« 「割り箸」の作り方:ベトナムの特性を生かした生産 | トップページ | ラオスの経済発展:韓国からの影響 »

2009年3月 2日 (月)

ハノイからビエンチャンに移動:日本人として恥ずかしいこと

 日曜日にハノイからビエンチャン(ラオス)に移動した。ハノイのノイバイ空港でベトナムのDsc02397_3 英字新聞(THAN HNIEN DAILY)に次の記事を見つけた。「日本の人気のない麻生太郎首相は・・・」(同紙、March 1,2009,p.15)。

 またベトナム人の友人からは「日本の政治は無茶苦茶ですね・・・」と言われて、その返す言葉に困った。その責任の一端は、日本国民としての私にもあるからである。どのような政府を選択するかは、すべて国民の責任である。こう言ってしまうと「全員の責任は無責任」ということになってしまって何も変化しない。これまでの日本がそうであった。

 日本がODA資金で最大級の援助をしているベトナムの国民からも、不人気で無茶苦茶と日本政府が評価されている。このことを日本国民なら恥じ入って当然であろう。正直に言って何とかしてほしい。また何とかしなければならない。

 ノイバイ空港で久しぶりに日本の新聞(読売と朝日)を読んだ。総選挙の日程が政局になっており、今後の麻生首相は得意の外交活動で政権を延命したいと考えているとのことであった。しかしながら、この外交活動において「国民に不人気の首相」が、どれだけの影響力を発揮できるのであろうか。他方、そのためにODA資金をばらまいて外交力を発揮する時代でもないと思う。
 
 それなら、今の中国と同じではないか。中国のODAはラオスでも顕著である。日本は、中国とは違った独自の影響力の行使を指向しなければならない。ODA金額の高低を中国と競争する必要はない。もちろん軍事力による外交的な影響力の行使も時代に逆行している。中国が航空母艦を造船するからと言って、それに負けないように日本も航空母艦を所有する必要はない。当面、賛否があるものの、在日米軍が存在している。

 今後の日本の戦略課題のキーワードは「尊敬される日本人」であると私は思う。そのためには政治家のみならず、国民自身の矜恃が必要である。それが日本人としての存在意義である。これは個人個人のイデオロギーもしくは思想の問題ではなく、それ以前の姿勢や態度や生き方の問題である。

 意見や考えの相違はあっても、人間的に尊敬できる人は尊敬できる。他方、意見や考えは同じでも、尊敬できない人は存在する。こういう尊敬できる人間性を養成することが教育の課題であろう。今の日本には、これが問われているのではないか。

 高等教育の現場にいる人間として、自らの課題として対策を具体的に実施しなければと思う。4月の新学期から、こういった問題を学生に分かりやすく語りかけたい。難しい話は学生にとって「ウザイ」だけである。この点に注意だ。

|

« 「割り箸」の作り方:ベトナムの特性を生かした生産 | トップページ | ラオスの経済発展:韓国からの影響 »