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2011年11月 3日 (木)

訃報:人見美喜男さんを偲ぶ

 社団法人・日本ベトナム経済交流センターの創立者であり、現在は会長となっている人見美喜男さんが11月2日(水)午前11時17分に逝去されました。享年78歳でした。

 ご家族のご意向で家族・近親者のみでお通夜と葬儀をされますが、詳細は下記の通りです。合掌

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・通夜 11月3日(木)18時~

・告別式 11月4日(金)10時~

・正光社 長岡会館 〒617-0822 京都府長岡京市八条が丘2丁目27
 電話 057-957ー0042

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 人見美喜男さんは、ホーチミン市名誉市民賞の受賞者であり、さらに2007年にベトナム外務省から「友好賞」が当時の国家主席チェット氏から授与された。それと同時に日本ベトナム経済交流センターも団体として同じく「友好賞」を受賞した。

 私が現在、日本ベトナム経済交流センターの副理事長となったのも、1999年に人見理事長(当時)から、同センターの顧問になってほしいという依頼があったことがきっかけである。

 その依頼を受けたのは、1999年6月の「日本ベトナム親善サッカー試合」の開催をお手伝いしたことに始まる。関西のプロサッカーチーム4団体の若手選抜チームが、ハノイでは「ハノイ公安チーム」、ホーチミン市では「ベトナムナショナルチーム」と対戦した。日本のチーム名は「J-関西」。いずれの試合も日本が勝ったけれども、ホーチミン市での試合は白熱であった。

 この日本代表選手の中には大黒将志・元日本代表も含まれていた。私は彼の着用した試合用ユニフォームを所持していたが、ハノイ在住で日系企業のサッカー連盟のお世話をされていた三井海上火災保険(当時)ハノイ総代表の胡間さんに記念に贈呈した。

 また住友商事で現在はインド総代表の山口さんは、当時はタンロン工業団地の社長であり、ハノイ日系企業のサッカーチームではゴールキーパーを務められていた。当時のタンロン工業団地は、現在の盛況からは想像もできないほどに閑散としており、広大な敷地ではネズミが走り回り、電気配線をかじっているという噂があるほどであった。1997年に始まったアジア通貨危機の影響が残っていたのである。

 この試合には毎日新聞の鈴江記者が同行取材し、日本選抜チームの様子の一部は毎日放送がテレビ放映した。ハノイ日航ホテルの歓迎会には、日本大使館から当時の中村特命全権大使も出席された。ホーチミン市では林総領事夫妻が球場で試合を観戦された。また日本チームの選手はハノイとホーチミン市の日本人学校を訪問し、小学生とサッカーでの交流を深めた。

 私は1998年から1999年までベトナムに在外研究のために滞在していたために、このサッカー試合の開催に向けて協力することになった。現地の日系企業から寄付金を頂戴したり、ベトナムのサッカー協会との打ち合わせをしたり、私にとって貴重な経験であった。

 こういった親善サッカー試合の企画・運営の中心に人見美喜男さんがいた。アジア通貨危機でベトナム投資が冷え込んでいるから、そういう時にベトナムの国技ともいうべきサッカーの交流をしたいという人見さんの発案であった。

 ベトナムで日本遠征チームがサッカーをするのは初めての経験である。いくつかのトラブルが発生したが、人見さんのリーダーシップはさすがであった。それは特に何か行動するというものではなかったが、強い意志で不動の姿勢もしくは態度を維持された。これが私を含めた周囲の人々に安心感を与えた。

 強い意志、強い信念、不動心といった言葉が人見さんにふさわしい魅力である。また同時に、理路整然とした説得的な話しぶりや、時折見せられる子どもか青年のような茶目っ気のある純粋な笑顔も忘れることができない。さらに楽天主義であると同時に深い戦略的な思考も人見さんから学ぶことができた。

 なお、これは余り知られていないが、ベトナム国鉄の列車の中で「人見弁当」という名前の駅弁が販売されていたことがある。これは人見さんが、ベトナム国鉄に提案して実現したものである。食品管理などの問題のために、しばらくして「人見弁当」の販売は中止されたが、ベトナムを古くから知っている人は記憶されていると思う。私は、この話をダナン在住最長の井上さんから聞いた。

 多くの人々を惹きつける「人見マジック」に魅せられて10年以上が経過した。ちょうど人見さんが心肺停止という連絡があり、センターの織田事務局長が病院に向かう時、私は大阪・梅田のセンターでベトナム進出の相談者の対応をしていた。また偶然に数日前に1999年の親善サッカーのビデオテープを某社に郵送したばかりであった。

 このような出来事を想起すれば、人見さんのベトナムに対する貢献のほんの一部であるかもしれないが、それを引き継いで行くことが私の今後の使命のように思われた。残された私にとって「人見マジック」は今も健在である。

 どうぞ人見さん、ベトナム全土をを自由に旅して下さい。ご冥福をお祈りいたします。

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