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2008年10月24日 (金)

関満博氏(一橋大学教授)から学ぶ:中国企業とベトナム企業

 一橋大学(地域産業論)関満博教授は、「五輪後の中国:世代交代が進む製造業」『朝日新聞』(2008年10月20日)において、最近の中国の製造業の現状と動向について述べている。以下では、その中で注目の指摘をいくつか紹介し、それについてコメントを加えることにする。中国企業について学びながら、それを材料にしてベトナム企業を検討するという趣旨である。

◆「製造業での最大の変化は若い力の台頭です。いま成長している民営企業の経営者は25~35歳が中心。・・・・・・そうした世代は改革開放後の市場経済の中で育っているので、合理的な経営ができる」。

shineこれはベトナムも同様である。1986年(「ドイモイ政策」採択)以降のベトナム人は20歳代になったばかり。大学生と考えれば、これらの世代が企業経営の中心となって活躍するのは数年先である。今ビジネスで活躍するのは、ベトナムでも中国と同様に30歳代。この世代は旧世代を無視するわけではない。両親そして年長者の権威や人脈を活用・尊重しながら、自分は合理的(=経済的と言ってもよい)な行動をする。

◆「かつての国有企業が民営化されたものは、古いインサイダー体質の塊で、まともな企業とはいえないものがまだ多い。私は日本の企業関係者に『社長が40歳以上の中国企業とはつきあうな』と言っています」。

shineベトナムについても同感である。こういった企業の社長は一般に人柄がよい。笑顔で親切。しかしビジネスとなれば、なかなか動いてくれない。どっぷりつかった国有企業の体質が染みついているかのようである。他方、国営企業の社長が30代という場合もある。「大抜擢された優秀な若手」という印象を受ける。合理的な判断や対応をするように思われる。しかし多くの場合、個人的に優秀であっても、古い体質の組織の論理を打破することは難しいようである。ベトナム企業について私は「つきあうな」とまでは言わないが、「あまり期待しないほうがよい」とは言うだろう。

◆「毒入りギョーザ」事件など中国企業の品質管理は「ピンとキリの差が激しい。また、中国人は『自分は自分、他人は他人』という傾向が強く、日本のように互いの仕事をカバーしあうという文化があまりないので、品質管理上の死角ができやすい」。

shineベトナムの場合も、上記のような個人主義的な傾向はありうる。ただし私見では、「お互いの仕事をカバーしあうという文化」は、個人的または民族的な性格の問題ではなく、生産システム管理の問題である。たとえば班ごと(もしくは各部署ごと)の業績評価システムにすれば、お互いに仕事をカバーしあうことは、中国でもベトナムでもありうると思われる。

◆特に広東省の「珠江デルタから逃げ出す企業も増えている。台湾系企業は主にベトナム北部に移っています」。・・・・・将来にベトナムが中国の強力な競争相手になることは、「難しいと思います。国が小さいこともあるが、旧ソ連圈にいたのが不幸でした。経済相互援助会議(コメコン)の国際分業体制で、ベトナムは農業生産に特化させられたため、農業機械以外の製造業が育たなかった。さらに隣の中国から安価な製品が流れ込んでおり、自前の国内産業が育つ余地がない。外資の進出に頼るしかないんです。モンゴル・カザフスタンなども同じ問題を抱えている」。

shineこの分野の権威である関教授の指摘は重い。「ベトナムが中国の強力な競争相手になることは難しい」という指摘は、そうだろうと私も思う。経済の規模や発展段階に大きな格差がある。2015年の「アジア経済統合」を考えれば、二国間の「競争相手」という発想ではなく、協力関係の発展を志向することが期待される。たとえば「競争相手」の中国に対抗してベトナムが核兵器の開発をして、ミサイルを打ち上げる。これは、ベトナムが加盟するアセアン諸国から強烈な反対があり、ベトナム自身もそれは考えていない。また、たとえば「シンガポールが中国の競争相手になっているか?」と言えば、どのように回答すればよいか。このような質問は、バレーボール選手とサッカー選手の競争を想定するような愚問である。ある特定の分野でベトナムが中国と競争することは、現在でも縫製業などでありうるだろうが、全面的な競争はありえない。

shine次に「外資の進出に頼るしかないんです」という指摘は、現在の時点ではそうかもしれないが、将来は不明である。ベトナム政府およびベトナム国民の意思に依存する。中国から流れ込んでいる「安価な製品」の品質が良くないことをベトナム人は十分に理解している。しかし安価だから、しかたなしに購入している。中国輸入品の代替の欲求は強い。ただし、その代替品がベトナム製になるかどうかは疑問である。
 日本は第2次世界大戦後、確かに廃墟から出発したが、その当時の技術水準は世界最先端と言ってもよかったと思う。ゼロ戦や戦艦大和の「製造力」を日本は保有していた。同じ廃墟から出発したベトナムには、そういった技術蓄積はない。このように考えれば、ベトナムは日本の明治時代である。当時の日本も、ほとんどすべてを外国に依存せざるをえなかった。明治時代の日本人の「富国強兵」の意気込みが、今日のベトナム人の「富民強国」の情熱に受け継がれるかどうか? これが「ベトナム工業化」の将来を左右する。

shine他方、関教授の指摘の通り、ベトナムが「農業生産に特化」することも今後の展望ではある。しかし「2020年までに工業国の仲間入りをする」という当面の目標がベトナム政府にはある。「アセアン共同体」さらに「アジア経済統合」という新しい枠組みの中では、一国内でのフルセット型の産業配置の工業化は必ずしも必要ない。当面は「外資の進出」に依存しながらも、ベトナム独自の工業化が進展すると思われる。そのヒントは、日本の熟練技術つまり「匠(たくみ)の技」そして「ものづくり」の技術移転である。

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