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2010年1月 2日 (土)

ベトナムの「牢名主」や「古参兵」の存在

 2010年1月1日にプノンペンからホーチミン市に移動した。お正月は、親しいベトナム人と仕事の話をして、その後に親しい日本人と夕食で「お節料理」を食べた。いずれも10年以上の交際があり、ベトナムで安心して話せる人々である。

 以前にハノイ在住の小松みゆきさん(日本ベトナム友好協会理事)と話をしたことがあるが、少し前までのベトナム在住の日本人の中では「牢名主」の存在感が強かった。

 ベトナムについて、いかにも熟知しているというような自慢話をしている日本人がいて、その場で静かにその話を聞いていた別の日本人に対して「ところでベトナムには何年お住まいですか?」と質問する。「私は1992年からですけど・・・」というような答えがあると、最初の日本人は「恐れ入りました。私は1998年からです。エラそうにして申し訳ない・・・」と対応する。

 典型的な途上国のベトナムで、今のように日本料理店が多数存在していない。その中で古くから生活する日本人に対して、後輩の日本人は敬意を払った。このことを「牢名主」と小松さんは表現した。

 これは旧帝国陸軍の「古参兵」にも似ている。若い上級将校が赴任してきても、実戦経験が豊富な古参兵には敬意を払う習慣があったようである。それは当然である。実際の戦闘で頼りになるのは歴戦を経た古参兵である。

 たとえばベトナムで交通事故を起こした。被害者の場合も、加害者の場合も大変だ。理由もなく公安に連れて行かれた。自宅や会社で泥棒に入られた。税務署が自宅に調べに来た。「美人局(つつもたせ)」の男性が会社に乗り込んできた。売掛金が入ってこない。支払いのドル転換ができない。・・・・・・こういった出来事の対応は、新参者に対する引き継ぎでは十分になされていないように思われる。

 私のベトナム初訪問は1994年であるから、それほど自慢できないが、少なくとも「第1次投資ブーム」を感じることができた。また1998年のハノイ滞在では「アジア金融危機」の影響を実感できた。ハノイで住友商事が開発したタンロン工業団地は失敗だと多数の人々が思っていた。確かに当時、タンロン工業団地の今日の成功を想起できた人は少数であった。

 ベトナムにおける日本人の「牢名主」や「古参兵」に対して、私は敬意を払いたいし、そういった人々がベトナム発展のために、さらに貢献していただきたいと心から願っている。そのためのお手伝いができればと私は考えている。

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