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2011年12月31日 (土)

本年の御礼と新年のご挨拶

 本年も最後の日となりました。お世話になった方々に心から御礼を申し上げます。

 これまで1年間の自分自身を評価・点検・反省し、新しい年に向けて希望や意欲を沸き立たせる。そのためには、今年の中の嫌なことは忘れて、楽しい良いことだけを考えることが最も効果的です。それを基礎にして新年の夢を膨らませる。

 このような自己評価は、その点数が甘くなるのですが、人間として精神安定を維持するための当然の作用と思います。嫌なことは早く忘れることです。

 しかし業績評価・成果主義の時代ですから、他人(会社や組織)から「あなたはA評価とかB評価」などと言われます。私の大学でも教員評価が毎年実施され、それが給与に反映されています。

 人間としての精神安定や健康の観点から考えてみれば、他人からの評価は大きなお世話で不愉快なものです。ただし、たとえば営業担当者の販売高の競争などは、単純明快な評価基準ですから批判は少数でしょう。いわばスポーツの勝負のような感覚です。

 これに対して勤務態度などという曖昧な基準での評価は、不満が出ても当然でしょう。職場における成果主義の導入で健康や精神を害する人々が増えているのではないでしょうか。その実態はどうなっているのでしょうか。

 今年1年の好ましい成果を引き継いで、新年が、皆様にとりまして、もちろん私自身にとっても、元気で有意義な発展の年になることを心から祈念しております・・・・・・合掌。

 

 

 

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2011年12月22日 (木)

就職活動では過去の達成感・満足感を具体的に語る

 大学3年生の就職活動が12月1日から始まった。

 コミュニケーション能力であるとか、それ以前の挨拶など社会常識が重要であるとか、大学生に求められる様々な事柄が指摘されている。

 私見では、大学時代に自分自身が経験した達成感や満足感を具体的に語ることが重要であると思う。

 こういった感情は、だれもが再び経験したいと思う快感であり、いわば中毒のようなものである。それを実感した人間は、おそらく社会人になっても、再び達成感や満足感を得るために懸命に仕事をするはずである。私が採用担当者なら、そのように考える。

 自分の経験したことを語るのであるから、それは具体的であろうし、また熱い気持ちが伝わるほどに迫力があるはずである。それが、採用担当者の心を打つものであれば、おそらく内定を取れるのではないか。

 情熱をもって語り、相手の心に感動を与えることがコミュニケーション能力である。それは話術だけに限定されず、人間がもつ雰囲気や文章などであってもよいと思う。ぺらぺらと話すのが上手な学生が必ずしも高い評価を受けるわけではない。このような人間には、口先だけの詐欺師的な軽薄な印象を受けることもある。

 大学時代に達成感や満足感を感じたことがないという学生も多いであろうが、それなら今からでも、期末試験のためのレポートや勉強に専念するとか、さらに就職希望の企業について徹底的に調べるなどの仕事をすればよい。これが、まさに大学生の本来の仕事にほかならない。

 そこから達成感・満足感を得ることができれば、それは自分に対する自信にもなるであろう。その自信は、その学生全体の雰囲気や態度に表出するものである。そういった勉強や調査を通して獲得した知識は、さらに自己の思考能力を高めることになる。

 以上、就活のポイントは、涙を浮かべるほどに、また自分自信を褒めてやりたいほどに達成感と満足感を得る何かを経験することである。そして、それを情熱をもって具体的に語ることである。こういう人間を私は信用できると思うし、今後の活躍も期待できるであろう。

 

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2011年12月21日 (水)

研究・教育・ビジネスの相違点と共通点

 「実学」を表明して、このブログを書き始めて数年になる。今、ここに至って、私の経験してきた研究と教育とビジネスの相違点と共通点について、気づいたことをメモしておきたい。

 まず、それぞれの仕事の特徴は次のようであると思う。

 1.研究・・・自分で自分を管理する。自省・自制しながら仕事を進める。個人的な評価を受ける。自己責任が原則。偶然に左右されることもあるが、研究の努力は必ず報われる。孤高な自己探求。求道的な態度。

 2.教育・・・学生とのコミュニケーション能力が不可欠。学生の気質・能力を的確に理解する。それに応じた教育内容を考案する。学生に対する応用力・適応力が必要。他方、一方的な権威主義が有効なこともある。また、師弟愛が生じることもある。

 3.ビジネス・・・相手のある仕事。この相手には様々な特性があり、学生のように簡単に理解できない。相手に応じた細やかな対応がビジネス成功の秘訣。しかし自己の努力が必ずしも成果に結びつかない。他方、多数の人々からの支援で自分の実力より以上の仕事をすることもできる。これがビジネスの醍醐味であろう。

 これら3者について私の経験では、それぞれの場面での頭の切り替えが求められる。ビジネスの世界で研究者の感情は捨て去る。そうでなければ、自己嫌悪と自己責任の重圧に耐えられないことがある。他方、研究では自省と自制に徹する。ビジネスにおける柔軟な対応や妥協は研究の厳密性・徹底性にとって障害となる。教育は、その中間領域と考えられる。

 一人の人間が、これら3つの仕事をする場合、それぞれのモードの切り替えが必要である。それぞれの場面での重複は基本的に許されない。それぞれが中途半端になるからである。

 しかし、3つの世界の交流や混合は「スパイス」としての効果はある。たとえば、研究においてビジネスに配慮する。教育(特に経済学や経営学)において専門的な研究や実務的なビジネスの話題を提供したり、差し挟んだりする。これはビジネスにおいても同様である。 

 ビジネス世界を経験した実務家が大学教授になることもあるが、その場合は、自省・自制・孤高といったキーワードが重要であろう。他方、大学教授がビジネスに本格的に関係する場合、挫折感や羞恥心を甘受しなければならないし、それを気にしていては次のビジネスができない。

 ここで敢えて「本格的に関係する」と言うのは、大学教授の通常のビジネスとの関係の程度は、ビジネス側からの「依頼」とか「顧問」ということだからである。本格的なビジネスで、その程度の軽い関係はありえない。会社の生死を左右する問題に直接関係することがある。その場合の多くは資金調達の問題である。

 研究・教育・ビジネスの同時追究は、多重人格者でなければ無理かもしれない。それぞれの頭の切り替えができなければ、それぞれが中途半端に終わる。中途半端は、それぞれの場面の人々に迷惑をかける。

 研究・教育・ビジネスにおいて徹底して多重人格者になりきる。これが私の課題であるし、それが私の個性・独創性と評価していただければ幸甚である。

 以上、いろいろ考えたが、その見解の当否はさらに検討が必要であるが、人間としての信頼関係の形成がすべての基本であると思われる。何事にも誠実に対応する。これは、3つの仕事の共通点であり、さらに私が肝に命じる課題でもある。

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2011年12月16日 (金)

ベトナムの声(VOV)の日本語版ホームページ開設

 このブログの左下にあるリンクの中に☆はぐれ星通信☆がある。これは、私のベトナムの大先輩である小松みゆきさんのブログである。

 小松さんは、NHK番組「ラジオ深夜便」のベトナム通信を担当されており、来年にハノイ在住20年になられる。そしてハノイでの仕事は、ベトナム国営放送の日本語放送である「ベトナムの声」(VOV:Voice of Vietnam)の日本語監修と伺っている。

 最近、小松さんからメールを頂戴し、このVOVのホームページが12カ国語で公開されたそうである。当然、その中に日本語も含まれている。参照:http://vovworld.vn/ja-JP.vov

 日本語で読める新しいベトナム情報源の誕生である。とりあえず、このニュースを紹介しておきたい。
 

 

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2011年12月11日 (日)

日本の社外取締役のあり方:私は少数意見です

 最近の日本の企業不祥事に対して、社外取締役を常設化するという対応策が政府内で検討されている。

 特殊な企業事例を一般化して制度改革をするべきではないと言う反対意見が、日本の経済界の中にあるが、米国ではエンロン社とワールドコム社の事件を契機にして、企業統治に対する厳しい改革法(サーベンス・オクスリー法:SOX法)が成立した。

 この米国の企業改革法は、その後に緩和されたというものの、市場経済・自由主義経済の「牙城」として、米国企業の国際的信用を守るために当然のことと思われる。他方、日本の経済界にそれだけの認識と覚悟はあるのかどうかが問題である。

 日本企業の国際的信用を守るということについて、企業改革に反対する日本の経済界は何と答えるのであろうか。

 「もともと信用などない」という開き直りから現状維持でよいという発想が生まれているとすれば、それは論外であるが、そうかもしれないという論理は成り立つ。

 日本の上場企業の株式所有構造つまり大株主は、株式持ち合いを中心とした安定株主(注:株主総会では常時「白紙委任状」を送付する株主とみなされる)が大半である。そういった大株主によって支持されてきた日本の経営者は「経営者支配」を享受してきた。つまり、株主の制約から解放された経営環境であった。こういう企業が、外国人株主や個人株主から一般に信用されているとは思われない。

 もちろん大企業の経営者は、常人より以上の才能・人格そして幸運な資質を備えており、さらに常人以上の苦労や努力を経験してきているはずである。それらの結果、経営者になったとすれば、それは社内の昇進そして自らの人生の「上がり」である。その地位に対する満足感と達成感は、私のような「げすの勘ぐり」であるが、非常に大きいのだろうと思う。

 その経営者が、社内事情に無知な苦労を知らない社外取締役に監視・監督されることになれば、自己のプライドが許さない。経営者にとって少なくとも許容できる社外取締役は、専門性をもった人間である。または自社に有益な助言を提供する人物である。

 このような意味で、社外取締役の導入が議論される場合、一般的な見解は、社外取締役には高い専門性や独立性が必要ということになる。

 独立性が必要ということに異論はないが、私見では、専門性は必ずしも必要ない。企業経営に素人感覚は必要であるし、素人が企業経営をチェックすればよいのである。

 この素人とは、企業統治におけるステークホルダー(利害関係者)で言えば、顧客や消費者や地域住民に相当する人々である。また、その企業の従業員の予備軍である大学生も含まれるであろう。

 こういった人々が、社外取締役として素人感覚で経営を監視・監督することは、企業経営者に説明責任を十分に果たさせることにも通じる。素人にも理解できるように自社の経営を説明しなければならないからである。また、そのような説明ができないようでは、おそらく専門性の裏に隠れた何か不明朗な経営がなされているのではないか。

 すでに指摘したが、裁判制度にも素人が参加する時代である。企業経営にも社外取締役として素人が参加しても不思議でない。これが私の意見の発想の素朴な原点である。

 さらに企業経営者は、社内事情に精通した取引銀行や債権者や従業員組合から、それぞれの立場の専門家としての監視・監督を受けていると考えられる。そうであるなら、社外取締役には、専門家ではなく、一般の素人を起用する。このようにすれば、企業経営者は、多様な利害関係者から監視・監督され、より多様な利害関係者に説明責任を果たしていることになる。

 この意見、外国文献の渉猟や外国企業の事例を実態調査する必要があるのだが、ともかく公表しておきたいと思う。

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2011年12月 8日 (木)

「独立取締役」とは何か?

 昨日のブログに反響があった。独立取締役というような言葉を米国でも聞いたことがないというコメントである。

 実は私も、独立取締役という言葉を以下の教科書を読むまでは知らなかった。

 これまでの私の社外取締役についての認識は、複数の社外取締役を専門にする人々が「インナーサークル」を形成し、米国経済界の中枢の意思決定を握っているとか、消費者団体や女性団体の代表や、大学教授を社外取締役に迎えているといったことであった。

 その教科書は現在、私の担当科目の「企業論」の講義で使用している。その中での独立取締役の説明は次のようである。

 「取締役は、社内取締役と社外取締役と区分される。しかし、近年のアメリカでは、社外取締役をさらに関係取締役と独立取締役とに分けて、単なる社外取締役ではなく、当該企業との独立性に関して厳しい資格要件を設けた独立取締役の方を重視する傾向が強まっている。例えば、ニューヨーク証券取引所の上場規則では、明確に定義づけられた独立取締役を過半数有することが上場企業に義務づけられている。」(佐久間伸夫編『よくわかる企業論』ミネルヴァ書房、96頁。) 

 このニューヨーク証券取引所が定義する独立取締役の要件について、私も調べてみようと思う。それはともかく、日本の2006年施行の会社法において、米国流の企業統治制度として大企業に委員会設置会社を認めたのだから、この独立取締役の制度的な導入を日本国が検討して当然である。

 米国流の市場経済制度やビジネス=スタンダードを最善とする経済学者やエコノミストが、どうして米国流の独立取締役の導入を主張しないのか? もしくは、主張しなかったのか?

 日本企業の不祥事の核心には、こういった問題が隠されている。

 

 

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2011年12月 7日 (水)

「独立取締役」導入が最善:企業不祥事の対策

 企業不祥事が続いており、日本企業のみならず、日本国に対する国際的な信用が下落していると思われる。何らかの再発防止の対応策を提示するべきであろう。そうでなければ、日本国の無策が、さらに国際的な信用を低下させるのではないか。

 政府は、大企業に対する社外取締役の導入を検討中と報道されている。しかし経済界・経済団体は反対していると言われている。そうであれば、経済界としての対案を独自に提案するべきではないか。

 2006年に会社法が施行されたばかりである。その中での企業統治に関する問題として、法体系と現実との乖離を政府は埋めることが求められている。今回は、その好機であると思う。

 私見では、社外取締役が企業から報酬をもらっている限り、厳しい監視機能を期待することは難しいように思われる。その報酬は社内取締役に比べて格段に安いが、ちょっとした小遣いになるという感覚が一般的ではないか。

 やはり企業から報酬を受け取らない独立取締役が、日本においても必要とされている。しかし、無報酬では、独立取締役のなり手がいないことが懸念される。

 そこで日本経団連など経済団体が基金を拠出して、そこから支払えばよい。この場合、公益財団法人「独立取締役センター」設立も必要であろう。自らを律するために企業が費用を負担するのは当然であり、それによって日本企業の国際的な信用が向上すれば安いものである。

 裁判員制度で、法律の素人も裁判に参加する時代である。企業経営にも素人が参加して悪いはずがない。独立取締役には必ずしも専門性が必要ないと私は考えている。この独立取締役について私は、家庭裁判所の調停員のようなイメージをもっている。

 現状の社外取締役には、経営に対する助言やコンサルティングのような役割も期待されていると思われる。しかし、それは顧問やコンサルタントとして別途に契約すればよい。

 社外取締役の参加によって緊張感が生まれる。こうなってこそ、本来の取締役会の機能が回復したとみなされるのではないか。専門的・個別的な経営実務に関する具体的な案件は、執行役員会で詳細に議論すれば良い。 取締役会は、それらの結果を含む全般的な経営に関する監視機能を果たすべきである。

 以上、日本企業に社外取締役=独立取締役を導入するという私見・・・思いつきである。さらに私自身で継続した問題意識として検討してみたいと思う。

 なお、今から思い返せば、10年以上も前に私は『企業権力のネットワーク』(文眞堂)という翻訳書を出版している。これは、社外取締役・役員兼任の研究書である。少しは私にも、こういった問題について発言する資格があるようにも思う。

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2011年12月 3日 (土)

ラオス・カンボジア研修会のご案内:5名で一緒に

 前回にご案内した研修会ですが、1月3日からカンボジア・ラオスに総勢5名で視察調査に行ってきます。

 現地報告にご期待ください。

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