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2011年6月26日 (日)

韓国映画「戦火の中へ」を再び見る

 朝鮮戦争を舞台にした韓国映画「戦火の中へ」を自宅で見ている。
参照 http://www.intothefire.jp/

 すでに同作品を映画館で見ているが、映像から学ぶためには何度も見ることが重要であるという私の信条から、DVDで再び見ている。

shineshine:私の高校・大学時代、朝からお弁当を持って最終回まで映画を繰り返して見た。特にお世話になったのは心斎橋の戎橋劇場であった。それは洋画の二番館であったが、まさに我が青春時代の思い出の場所である。当時の総入れ替え制の映画館と言えば、大阪ではシネラマのOS劇場だけであった。それが、いつの間にか映画館全部が総入れ替え制になってしまった。DVD販売促進のためには当然かもしれない。

 さて、「戦火の中へ」の秀逸は、姜(カン=ソクテ)大尉役のキム=スンウであると思う。彼は、テレビドラマ「アイリス」でも重要な役割をしていたが、ともかく格好いい。朝鮮戦争で韓国軍の大尉ということは、おそらく日本の陸軍士官学校の出身ではないかと思われる。こういった場面が少しでもあると、より親近感を日本人は持つことができる。

 この「格好いい」ということでは、おそらく北朝鮮軍のパク=ムラン少佐が勝っているし、そのような映像になっている。しかし現実離れしているように思われる。それにしても最近の韓国映画の中で描かれる北朝鮮は、いろいろ問題はあるにせよ、それなりに高く評価されている。同じ民族の北朝鮮を最悪に描くことは、民族感情として韓国人は不快になって当然であろう。

  「戦火の中へ」を何度も見る価値または魅力は、「困難に立ち向かう気力」を見る者に与えてくれることである。圧倒的に不利な情勢の中で最大限に努力する。土壇場に追い込まれた状況下でも全力の敢闘精神を発揮する。熱い気持ちを持ちながらも職業軍人(プロフェショナル)として冷静に行動する。「戦火の中へ」から私が学んだ主要なことは以上のようなことである。

 なお、カン大尉を見ていて、山本薩夫監督「戦争と人間」の柘植(つげ)進太郎中尉(高橋英樹)を想起した。職業軍人としての共通点のみならず、その人間愛に類似点がある。柘植中尉は台湾の過酷な植民地政策を批判し、その後の参謀本部では対中国戦線不拡大を主張した。さらに中国における細菌兵器開発の731部隊も批判した。その結果、ノモンハンの前線指揮官として「死守」を命令されて戦死する。

 柘植中尉とはカン大尉は共通して職業軍人としての規律を堅持しながら、人間愛を合わせ持っている。ただし「戦火の中へ」の戦場でカン大尉は「死守」を主張し、上官から「撤退」を命令される。これに対して「戦争と人間」の柘植中尉は「撤退」を具申しながら、上官から「死守」を命令される。このような日本軍と韓国軍の対比も興味深い。韓国軍が日本軍よりも人間性を持っていると結論してよいのか。さらなる検討が必要である。

 以上、「戦火の中へ」は私にとって常備するべきDVD(ブルーレイ)となった。

 

 

 

 

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2011年6月22日 (水)

今週からの予定:艱難辛苦の日々

 6月20日(月)からの2週間は、私にとって艱難辛苦の日々が続く。もっとも、日頃の準備を怠っていたのだから自業自得とも言えるのだが、現実を受け入れて最善を尽くすしかない。

・6月20日(月):(財)大阪産業振興機構の「新興国セミナー」:マイドームおおさか

・6月22日(水):大阪商工会議所の「ベトナム最新経済セミナー」:大阪商工会議所

・6月23日(木):JICA「貿易促進研修」講義:(財)神戸国際経済交流センター

・6月24日(金):大阪市立大学大学院都市創造研究科「メコン川流域国:ワークショップ」:大阪市立大学(梅田)

 もちろん、これら以外に通常の流通科学大学の講義がある。さらに7月4日(月)~8日(金)は、JICA神戸国際センターからの遠隔会議システムを通して、ラオス国立大学の社会人MBAコースに向けた講義が連日予定されている。日本時間で午後7時から11時までである。

 以上の記録を残しておいて、こんな忙しい時期があったのだという思い出を近い将来に語りたいと思う。

 

 

 

 

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2011年6月19日 (日)

「株式持ち合い」は良いことなのか?:加護野論文にコメント

 経営学者として大先輩である加護野忠男教授が、「株式持ち合いについての覚書」『国民経済雑誌』第202巻第5号、1~10頁(2011年5月)という論文を発表された。

 そこでの結論は、「以上のように考えると、持ち合いはより良いガバナンスを実現するための重要な手段であることがわかる」と指摘されている。しかしバブル期には、その優れた機能が発揮されていなかったために、その後の企業不祥事などの経済低迷が引き起こされたとしている。

 そこで株式持ち合いの優れた機能を発揮するための前提として、次の2点の条件が指摘される。

(1)株式持ち合いをするパートナーは対等の関係を維持すること。
(2)持ち合いの株式の比率の多少が問題にならないようにすること。

 私は、一貫して株式持ち合いの解消を主張してきた。それは、奥村宏・二木雄策といった1970年代の先駆的な研究者の主張を引き継いだものである。

 株式持ち合いは、日本の大企業における「なれ合い経営」または「無責任経営」の構造的な基盤であり、その解消がなければ、グローバル企業としてのガバナンスの前提が欠如することになる。株式持ち合いによって「乗っ取り」を防ぐという論理は、日本国内では通用しても、国際的には通用しないと先日も私の「企業論」の講義で学生に話したばかりである。

 さて簡単に加護野氏の論文にコメントすれば、株式持ち合いの機能を発揮する2つの条件が、果たして現実に機能するかである。おそらく法的な条件整備は無理であるから、ビジネス慣行とするべきである。その実施主体は、これまでの慣行で言えば、三菱グループの「金曜会」に代表される社長会ということになる。

 株式持ち合いをしている主要な企業の社長が集まる社長会においては、(1)と(2)の条件は成立するであろう。しかし、その社長会は実質的な「大株主会」であり、一般の個人株主や外国人投資家を排除している。株主平等の原則からしても、非常に不可解な組織が社長会である。

 米国型の市場原理主義を主張した小泉=竹中路線に対して、加護野氏は日本型経営を擁護された少数の経営学者であった。その小泉=竹中路線は、米国のリーマンショックによって破綻が明白になった。また現状の日本経済の状況を見て、けっして小泉=竹中路線が成功したとは言えない状況である。この意味で、加護野氏の見識は最大限に高く評価されてよい。

 しかし株式持ち合いという限定された問題について言えば、私は加護野氏の見解とは異なっている。株式持ち合いは、京都大学法学部の故・大隅健一郎教授が的確に指摘しているように「紙のやり取り」であり、その資金調達の効果は限定的である。その主要な目的は、「乗っ取り」の防止、つまり経営者=社長の自己保身である。このような株式持ち合いが世界に通用するのであろうか。

 日本企業の「モノ作り」の体制が世界に誇るべきものであるとすれば、はたして同様に「株式持ち合い」も世界に自信をもって普及させるべき慣行なのであろうか。

 以上、率直な私の疑問もしくはコメントである。今後、私の課題としておきたい。

 付記: 私が神戸大学の学生時代、加護野先生はドイツ経営学の故・市原教授の助手であったと思う。長い歴史の中で、このようなコメントを私が加護野先生にするとは、やや僭越であり、信じられない気持ちである。

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2011年6月13日 (月)

想起せよ:戦艦大和と紫電改

 私の愛蔵のDVDの中に「男たちの大和:YAMATO」と「紫電改:最後の戦闘機」がある。

 これら2本は、「日本ブランドの毀損」が指摘されている昨今、改めて日本の技術力と日本人の精神を思い起こさせてくれる。涙を流しながらも「元気の出るDVD」である。

 東日本大震災を思う時、「頑張れ日本」「立ち上がれ日本」と言う時、戦艦大和と紫電改に象徴される過去の日本を想起し、そこからの教訓を引き出すことは無意味ではない。

 日本企業の国際競争力は、韓国や中国の追い上げによって「風前の灯火」という状況なのかもしれない。また「過去の成功体験を捨てる」ことが重要とも言われている。「現実の環境変化に自らも柔軟に即応することがビジネスの基本」とも言われている。

 この意味で戦艦大和と紫電改に代表される日本の技術力は「過去の遺物」である。また、これら兵器の使用方法=戦略に誤りがあったし、そもそも戦争自体を回避すべきであったと私は思う。しかし事実として当時、それらは世界最高の技術の結晶とみなされるし、それに対する日本人の誇りと敢闘精神をDVDから知ることができる。

 まさに今、堺屋太一の新刊書の表題が言うように『第三の敗戦』(講談社)という状況において、戦艦大和と紫電改の運命をDVDを通して再現して見ることは、日本の将来のあり方を感じ取ることにもなる。 このような観点からの視聴を勧めたい。

 

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2011年6月10日 (金)

ラオスでの石井マス子さん

 『朝日新聞』(大阪夕刊、2011年6月9日)の2面を見て、正直に言って驚いた。2007年夏に一緒にラオス清掃ボランティア活動に参加された石井マス子さん(71歳)が、写真入で紹介されていたからである。

 当時は神戸にお住まいであったが、現在は鳥取県智頭町に移住されているそうである。しかし笑顔は当時のままである。この記事が「人生の楽園:夢への道」となっており、6月11日午後6時から朝日放送でも放映される。ぜひテレビを拝見しようと思う。

 新聞やテレビで取り上げられる石井さんをラオスにお連れしたことが光栄である。ラオスでの石井さんに対する私の印象は、かわいい「おばあちゃん」。そして大学生に劣らず、またそれ以上に好奇心が旺盛で

 そのご経歴や生活について、根ほり葉ほりお聞きしていなかった。あくまでもラオスでのボランティア活動なので、それ以外のことは二次的である。

 以下、ラオスの石井さんの様子を写真でご紹介する。新天地の鳥取でますますのご活躍とご健康をお祈りしたいと思う。

Dscn0162  

ラオスの凱旋門(パツーサイ)の前

左端が石井さん。

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中学校の生徒と一緒に清掃活動をした

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2011年6月 4日 (土)

少しばかりの矜持・・・こだわり・・・二木雄策先生のこと

 私が大学院生の頃、もう30年ほど前になるが、私の恩師の一人である神戸大学経営学部・二木(ふたつぎ)雄策教授が、慶應義塾大学商学部・野口佑教授の著書に対して、おそらく毎日新聞社『エコノミスト』の書評ではなかったかと思うのだが、痛烈な批判をしたことがある。

 その内容の詳細は即座に思い出せないが、野口教授による日本の企業集団に関する著書が、それ以前の著書と重複する部分が多々あり、それが「資源の無駄遣い」という主張であった。同じような内容の著書を複数出版することは、紙資源を浪費しているという意味である。それには暗に、研究者の営利志向に対する批判が示唆されていた。

 二木雄策先生は、私のゼミの指導教員であった故・松田和久先生に並ぶ恩師である。ただし、これは、二木先生にとって迷惑かもしれない。二木先生は、ご自分の「弟子」と呼ばれるような後継者を指名されたことはないからである。勝手な私の「片思い」なのだが、私は二木先生の学問に対する禁欲的な姿勢について心から敬服している。

 さて、この「資源の無駄遣い」という指摘が今でも心に深く残っている。それと同時に、同じ内容の論文や主張を複数掲載することに対する嫌悪感が、二木先生の指摘によって形成された。

 以上の結果、ブログに書いたことを論文に利用できない。ブログに書いたことをFACE BOOKに転載できない。論文を著書に転用できない(ただし、これは一般に容認されている)。このような意識が私にはある。もちろん今までに私も転載・転用はあるが、それは本意ではない。「時間がない」というやむを得ない理由である。

 現在、私の定期的な執筆活動は、①岩井証券のホームページ「週刊ベトナムレポート」、②日本ベトナム経済交流センターの「ニュース」(月刊)の記事、③ブレインワークス社『セーリングマスター』(隔月発刊)のコラムとなっている。同じ記事を書かないという自己制約は継続中である。

 

 

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2011年6月 1日 (水)

「ベトナム大学生通信」が連載開始

 一般社団法人・日本ベトナム経済交流センターのHPで6月から「ベトナム大学生通信」の連載が始まりました。ハノイとホーチミン市の大学生に近況を報告してもらうという目的です。

 まったくの偶然ですが、両都市で原稿を依頼した大学生は女性です。そこで「ベトナム女子大生通信」という命名も考えました。その方がアクセス数が増加するとも考えましたが、継続性という観点から「大学生」ということにしました。もちろん男子大学生の寄稿も大歓迎ですから。

 この記事の担当は私です。もとの原稿に若干の添削を加えています。そのことで寄稿する大学生の日本語の作文能力の向上に寄与するという教育的な目的もあります。

 現役大学生の「生の声」の中には常に発見があります。ぜひ、この連載記事にもお立ち寄り下さい。参照 http://http://www.j-veec.or.jp/ 左側の「ベトナム大学生通信」をクリックして下さい。

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