、さらに無党派の人も含まれる。年齢構成も様々になるだろう。学歴で言っても、中卒の人も大学院修了の人もいる。結局、集まった人々の構成は国民全体の縮図になっているはずである。

本来は全国民が議論すればよいのであるが、その時間も費用も膨大であり、その実施は不可能である。そこで無作為抽出で国民を選択し、その人々に特定の問題について議論してもらって最終的な意見を聞く仕組みがDPである。

DPは、各自の先入観・誤解・偏見に基づく現状認識を排除できる可能性が高いと思われる。その上での意見を表明する。当然、議論する間に当初の意見は変化するであろう。その変化を経た最終の結果は、国民の総意により近いはずである。ただし費用がかかるし、議論に参加協力する姿勢が求められる。

たとえば朝日新聞を読んで自分の意見を述べている人が、産経新聞を読んで自分の意見を述べている人と相互に意見を交換する。これまでになかった考え方に触れて、より的確な判断ができることが期待できる。

日頃は相互に毛嫌いしている自民党と日本共産党の支持者が、中立的な専門家の意見を参考にしながら同じ席で討論する。その過程で相互の意識や意見に変化があるかもしれない。意外と共通点が見つかったりする場合もあるだろう。

こういった変化が、議論を尽くして妥協点を探るという民主主義の本来の姿ではないか? 少数意見であっても、それが正当であれば、多数に受け入れられる可能性をもっている。文字通り「少数意見の尊重」である。

DPは進化した民主主義のあり方を示している。それは多数決の横暴といわれる民主主義とは異なった「決める」ことができる民主主義であると思う。

たとえば政界の第3極と言われる「日本維新の会」こそDPを積極的に活用した政策決定をすれば期待がもてるが、実際には旧態依然の多数決原理に基づいて「決める」民主主義を推進しようとしている。今回のセミナーのテーマである「討論型民主主義」の観点から見れば、それは逆流・反動である。

このようなDPが、日本では原発の是非について実施され、それが具体的な政策に反映されていたことを偶然に知ることができた。DPは机上の理論ではなく、実際の政治を動かすまでになっている。これには驚かされた。

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