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2010年2月22日 (月)

カンボジアの小学校建設:『週刊文春』の記事の背景

 栗本英世『慈悲魔:カンボジア支援活動で見えてきたこと』(リーブル、2008年)という著書を読んだことがある。

 慈悲魔 カンボジア支援活動で見えてきたこと 良かれと思い行う援助が相手の人々を苦しめる 慈悲魔 カンボジア支援活動で見えてきたこと 良かれと思い行う援助が相手の人々を苦しめる
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 栗本さんは「カンボジアこどもの家」(http://www.cambodiakids.org/joomla15/)というNGO代表として長くカンボジアで仕事をされている。その著書で述べられていることで、次の文章は印象的である。

 「お金持ちが貧しい人々を支援することは難しいことです。貧しい人々の中から立ち上がる人々を支援するのがベストのように思います。お金・知識・能力をたくさん持っている人々は、いつのまにかおごり、人々を見下してしまいます。・・・私たち支援をする者は心して、おごらないように、威張らないように、人々を支えていかなければなりません。・・・(貧しい人々の問題を解決するための:引用者注)最高によいと思える方法は「友」になることです。相手の人を尊敬してはじめてできる人間関係です」(72頁)。

 「困難な中にいる人々に、私たちの考える幸せを押し付けていれば、相手の自尊心を傷つけてしまいます」(59頁)。

 私は、同書によってボランティア活動における謙虚さが重要であることを率直に学んだ。「相手の立場や気持ちに立って考える」という発想ですら「上から目線」であり、自省するべきであると同書は指摘している。

 支援される側の人々と友だちになって、心を通わせることから生まれる支援が本物である。真の友だちになるためには、一方的な愛情でもいけないし、もちろん相手との相性がある。こういう人間関係の構築に基づいた支援が本当の支援になる。

 さて偶然に『週刊文春』(2010年2月25日号)に次の記事が掲載されていた。「日テレ 行列のできる法律相談所」 美談のカンボジア小学校は荒れ果てた(146-147頁)。

 この記事は、アポなしの訪問で上記の小学校を訪問すれば、定期的な食料支給や飲料水の確保が実現されたとテレビで放映されながら、実際はそうではないと指摘している。「多くの生徒は貧困や病気のために登校困難。教師の給料は遅配が続き、五名いるはずの教師は二名しかいない」。

 この現状報告は、「NPO法人アジア交流協会」(http://www12.wind.ne.jp/asian-npo/)の石川正安理事長である。上記の栗本さんと活動団体は異なるが、次のような意見を述べている。「多くの人の善意を無駄にしないためにも、カンボジアの現状を広く検証した上で計画を進めて欲しい。このままでは数年後には廃校になってしまうことが予想されます」。

 少なくとも、新たなボランティア活動を開始する場合には、先行するボランティア活動の現状を調査したり、現地の日本大使館やJICA(国際協力機構)に相談したりすることが常識である。日本テレビの番組では、こういったことは無視したのであろうか。

 私のことで言えば、JICA前カンボジア所長の米田さんとお話したことがあり、JICA支援で建設された学校の理科系の実験機器の予算が不足していると聞いた。こういった現地が必要としている機材の供給支援が望ましいボランティア活動と思われる。小学校の建設は見栄えのする事業であるが、その緊急的な優先順位は必ずしも高いとは言えないように思われる。

 以上、『週刊文春』の問題提起に対する回答が、日本テレビには求められている。自社の予算で実施した事業ではなく、多数の人々の善意の資金が提供されているからである。

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