« レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(2) | トップページ | レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(4・完) »

2010年3月 5日 (金)

レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(3)

 セブ島からレイテ島に海路で2時間半で渡り、オルモックからタクロバンの片道100㎞を2時間で移動する。同じ時間が帰路に必要だから、移動時間は合計9時間。このように今回のレイテ島の訪問は強行軍であった。

 セブ島とレイテ島を1日で往復する。この旅程が可能であるが、Cimg1354_convert_20100307112150レイテ島での訪問地は短時間で限定的となる。タクロバンでは、マッカーサー将軍のレイテ上陸の像を見学して、日本から寄贈された観音像の写真を撮った だけであった。

 セブ島からレイテ島の移動を空路にすれば、時間の余裕があると思われる。ただし今回は、かつての激戦の地であるレイテ島を走るという目的があった。

Cimg1358_convert_20100307111233

 写真上は、オルモック港の桟橋からの上陸時に最初に目に入る風景である。写真下では、オルモック市内を車窓から撮影した。マニラ市内でも見られるジプニー(乗り合い自動車)が市民の足になっているようである。

 島の西側のサトウキビ畑からタクロバンに近づくにつれて、それが稲作に変化していく。リモン峠を巡る山岳ドライブでは『レイテ戦記』の描写を想起し、その当時の雰囲気が今でも感じ取れる。こういう経験は陸路ならではである。

Cimg1400_convert_20100304222615  写真左は、レイテ島に戻ってきたマッカーサー将軍を先頭にした巨像である。おそらく3mはある。足元が浅瀬になっており、上陸の臨場感を表現すると同時に、観光客が安易に近づかないように工夫されているように思われた。

 この像から左手=北側は護岸壁がタクロバン湾を囲むように長く続いているが、右手=南側は砂浜の海岸になっている。

 この像の説明板には、マッカーサー元将軍とマルコス元フィリピン大統領のサイン入りのメ ッセージが記載されている。マルコス氏のそれは「実行された約束の記念」という表題である。有名なマッカーサーの「I shall return.」という言葉に対応している。

 写真下は、マッカーサーの巨像から右手のタクロバン湾の海岸線である。椰子の実が点在しているDsc00381_convert_20100304000923。日本軍は、硫黄島のように水際撃退作戦の放棄を徹底しなかったために米軍の艦砲射撃で多数の戦死者を出したと言われている(『レイテ戦記』(上))。

 伝統的な戦略に拘泥する。成功体験が合理的な判断を誤らせる。精神性やメンツを合理性に優先させる。改革の勇気がない。責任を取る決断ができない。これらのことは、今日の経営戦略の失敗にも共通した戦略過誤の原因のひとつである。

 企業経営にとって戦略策定は重要課題であるが、その失敗が生命を奪うことは通常はありえない。これに対して本来の軍事戦略は多数の兵士や将校の生命の明暗を分ける。愚かな戦略に基づく命令に従って戦死した人々の無念に心が痛む。また、そういった理不尽な命令にも従わせざるをえない軍隊組織や政治体制の非合理的な風土は許されないし憤りを感じる。(続く)

|

« レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(2) | トップページ | レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(4・完) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/7888/33652385

この記事へのトラックバック一覧です: レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(3):

« レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(2) | トップページ | レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(4・完) »