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2011年12月11日 (日)

日本の社外取締役のあり方:私は少数意見です

 最近の日本の企業不祥事に対して、社外取締役を常設化するという対応策が政府内で検討されている。

 特殊な企業事例を一般化して制度改革をするべきではないと言う反対意見が、日本の経済界の中にあるが、米国ではエンロン社とワールドコム社の事件を契機にして、企業統治に対する厳しい改革法(サーベンス・オクスリー法:SOX法)が成立した。

 この米国の企業改革法は、その後に緩和されたというものの、市場経済・自由主義経済の「牙城」として、米国企業の国際的信用を守るために当然のことと思われる。他方、日本の経済界にそれだけの認識と覚悟はあるのかどうかが問題である。

 日本企業の国際的信用を守るということについて、企業改革に反対する日本の経済界は何と答えるのであろうか。

 「もともと信用などない」という開き直りから現状維持でよいという発想が生まれているとすれば、それは論外であるが、そうかもしれないという論理は成り立つ。

 日本の上場企業の株式所有構造つまり大株主は、株式持ち合いを中心とした安定株主(注:株主総会では常時「白紙委任状」を送付する株主とみなされる)が大半である。そういった大株主によって支持されてきた日本の経営者は「経営者支配」を享受してきた。つまり、株主の制約から解放された経営環境であった。こういう企業が、外国人株主や個人株主から一般に信用されているとは思われない。

 もちろん大企業の経営者は、常人より以上の才能・人格そして幸運な資質を備えており、さらに常人以上の苦労や努力を経験してきているはずである。それらの結果、経営者になったとすれば、それは社内の昇進そして自らの人生の「上がり」である。その地位に対する満足感と達成感は、私のような「げすの勘ぐり」であるが、非常に大きいのだろうと思う。

 その経営者が、社内事情に無知な苦労を知らない社外取締役に監視・監督されることになれば、自己のプライドが許さない。経営者にとって少なくとも許容できる社外取締役は、専門性をもった人間である。または自社に有益な助言を提供する人物である。

 このような意味で、社外取締役の導入が議論される場合、一般的な見解は、社外取締役には高い専門性や独立性が必要ということになる。

 独立性が必要ということに異論はないが、私見では、専門性は必ずしも必要ない。企業経営に素人感覚は必要であるし、素人が企業経営をチェックすればよいのである。

 この素人とは、企業統治におけるステークホルダー(利害関係者)で言えば、顧客や消費者や地域住民に相当する人々である。また、その企業の従業員の予備軍である大学生も含まれるであろう。

 こういった人々が、社外取締役として素人感覚で経営を監視・監督することは、企業経営者に説明責任を十分に果たさせることにも通じる。素人にも理解できるように自社の経営を説明しなければならないからである。また、そのような説明ができないようでは、おそらく専門性の裏に隠れた何か不明朗な経営がなされているのではないか。

 すでに指摘したが、裁判制度にも素人が参加する時代である。企業経営にも社外取締役として素人が参加しても不思議でない。これが私の意見の発想の素朴な原点である。

 さらに企業経営者は、社内事情に精通した取引銀行や債権者や従業員組合から、それぞれの立場の専門家としての監視・監督を受けていると考えられる。そうであるなら、社外取締役には、専門家ではなく、一般の素人を起用する。このようにすれば、企業経営者は、多様な利害関係者から監視・監督され、より多様な利害関係者に説明責任を果たしていることになる。

 この意見、外国文献の渉猟や外国企業の事例を実態調査する必要があるのだが、ともかく公表しておきたいと思う。

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