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2011年3月20日 (日)

卒業生に贈る言葉

 3月19日(土)に無事に流通科学大学の卒業式が終了した。懇親会ではアルコール類を自粛し、その余裕資金を震災の義援金に充てることになっている。

Cimg3864   阪神淡路大震災を経験した神戸市に立地する大学として、今回の東日本大震災は人ごとではないという意識が一般的である。

 さらに私自身は、今回の地震は原発事故が重なっているだけに「国難」という意識をもっている。原発は、福島のみならず全国に点在しているからである。また放射性物質の影響は震災被害者だけに限定されない規模に拡大している。まさに「戦争」状態である。

 全国的な緊急課題という意識があれば、専門家による的確な分析と迅速な意思決定と実行あるのみである。

 テレビを見ていると、様々な大学教員が登場して評論家=コメンテーターの役割をしているが、そのような評論やコメントをしている場合ではない。国家火急の事態を前にして「おしゃべり」していても何の解決にもならない。

 教科書・専門書・論文に書いていない現実に対して、さまざまな意見や解釈は可能であり、それを発表するのが大学教員・専門家の仕事ではあるが、そのことだけで現実の問題はけっして解決しない。

 現状を見れば、各テレビに登場する専門家の意見を政府担当者が集約して、それを参考にして対策が検討されているような印象を受ける。もしそうなら、時間を浪費する非効率な方法である。

 今回の津波でたとえるなら、次のような状況であろう。津波が接近している緊急時に、評論家が右に進め、いや左だ。山に登れ、いや屋根に登れ・・・と意見を表明しているような状況である。

 このようなことをしていると、国民は混乱・当惑・右往左往して、結果的に犠牲者が増える。そうならないためにリーダーシップが必要である。

 このリーダーシップの発揮は、当然に自己責任が前提である。「私が全責任を取るから・・・」という台詞を言う政治家はいないのだろうか。当然、制度的に全責任を取るのは菅首相である。責任を取る覚悟。これがあれば、何でもできるはずであるが、どうもそうなっていないように思われる。

 「責任を取る覚悟があれば、何でもできる」。少なくとも、自省・自戒しなければならないことである。卒業生に贈る私の言葉としたい。

  

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