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2008年9月 7日 (日)

ラオス報告(1):ビエンチャンの点描

 サワナケットとパクセーの調査からビエンチャンに9月5日に帰ってきました。ラップトップPCを持参しましたが、どちらのホテルでもインターネットは使用できませんでした。ベトナムのホーチミン市やハノイから見ると、ビエンチャンはベトナムの田舎のように感じますが、さらにラオス南部はラオスの田舎です。

 今回のラオス訪問の目的は2つありました。第1は、第6回ラオス清掃ボランティア活動の「見直し」をすることでした。これまではラオス人大学生らと一緒に小学校や中学校を訪問し、清掃活動をしていましたが、これは「ゴミを拾う」活動です。これに対して「ゴミを減らす」活動をしようということになりました。流通科学大学の西垣くんと山川くんの発案です。具体的には、「マイバック」を普及させて、お店で受け取るプラスティックバックを減らそうとする運動です。日本でも未だ広く普及していないようですし、ラオス人にとって未経験ですが、今回の訪問では多くのラオスの人々から賛同をいただきました。

 第2の目的は、東西経済回廊の一部を実走することでした。すでに私は2005年にベトナムのダナンからラオス国境を超えてダンサバンに行きました。今回は、ラオスのサワナケットからメコン川第2友好橋を通ってタイのムクダハンに行きました。これでダナンからサワナケットを通ってバンコクまで陸路で行ける目途が立ちました。近い将来、これを実際に完走してみようと思っています。以下、これらのラオスの活動概要を写真で3回に分けて紹介します。

Dsc01944  ラオスでは8月初旬に大雨に見舞われ、ビエンチャン市内でも洪水の危険がありました。ラオス人民革命党の組織が中心に動員されたと思いますが、雨中で土嚢が作られ、メコン川の洪水を防ぎました。ビエンチャンのメコン川沿いにその土嚢が今も残されています。この長い堤防を見ていると、ラオス人の愛国的・献身的な姿が見えてくるようです。

Dscn0827_2  洪水の後は、蚊の大量発生があり、デング熱やマラリアの蔓延が懸念されるという情報を在ラオス日本大使館・領事部から入手していました。そこで箕面船場ライオンズクラブからの寄付金で200個の「虫除けジェル」を日本から持参し、ラオス首相府・水資源環境管理の青年同盟のビラニーさんを始めとする皆さんに寄贈しました。ラオス人が「香菜」を食べるのは蚊を寄せ付けないためと言われています。虫除け薬はありますが、高価ですから一般に使用されていません。少しでも役に立てばと思います。

 友好橋の近くに立地するラオスビールの本社工場を見学しました。その後に南部チャンDsc01974_2パサックの第2工場の前も自動車で通りました。年間の総生産量は、1億七千万リットル。2007年度の納税額は国内最高であり、4千七百万ドルに達しています(flairflair:数字の間違いではありません)。
 2010年のラオス証券取引所の開設時には上場を予定しており、ラオスで株価も味覚も最も魅力のある企業と言えるようになるでしょう。ラオスビールの見学を紹介してくれたのは、ラオス商工会議所の事務局長・カンタボン氏。彼との初対面の2001年当時は、ラオス国立大学経済経営学部の講師でした。謎をかけるような彼の話し方には以前から当惑します。私の懐かしい友人のひとりです。

  シルク博物館の「ラオス日本伝統文化教育センター」前で清掃活動の横断幕を持って記念撮影しました。この博物館は親友のハンサナ氏が管理・運営Dscn0810しています。夕方から「バーシー」の儀式をして、お子さん達がラオス音楽を演奏し、奥様の手作りのラオス料理を頂きました。ハンサナさんの家族は、私たちの活動をいつも支援してくれています。「上田は家族だから」と言われると、いつも恐縮してしまいます。この博物館には、「ラオス日本人材協力センター(LJCC)」の初代所長・阿部さんに連れてきてもらいました。当時は建設途中でした。その後に、日本を始め各国の特命全権大使も訪問されています。2001年にはダイエー創業者の故・中内功さんと奥様、翌年には女優で落語家の三林京子さんをお連れしました。私にとって想い出深い場所です。

以下、続く。

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