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2009年5月31日 (日)

ラオス証券市場の開設は順調に進行している(1)

 世界同時不況にもかかわらず、ラオス証券市場の開設は予定通りに進行中である。ラオスの英字新聞Vientian Times, Friday April 10, 2009の記事を紹介する。

 ラオス政府は、最近の世界経済停滞や資本市場の変動にもかかわらず、本年末に証券市場を開設するという計画を変更していない。ラオス国立銀行総裁であるプーペット・カムフンヴォン氏が述べた。彼はラオス証券市場設立委員会の監督者の職責にもある。

 中央銀行がビエンチャンで開催した証券市場を理解するためののマスコミ向けのワークショップにおいて証券市場の開設のスケジュールを早めることを確約した。世界の国々は、特に証券市場が深刻な経済停滞に直面した国は、現地および国際的なエコノミストの中から真剣な懸念が表明されているところである。このような状況においてラオスに資本市場が必要なのかどうか疑問が提起されている。

 ラオス政府は、外部の経済環境と同国の制約条件によって困難に直面しているけれども、本年末の証券発行市場そして2010年の完全な市場の開設に向けて順調に準備を進めてきたとプーペット氏は述べた。

 政府は、証券市場の設立のために韓国の会社と合弁事業契約を締結した。その株式所有比率はラオス側が51%、韓国側が49%である。この合弁投資額は約二千万米ドルである。証券取引所は、ビエンチャンの新しい450 YEAR ROADに設置される予定である。

 プーペット氏によれば、市場設立委員会は法的文書の改訂作業をしており、市場開設前の仕事に加えて、開設後の市場で働く職員の訓練をしている。

 現在ラオスのビジネス人は、短期融資を提供するだけの銀行からの資金調達に加えて、ラオス発展のために投資資金を証券市場によってラオスは動員できる。このために証券市場は不可欠であると彼は述べている。

 「政府は2020年までに世界の最貧国からラオスが離脱することを目標にしている。それを達成するためには膨大な資金が必要とされる」。(以下、続く)

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2009年5月30日 (土)

1年生「基礎演習」の懇親会:真面目な店と学生と・・・

 流通科学大学では1年生の学生に対して「基礎演習」の科目を必修にしている。レポートの書き方・プレゼンテーション・数理的思考などの基礎的・入門的な演習を少人数で行うことが内容である。

 私の担当学生は13名であるが、これまでに毎回レポートの宿題を出してきた。またSPIの練習問題を解いてきた。最近のレポートのテーマで「保護主義」を取り上げた。ちょうど最新の『日経ビジネス』(2009年6月1日)でも、日本の保護主義に関する実態が紹介されている。

 保護主義は利己主義・自己中心主義と同じではないか。土曜日であるにもかかわらず、こんな問題提起をして基礎演習の講義を終えて、その後の懇親会のために三宮に向かった。要するに、懇親会をするので、それならその前に勉強もやっておこうという趣旨である。

090530_19440001  大学生の懇親会の場合、未成年の飲酒が問題になる。この店では、酒類を注文する場合、店の方が身分証明の提示を求めるようになっている。こういったコンプライアンス(法令遵守)はビジネスの基本である。真面目な店である。さらに望むとすれば、飲酒の場合に自動車運転をしないという確認をするべきであった。コンプライアンスの徹底はブランドの維持と向上にとっても重要な戦略となりうる。

 それはよいのだが、この1年生が成人後の飲酒の作法は、自分で学ばざるをえない。最近の学生は、それを学ぶ前に「お酒は飲みません」という反応をする。これは、自ら学ぶ機会を自ら放棄することを意味すると思うのだが、そうだからと言って、教員の立場としては飲酒を強要することはできない。

 私の大学生時代よりも、店の方も学生の方も真面目である。日本は、明らかに真面目な社会になったと言える。それは、それだけ何事にも萎縮した社会を意味しているようにも思われる。簡単に言えば、怒られるのがイヤ、問題になるのがイヤ、問題回避、責任転嫁の姿勢である。確かにコンプライアンスは当然の課題であるが、それを過度に意識すると社会の活力や創造性が失われる。

 私は、真面目な店や学生を見ながら、こんなことを考えていた。こういった真面目な日本人がベトナムに言って、最初にオートバイや自動車の洪水に驚いて、次にその洪水が信号もない交差点を通過する様子を見て再び驚く。

 こういう体験を学生にさせると、少しは元気が出てくるのではないか。閉塞した日本社会から解放される効果がベトナムにあるように思われる。そこから新しい発想や生き方を学ぶ。ベトナムの教育効果であるが、そういう話をしても、真面目な1年生の理解の範囲を超えることが多いように思われる。

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2009年5月29日 (金)

ベトナムと北朝鮮:柔軟性と頑迷性の相違は?

 『日本経済新聞』(5月26日・夕刊)によれば、「ベトナム政府はNASA(米航空宇宙局)から宇宙開発に関する技術を導入する」ことで米国と合意した。

 これよりも先には、原子力発電の技術開発もベトナムは進めることを発表しているが、これも日本を始めとする外国の技術供与を期待している。

 このような柔軟で現実的な姿勢は、北朝鮮と好対照になっている。ベトナムと北朝鮮は友好関係にあるが、ベトナムの柔軟性と北朝鮮の頑迷性の相違はどこからくるのだろうか。

 儒教の影響を受けた中国周辺国としてベトナム・日本・韓国の共通性が指摘される。この観点からは北朝鮮もこの3カ国と同様なのだが、それでは上記の相違を説明できない。

 ここで観点を変えてみれば、かつてのベトナムも日本も戦争時には頑迷な国であったという見方もできる。太平洋戦争時の圧倒的な戦力の相違があるにもかかわらず、日本は頑強に戦い続けたし、ベトナムも屈強に米国と戦った。

 以上のように考えれば、現在の北朝鮮は戦時下の精神状態にあり、それはかつての日本やベトナムと類似していると指摘されうる。北朝鮮が戦時下の興奮と緊張の状態にあるなら、その頑迷性は理解できる。そうであるとすれば、現在の北朝鮮に対して平和時の感覚での外交交渉は通用しないであろう。

 かつての戦時下にあったベトナムや日本が、現在の北朝鮮の立場ならどうするか。こういった想像力を働かせることが北朝鮮の問題解決の「糸口」になるように思われる。現在の日本や国際社会の常識的な発想や感覚からは、現在の北朝鮮に的確に対処できないのではないか。

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2009年5月28日 (木)

ラオス証券取引法(草案)の概要:楽しみなポートフォリオ投資の到来

 すでにカンボジア証券取引法は紹介したが、それに次いでラオスの証券取引法(草案)が入手できた。

 正式名称は「証券と証券取引の政令(Securities and Securities Exchange Decree)」である。全部で10章・79条で構成されている。

 第1章 総則
 第2章 証券取引委員会
 第3章 証券発行と公募
 第4章 証券会社
 第5章 証券取引
 第6章 外国投資家の参加
 第7章 禁止行為
 第8章 情報開示と外部監査
 第9章 賞罰
 第10章 最終規定

 以上は簡単な内容であるが、要点は押さえている。また草案であるために、今後の修正がありうる。この政令の英語版があると言うことは、おそらく外国人の助言を受け入れるための原案という位置づけである。この草案と最終の法令とを比較すれば、その助言などの内容を想起することができる。

 『日本経済新聞』(2009年5月28日)によれば、外国投資を再開したこともあり、ベトナム株式が上昇基調を強めていると報道された。ただし「第2四半期の企業業績が投資家の気合いを裏切る結果となれば、株式市場の熱気が急速に冷え込む可能性もある」と指摘されている。

 この指摘は正しいが、おそらく企業業績の明暗が、株価に反映することになると思われる。好業績のベトナム株式を所有しながら、草創期・黎明期のラオス株式やカンボジア株式の投資によって大きな利益を獲得する。こういったポートフォリオの投資が楽しめる好機が早晩に到来する。

 

 

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2009年5月27日 (水)

ブログの方針を変更します:コメントを歓迎

 今日は、勤務先の流通科学大学で2回生を対象にしたゼミ(研究演習)の説明会があった。ここで、私の活動や考え方は本ブログを見てくださいと明言した。

 そこで今後、私のブログについてコメントを歓迎することに方針を変更しますlovely。ただし、私の責任と趣味でコメントを削除しますので、ご了承ください。こちらは積極的・建設的なコメントを期待していますが、そうでない場合は削除します。

 なぜ削除するかと言えば、私は自分の姓名・仕事・経歴まで明らかにしているのに、コメントの投稿者は匿名の場合が多いからです。これは明白に不公平です。匿名の人に対して「削除はけしからん」という権利はないと考えています。もちろん建設的なコメントと判断させていただける内容なら、匿名のコメントも歓迎です。

 コメントと返答を通して有意義な対話ができれば幸甚です。これは、学生に対してコミュニケーション能力の向上という教育効果があるようにも思われます。

 これまでも何人かの方々からは、本当に有益で貴重なコメントを私のメール宛に頂戴しております。そういった方々は、わざわざメールを送らなくても、コメント欄に自由に投稿していただければと思います。しかし名前を公開することになるのは困る方もおられますね。なかなかブログの運営は難しいです。

 「shock炎上wobbly」しないように以上のように頑張ってみます。 どうぞ今後とも、本ブログをよろしくお願い申し上げます。

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2009年5月26日 (火)

ベトナム人のカンボジアに対する歴史観:司馬遼太郎の指摘を検証する

 司馬遼太郎『人間の集団について:ベトナムから考える』中公文庫(1996年改版)は今読んでも面白い。

 初版が1974年であるから35年前の内容であるが、少しも古さを感じさせない。同書の最初ではベトナムについて辛口に論評されており、少しばかり反論したくなるのだが、「巨匠の司馬遼太郎を批判するわけにはいかん」と思って自制してしまう。

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 しかし読み進めると、ベトナムに対する司馬氏の愛情・親近感そして優しい眼差しを感じ取ることができる。そして読後は、ますますベトナムを好きになるという結果になる。当初の反論したくなる気持ちも、いつの間にか消散してしまう。

 司馬氏の文章の中に「メコンデルタを、ベトナム人がわずか二百年足らずの昔に軍事占領し、カンボジア人から奪ったというのは、もはや時効である」(233頁)という指摘がある。

Dsc06245_2  先日の月曜日のセミナーに出席のベトナム人にカンボジアのビジネスについて言及し、プノンペン市内の王立博物館に展示されたチャンパ・クメール・モン族の最盛期の領土地図を見せた。現在のベトナム中部までがチャンパ族の領土となっている。

 その領土をベトナム人が侵略したのである。これについてベトナム人の反応は、「そんな昔のことは時効だ」というものであった。司馬氏の指摘は実証された。二百年の歳月が歴史問題の「時効」期間なのかもしれない。

 確かに日本でも、明治維新当時の薩摩藩に対する会津藩の遺恨は百年を経過しても残存していると聞いたことがある。しかし今さら、四百年以上も前の「関ヶ原の戦い」の東西の対立に目くじらを立てる日本人は少数であろう。

 ベトナムの格言にあるように「過去を忘れず、されど怨まず」である。この地図がカンボジアの博物館に展示してあることの意味をベトナム人に考えてもらいたいというのが私のコメントであった。ベトナム人には十分に理解できることであったと思う。

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2009年5月25日 (月)

流通科学大学・東京オフィスでベトナム人研修セミナー開催:ベトナム商工会議所の流通小売視察団を迎えて

 私の勤務先の流通科学大学は東京駅に隣接するサピアタワーに「東京オフィス」を開設している。東京でのセミナー開催や、学生の東京での就職活動を支援する目的である。同じ9階には関西大学や埼玉大学の事務所がある。注:写真は以下からの引用である。http://www.jebl.co.jp/outline/sapiatower/index.html

Pt_01  この流通科学大学・東京オフィスで、ベトナム商工会議所主催の「ベトナム企業経営者・日本流通小売業視察団」を迎えたセミナーが開催された。このセミナーの講師を私が担当した。ベトナム商工会議所からの依頼によって、私が副理事長を務める日本ベトナム経済交流センターが、これまでにも金融証券業など日本の視察先や研修先をご紹介してきた。

 今回のセミナーでは、日本の流通小売業におけるPBや差別化戦略・ブランド戦略について話をした。また、それぞれの研修参加者の企業の課題について簡単な助言や示唆を述べた。

 今回、特に興味深かったことは、参加者のベトナム企業の皆さんの顔ぶれである。ハノイの貿易大学の近くのタイハーでスーパーマーケットを経営しているホアさんは、数年前に私の講義を貿易大学で受けたと言われていた。これは、おそらく「ベトナム株式セミナー」のことである。

 同じくハノイのサニー・オーシャン・ベトナム社は、私が序文を書いたブレインワークス社編『ベトナム成長企業50社:ハノイ編』(118~121頁)に掲載された企業である。ベトナムから日本の「100円ショップ」ダイソーにも商品を納入しており、さらに取引先を拡大したいとザン社長は述べられていた。 

 ホーチミン市からのニャーべー縫製企業は以前に企業訪問したことがある。この会社は日本の委託加工生産を請け負っているが、やはり自社ブランドで国内販売したいという要望であった。同業のヴィエッテン社が自社ブランドの育成に努力していることを考えれば、今後は外国人デザイナーなどとの共同開発などによるブランド戦略があるのではないかとアイデアを提供した。

 また縫製販売のアンフック縫製刺繍シューズ会社は、日本の商社の紹介でピエールカルダンをベトナムで製造・販売しており、アンフックという自社ブランドで国内販売もしている。このアンフックの店はベトナム全土で店舗を展開しており、ベトナムでは上記のヴィエッテンと並ぶ高級ブランドを確立している。同社のデイェン社長にお目にかかれて光栄であった。

 このような視察団はベトナムを23日に出発し,24日の早朝に成田到着。本日25日から29日まで日本の流通小売業を訪問・見学する予定となっている。もっと時間があれば、もっとお話もできると思ったのだが、それが残念であった。皆さんとはベトナムでの再会を約束した。

 この視察団の費用は自前である。ベトナム人が自分のお金で来日する時代になってきている。それだけでもベトナム経済発展の証明である。こういった成果をベトナム帰国後に活用するための最大の悩みは、ベトナム人従業員が思うように動かないことである。この改善策を今回の講義で皆さんにお話しした。その要点は2点である。

 第1は、率先垂範の姿勢を経営者が粘り強く維持すること。第2は、ムダを省いて仕事の効率化をすることである。第1の説明は不要であろう.。第2は、従業員のムダな負担を省いてやらないと、新しい仕事を進んでやらないということである。この「ムダを省く」という指摘は研修生にとって印象的であったようである。日本語の「ムダ」がベトナムで普及してもらいたい。今回の訪問視察団の有意義な成果を期待したいし、ベトナムでの再会が楽しみである。

 

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2009年5月24日 (日)

最近の訃報に接して:ご冥福をお祈り申し上げます

 私の10年来の友人であるベトナム人・リンさんのお父さんが亡くなった。リンさんが大学生の時から私は知っているが、今は結婚して一児の母となっている。リンさんが日本の会社に就職して、お父さんとお母さんを日本に招待した。その時に京都や奈良をわが家総出で案内した。懐かしい想い出である。

 お父さんに日本食が合わなくてリンさんは苦労していた。一緒に数カ所のベトナム料理店で食事したが、なかなかOKが出なかった。あのお父さんが亡くなったというのは、私にとって感慨深いものがある。娘を信頼して娘の自由にさせた教育方針に確かに私は影響を受けた。また私の名刺を大事にもっていただいて、それをお父さんは私に見せてくれた。何か娘にあった時は頼りにしているという意味であった。

 次いで毎日放送の報道局長であった樺沢さんの訃報を受けた。大阪の千里会館の葬儀は無宗教の音楽葬であったが、薫り高い多数の花束に覆われた葬儀は厳粛であり、かつ心暖まる雰囲気であった。阪神大震災の時に毎日放送(MBS)の報道局長として陣頭指揮を執られたそうである。脚立の上に登ってフロア全体を見渡して総指揮をされたという逸話は目に浮かぶようである。

 樺沢さんと私は、日本ベトナム経済交流センターの理事として一緒に仕事をした間柄である。もっともっとご教示をいただくことがあったと思うのだが、それが実現しなかった。毎日放送を退職後は大手前大学教授に就任されており、これから共通の仕事ができると楽しみであった。享年64歳は早すぎる。同じ箕面市の住人であり、私の出身の箕面第一中学のご近所に住まわれているということだけはお聞きしていた。結局、ご自宅を訪問しないままの別離となった。残念である。5月19日がお誕生日でその前日のご逝去であった。

 韓国の盧武鉉前大統領が自殺したという。ソウル大学出身のエリートが権力をもつのが当然の韓国社会において、前大統領は異質の人物であった。韓国社会の伝統的な常識を打破した人物として私は彼を評価していたし、そういった人物を大統領に選出した韓国社会の民主主義の成熟度を私は彼から実感させられた。

 政治家であるから、当然に反対勢力からの批判がある。しかし盧武鉉氏の人柄に私は好感をもっていた。その晩年の汚職事件は私も残念に思っていたが、周囲の人々よりも彼自身が最も本気で自責の念にかられていたのであろう。韓国の歴史に残る大統領であったと思う。

 それ以前に日本銀行総裁であった速水さんが亡くなった。速水さんは岳父を通して私の勤務先の流通科学大学のご講義をお願いしたことがあった。残念ながら日銀総裁の退任後もご多忙のようで依頼をお引き受けいただけなかったことが残念であった。商社を経験された日銀総裁として異例の人物であったと思う。

 以上、私の誕生日5月20日を前後して何人かの方々が逝去された。私自身の人生を振り返る機会を頂戴したように思う。人間いかに生きるか。死ぬ瞬間まで考えなければならない課題である。皆さまのご冥福をお祈りしたい。

  

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2009年5月23日 (土)

「社会主義の初期段階」中国の立場はベトナムと違う

 ベトナムは社会主義を指向する国であるが、現状は社会主義国ではない。社会主義に向かう過渡期として現状を認識している。

 これに対して中国は「社会主義の初期段階」であると明確に自国を規定している。このように明言してしまうと、中国共産党の現体制の崩壊は、そのまま社会主義の初期段階の崩壊を意味することになる。これは、これまでの中国現代の歴史を全面否定することと同じである。このように考えれば、中国共産党が現体制を維持することを最優先にすることは理解されうる。

 以上は比喩的に言えば、次のように理解できる。ベトナムは「社会主義」と婚約しているが、正式の結婚までに至っていない。ベトナム経済の発展という観点から、「社会主義」の固定観念となっている諸要件の変更も迫っている。たとえば計画経済よりも当面は市場経済の発展を優先するといったことである。

 おそらくベトナム型の「社会主義」になった時点で結婚することになるのであろう。「ベトナム社会主義共和国」の成立である。これに対して中国は、社会主義の初期段階と宣言してしまった。こうなると社会主義=現体制という意味になる。現体制の発展が社会主義の発展ということを意味する。これは、ベトナムと比較して社会主義の体制や運動に関して柔軟性に欠ける。もはや正式結婚を宣言したからには、簡単に離婚したり、相手の既存の 「社会主義」に注文を付けることは難しい。これは、自分で自分の手足を束縛したという印象を受ける。

 私の周囲のベトナム人は、中国が「社会主義の初期段階」と規定していることについて「へーぇ、それはチョット・・・???」という反応である。中国が「社会主義の初期段階」という規定は時期尚早という見解がベトナムでは一般的であるように思われる。

 政権を担う一党独裁の共産党の考え方が中国とベトナムで相違している。中国よりもベトナムが柔軟な思考と施策を採用できると私には思われる。「社会主義の初期段階の中国」と「社会主義に向かう過渡期のベトナム」を比較することは、社会主義の現代的な意義や内容を検討することに連結している。

 両国の社会主義理論の到達点はいかほどのものなのか。それらのことをビジネスの観点から見れば、中国とベトナムの「カントリーリスク」の評価と同じである。じっくり考えてみたい課題である。こういう思索ができる国としてベトナムは魅力な国家である。

 ただ儲かればよいという単純な目的を達成するだけの国では、おそらく世界史的には軽視されるであろう。この意味でベトナムは興味深い。振り返って同様に、今後の日本の国家的な理念が検討されてもよい。「経済大国」を実現した次の日本の世界の中での存在意義は何か? ベトナムを見ていると、どうしても日本を考えてしまう。日本人とベトナム人の気質が似ているからであろうか。 

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2009年5月22日 (金)

ベトナム・ズン首相の積極的な域内市場開放の姿勢を高く評価するべきである

 ベトナムのズン首相が、日本経済新聞社が主催する「第15回国際交流会議:アジアの未来」に出席するために来日し、21日に都内のホテルで講演した。

 ズン首相は、来日前の4月に中国・広東省や香港を訪問してベトナム投資の促進を訴えている。いわば「トップセールス」で中国からの直接投資を促し、ベトナム経済成長の維持を企図しているとみなされる。

 ズン首相は「金融危機の影響を受けた地域経済の回復へ「アジア諸国間の貿易促進」を唱え、域内の需要が主導する成長路線への転換を主張」した。さらに「国際的に台頭する懸念が出ている保護主義の機運を警戒し「保護主義と閉鎖主義に対抗しなければならない」と言明。効果的な貿易体制構築に向けてアジア太平洋経済協力会議(APEC)やアジア欧州会議(ASEM)などの枠組みでアジア諸国が連携する必要がある」とも語った(『日本経済新聞』2009年5月21日夕刊)。

 ベトナムから見れば、米国を始めとする保護主義や閉鎖主義によってベトナムからの輸出が制限されることが懸念材料である。事実、米国人が好んで食べる川魚キャットフィッシュについて、米国内の漁業関係者はベトナム輸入品を排斥しようとする意向が継続している。ズン首相は、このような動きを牽制する意図があると思われる。

 社会主義を指向するベトナムであるが、現実の問題として自由主義貿易の堅持を主張している。「バイ=アメリカン条項」を主張して保護主義を採用する米国と好対照である。自由主義経済を主張するベトナムと、保護主義・閉鎖主義経済を主張する米国という事実は、世界史的な時代の転換を象徴していると私には思われるのだが、日本のマスコミは注目しないようである。

 先入観と既成観念に囚われていては、現代の大きな変化を把握できない。このような時期が今ではないのだろうか。ズン首相の講演の報道を読んで、このようなことを私は考えた。

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2009年5月21日 (木)

カンボジア中小企業の育成:具体的な考え方

 カンボジア政府は中小企業(SME)の育成が重要であることを認識し、その経営環境の改革に着手した。チャム=プラシッド(Cham Prasidh)商業大臣が2008年8月に表明した。

 その改革には、営業許可と登録手続きの合理化を内容としており、不必要な形式主義の廃止、営業登録費用の削減、をおり、政策をもっており、鉱工業エネルギー省の中小企業局のLay Navinn局長は次のように指摘した。

 「融資の申請や評価は、SMEの現状を考えて単純化されなければなりません。また新しい金融機関や金融施設もSMEの金融ニーズにより合致するように設立されてきました」。

 すでに改革は影響を及ぼしている。世界銀行のカンボジアのウェブサイトで引用されている起業家Leap Roth氏は次のように述べている。彼は、コメの脱穀機・トラック・農業機器の販売会社において従業員10名を雇用している。

 「ACLEDA銀行から私の妻が借りた4000米ドルは、必要な資材を購入する運転資本となり、注文に即座に対応することができます。また販売機器の在庫も増やすことができますから、安定した所得を確保できます」。

 上記のLayNavinn女史は述べる。「政府は、貧困との戦いにおいてSMEが重要な役割を果たすことを認識しています。経済発展を促進し、雇用と所得を創出します」。

 実際に政府は、SME育成を特に目標にした13の政策が含まれた「長方形戦略」(具体的内容は不明――引用者注)を2010年までに実施するために全国的なSME小委員会を設置している。

 カンボジアコンピュータ協会の設立者で会長でもあるKenChanThan氏は、「SMEは、大企業よりも柔軟であり、消費者の趣向の変化により迅速に対応し、新しい仕事を創出する」と指摘している。さらに次のように彼は続ける。

 「持続的な方法で貧困を削減する唯一の方法は、富と雇用の創出を通した経済成長の促進である。カンボジアにおいてSMEは所得の主要な源泉であり、起業家と雇用提供者のための養成所なのです」。 

(出所)Economics Today: Cambodia’s Business Magazine, Volume 2, Number22, September 1-15, 2008, p12.

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2009年5月20日 (水)

FTA(自由貿易協定)における農業問題:韓国のベトナム戦略に注目(1)

 日本では農業の将来について国家戦略が確定していないように思われる。貿易自由化は世界の潮流であり、その中で日本農業の「位置づけ」を政府は明示しなければならないと思う。

 私見では、今後の食糧問題の解決の道筋が、近づく衆議院選挙の争点になるべきであるし、それは国民の懸念材料のひとつを軽減するために必要である。

 将来の不安や不確実性から開放されるためには、将来像を明示することである。その将来像に賛否があって当然だが、その賛否にかかわらず、将来像が確定されれば、それに対処する方法を各自で検討できる。

 これは、たとえば人間の死の問題を考えるとよい。人間には必ず死が訪れるが、その時期は不確実である。その不確実性に対処するために生命保険があったり、医療機器・医薬品が開発されたり、安全・防犯体制が整備されたりしている。そして死は万人に平等のために不公平感はない。

 人間は死という不確実性に直面しているが、現在の大多数の日本人は不安にならないで日々生活している。死の恐怖や懸念から開放されて当面の仕事をしている。それは以上の事情があると思われる。

 このように考えれば、日本の崩壊とか破綻が予想されるとしても、それに個々人が対処すれば将来に不安はない。税金を払わない。外国に移住する。外国資産を保有する。日本で資産をもたない。今できる最大の対策を実行する。最悪のシナリオを前提にすれば、日本に何があっても不安はない。今日の日本政府を見ていると、このような対応を取らざるをえないと考える人が増えるような状態である。

 それが好ましいはずがない。国家も企業と同様で継続性の維持が大原則である。国家や民族そして文化が未来永劫に続くことは、どの国にも共通した理念であろう。

 こういう観点から日本の農業を考えてみたい。私は、「日本人の私が作りました」というベトナム産のコメや、ラオスやカンボジア産の野菜や果物を食べてみたいという立場だが、農産物は必ず日本で作らなければならないという立場もある。それなら「ベトナム人の私が作りました」という近郊野菜の生産はどうだろう。人手不足の農家を外国人が支援する。他方、農産物については、日本人が日本で作らなければならないという立場もある。

 二国間のFTA(自由貿易協定)や多国間のWTO(世界貿易機構)を議論のための議論にするのではなく、具体的な施行・実施の内容を日本が決定する必要があるのではないか。問題の先送りを日本人は得意だが、世界は待ってくれない。

 以上のような問題意識で、FTAの下での韓国とベトナムの農業について紹介する。大きいテーマなので、何回かの中断をご容赦いただきたい。(以下、続く)

 

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2009年5月19日 (火)

カンボジア中小企業(SME)の定義

 カンボジアにおける中小企業の定義は次の通りである。資本金と労働力の2通りに定義されている。資本金は土地を除く資産額、労働力は常勤従業員数で示される。

 資本金
・零細企業:5万米ドル以下
・小企業:5万~25万米ドル以下
・中企業:25万~50万米ドル以下
・大企業:50万米ドル超

 労働力
・零細企業:10人以下
・小企業:11~50人以下
・中企業:51~100人以下
・大企業:100人超

(資料)Cambodian Government’s Small and Medium Enterprise Development Framework, July 29, 2005.

(出所)Economics Today: Cambodia’s Business Magazine, Volume 2, Number22, September 1-15, 2008, p12.

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2009年5月18日 (月)

新型インフルエンザについて:なぜ関西で蔓延するか?

 私は5月7日(木)早朝にベトナムから関西空港に帰国した。そのことは、すでに本ブログに書いたとおりである。その入国時の検疫は予想外に簡単であった。

 その当時の新型インフルエンザのアジアにおける感染国は韓国と香港であった。おそらく韓国と香港から関西空港に到着した航空機の検疫は厳しいのだろうと思われたが、実際はどうなっていたのだろうか。

 欧米で蔓延していた新型インフルエンザが、アジア経由で日本に浸透することは十分に予想されたことである。ここでの疑問は、欧米からアジア経由で帰国した人が、関西空港の検疫のイエローカードに正直に記載したのかどうかである。

 早朝に到着し、その日の仕事が控えている。私の場合もそうであった。その状況下で、欧米を訪問国として正直に申告するであろうか。欧米からシンガポールやタイ経由で日本に帰国した場合、シンガポールやタイとだけ訪問国を申告すれば、すぐに検疫を通過できる。それに対して正直に感染国に含まれる欧米国を訪問先に加えれば、おそらく個別の検査や問診があったのではないか。これも想像であるが・・・。その時間と煩雑さを回避したいという心情は理解されうる。しかし、それは違法行為である。

 確か、この検疫用イエローカードに虚偽の記載をすれば、罰則がある。それでも、その罰則の程度は明記されていないし、健康であれば、その後に何ら問題も生じないから、訪問国を正直に記載する誘因は小さくなるように思われる。

 もし「水際作戦」を厳格に採用するなら、アジア諸国から関西空港の帰国便について、個々の乗客の訪問国の厳密な確認をするべきであった。たとえば訪問国をシンガポールと申告した乗客が、本当にシンガポールだけの訪問なのか。それ以前に欧米を訪問していなかったのか。これらのチェックが必要である。

 そのために日本出国から帰国までの訪問国の経路を確認できる「申告用紙」の作成を義務付けるべきであった。日本出国日××、最初の訪問国○○の入国日と出国日、次の訪問国△△の入国日と出国日、そして日本帰国日。こういった情報を記載する追加的なイエローカードを作成すれば、少なくとも「水際作戦」の精度は高くなったであろう。これらの申請の虚偽は、パスポートによって容易に判明するから、ほとんどの申請者は正直に記載するであろう。

 私の帰国時の関西空港では、通常のイエローカードのほかに追加的な健康チャックの書類(A4用紙サイズ)を提出するだけであった。その追加的な書類の意義が不明であった。内容がイエローカードと重複している。また、その英語表記も間違っていた。「家族を守るために」という意味で、英語は「PROTEST」と表記されていたが、これは「PROTECT」であろう。よほど訂正するように関西空港に電話しようと思ったが、多忙な仕事の妨害になっても気の毒と思って自粛した。

 現在、私の勤務先の流通科学大学は休講措置が23日まで実施中である。各種の行事は1週間の延期となるが、4年生の就職活動の進捗状況が心配である。休講措置によって学生が不利にならないことを祈念している。新型インフルエンザの少しでも早い終息を願う。

 

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2009年5月17日 (日)

シャガールのビエンチャン支店がオープン

 ベトナムを訪問したビジネスパーソンの中で、シャガールの名前を知っている人は本物である。またママの西村さんに会ったことがあるかどうか。これも、その人の「ベトナム偏差値」を知るために不可欠の要素である。

 シャガールは東京の銀座を本店とするナイトクラブである。1998年にホーチミン市で私は西村さんにお目にかかった。その後にホーチミン市で複数店を展開し、ハノイにも進出、そしてラオスのビエンチャンにも出店された。

 このシャガールのコンセプトは、日本人が経営し、料金が定額で安心して飲めることである。たとえばホーチミン市のシャガールで1人が1万円で十分楽しめて、その雰囲気やサービスが銀座では1人で3万円とか5万円に相当するなら、お客は確かに安心で満足できる。

 このシャガールがビエンチャンで開店したという宣伝があった。ラオスの経済成長に私は疑問をもっていないが、ベトナムとは事情が異なっている。

 民間企業のラオス滞在の日本人が少数である。さらにタイに同様のクラブも多数あり、それらと比較する日本人も多いだろう。そうは言っても、おそらく日本語だけで日本人が安心してくつろげる場所がラオスにできたことは、ラオス観光の促進にとって喜ばしい。ラオスも、そこまで進化しているのである。

 

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2009年5月16日 (土)

メコン川3カ国をめぐる(9):総括

 1週間をかけてハノイ~ビエンチャン~プノンペン~ホーチミン市を巡った。途中での航空機のキャンセル事件もあったが、総じて収穫は大きかった。

 特にカンボジアについての自分の感覚がつかめた。今回で9回目になる。パスポートを調べると、2003年3月・9月、2005年12月、2006年8月、2007年8月、2008年2月・7月、2009年3月・5月となる。

 ラオスは何回になるのか。ラオスはJICA短期専門家の仕事で公用パスポートでの訪問が2回か3回ある。それを除けば、2001年3月、2002年1月・10月、2003年3月・5月・9月、2004年1月・9月、2005年3月・6月・8月・12月、2006年8月、2007年7月・9月、2008年2月・7月・9月、2009年3月・5月。合計20回。

 ベトナムは数えるのが大変。初訪問の1994年から数えると50回は超えるであろう。

 私の場合、現地の滞在期間に大きく依存するが、1回の訪問が数日から1週間とすれば、ほぼ10回でその国の国民性といったことが把握できるように思われる。もちろん現地の人々との接触の頻度がポイントである。

 このように考えると、わずか1回とか数回でその国に関する経済や経営問題を論じる学者や研究者や評論家がいるが、その能力は驚嘆に値する。

 ベトナム・ラオス・カンボジアの3カ国に続いて、次は中国の雲南省とミャンマーを注目したい。ミャンマーは数回訪問しているが、雲南省は未訪問である。広西省チワン族自治区の南寧は1994年に訪問した。それよりも内陸の雲南省の昆明を見てみたい。そこから陸路でいくつかのルートで南に下る。そういった旅の最後は、雲南からベトナムのカントーまでメコン川を船で下る・・・。こういった夢を見るのは楽しい。

 

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2009年5月15日 (金)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(8)

Dsc02654  「カンボジア王立鉄道」と書かれたプノンペン駅の構内に今回、初めて入ってみた。一般乗客用のキップ売り場はあったが、現在は使用されていない。プノンペンからシハヌークビルまでの貨物用に使用されている。

 私は詳しくないのだが、ここで展示されている機関車は「値打ちモノ」なのだろうか。ラオスにも鉄道が走り始めた。カンDsc02661ボジア鉄道も健在である。Dsc02659
Dsc02657 
 ベトナムを含めたメコン川3カ国の鉄道輸送の今後の展開にも注目である。

 ホーチミン市に出発する直Dsc02678前にカンボジア証券取引委員会を訪問した。「ラオス証券取引法」草案を入手することに加えて今回の訪問の大きな目的であった。同委員会では、KAO THACH副長官(Deputy Director General)閣下に対応していただいた。非常に気さくな方であり、今度は「日本の投資家をたくさん連れてきますから・・・」と言って別れた。日本人として「ウソ」はつけなDsc02681いから責任は重い。

 カンボジア証券市場は韓国政府・韓国証券取引所の支援で成立する。この韓国の証券業界は日本の法制度を導入し、日本が支援してきた。この因縁が面白い。

 なおカンボジア証券取引法は、本ブログで途中まで紹介し、その後は近刊の拙著で全文を掲載する。この証券法の特徴は、証券委員会の長官に権力が集中していることである。この理由を上記のタック副長官閣下に質問した。証券市場を取り巻く利害関係者が多く、さまざまな利害が交錯する。それを整理・決定するためには長官が権力をもつことが必要という趣旨の返事であった。これは確かに納得させられる。

 ラオスからカンボジアの航空機が半日飛ばなかったために、カンボジアの時間がもったいなかった。本来なら、カンボジア国立銀行や法律事務所・証券会社を訪問する予定であった。これらは次回の課題としておきたい。(以下、続く)

 

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2009年5月14日 (木)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(7)

Dsc02644  ACLEDA BANK本店の受付である。一般顧客向けの入り口の右側を壁面に沿って少し歩く。この銀行名を私は「アクレダ」と呼んでいたが、カンボジアでは「エイシ-レダ」である。この銀行の透明性や経営理念はカンボジアの銀行の中では抜群である。

Dsc02652  次の写真は、現在建設中のカナディア銀行の本店ビルである。私の前回の訪問時の3月には、昨年からの価格暴落によって不良債権の増加が懸念されていた。この銀行は不動産融資で業容を拡大してきたからである。しかし現在、ビル建設は継続し、カナディア銀行は健在である。

Dsc02534 このビルは建設中であるが、左の看板のように入居テナントを募集中である。かつては、このビル内に証券取引所が開設されると言われていたが、韓国のカムコーシティに建設されることになった。通常の立地条件を比較すれば、このカナディア銀行ビルが望ましいと思われる。プノンペン駅に近い市内の中央部である。プノンペンの象徴となってもおかしくない。
Dsc02669  
 これに対してカムコーシティは、新都心として開発中であり、より近代的なカンボジアの象徴となるであろう。左の写真は、カムコー銀行である。以前に紹介した日本のマルハン=ジャパン銀行に隣接している。カムコー企業グループ傘下として銀行と不動産開発会社がセットになっているわけだから、ビジネス上のメリットは大きいと思われる。

 カンボジアの金融市場は自由化されており、預金金利や貸し出し金利の競争がある。銀行経営にとって預金が重要であるが、それを富裕層に限っている銀行経営は苦しいのではないか。私見では、日本を含む外国人からの預金が増えてもおかしくない。(以下、続く)

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2009年5月13日 (水)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(6)

Dsc02640  プノンペンのホテルである。半地下室がレストランになっている。家族的なミニホテルという雰囲気である。名前は文字通り「フィーリング=ホーム」。以前に宿泊したアーモンドホテルが満室で、同じ経営者のこのホテルに宿泊した。ここで、いろいろカンボジア人について勉強になった。

Dsc02641  エピソード(1):私が朝食を食べている間にハウス=キーパーの女性が部屋を掃除をしていた。私は着替えの前にトイレやシャワーを使いたかったし、出発の時刻も迫っている。翌日にはチェックアウトなので「もうええから部屋出てって」と言ったのだが、「いやいや私に責任がある」という返事で掃除を続ける。しばらく待っていたが、もう時間がないのでフロントに連絡した。

 エピソード(2):上のような出来事の後に部屋に戻ると、無料の飲料水ボトルが1本不足していた。そこでフロントで水をくれるように言った。今度は20歳代の男性であった。通常、ベトナムでもラオスでもカンボジアでもホテルの飲料水は無料と有料で提供されるが、彼のもってきたボトルは有料の方だった。「まあ、いっか」と受け取った。この料金はチェックアウト時に請求されていなかった。

 エピソード(3):英語ができるレセプションは女性1名。チェックインとチェックアウトのお客が重なると時間がかかる。これにはやや辟易した。

 エピソード(4):ハウスキーパーの女性は英語を理解しないと思うのだが、その後に私が彼女にアイコンタクトして笑顔であいさつした。彼女も笑顔で応えた。私は「怒っていない」という意志を伝えたかったし、それを彼女は理解したようであった。その後に彼女は「顧客優先」「顧客満足」というサービス業の基本を教えられたのかもしれない。

 以上、これまでの私の経験と合わせれば、カンボジア人は、①真面目、②無邪気、③純粋、④経験不足、⑤素直。けっしてポルポト政権から想起されるような残虐・凶暴・虚無・恐怖といった印象はない。正直に言って、最初の訪問時のカンボジアは怖い先入観があったが、もはやカンボジアも私にとって普通の国である。(以下、続く)

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2009年5月12日 (火)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(5)

Dsc02638

 ラオシルク博物館を訪問した。ハンサナご家族と3月以来の夕食である。毎回、異なったお客さまを同行して博物館をご紹介しているが、それにしても夕食の準備は大変だと恐縮している。

 敷地内にはハイビスカス、それに奥様がご出身のシェンクワDsc02637ン県のランが栽培されており、小さな池には魚が育っている。ラオスのパパイヤやマンゴー、パイナップルも実っており、もちろん取り立てをデザートで食べる。
 
 奥様の妹さんが機織りの実演をして下さった。一緒にお連れした朝倉さんも興味深そうにしておられた。朝倉さんは、商業省の貿易促進のためのチーフアDsc02636ドバイザーとしてJICAから赴任されている。インドネシア、ベトナム(ハノイ)、フィリピンのJETRO所長としてのご経験は、おそらくラオスに多大の貢献をされることになると思われる。

 朝倉さんとハノイ初対面の1998年以来、このラオスで再会できるとは想像もできなかった。多数の通過する人々が多い中で、おつきあいが長く続くことは有り難いことである。嬉しい邂逅である。(以下、続く)

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2009年5月11日 (月)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(4)

Dsc02627

 ラオプラザホテルからサムセンタイ通りをカンチャナやクワラオの方向に向かう途中にニュー・ラオ・パリホテルがある。その前にフランス料理店・ラドレッセの看板がある。

 すでにDsc02629紹介したが、なかなかのフランス料理であった。お客も欧米系の人々が中心であったが、これからは多国籍化するのだと思う。もちろん味は美味しいし、それよりも立地がよい。赤ワイン1本を頼んで、フルコースで1人約30ドルあれば、大満足となるであろう。日本で1人3千円のフルコースはありえない。

 これはメコDsc02631ン川沿いのランサンホテルから西に向かう通りの立て看板である。「全国リハビリテーションセンター」が主催して、ラオスの不発弾問題を学習するセミナーの開催を知らせている。こんなことを書くと、「ラオスは危険な国」ではないかと日本人は感じるかもしれないが、それは「日本は危険な地震国」と同じくらいの問題である。

 ただし地震は自然現象だが、不発弾はかつて米軍が投下した結果である。この除去処理は、日本の元自衛隊の人々のボランティア活動で進行しているが、依然として北部の山岳・農村部では課題となっている。新しいオバマ大統領の下で、こういった現状に米国も注目して当然であろう。米国のアジア戦略の観点から、こういった政策が利用されても不思議でない。
Dsc02632 ラオスの為替レートである。ラオスのキープ高が米ドルに対して進んでいる。地元情報によれば、米ドル建て預金として、新設のインドチャイナ銀行(韓国・コーラオが100%出資)は預金集めのために6%の金利を提示している。ラオスで預金すれば、この高金利と為替差益が見込めるかもしれない。(注:写真をクリックすれば、大きくなります。)

 以上、ラオスの経済発展は着実に進行中。世界同時不況の影響は限定的・間接的である。ベトナム資本の水力発電所の建設や、本年12月のアセアン国際競技大会(SEAゲーム)の開催などが経済成長を牽引するであろう。この地域における今年の経済成長率は、ラオスの「一国勝ち」になると私は予想している。

 ベトナムやカンボジアの経済とラオスが別個に発展してくれることが、これら3カ国が経済的に一体化した場合の「リスク分散」の効果をもつことになる。ともかくラオスに注目である。(以下、続く)

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2009年5月10日 (日)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(3)

Dsc02609  ラオ山喜の工場前を通った。(株)山喜は、大阪を本社とするワイシャツの大手メーカーである。ビエンチャンからナムグムダムに向かう国道13号線を30分ほど走ると、左手に見える。明るいブルーの色調はラオスの空に調和している。同社については、雑誌『セーリングマスター』に掲載された記事を引用して、現在執筆中の拙著で紹介している。

Dsc02608  実際に工場を見て、人材確保に配慮されている立地であることが理解できた。これだけ市内から離れていて、地元の高校生をワーカーとして採用する。おそらく自宅から通勤できるという利便性を考慮すれば、地元で安定的な労働力が供給されるだろう。もし立地が友好橋付近のメコン川沿いであれば、原材料の搬入は便利であるが、周辺の工場(ビアラオや東京コイル・ラオソフトドリンク・縫製工場など)と労働力の奪い合いになる可能性がある。

Dsc02619  ナムグムダムの湖面を1時間ほど遊覧船に乗った。まるごと船を借りて12,000キープであった。雨の少ない乾期が続いていたから湖面は10mほど低下している。このダムもラオスの有力な観光資源であるが、改善点は山積している。①レストランの整備、②トイレの改善、③点在する島に上陸するなど観光スポットの開発、④船の座席の改善、⑤船の安全性の確保、⑥船上での飲食サービスなど提供・・・。

Dsc02620  ラオスの観光資源開発について私は数冊の提言書を見たことがあるが、ナムグムダムについては、2001年の初訪問時に比べて大きな変化はないようである。100の提言よりも、1つの実行であると思う。観光地の開発・改善の民営化が必要ではないか。ただしこの場合、既得権益との紛争発生もあるのだろうと想像される。難しい問題だが、リーダーシップをもった観光開発・改善の実行部隊の結成が期待される。(以下、続く)

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2009年5月 9日 (土)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(2)

Dsc02599 ラオスの首都ビエンチャンで訪問する観光地として、私は「友好橋」を勧めている。左の写真は同行のベトナム人社長との記念撮影である。写真の右側がラオス、左側がタイである。友好橋の中程の国境に立ってメコン川を隔てたラオスとタイの双方を眺めると、国境の意味を考えさせられる。この橋は、自動車道路であるが、その中央に単線の鉄道路線が敷設されている。この橋の上を列車が走っている写真を撮影したいのだが、その時刻は不明であった。ラオスにとって観光は重要産業である。こういったきめ細かい情報を公表することが観光促進に役立つ。

Dsc02605  ラオスの「火炎樹」である。この「火炎樹」はベトナムで聞いた名前であるが、写真の樹木が本当に「火炎樹」かどうか自信がない。ラオスでは同じ種類の樹木で黄色い花が咲いていた。いずれにせよ、鮮やかな赤い花の色はラオスの象徴でもあると思う。

Dsc02606  「凱旋門(パトゥーサイ)」はビエンチャンの象徴である。最上階までの階段を徒歩で登るところに価値がある。やや足がガクガクすると加齢を実感する。手前の噴水は中国のODAである。この「凱旋門」の建設は大幅に遅れたのだが、それは松本清張『白い象の足』によれば、建設資材を当時(1960年代)の政府役人が私欲のために流用したからである。

 この凱旋門の左側で学生100名ほどが集まって「ラオス清掃ボランティア活動」の打ち上げ歌合戦をやった。2001年9月のことだった。(以下、続く)

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2009年5月 8日 (金)

写真点描:メコン川3カ国をめぐる(1)

Dsc02589  関西空港の夕暮れ。4月30日。連休前なのに、こんなに閑散としていてよいのか心配になった。新インフルエンザの感染が余り心配でないということは、欧米線の就航が少ないということである。それを認めるなら、もっとアジアに特化すればよい。カンボジアやラオスに直行便を飛ばしてほしい。

 以下は私のアイデアであるが、一考に値する? 次のような空港利用セットを考えられないか。成田から入国して新幹線に乗って関西から帰国する。関西から入国して新幹線を利用して成田から帰国する。このようなコースの外国人の出張や旅行に対する優遇策を採用する。

 東京を訪問した外国人観光客が京都や奈良を観光して再び東京に戻り、成田から帰国するのではなく、その後に関西から帰国する。こういうコースを優遇すれば、関西空港の利用は増えるのではないか。事実、このコースはベトナム人の来日時に通常に使用されている。

 なお客観的に見て、ビジネスが東京に集中している現状では、東京に関西が対抗できるのは京都・奈良だ。東京に大阪が単独で対抗することは難しいのかもしれない。

Dsc02591_2  ハノイの馴染みのホテル前。早朝である。普通の人は何も感慨は湧かないが、私にとっては思いで深い通りである。日本料理店「紀伊」やヴィンコムタワーが徒歩圏というのも嬉しい。今回は、朝食抜きで1泊25ドルであった。インターネットはランケーブルで安定している。ただし設備は老朽化しているが、それを直して使用するベトナム人の知恵に感心する。

 今回の訪問時には、洗面台の排水管の水栓が動かなくなり、排水ができないという状態であったが、部屋に戻ると元通りに直っていた。私自身も何とか修理しようと努力したのだが、直せなかった。いったいどうして修理したのか。この不思議な技術やノウハウは、ある意味でベトナムの魅力である。何でも大切に大切に使用する。この精神は少し以前の日本にあったが、現在の日本に残っているのだろうか。それは少なくともベトナムに残っているが、大部分の日本人から見れば、それは単なる「ケチ」なだけなのかもしれない。。(以下、続く)

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2009年5月 7日 (木)

外国出張時の宿泊ホテル:新基準が必要では?

 外国出張における宿泊ホテルの選定について、一般の観光客の場合はshine5☆からshine1☆までのランキングを基準にしているようである。これに対して私の場合、ハノイではshine1☆、ホーチミン市ではshine2☆、ビエンチャンではshine5☆とshine3☆、プノンペンではshine5☆とshine3☆である。これは通常のshine5☆からshine1☆までの基準に私が一律に従っていないことを意味している。

 そこで私のホテル選定の基準を以下で紹介する。ただし、この基準は私の単独旅行の場合である。同行者がいる場合、その希望や立場が優先されるので、私の基準は適用されない。

 (1)安心感:ホテルの部屋が自分の家または部屋のように感じることができるか。これは次のような意味である。たとえば部屋の机の上に100ドル紙幣を数枚置き忘れて外出し、その後にハウスキーパーが入室して掃除する。それでもお金はそのままになっている。このような安心感は、必ずしもshine5☆である必要はない。shine1☆でも十分である。

 (2)安全性:その国で暴動などの非常事態が発生した場合、それに十分に対応できるホテルかどうjか。私はカンボジアでは当初はshine5☆を利用していた。タイ大使館の襲撃事件やタイ系ホテルの焼き討ちがあったからである。しかし最近のカンボジアは政治的に安定している。隣国のタイよりも安定しているように思われる。そうなれば、shine☆の格付けを下げてもよい。

 (3)快適性・清潔感・朝食:外国人にとって暑い夏にエアコンは不可欠であるし、ベッドのシーツやタオルの交換も当然である。ホテルの建物それ自体は古くても部屋に清潔感があればよい。またテレビでは衛星放送が見られる。朝食付きの場合は、メニューが豊富なことも条件である。またメニューが限定されていても美味しいこと。さらに言えば、朝食抜きにして料金を安くしてくれることも望ましい。これは、ホテル近くで朝食を取る方が安上がりの場合である。

 (4)日本語入力可能なインターネット環境の利用:ほとんどのホテルが最近はインターネットを使用できるようにしているが、日本語で入力できないと非常に不便である。アジアの国々において日本語の普及は韓国語よりも低調ではないか。こういった「草の根」の情報収集によって日本の存在感の希薄さの程度を広く知っていただきたい。

 (5)室内でのインターネットの使用:ラップトップPCを持参すれば、各部屋でインターネットが使用できる。この場合、無線LANが多いが、この受信状況が非常に弱いこともある。これはストレスである。それなら有線LANがマシである。

 (6)ホテル周辺の利便性:徒歩圏内で何が調達できるか。shine5☆ホテルならホテル内で何でも揃うようになっていることが一般だが、その料金は高い。そこでホテルから徒歩圏内に文具店・コピー店があり、酒類を含む食糧販売店があり、日本料理を含むレストランがあり、さらに安くて美味しい大衆的な地元の料理店もある。またレートの良い地元の外国通貨交換所もある。もっと言えば、宿泊ホテルの近くにshine5☆ホテルがあればよい。そのロビーで気分転換できるし、待ち合わせにも使用できる。理容院・喫茶店・カラオケ店・飲み屋が周辺にあれば、さらに利便性は向上する。英字新聞が読めるか。それを無料で配布しているか。

 (7)柔軟で親身なサービス提供:ベトナム・ラオス・カンボジアでは移動手段が依然として乗用車に限られている。ベトナムではバス路線もあるが、それを私は乗りこなしていない。こういった乗用車の手配を格安でしてくれるかどうか。ホテルが手数料を取る場合が多いが、それが無料の場合もある。また5☆ホテルに多いのだが、マニュアル通りの「親切そうに見える」対応ではなく、親身になった対応をしてくれるかどうか。普通は無理な要望について、親身に対応してくれるかどうか。これが可能なホテルは、私の場合、ハノイの馴染みの1☆である。近くの印刷屋で名刺の作成を依頼して、自分では時間がなくて取りに行けない場合、それを代わりに取りに行ってくれたりする。

 (8)NHK衛星放送プレミアムの受信:通常のNHK衛星放送は、最近では英語放送が中心となった。日本語の放送は外国では安心できる時間である。このNHKに対する主要な期待は日本のニュースである。帰国後に困らない程度に日本の変化を知ることが目的である。

 (9)以上の条件が最低料金で満たされること:すべての条件を満たすことは困難である。それぞれが異なった各自の優先順位に従って総合的に判断して、最低価格のホテルを選択すればよい。

 (9)個々の「こだわり」に対応shine5☆ホテルに多いのだが、客室がカードキーになっていて外出時にカードを抜くと室内の電気が止まる。これが不便だ。ノートパソコン・デジカメ・電動歯ブラシ・携帯電話の充電ができない。これはエアコンやテレビや照明をつけっぱなしにした無駄な電力消費と異なる。

 このような基準でホテルを選定し直せば、「掘り出しもの」のホテルが見つかるかもしれない。それは宿泊の経費削減に貢献する。私が頻繁に訪問するベトナム・ラオス・カンボジアにおけるshine5☆ホテルは、日本のshine5☆よりも相対的に低価格である。だから最初からshine5☆に宿泊する。 それでもよいが、それは必要最低の料金ではない。

 また観光とビジネスでは外国訪問の目的が異なる。それぞれ目的に応じた最適のホテルの順位づけが異なって当然である。また個々人の趣味や目的も異なる。こういった個別注文のホテル案内サービスがあっても悪くない。経費削減の昨今、そういった情報は歓迎されるように思われる。

 

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2009年5月 6日 (水)

カンボジアからホーチミン市へ

 午前中にカンボジア証券取引委員会の副委員長にお目にかかった。新しい建物ができていて、いよいよ証券市場の開設が目前に迫っている様子が感じられた。

 そでに政令や施行細則などが整備されており、人材育成のための韓国での研修も進んでいるそうである。委員長自身も韓国に訪問したことがあるそうである。

 日本のODAのカンボジアに対する貢献は最大と言ってよいが、民間分野が手薄である。そたのための官民連携の取り組みが期待されるし、それに挑戦してみようという気持ちが高揚した。

 ホーチミン市では、日本ベトナム経済交流センターのタム代表と話した。またビンズン省で仕事をしているフンさん、それに神戸在住のトンさんにお目にかかった。またエースコックの浪江社長ともお話しすることができた。

 各都市ごとにお目にかかることができる人々がいるということが嬉しい。帰国後に早く早く懸案の原稿を仕上げたい。気力充実である。

 関西空港では、アジア諸国では韓国と香港がインフルエンザには要注意であって、ベトナム方面は実質的にフリーパスであった。おかげで何とか1時間目の講義にも少し遅刻しただけで間に合った。

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2009年5月 5日 (火)

カンボジアの一日

 カンボジアの民間銀行を2行、商業省、民間企業1社、経済財政省を訪問した。一日に盛りだくさんであったが、なじみの運転手のトーチさんのおかげで移動はスムーズだった。

 新しい運転手に行き先を説明したりする手間が省ける。またカンコーシティのモデルルームも訪問した。同行したベトナム人によれば、もっと安くなるはずだというコメントであった。

 経済財政省では、JICA専門家の鈴木さんから、丁寧にカンボジア経済の概要を説明していただいた。ちょうど1階上には韓国人の専門家が証券取引所の開設などの助言のために部屋をもっているそうである。

 以前の本年3月時の訪問に比較して、それほど大きな変化はなかったが、韓国の不動産投資の中で、カンコーシティに加えて、もう一つの大きなプロジェクトであるゴールドタワー42の工事が進められていた。まだまだ韓国は健在である。

 さらに、いくつかの資料を収集し、夕食は中国人の中華料理である。やはりアンコールの生ビールをガバガバと3人で飲んで、淡白な川魚1匹をメイン料理にして、餃子や麻婆豆腐や野菜を食べて、最後はスープまで飲んで、日本なら1万円を超えると思われたが、わずか全部で20ドル少しであった。これは驚きの安さである。

 もともと私は安いことを知っていてご案内したが、カンボジア初めての2人は感激と思われた。あのシビアな価格交渉が得意なベトナム人も中国の価格には驚いた様子であった。

 

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2009年5月 4日 (月)

ベトナム航空が飛ばない

 ベトナム航空VN841は、ハノイ~ビエンチャン~プノンペン~ホーチミン市を1日で飛ぶ定期航路である。これで朝10時30分発でビエンチャンからプノンペンに移動しようとしたが、「技術的な問題」が理由でキャンセルになった。航空機それ自体が飛ばない。

 翌日に延期されるという情報があり、やや待合所は混乱した。その後に夕方の午後5時30分に臨時便が飛ぶことになり、乗客の中から拍手が起こった。

 この変更で、カンボジアの何人かに連絡したが、貴重な時間の半日が無駄になったのは残念であった。ベトナム航空の指定するランサンホテルの部屋で休憩し、出発までの時間を待った。昼食は、空港の名物の3階のビュッフェであった。ここでは最後の乗客となるまで、生ビールを飲みまくった。

 こういうベトナム航空の延着や変更を私は、これまでに2回経験している。それほど驚くことではない。夜にカンボジアのホテルに到着し、無線ランでインターネットを試みたが、うまく接続できない。しかたがないので、帰国後に、この文書を書いている。

 昔ながらのケーブルが接続では確実である。こういった途上国でPCを使用する場合の私の教訓である。

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2009年5月 3日 (日)

ビエンチャンの休日:でも仕事は多い

 ラオスの日曜日。しかし仕事はしている。ラオス証券取引法の草案を入手した。おそらく日本人では初めてではないか。野村證券の人がラオスに来たという話は聞いたが、それ以外の証券会社の名前は聞かない。この証券取引法は、カンボジアと同様にいずれ紹介することにする。

 JICA専門家としてラオスに3月から赴任されている朝倉俊雄さんにお目にかかった。せっかくの休日であったが、お誘いして申し訳なかった。ラオテキスタイル博物館で夕食をご一緒した。ハンサナさんご家も元気であったし、お子さんのラオスの民族音楽演奏も楽しませていただいた。

 朝倉さんの感想は、クアラオ・レストランのラオス料理よりも美味しいということであった。これは私も同感で、それだからこそ博物館にご案内した。ハンサナさんとも長いつき合いだが、朝倉さんとは1998年からのおつきあいである。長く続くおつきあいは本当に嬉しい。

 昨日の夜は、以前にブログで紹介したラオパリホテルのフランス料理を楽しんだ。3人でワインも飲んで90ドルほどであった。味と価格を総合的に見て、日本の半額といった感覚である。十分に満足できるし、フランス人の奥さんの熱心な料理の説明を聞いているだけで楽しい。私は最も安いチリ産のワインでいいと思ったが、彼女の説得でフランス産にした。このレストランは、気さくな奥さんの性格もあり、ラオスの新しい名所になると思う。

 ラオプラザホテルに宿泊しなかったが、セールスマネージャーの松山さんにお目にかかった。やはり長いおつきあいである。松山さんから、ラオス商工会議所のセミナーを同ホテルで開催されていると聞かされた。会場に行ってみると、事務局長のカンタボンさんが忙しく受付で動いていた。このホテルで待ち合わせをしていた朝倉さんをご紹介できた。何という偶然だろう。

 

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2009年5月 2日 (土)

ハノイからビエンチャンに移動:暑い日

 昨日は、ハノイを1日中、動き回った。ベトナムでは4連休の中の1日である。バイクや自動車の数も少なく、移動もスムーズであった。

 現在はビエンチャンにいる。ワッタイ空港で「マークのない1万円札」の両替を試してみたが、「透かし」の福沢諭吉を十分にチャックして、問題なく両替をしてくれた。1円が85キープであった。

 ベトナムの機械的な対応よりもラオスの対応に好感がもてた。1万円札の信用度が問われているように思われた。こういった1万円札の新旧札の情報は、もっと公表・周知させる必要があるのではないか。

 今回のラオスとカンボジアの訪問には、同行者が2名いるのだが、具合的に書くわけにはいかない。ただし女性ではないので、念のために・・・。

 

 

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2009年5月 1日 (金)

再び「実学」について考える:インターンシップの原点回帰

 関西空港からハノイの機内のビデオプログラムでNHKのテレビ番組「その時歴史が動いた:謙信、恐るべし」を見た。作家の加来耕三氏の解説によれば、上杉謙信の圧倒的な強さの秘密は、戦場での臨機応変の対応である。この対応は、前線でのヒラメキに基づくが、それを具体化して軍団を動員するための統率力やカリスマ性が謙信には備わっていた。

 その統率力やカリスマ性は、謙信が「私欲でなく義のために戦う」ことに由来していると指摘された。戦争に勝っても領土を拡張しなかったことが、その証明である。また自らを毘沙門天の化身と呼び、周囲の人々もそれを信じた。文字通りのカリスマそのものである。

 凡庸な指揮官は事前に決められた戦略通りに戦うが、謙信は現場で臨機応変に戦う。戦国時代の最強の武将の秘密である。織田信長との「手取川の合戦」の経緯が紹介されていた。ゆっくり久しぶりにテレビを見て面白かった。

 多種多様な戦略が事前に検討されても、戦場に立てば臨機応変の対応が必要とされる。その対応は、必ずしも複雑な戦略である必要はない。もちろん多数の戦略を熟知していてムダではないだろうが、余りにも知識が多すぎると、初心者の場合、どれを採用するか「迷う」のではないかと思う。

 企業経営でも、この現場での臨機応変の対応が求められることは当然である。この場合、経営者のヒラメキの有無と適否が、ビジネスの成否を峻別するのかもしれない。そうであるとすれば、「実学」は静態的な分析ではなく、動態的な分析の中でこそ学ぶことができる。

 たとえばユニクロの歴史を勉強して、現在のユニクロの現場を観察し、今後のユニクロの展開を考える。社外からの観察には限界があるだろうが、学生の場合、インターンシップという制度も活用できる。これは「インターンシップ」の意義の原点である。

 なるほど「眼からウロコ」である。「実学」とは何かと新たに考えるのではなく、本来の趣旨のインターンシップに原点回帰すればよい。

 指導教員が学生に対して、事前にインターンシップの受入企業を徹底的に調べさせる。その後に、その企業のインターンシップを経験する。これが「実学」であるとすれば、試してみる価値はありそうである。

 現在のインターンシップは、企業がアルバイト代わりに学生を利用したり、企業と学生の双方の採用就職の準備となっている場合も多い。これを「実学」の場に戻す。

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ハノイに到着:2種類の1万円札に注意

 昨夜、ハノイのノイバイ空港に着いた。関西空港で恒例の生ビールを飲んで、機内ではワインを2本飲んだ。このワインは小瓶である。ストレスからくる飲酒なのだが、裸になることはなかった。意識不明になるまで飲酒するとは、よほどのことなのだと思う。

 ハノイのノイバイ空港に到着して日本円をベトナムドンに両替した。1円が175ドン。ここで何と、一部の1万円札を受け取ってもらえなかった。左下に「ホログラム」の丸いマークの付いている1万円札に交換しろというのである。

 何とか1枚あったからよかったが、残りのお札にマークはついていない。これからの両替は大丈夫だろうか。少し心配になる。今まで、こういった経験はなかった。1万円札が2種類あるとは今まで気がつかないでいた。ということは、1万円札の偽札が出回っているということなのであろうか。

 ただし100米ドル紙幣でも以前に同じことがあった。現在広く使用されている「頭の大きい100ドル紙幣」と、それ以前の100ドル紙幣が併用されている時期があった。この時は「頭の大きい紙幣」しか両替できなかった。この「頭の大きい」とは、100ドル紙幣の肖像画の顔が大きいという意味である。

 これからがピークになる黄金週間の外国旅行で日本円を現金で持って行く場合、1万円札の「光るマーク」の有無を確かめた方がよさそうだ。

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