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2008年9月 3日 (水)

「大学洋上セミナーひょうご2008」とその後

 昨日、9月2日の朝に日本の自宅から今滞在しているラオスに国際電話がありました。私が乗船した「ふじ丸」の女子学生が船上で行方不明になったらしいという連絡でした。福田総理の退陣のためにNHK衛星放送では報道されておらず詳細はわかりませんが、今回のセミナーの参加者として大変驚きました。以下は、私が流通科学大学の教職員に向けた報告の一部です。

 「第15回大学洋上セミナーひょうご2008」に流通科学大学からは学生が18名、そして財務部の職員1名と私が乗船しております。主催は兵庫県国際交流協会、主催校は神戸大学です。職員は現在も乗船中ですから、シンガポールで下船した私が僭越ですが、このセミナーの状況などをご報告いたします。

 シンガポールからは神戸女学院学長、また前中国特命全権大使などが後期の特別講師として乗船されています。私の前期講義のレポート試験の提出者の中に、その学生がいるのかどうか不明ですが、このようなことが起きたことは沈痛の思いです。船内のどこかで無事に発見されたということを心から願っています。

Dsc01497  前期の講師陣はお互いに仲よく楽しく船内生活を過ごしましたが、後期の講師陣は笑いが消えているのではないかと想像しています。さらに言えば、このような事態における閉ざされた船内空間の状況が想像もできません。今年で、この洋上セミナーの実施は最後になるそうです。また最初のベトナム上陸のセミナーでした。感慨深い夏の想い出になるはずでしたが、その中で起きたことですから、私にとって驚愕と困惑です。

 写真は、船内ホールでの学生の様子です。ベトナム人学生の出し物を楽しんでいます。班ごとに工夫を凝らしたTシャツを着て、学生それぞれは4人一部屋で宿泊しています。こういった学生全員の前で私は、シンガポール下船直前の挨拶として「全員の健康と無事の帰国を祈っています」と最後に述べました。今もその気持ちは変わりません。

Dsc01489  船内では、乗船初日の避難訓練(写真を参照)を始めとして、安全には十分に注意が払われておりました。学生480名は20班に区分され、各班は班長が健康管理を始め、班員の学生に対する指示や統制の役割を果たしておりました。この班の2組を大学院生のリーダーが指導しております。このような組織で、全学生の管理や統制がなされていました。

Dsc01681  本学の学生は、最初の上陸地ホーチミン市のベトナム国家社会人文科学大学で300人を超える日本人・ベトナム人学生の前で立派に学生代表の挨拶をしてくれました。本学の教職員として、これは非常に嬉しく思いました。写真は、大学ホールでのスピーチです。

 以上が今回のセミナーの報告です。なお私はシンガポールで下船し、その後にハノイ経由で現在はラオスに来ております。ラオスでは本学情報学部の学生2名と合流し、第6回目の「清掃ボランティア」のために活動しています。本年度は、本学2名の学生の提案に基づいて、ラオスで「マイバック」の普及活動を提案しました。これについて、日本大使館・ラオス科学技術環境庁・ラオス国立大学経済経営学部・ラオス商工会議所の賛同を受け、来年度から本格的な活動をラオス人大学生らとすることになりました。

Dsc01927  ラオスには、今年の夏休みに九州大学・専修大学・東洋大学の学生グループがスタディツアーに来ているようです。本日のラオスビール会社の訪問では、専修大学の学生20名と一緒になりました。本学の学生2名も同社で質問をしておりました。2人とも最初の外国旅行ですが、次第に自信をもってきたように思いました。

 写真は、ラオス国立大学経済経営学部の会議室で、経営学科副科長のトンバン先生の前で「マイバッグ」の説明を英語でする流通科学大学の学生です。また前日には、ラオス最大手の英字新聞であるビエンチャンタイムズの記者にもインタビューを受けました。初めての外国旅行の学生にとっては、かなり刺激のある経験をしてもらいました。

 この学生2名はバンコック経由で9月6日にラオスから帰国しますが、バンコックでは空港内から外に出ませんので、現在のタイの暴動には巻き込まれないと思います。どうぞ、ご安心下さい。明日から、われわれはラオス南部に向かい、ベトナムとミャンマーを結ぶ東西経済回廊の一部を自動車で走行する予定です。安全に十二分に注意したいと思います。

 以上、大学洋上セミナーについて、乗船の講師の一人として報告を申し上げました。また本学学生の近況を紹介いたしました。

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