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2010年3月31日 (水)

カンボジアのプランテーションを見る(3):GPSが必携

 今回のプランテーション見学には韓国人のキムさんが同行してくれた。訪問日にフィギアスケートの世界選手権があり、キムヨナのショートプログラムは不調だったことや、ディスカバリーチャンネルでキムヨナの特集をしていたといった話題で盛り上がった。

 広大な敷地の中を未舗装の自然道を進む。日本でみかけるランドクルーザーの本来の使用目的はこれなのだ。私のカムリで来なくてよかったと思った。こういったプランテーション開発では、道路舗装も自前でしなければならない。10㎞×30㎞の敷地を丸ごと貸与されるのだから、その後は好きにしなさいということだろう。

Dsc00767  この意味で国道に面した立地ならよいが、その奥に入れば、それだけコストがかかることになる。これは当然だが、日本の動きは遅く、中国や韓国が先行してきた。好立地のプランテーションの取得は早い者勝ちである。

 こういったプランテーション開発では、GPS(全地球測位システム)の計器が不可欠のようである。広大な大地には道路も目印もないのだから、頼りになるのは緯度と経度しかない。

 写真はキムさんが持っていたGPSである。航空写真とGPSで現在位置を確認する。このGPS計器には方位はもちろん標高を測定する機能まで付いていた。こういう経験は初めてだが、おそらく砂漠などでも同様に使用するのだと想像できる。

 この地図のほぼ下半分を中国が所有し、今回の見学先の販売サイトは上半分である。当然、中国は隣接するサイトの購入を希望しているそうである。何とか日本の存在感を示すためにも、こういったプランテーション開発が日本でできないのであろうか。(以下、続く)

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2010年3月30日 (火)

カンボジアとラオスの株式市場開設に向けて最新動向

 カンボジアとラオスの株式市場開設に向けて、今回の訪問成果の一部を次の岩井証券の「上田義朗ベトナムレポート」で紹介しています。ご参照ください。

 http://www.iwaisec.co.jp/

 この記事はプノンペンとホーチミン市で書きました。

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2010年3月29日 (月)

カンボジアのプランテーションを見学する(2):温泉があった

 ベトナムとラオスに温泉があることは知っていたし、ラオスの温泉に2回ほど入浴したことがある。最初はベトナム国境付近のラクサオ、その次はジャール平原を見学した時であった。

 ベトナムの温泉には次回に訪問しようと、つい先日にハノイの洋菓子店ポエメの鈴木さんと約束したばかりである。温泉と病院・介護付きの保養施設がベトナムにできれば、温泉好きの日本人高齢者の中には長期滞在を楽しむ人も出てくるであろう。

Dsc00752  そしてカンボジアにも温泉があった。中国が権利を所有しているプランテーション予定地区の中である。やや硫黄の臭いがする。そして贅沢にも掛け流し。また透明度は高く、温度はちょうど40度くらい。もし十分に時間があれば、そのまま入浴してもよいと思った。

 平原と一体化して夕陽を眺め、次第に夜が闇が深まり、星空に変わる風景を楽しむ。思っただけでもワクワクする最高の楽しみだ。こういう自然派向け観光は成功するだろう。

 写真の遠くにかすむ山の付近までの開発権利を中国が購入している。しかし現在はカンボジア人が普通に生活し、この温泉も利用しているようだ。こういった土地開発=プランテーションのビジネスでは、こういった現地の人々との円満な協調が必要とされる。

 通常、この源泉からパイプを引いて個室のバスタブの中で入浴するのがラオスやカンボジアのスタイル。大自然の中で温泉を楽しむ習慣は日本の文化に含まれる事柄である。写真の小屋には送水用ポンプが設置されている。

 この温泉からさらに奥地に進めば今回のプランテーション用の土地がある。プランテーションを知識として知っている人は多いと思うが、その実態はどうか。それを体感した人は日本では少数ではないかと思われる。その広さは3万ha。20㎞×15㎞。300平方㎞である。この面積が想像できるだろうか。(以下、続く)

 

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2010年3月28日 (日)

カンボジアで「運転手付きの自家用車」を所有する

 数年前から私は自動車を運転していない。事故や違反の対応が面倒になったことが理由のひとつである。その代わりにカンボジアで「運転手付き自動車」を買った。

 この「買った」というのは不正確である。カンボジア人の運転手トーチさんの自動車購入を支援したということが正しい。彼とは2001年から毎回の訪問で運転を依頼している。その間、プノンペン市内のみならず、ベトナム国境やシハヌークビルまで遠出したこともある。

Dsc00735  彼の以前の自動車が古くなり、より新しい中古車を買うために貯金していると昨年8月に聞いた。それなら私が少しでも援助しようということになった。その代わり、私のカンボジア滞在中は彼が無料で運転してくれる。もっともガソリン代は負担するつもりであるが・・・。

 今回のカンボジア訪問ではトーチさんが新しい中古車カムリでプノンペン空港で待っていてくれた。いつも前日か当日に国際電話で「12時に着くから」と連絡している。空港で同僚のカンボジア人運転手が「トーチさんは車を買うてもろてええな・・・」と話していた。「そら、彼は真面目から」と話は返事したが、その運転手も「そやな」と納得していた。トーチさんは、誰からも信頼されているのだ。

 空港のタクシー運転手の間で評判になって、今度から日本人訪問者に対する対応が特別に良くなるかもしれない。なお、この自動車にメーターは付いていない。市内まで5ドルといった感じで交渉することになる。

 トーチさんは53歳。子どもは息子3人。上が27歳、下が13歳である。「もうすぐおじいちゃんになるね」といった話をする。このカムリの価格は購入時の整備費用を入れて8千ドル弱である。米国カリフォルニア製造の輸入中古車であり、カナダ製造車は少し安くなる。私の支援金に不足の資金は、税務署に勤める長男が友人から借金して調達したそうである。親孝行な息子さんだと思う。

 以前に比べて燃費がよくなったと彼は言っていたが、それだけでなく室内も広くなり、乗り心地も良くなった。トーチさんも私もみんなハッピーである。

 3月28日(日)にホテルから空港まで送ってもらったが、トーチさんの奥さんから私の妻にスカーフのプレゼントを頂戴した。運転手付きの自家用車を所有する。これも嬉しいのだが、それよりも友情や信頼をカンボジアで持つことができた。これが何よりの贈り物である。ベトナム・ラオスに続いてカンボジアからも離れられそうにない。

 「私の車を待たしていますから・・・」。こんなセリフは日本では、今後一生、言えないだろうと思うが、そうなるように日本で頑張ってみるのも面白いかもしれない。

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2010年3月27日 (土)

カンボジアのプランテーションを見学する(1)

 カンボジアで唯一の日系銀行はマルハン=ジャパン銀行である。日本でパチンコ最大手企業として有名であり、カンボジアでは金融業に参入している。

 パチンコ業界は、その「中毒患者」の発生を想起すれば、日本では必ずしもイメージが良くないが、それは偏見である。米国ラスベガスやマカオに代表される世界のギャンブル業界は隆盛である。それだからこそ東京都の石原知事や大阪府の橋下知事が経済活性化の手段として「ギャンブル特区」の導入を提唱している。

 3月27日(土)に同行の前頭取・宮内さんに案内していただいて、プノンペンから100㎞ほど離れたカンポンスプ県のプランテーションのプロジェクト現場を見学した。宮内さんは銀行退職後もプノンペンに滞在し、カンボジア投資コンサルティングの仕事をされている。銀行時代に蓄積された幅広いネットワークからの情報は貴重かつ有益である。

 プノンペン市内からロシア通りを西に進めば、プノンペン国際空港があり、その少し先にはスズキのDsc00779工場が右手にあり、さらにプノンペン経済特区が左手にある。そして国道3号線と国道4号線の分岐点に至る。シアヌークビル方面に進む4号線の途中がコンポンスプである。

 国道から離れて広大な農地や山林の中を通る未舗装の道路に入る。舗装道路なら時速80㎞は可能であるが、未舗装道路となれば、時速30㎞以下となる。と言うことは、通常の距離感覚に基づく時間の2倍以上が必要である。朝の7時に出発してホテル帰着は午後7時を過ぎていた。そして、その大半が車中である。なかなかハードな視察旅行である。ヘリコブターを使用すれば2千ドル~5千ドルかかるらしい。(以下、続く)

 

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2010年3月26日 (金)

秋篠宮さまの飛行機が飛ばない

秋篠宮さまと眞子さまは25日(木)にビエンチャンからラオス北部のルアンナムターに向かう予定であったが、霧のために航空機が運休となった。最初は午前9時45分にホテル出発と聞いていたが、それが10時15分となり、結局、その日は飛行機は飛ばず、午後2時過ぎにビエンチャン市内観光に向かわれた。

ビエンチャンのワッタイ国際空港は日本の支援で建設・運営されており、2004年12月に同国で開催されたアセアン首脳会議には当時の小泉首相も出席した。この時は日本からジャンボ機体の直行便を飛ばすために滑走路を延長した。ただし国内線はプロペラ機であり、有視界飛行のために霧が出ると運休になることがある。


Dsc00723_8  翌日の26日(金)には午前中に無事に訪問先に向かわれたようである。写真は、その時のお見送りの日本大使館の皆さんである。空港から「パパラッチ」した。私は、この後にカンボジアのプノンペンに向かった。

ホテルで偶然にエレベータで一緒になった大柄な男性のスーツの胸に銀色の菊のバッチを見つけた。「ご苦労さまです」と声をかけた。「ああ、日本の方ですか。あるがとうございます」と優しい笑顔で返事を頂戴した。こういった人々の支えがあり、日本の皇室外交が進められている。

ラオスの英字新聞『ビエンチャン=タイムズ』(3月25日)には、秋篠宮殿下とチョンマリー国家主席が握手をされているカラー写真が第1面に掲載されていた。両国の友好親善が確実に深まったことが実感できた。 

 

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2010年3月25日 (木)

辻本ツインズのバイオリン公演:ラオス開催

辻本ツインズ(明日香・恵理香)のバイオリンコンサートがラオスの首都ビエンチャンの「ラオス日本伝統文化教育センター」で2010325日に開催された。この会場はJICAの援助によって設立され、私の親友ハンサナ氏が運営している。

私は、辻本ツインズとハンサナ氏を結びつける役割を果たしただけであるが、ホームコンサートの楽しみを十分に体験させていただいた。食事とお酒で新しい出会いがあり、その後の音楽で心に潤いを持って帰る。この優雅さがラオスである。ベトナムにはちょっとない?

Dsc00707_2 曲目は次の通りであった。

1. Reel around the sun

2. Believe you

3. To love you more

4. Charm par flower / Free land song

5. Wishing a star

6. New Cinema Paradise

7. Song of life

 この4番目のラオスの曲は私が譜面とCDを昨年に持ち帰り、辻本さんにお渡しした。特に「自由な大地の歌」は国歌に次いで有名であり、ハンサナ氏のお父様が国歌と同様に作詞・作曲された。この曲を日本人演奏家が演奏するということは、おそらくラオスで初めてではないか。そう思うとハンサナ氏と同様に私も感情が高揚した。

 ホームコンサートという趣旨であったが、ラオス情報文化省の副大臣や首相府からも高官の出席を賜った。そこではラオスの音楽を学ぶ若い人たちとの交流を次回お願いしたいという依頼があった。これだけでもラオス公演は大きな成功であった。もちろん在ビエンチャンの日本人の皆様も多数お越しいただいた。JICA専門家OBの酒巻さんには司会をしていただいた。

 目の前でのバイオリン演奏という場面は日本で私は経験したことがない。わざわざラオスに来ていただいた辻本さん家族に心から感謝を申しあげたい。

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2010年3月24日 (水)

ラオスの秋篠宮さまと眞子さま

 24日の夕方にビエンチャンの「ラオ=プラザ=ホテル」にチェックインした。入り口で手荷物検査があり、どうしたのかと思っていると、秋篠宮さまと眞子さまが宿泊されているということであった。

Dsc00891  チェックイン時に宴会場で夕食会が開催されているようであった。馴染みのホテルのスタッフの興奮した雰囲気が感じられる。非公式の訪問とはいえ、政府にはできない友好関係の促進が皇室外交にあることを実感した。米国や中国には不可能な日本の優位性である。

 ベトナムとラオスに秋篠宮さまの関心が高いことは間違いない。ラオスでは家畜となったニワトリの原種である野生のニワトリの調査をされていると以前に聞いたことがある。またその前のベトナムでは1999年6月にハノイの日航ホテルに宿泊された。この時の私は、日本ベトナム経済交流センターが主催した関西の若手プロサッカー選手で組織された「J-関西」チームのお世話をしていた。

 このように振り返ると、秋篠宮さまとは偶然ではあるが、恐れ多くもご縁があるように思われる。

 私のラオス訪問は、友人のハンサナ氏の「テキスタイル博物館」の文化交流センターで開催されるバイオリンコンサートのお手伝いである。奏者は辻本姉妹である。

 辻本姉妹については、次を参照されたい。お名前通りに華やかな香りを漂わすような若い2人の演奏に、おそらくラオスの人々も感嘆するであろう。http://www.aia.ne.jp/~hirointl/ 

 25日の夕方に開演。ラオスの夜をバイオリン演奏で優雅に過ごす。楽しみである。

 

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これは珍品だ

 昨日、親しくしているPHU THAIN社のハイ社長を訪問した。同社はLED製品の製造販売ではベトナムの最大手である。

 こんな注文があると言って見せてくれたのが、以下の写真である。これはキューバに輸出する商品だそうである。

 野球場の電光Dsc00654_convert_20100324114923掲示板の得点を表示するプレートである。キューバで野球が盛んであることは周知であるし、ベトナムとキューバが友好関係であることも知っていたが、こんなところで結びつくことが面白い。出荷前に製品の作動検査をしているところであった。

 かつての有名ホテルであった湖畔のタンロイ(勝利)ホテルは、ベトナム戦争の勝利を記念してキューバがベトナムに寄贈した。今でも3☆ホテルとして人気があるようである。

 ベトナム戦争支援のためにキューバがベトナム派兵を提案した時に、故ホーチミン主席が「兵器やお金は返済できるが、血の援助は返済できない」と言って申し出を断ったそうである。ベトナム人なら自国に対する誇りを感じる名言である。

 こういった毅然とした態度や発言。最近の日本で少なくなったように感じるのは私だけではないと思う。

 ハイ社長は昨日がハイフォン、明日がホーチミン市と全国を飛び回ってのトップセールスである。元気な人を応援したくなるのは、日本人もベトナム人も関係ない。

 午後にラオス・ビエンチャンに移動する。この航空便も便利になった。これまでは早朝しか路線がなかった。ベトナムとラオスとカンボジア、この3国の関係の深化と拡大は、こういうことからも実感できる。

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2010年3月23日 (火)

お疲れ

 昨夜は、ほとんど睡眠を取っていない。親しいベトナム人に依頼されて日本語を添削していた。そもそも添削は難しい。原文を活用するためには、書き下しよりも時間がかかる。

 その後、ハノイ市内5ヶ所を訪問した。世界銀行のハノイ事務所で必要と思われる書籍を、馴染みの書店で英文雑誌を買った。これは、本があれば、手元に置いておきたくなる「持病」である。ちなみに病気の症状は次の2冊である。

 United Nations Conference on Trade and Development, INVESTMENT POLICY REVIEW VIET NAM, United Nations, 2008.
 Human Development Department East Asia and Pacific Region, VIETNAM Higher Educationand Skill for Growth, The World Bank, 2008.

 今日の昼食はVタワーの「おはん」。店長の板野さんは不在であったが、それに代わる元気なベトナム人が大声で「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる。店長の「躾け」の成果である。

 ハノイだけで日本料理店は70店を超えるらしい。それに加えて日本語の書かれたカラオケやナイトクラブが多数ある。ハノイも変わったものである。今からベトナムに来る人は本当に苦労知らずだと思う。といっても、私が滞在当時の1998年を苦労と思ったことはないが・・・。

 

 

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2010年3月22日 (月)

今日の仕事の内容

 私の今日の行動は次の通りである。

 午前9時30分~ロータス投資運用会社で会長・社長と会議
 午後0時30分~かつての同僚であったハノイ国民経済大学の先生と「紀伊」で昼食
 午後2時00分~国民経済大学・経済発展研究所の所長に面会
 午後3時00分~貿易大学の先生に面会
 午後8時00分~前ベトナム政府高官と「紀伊」で夕食

 なお、先週の土曜日にはリンさんと、やはり「紀伊」で夕食をご一緒した。リンさんは、拙著『ベトナムビジネスはいま熱い』(カナリア書房)の「重光商事」の項目で紹介されているベトナム人女性である。今は同社を退職し、第2子の出産準備と弟の結婚式のために日本から帰国中。会食中に日本勤務の夫・フンさんから電話があった。実に微笑ましい。彼女とは1998年以来、家族ぐるみの交際である。

 以上、それぞれの面会が有意義で内容充実。「種を蒔くから芽が出て花が咲く」。当たり前だが、どんな仕事においても基本である。それにしても「紀伊」で3回食事して、小林店長からは3回ご丁重なご挨拶を頂戴した。こちらがお客でありながら恐縮してしまう。

 今日の昼食では、ベトナムの「赤ひげ先生」と呼ばれる眼科医の服部先生と偶然にお目にかかった。「長い人間関係の中から信頼関係が醸成される」。これもビジネスの基本である。こういった関係が継続しているからこそ、私とベトナムの関係も継続している。

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2010年3月21日 (日)

バイディン寺に参拝:東南アジア最大の仏教寺院

 ハノイから自動車で2時間半ほどのニンビン省のバイディン寺を日曜日に参拝した。この訪問は、ハイハコトブキ元社長の鈴木徹弥さんと一緒であった。現在の鈴木さんは、ハノイ市内でポエメという洋菓子店を3店展開されている。

 ポエメについては以下のHPに詳しく紹介されている。
http://www.vietnam-sketch.com/column/japanese/2007/06.html

Dsc00449_convert_20100322205514_2  鈴木さんが初めてハノイに来られたのが1992年。ハノイ在住10周年の2002年には同じく10周年になる小松みゆきさんと一緒に小さなパーティを開催した。この時には、当時のJETROハノイ所長の肥後さんもご出席をいただいた。懐かしい思い出である。

 鈴木さんと初めてお目にかかったのは1994年。私のハノイ長期留学中の1998年にはハノイで大晦日を一緒に過ごしたことが記憶に残っている。鈴木さんは小松さんとともに長くハノイでおつきあいを賜っている日本人である。

Dsc00601_convert_20100322205330  鈴木さんのお店ポエメは、ハノイで最も繁盛しているケーキ小売り店である。理由は簡単。値段がリーズナブルで美味しいからである。

 鈴木さんのハノイ滞在20周年には、再び小松さんと共に何か企画を考えたい。ベトナムの大先輩に感謝である。

 なお、このバイディン寺の訪問については、岩井証券のHPの「上田義朗レポート」で詳細に紹介している。ぜひ参照していただきたい。http://www.iwaisec.co.jp/

  

 

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2010年3月20日 (土)

関空から再び

 2月末にフィリピンのレイテ島を訪問したが、今日からは本業のベトナム・ラオス・カンボジアに出張である。

 来週に掲載予定の岩井証券の「上田義朗ベトナムレポート」では、文字通り本来のベトナム現地レポートとなる。お楽しみに。

 それにしても関空のベトナム行きのチェックインカウンターに50メートル以上の行列ができる風景を初めて見た。私はハノイ行きであるが、これまでの夜間到着ではなく、午前11時に出発して午後3時前に到着するので便利になった。

 昨日の『日本経済新聞』では、ベトナム航空が路線拡大をすると報道していたが、まさに「昇龍」の勢いのベトナム経済を反映している。ノイバイ空港と市内にも高速鉄道の敷設が予定されている。インフラ整備に応じて空港需要も増大する。ベトナム航空も強気になって当然だ。

 それに比較して日本は・・・ということになるのだが、何も悲観する必要はない。少しばかり視点を広めて、こういったベトナムの成長力を日本に取り込む工夫をすればよいのだ。工夫というよりも、これまでの発想の転換である。

 日本人としての矜持と余裕をもって、アジアの人々と一緒に仕事をすればよい。ただ、それだけのことである。一緒に仕事なんて???という人は間接投資である。ベトナム株式投資は絶好の機会である。

 「ところで本の執筆は出来たのか???」というご質問はあるだろうが、旅行中も継続して書きますとしか言いようがない。努力しているのだが、それが不足ということだ。でも、余り頑張ると玉砕だ。これは困る。しかし士気の高い意欲的な兵士そして士官でありたい。

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2010年3月19日 (金)

今日は卒業式

 流通科学大学の卒業式が神戸ポートピアホテルで挙行された。

 私の親しい中国人留学生が学科首席で表彰された。しかし彼は中国で仕事中である。また情報学部の特別クラスで指導した女子学生が総代となった。

 どれだけ若い人々に「教員の想い」を伝えることができるかどうか。これが教育の神髄であろう。そのためにはレイテ島で奮闘した今堀大佐のように相手を「心服」させることなのかもしれない。これは難しいことだが、日常に心がけることはできる。

 自らの未熟を反省する。卒業式に列席しながら、このようなことを考えていた。

 

 

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2010年3月18日 (木)

最後のお休み

 原稿執筆に集中のためにお休みです。次回は19日から再開します。

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2010年3月17日 (水)

もうちょっとお休み

 原稿執筆に集中のためにお休みです。次回は19日から再開します。

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2010年3月16日 (火)

今日もお休み

 原稿執筆に集中のためにお休みです。次回は19日から再開します。

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2010年3月15日 (月)

今日はお休み

 原稿執筆に集中のためにお休みです。次回は19日から再開します。

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2010年3月14日 (日)

中国移民の影響:『週刊新潮』の記事に関係して

 中国の雲南省・広西チワン族自治区の「南下政策」は着実に進行中である。既報の通り、ラオスの首都ビエンチャンにも中国人居住区が形成されている。

 ラオスの永住外国人の現況は下記の表のようである。現在はベトナムが最多であるが、今後は中国人が急激に増加するであろう。

 中国人の移民は、ラオスだけの問題に限定されない。日本に中国人が大量に移住していることを『週刊新潮』(2010年3月18日号)が紹介している。

 「埼玉県 住人33%が中国人になった「チャイナ団地」現地報告」。このような見出しで埼玉県川口市の柴園団地の様子が紹介されている。

 中国人が日本で「野糞」するという状況が衝撃的だ。その理由は、めんどくさいから、そして自宅の水洗トイレの水がもったいないから。恐るべし。

 この対応策について同誌は言及していない。私見では、日本の中国人留学生もしくは留学経験者が何らかの対応の役割を果たせそうである。私が中国人留学生なら、何らかの具体的な行動を起こすであろう。中国人の愛国心を惹起させれば、こういった問題は解決するのではないか。

 それにしても果たしてラオスでも「野糞」現象が見られるのであろうか。この実態調査は余り嬉しくない。かつて陸路で1994年に中国・広州から南寧を経て東興を旅した時の「野外トイレ」を思い出す。今日は、シモネタで申し訳なし。 

          ラオスにおける永住外国人の出身国別人数

順位

出身国・地域

居住者数
(人)

10

11

12

ベトナム

中 国

タ イ

カンボジア

米 国

欧 州

ビルマ

その他アジア

その他

アフリカ

オーストラリア

不 明

8,795

1,825

986

979

401

191

154

127

84

19

16

6,794

(出所)あずさ監査法人・KPMG編『メコン流域諸国の税務』中央経済社、2009年、357頁。

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2010年3月13日 (土)

最強の戦闘集団にするために:『レイテ戦記』から

レイテ戦記 (中巻) (中公文庫) Book レイテ戦記 (中巻) (中公文庫)

著者:大岡 昇平
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 大岡昇平『レイテ戦記』(中)に次の記述がある。

 「しかし今堀支隊はこのような惨状にありながら、士気は衰えなかった。それは部隊長の今堀銕作大佐の温厚な人柄が部下を心服させ、困難な条件の中で、ダナオ湖を基地として、ハロ訪問に諸高地を占拠して、米軍の浸透を許さなかったといわれる。山麓のハロの砲兵陣地に斬込隊を送って、一五五ミリ長射程砲を破壊した」(96頁)。

 「部下を心服」させることが、企業経営においても最強の戦闘集団の条件であるかもしれない。言い換えれば、温厚な人柄、人間的魅力がリーダーシップの条件の一つと言いうる。今どき「心服」というのは死語ではないか。

 企業経営に関する高等教育を担当する人間として、自分自身の実践の中で上記を実証・実感できればと思う。その時こそ私の人生の最高峰になるような予感がする。このブログの副題である「実学」を探究できた瞬間であると考えられる。

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2010年3月12日 (金)

テレビドラマ『不毛地帯』が最終話を迎える

 テレビドラマ『不毛地帯』が3月11日に最終回を迎えた。この作品、極めて高い水準の出演者・脚本・映像・音楽であったと思われるが、視聴率は最後まで低迷した。

 同じ原作(山崎豊子)・主演(唐沢寿明)・放送局(フジテレビ)の『白い巨塔』が成功したことと対照的である。

 この両者の相違は、『不毛地帯』が原作当時(1960年代)を再現しているのに対して、『白い巨塔』は原作を現代的に変更している。原作の財前五郎が専門とする「噴門部癌」手術が唐沢寿明では「食道癌」となり、韓国版では胆管癌などを含む臓器移植に進化している。今回の『不毛地帯』における現代的な要素不足が、現代の若い人々に広く共感を得られなかった理由のひとつであると思われる。

不毛地帯 DVD-BOX 1 不毛地帯 DVD-BOX 1

販売元:ポニーキャニオン
発売日:2010/03/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 また主人公・壱岐正のモデルと言われた伊藤忠商事の瀬島龍三氏はすでに故人となってしまった。そのような人物に興味をもつ人は、やはり少数派であろう。旧ソ連のシベリア抑留者の補償問題は現代の未解決問題である。この視点からの脚本の再構成があってよかったかもしれない。

 しかしながら、すでに私は、このドラマのDVDを注文した。それほどに価値ある作品であると思っている。千里が「待っています」と言い、鮫島が「辞めるな」と叫ぶ。それらに対して壱岐がニヤッと笑顔を見せるのであるが、それぞれが微妙に異なった表情である。壱岐役の唐沢の十二分の演技力を示している。

 少なくとも何回もの鑑賞に堪えうる傑作と私は評価したい。おそらく一時の視聴率に左右されない息の長い「高視聴率」の作品になると思われる。

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2010年3月11日 (木)

ちょっと嬉しい資格

 先日、心肺蘇生法とAEDの講習を受講した経験を本ブログで紹介した。その成果があって本日の箕面船場ライオンズクラブの例会で修了証を受領した。文面は次の通りである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 普通救命講習修了証

第・・・・・・号  氏名・・・・・・  ・・・・・・生

 上記の者は、普通救命講習Ⅰを修了し、救命技能を有することを認定します。

交付年月日 平成22年02年22日

箕面市消防長
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大学教授は企業経営者と同様に、そのための資格を取得する必要はない。たとえば高校以下の教諭なら「教員免許」が必要であるが、そういった免許や資格とは無縁である。また必ずしも学歴も必要としない。その分野での専門性や特殊性の有無が大学教授の前提条件である。

 最近の大学生は、就職を有利にするために資格取得を考えるが、資格それ自体で「メシが食える」資格は、弁護士・医師や税理士・公認会計士など極めて少数であろう。

 そもそも企業経営者になるための資格試験などが存在しない。この意味で、その企業に就職するための資格取得というのは勘違いではないか。資格以外にもっと重要な要因が、就職のために存在している。これを教えるのが大学教員の仕事である。

 それはともかく、何か資格を所有することは自己満足になることは確かである。個人的に言えば、自動車免許証を数年前に私は放棄している。その中で上記の認定は嬉しい。

 数時間の講習を受講すれば、人命救助の資格を取得することができる。特に就職に有利になるとは思えないが、万が一の事態に遭遇した時に必ず他人の役に立つ。

 最近、この講習は自動車免許証の取得時に必須となっているそうである。心臓停止後3分間で死亡確率50%。この数字は銘記すべきである。最速の応急措置が人助けになる。ぜひ大学生を含む多数の人々に講習を受けることをお願いしたい。 

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2010年3月10日 (水)

岩井証券がコスモ証券を買収か?:小が大を飲む

 私は2006年からロータス投資運用会社(ベトナム現地法人)の顧問をしている。同社が運用助言している「heart04メコンのめぐみheart04」(オープン型投資信託)は、昨年10月に組成されたが、日本では岩井証券http://www.iwaisec.co.jp/)が唯一の販売会社となっている。

 なお同社のホームページでは、私の「上田義朗ベトナムレポート」を昨年12月から連載させていただいている。本ブログと合わせて参照していただきたい。

 すでに数多くのベトナム投資ファンドがあるが、この「heart04メコンのめぐみheart04」は、ベトナムのみならず、カンボジア・ラオスの株式市場に投資することを特徴としている。これら両国の株式市場の開設は、おそらく本年末から来年であるが、これら両国の投資が開始されてから、同ファンドの真価が発揮されるであろう。

 この岩井証券が、コスモ証券の買収交渉に入っていると報道された(『日本経済新聞』2010年3月10日)。岩井証券の沖津嘉昭社長とは、前述のようなビジネス関係もあり、何度かお話する機会があったが、この件は社長の「秘めたる決意」という領域に含まれていたようである。

 この買収を巡る企業経営上の意思決定は、その成否はともかく、高く評価されてよい。業界全体のみならず個々の企業における業績悪化時にこそ、前向きに新たなチャンスを追求する。そういった準備を日常に積み重ねる。これは「言うは易し、行うは難し」である。ましてや、預かり資産や資本金で見れば、「小が大を飲み込む」買収である。

 現在、沖津社長は日本証券業協会大阪地区協会の会長も務められている。大阪さらに関西の証券業界全体のことを考えても、同じく大阪を発祥地とするコスモ証券(旧社名は「大阪屋証券」であった)の業績低迷は懸念材料であったと思われる。事実、沖津社長の前任の地区協会会長はコスモ証券社長(当時)であった。

 コスモ証券が外資系または東京系の証券会社に買収となれば、大阪・北浜の地盤沈下のみならず、関西経済の停滞は加速されると思われる。証券業界再編の起爆剤になると同時に、関西経済の活性化の契機になることが期待ざれる。この意味で、岩井証券・沖津社長の英断を高く評価したい。今後の展開が注目される。

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2010年3月 9日 (火)

人生のピークは?

 『週刊現代』は私の愛読書のひとつであるが、最新号(2010年3月20日)に「東大からの人」「東大までの人」という特集記事がある。ちょうど東大の合格発表が3月10日であるから、タイムリーな企画である。

 要するに「東大までの人」は、人生のピークが東大合格の時点という人である。他人のことはさておき、私自身はどうか? なお「ピーク=頂上」の定義は様々であるが、その判断は各自で様々でよいと思われる。

 さて私のピークは、おそらく15歳の時である。こう言えば、なかなか早成・早熟である。これは、箕面市立第一中学校から甲陽学院高等学校に進学した年齢である。その後、浪人することもなく神戸大学そして神戸大学大学院に進学し、就職浪人も経験なく順調に就職することができたが、15歳当時ほどの熱い感激や感動はなかった。

 この15歳から今日まで40年間の歳月が過ぎている。そして今、それなりに第2のピークに到達したのではないか思う。若い頃の熱気はないのだが、これまでに積み上げてきた達成感が程よい適温で静かに感じるようになってきた。

 さて今から、新たな次のピークを目指したいと思う。レイテ島訪問で「死生観」の有無の重要性を体感した。私の場合は「生涯現役」と考えている。やりたいことが多数あって、できることなら「不老不死」が希望である。

 この「不老不死」の意味は、他人より以上に時間が必要という意味である。私は非効率的で不器用な人間だから、同じことをするにも十分な時間が必要である。たとえば、すでに自動車免許証を私は放棄しているが、その取得のために19歳当時の私は一般講習生の2倍ほどの時間がかかっている。要するに「鈍くさい」のだ。この意味で、自分の自由時間は多ければ多いほどよい。

 ただし、一つの道を歩むことは、日本人の美徳とされるが、ある時点から後進の邪魔になるのではないか。「老害」は避けなければならない。ある道を先頭で開拓する体力や気力や能力が弱化すれば、その道を後進に譲る方がよい。その代わりに自分の力で開拓が可能な複数の「枝道」に進みたいと私は思っている。

 ちょうど今は卒業式、そして職場では送別会の時期である。近い将来の自分自身の「送別会」で自分は何を語るか。その時から何をするのか。こんなことを考えるこの頃である。

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2010年3月 8日 (月)

フィリピン・補遺(完)

 フィリピンの首都マニラには、日本語で『まにら新聞』という日刊紙が発刊されている。料金は70ペソ。約150円である。紙面は、日本の一般新よりも小さいが、タブロイド判よりも細長い。第1面トップの記事は次のようである。

・2月26日(金)「68年ぶりの遺骨収集実現」比日米豪関係者が尽力:バタアンで戦死の旧陸軍操縦士
・2月27日(土)「両国担当者会合が中止」日本政府遺骨収集:比側高官の欠席で
・2月28日(日)「民間人21人を殺傷」武装集団、バシラン州で

 以上の3日間に限ってのトップ記事を見れば、日本とフィリピンの「戦後処理問題」は続いていると感じられる。ベトナムなどでは考えられないことである。また殺人事件はベトナムでも発生するが、政治的な背景をもった武装集団の殺傷事件はベトナムでは想像できない。

 これまでレイテ島について紹介したが、ルソン島の首都マニラにおいても日本海軍が米軍と市街戦を展開している。ここでゲリラとみなされたフィリピン人多数が日本軍によって殺害されている。他方、上記のような日本人の遺骨収集が今日も続いている。

 こういった日本とアジア諸国間の歴史的な問題は、中国や韓国のみならず、フィリピンにも存在していることを実感した。このことは、ベトナム・カンボジア・ラオスはもとより、少なくとも今日までタイやミャンマーでも気がつかなかった。フィリピン訪問の収穫である。

 

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2010年3月 7日 (日)

フィリピン・補遺(1)

 これまでレイテ島について紹介してきた。ここで思い出すことは、私の勤務先である流通科学大学の創立者・中内功(株式会社・ダイエー創業者)もフィリピンで終戦を迎えたことである。

 中内功は首都マニラのあるルソン島の飢餓の中から奇跡的に生還。この戦争体験は、その後の彼の平和に対する強い思いを形成すると同時に、物質的な豊かさに対する執着をもたらしたと思われる。

 小説・テレビ番組となっている『不毛地帯』(山崎豊子)では、東京裁判で亡くなった秋津中将の長男・清輝がルソン島で陸軍中尉として終戦を迎え、戦後は比叡山・天台宗の修行僧になっている。

 私の伯父は、中内と同様に満州(現・中国東北部)からフィリピンに移送され、レイテ島に向かう途上の輸送船で戦死した。

 以上のほかに多数の戦争を題材にした小説や映画がある。これらの戦争体験は二度と再現されないだろうが、それらを後世のわれわれは想像・共感することができるし、疑似体験できる。その上に、その舞台のフィリピンを実際に訪問すれば、その印象の陰影はより濃厚になる。

 これらの精神的な営みが、自らを反省・激励・成長させる。これが歴史そして先人から学ぶことの意味であると思う。 

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2010年3月 6日 (土)

レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(4・完)

レイテ戦記 (上巻) (中公文庫) レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)

著者:大岡 昇平
販売元:中央公論新社
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 レイテ島を訪問し、大岡昇平『レイテ戦記』を読んで、さらに戦略の過去を想起すれば、私見では、現代の日本企業における経営戦略の課題解決の方向性は次のように思われる。

 企業の経営戦略が誤ったからと言っても、軍事戦略のように人間の生命に常に影響するわけではない。それなら、思い切ってやってみることである。たとえ事業に失敗しても、社長を辞任して責任を取ればよい。その生命までも奪われない。

 このように考えると、日本と韓国のリスクに対する経営感覚の相違は、徴兵制の有無と言えるかもしれない。一般に、生死を分けることを前提にした軍事訓練の経験者と未経験者では、その意思決定の基準が相違するのではないか。

 ただし、だから日本にも徴兵制が必要という意見は極めて短絡的な結論である。「自衛隊の経験者が、同じ能力をもった未経験者よりも意思決定力=決断力に優れていて、経営者として成功する確率が高い」という仮説が検証されなければならないからである。また、自衛隊の未経験者であっても、果敢な意思決定によって成功する日本人経営者は多数存在していると思われる。

 ただ、ここで言えることは、死生観の有無が経営者の意思決定に影響するのではないかということである。一般に「死んだつもりになってやれば、何でもできる」と言うではないか。当然「死んだつもりなら、度胸がすわる」。子どもでも「必死で頑張ります」というような言葉を普通に使う。実際には死ななくても、経営者の場合は社長職を辞任すればすむことである。

 現在の成功したとみなされる経営者が死生観をもっているか否かは、別途に検証が必要であるが、少なくとも過去の日本人の多くは「武士道」に見られる死生観があったように思われる。それが明治以来の「軍人精神」に全部ではないにせよ伝承されてきた。

 ここで留意するべきは、この死生観の有無がイデオロギーに無関係なことである。たとえば日本の共産主義運動においても、『蟹工船』の著者・小林多喜二に代表されるように死を賭して信念を守った人々が少なからず存在している。「卑怯者、去らば去れ、我らは赤旗守る」。この「赤旗の歌」の歌詞には、やはり死生観が含まれていると思われる。(続く)

 

 

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2010年3月 5日 (金)

レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(3)

 セブ島からレイテ島に海路で2時間半で渡り、オルモックからタクロバンの片道100㎞を2時間で移動する。同じ時間が帰路に必要だから、移動時間は合計9時間。このように今回のレイテ島の訪問は強行軍であった。

 セブ島とレイテ島を1日で往復する。この旅程が可能であるが、Cimg1354_convert_20100307112150レイテ島での訪問地は短時間で限定的となる。タクロバンでは、マッカーサー将軍のレイテ上陸の像を見学して、日本から寄贈された観音像の写真を撮った だけであった。

 セブ島からレイテ島の移動を空路にすれば、時間の余裕があると思われる。ただし今回は、かつての激戦の地であるレイテ島を走るという目的があった。

Cimg1358_convert_20100307111233

 写真上は、オルモック港の桟橋からの上陸時に最初に目に入る風景である。写真下では、オルモック市内を車窓から撮影した。マニラ市内でも見られるジプニー(乗り合い自動車)が市民の足になっているようである。

 島の西側のサトウキビ畑からタクロバンに近づくにつれて、それが稲作に変化していく。リモン峠を巡る山岳ドライブでは『レイテ戦記』の描写を想起し、その当時の雰囲気が今でも感じ取れる。こういう経験は陸路ならではである。

Cimg1400_convert_20100304222615  写真左は、レイテ島に戻ってきたマッカーサー将軍を先頭にした巨像である。おそらく3mはある。足元が浅瀬になっており、上陸の臨場感を表現すると同時に、観光客が安易に近づかないように工夫されているように思われた。

 この像から左手=北側は護岸壁がタクロバン湾を囲むように長く続いているが、右手=南側は砂浜の海岸になっている。

 この像の説明板には、マッカーサー元将軍とマルコス元フィリピン大統領のサイン入りのメ ッセージが記載されている。マルコス氏のそれは「実行された約束の記念」という表題である。有名なマッカーサーの「I shall return.」という言葉に対応している。

 写真下は、マッカーサーの巨像から右手のタクロバン湾の海岸線である。椰子の実が点在しているDsc00381_convert_20100304000923。日本軍は、硫黄島のように水際撃退作戦の放棄を徹底しなかったために米軍の艦砲射撃で多数の戦死者を出したと言われている(『レイテ戦記』(上))。

 伝統的な戦略に拘泥する。成功体験が合理的な判断を誤らせる。精神性やメンツを合理性に優先させる。改革の勇気がない。責任を取る決断ができない。これらのことは、今日の経営戦略の失敗にも共通した戦略過誤の原因のひとつである。

 企業経営にとって戦略策定は重要課題であるが、その失敗が生命を奪うことは通常はありえない。これに対して本来の軍事戦略は多数の兵士や将校の生命の明暗を分ける。愚かな戦略に基づく命令に従って戦死した人々の無念に心が痛む。また、そういった理不尽な命令にも従わせざるをえない軍隊組織や政治体制の非合理的な風土は許されないし憤りを感じる。(続く)

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2010年3月 4日 (木)

レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(2)

Dsc00353_convert_20100304223330_2  セブ島に隣接するマクタン島の「ラプラプ像」である。セブ島の国際空港は、実はこのマクタン島にある。このマクタン島の酋長ラプラプは、マゼランによるスペインの侵略と戦った英雄とされている。

 セブ島にはゴルフ場があるので、ゴルフ目的の場合はセブ島が便利であるが、海洋リゾートが目的であれば、マクタン島である。透明度の高い海で珊瑚を眺める。マクタン島のリゾート宿泊の醍醐味であるが、私はノンビリと海辺でビールを飲んでいた。

Cimg1334_convert_20100304222324  マクタン島先端のシャングリラホテルからセブ島の高速艇スーパーキャットの港まで自動車で約40分ほど。船が出航してセブ島とマクタン島を結ぶ2本の橋 を通って、レイテ島に向かう。

 このスーパーキャットの乗船のために前日に電話で予約をしておいたが、その予約番号を忘れて、結局は当日券の扱いであった。なお全席指定席で、船内設備は充実していた。約2時間半の快適な船旅である。

セブ~オルモック オルモック~セブ
 05:45 AM    08:20 AM
 11:00 AM    01:45 PM
 04:40 PM    07:15 PM

 なお上記は、セブとオルモック間の出港時刻である。窓口で往復券も買えるので予約をすればよいだろう。片道650ペソ、往復1300ペソ。予約電話は、セブ島:(032)233-7000、オルモック:(053)561-9818。最新の出港時刻はセブ島の新聞などで予め確認すればよい。Cimg1345_convert_20100304001232

 レイテ島のオルモック港で日本から持参した焼酎の半分を日本人戦死者に献杯した。残りの半分はタクロバン湾用である。オルモックからタクロバンまで105㎞。港に着いて、すぐに自動車を雇った。往復で4時間の強行軍を依頼する。3500ペソの言い値を3000ペソとして出発し た。約7000円ほど。ベトナムの相場で考えて「妥当」という判断で合意した。

 日米の激戦が展開されたリモン峠では次の英文の説明を伴った慰霊の神社が建立されていた。これまでに多数の日本人がレイテ島を訪問し、戦死者を慰霊してきたことがわかる。以下のHPは、英文であるが、写真入りで詳細な説明がある。
http://www.dutchpickle.com/philippines/leyte/break-neck-ridge-leyte.html

Cimg1380_convert_20100304223003  「日本人の神社(BREAK NECK RIDGE):フィリピン解放における最も激戦があった場所のひとつ」と掲示されている。この地点は、大岡昇平によれば、「首折り稜線」(文庫版(上)、354頁)と訳されており、レイテ島上陸以来、米軍が初めて苦戦したリモン峠の頂上に至る登り口を示している。 (続く)

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2010年3月 3日 (水)

レイテ島の横断:オルモックからタクロバンへ(1)

 セブ島から高速船スーパーキャットで2時間半、オルモックに到着する。大岡昇平『レイテ戦記』(中)によれば、オルモック湾に米軍77師団が上陸し、レイテ島の日本軍は壊滅することになる。

 オルモック湾は、東側のレイテ湾の防衛線から後退を続けていた日本軍の後背の補給路である。ここから日本軍の精鋭と言われる第1師団も上陸した。米軍のオルモック上陸は、日本軍を挟み撃ちにすることになる。その戦略的な重要性は当然である。

 日本軍は補給路を開拓・確保しようとし、米軍はそれを遮断しようとする。その攻防は勝敗の帰趨を決する。では、その補給をどのように確保するか。その前にレイテ島で戦うのかルソン島で戦うのか。そして戦争全体の趨勢はどうか。

 このような戦争遂行のための現状分析に基づく全体的な構想が「戦略」であるが、それは企業における「経営戦略」の原点である。これは頭で理解できるのだが、感性の悪い私にとっては、これまで単なる知識の中のひとつにすぎなかった。

 『レイテ戦記』を読んでレイテ島を実際に訪問してみて上記のことが納得できた。このような意味で、大岡昇平『レイテ戦記』は経営戦略の観点からも読まれてよい大著である。

 おそらく同書が出版されて以来、多数の人々が同様のことを考えたと思われる。出版後にも長く読み継がれる「名著」とはそういうものであろう。(続く)

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2010年3月 2日 (火)

GMS(大メコン圏)諸国の基礎データ

 GMS(大メコン圏)に含まれる6カ国は、CLMV(カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム)に加えてタイと中国である。

 このGMS間の移住・移民に関するレポートをADB(アジア開発銀行)で入手した。この中でGMS6カ国の経済的・人口動態的な基礎データを岩井証券の次のHPの「上田義朗ベトナムレポート」で紹介した。http://www.iwaisec.co.jp/ 

 毎週1回の連載中。ぜひご覧になってください。

 日本の移民と言えば、日本人の海外滞在者数は36万人、外国人の日本在留者数は100万人。家族を含めると200万人になると言われている(「ウィキペディア」移民の項を参照)。

 一般的な移民(=人材交流)は経済要因に基づいている。人口の多い国や人口成長率の高い国から、より経済成長の高い国に向けて移動する。この意味では、ラオスやカンボジアが流出国になるはずであるが、カンボジアは流入国となっている。

 GMSの中ではタイが最大の流入国であり、105万人の定住外国人がいる(2005年)。それは主にラオス・カンボジア・ミャンマー人である。

 かつてのハワイやブラジルなどの日本人移民政策が、それらの国と日本の経済関係に少なからず影響していると思われる。同様にGMS間の移民問題も、それらの国々の経済成長にとって注目に値する論点である。また政治問題に転嫁される可能性もあるだけに、これらの国々の政治的安定(=カントリーリスク)の評価にとっても無視できない。

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2010年3月 1日 (月)

大岡昇平『レイテ戦記』を読む

 大岡昇平『レイテ戦記(上巻・中巻・下巻)』(中央公論新書)を日本からの飛行機の中で読み始めた。フィリピンのレイテ島に行くのだから、最もふさわしいと思われた。

 故・大岡昇平の著作では、これまでに国語の教科書に収録されていた「俘虜記」か「野火」のいずれかであったかの一部を読んだだけである。戦争に関する私の読書歴は、五味川純平の『人間の条件』や『戦争と人間』である。確か高校生時代に夢中で読んだ記憶がある。

 レイテ島で戦死した伯父は奈良県吉野郡の出身である。京都を中心とした第16師団がレイテ島に派遣されていることを小説の中で知ったが、奈良出身者も編成されていたのだろう。

 ただし伯父は輸送船の撃沈で死んだと言われている。セブ島からレイテ島に向かう船上から海に向かって日本から持参した焼酎で献杯しようと思う。これが今回の主要な訪問目的のひとつである。 

 同書の最初に「死んだ兵士たちに」という献辞が書かれている。故・大岡昇平が自らフィリピン戦に従軍しているだけに、この素っ気ない言葉の内容は重く読者にのしかかる。

 本書を「小説」と思って読み始めると意外な感じがする。本書は「戦記」であって「小説」ではない。この意味で、著者自らの体験や他の資料を交えた「ルポルタージュ」に近い内容となっている。だから迫力がある。また著者の「戦争史観」や「日本人観」が明確に主張されており、それも読んでいてわかりやすい。

 以上、上巻を読んでの簡単な印象である。大著であるが、早く読み進められそうである。

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