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2009年2月15日 (日)

山内太地『下流大学に入ろう!:一流大学より未来が開ける』(光文社)を読む(2)

 表題の著書で私が最も共感したのは、次のような論点である。

 「下流大学」という評価は、既存の価値観に基づいている。より具体的には予備校の偏差値である。この偏差値は、大学入学の難易度を意味するから、大学のそれ自体の評価と結びつかない。「下流大学」であっても「上流大学」よりも教育熱心で教育効果の高い大学がたくさんある。下流大学で個性を発揮し、自分の人生を自分で切り開く人材が育っている。

 わずか5%の「上流大学」が日本の将来を変革できない。それらの大学と卒業生は一般に、その権威や既得権益に拘泥(こうでい)しているからである。一般に評価されるエリートが自らのエリート意識を満足させ続け、その特権を維持するためには、そのエリート体制を維持させなければならない。その価値観を維持しなければならない。世界が変化・変革している時代に、既存のエリートに日本の将来を任せるわけにはいかない。

 下流大学の問題点は、その教職員が上流大学を卒業しているということであろう。下流大学の教職員が、どこか学生をバカにしながら、給与のために勤務している。これが、下流大学を下流大学のままにしている最大のガンである。教職員が本気で学生に立ち向かわなければならない。まず教職員が自ら既存の意識や価値観から脱却(=解脱)しなければならない

 その解消のためには、経営危機を経て教職員が一丸となった大学が紹介されている。学生不足で大学経営は赤字であるにもかかわらず、教員の意欲を高めるために研究費を増額した大学がある。下流大学での教育が成功するためには、全教職員の意識改革や大学経営者のリーダーシップが不可欠である。このことは、もちろん下流大学に限ったことではない。上流大学でもそうであるし、企業経営でもそうである。

 世界に通用する社会人を養成するために下流大学の役割は重要である。明治時代なら世界に通用する人材は少数のエリート教育に依存してもしかたがなかったのだろうが、現代のようなグローバル化の進展した時代は、エリートではなく普通の人々が世界に通用する人材として社会に輩出されなければならない。その役割の大部分は大学「全入時代」における下流大学が担っている。

 下流大学の将来は、日本の教育全体の将来を左右する。これは大企業の中小企業の関係にも似ている。中小企業あっての日本経済であるにもかかわらず、その評価は一般に低い。大学も企業も大きな変革を本気で早急に考えなければならない。変化を迫られる状況に日本が置かれているからである。変革のためには、まず自分から変える

 自己変革のためには、人と違ったことをする。人の嫌がることを率先してやる。たとえば駅や大学にゴミが落ちていれば、さっと拾ってゴミ箱に入れる。くわえタバコの学生がいれば注意する。学生にはこちらから挨拶する。同書にも紹介されていたが、「教室の後ろ5列に座ることを禁止する」(96頁)。机の上にカバンを置かせない。こういった学生に対する働きかけが、すでに私が実践している自己変革の第一歩である。

 同書を読んで、以上のようなことを考えさせられた。大学教育の改革に対する山内氏の情熱が伝わってくる。懸命に教育に取り組む教職員や、将来の日本を担う青年に対する敬愛や愛情を同書から感じる。多くの大学関係者に一読を勧めたい。

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