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2008年9月17日 (水)

橋下知事が来年にホーチミン市を訪問か?:第2回日越経済討論会

 ホテルニューオータニ大阪で9月17日に第2回日越経済討論会が開催された。橋下大阪Dsc02175府知事は、冒頭の挨拶で「私のような若さでも知事になれるほど、大阪は先進的な土地柄である」という意味のことを述べた。そして「来年度にはホーチミン市を訪問できるように調整している」と表明した。前任の太田知事がホーチミン市を訪問した時は、女性知事ということで現地の新聞が写真入りで報道したが、橋下知事は、その若さが話題になるかもしれない。

 この経済討論会で最も印象的であったことは、「もの作り」がベトナム語化して使用されていたことである。すでに8月にハノイで「もの作り」セミナーが開催されており、それが次第にDsc02177 ベトナムのビジネス界に定着していることを示している。

 この「もの作り」とは、通常の生産や製造という言葉では表現できない日本企業の品質・コスト・生産性についての「こだわり」を含んでいると思われる。それは生産工程すべてに適用されるし、特にその製品の品質を規定する原材料部品の生産が注目される。これが「すそ野産業」の育成という産業政策にもつながっている。

 「もの作り」と「すそ野産業」育成は、付加価値の高い部品生産をしなければ、ベトナム工業の発展が望めないという意味である。2015年の「ASEAN共同体」の成立を考えれば、それまでに、ベトナムでなければ作れない高付加価値の製品を作らなければならない。それは情報技術であってもよいが、その雇用効果は大きくないし、果たして付加価値の高い商品が提供できるかは疑問である。そうなれば、原材料部品の生産に活路を見いだすしかない。日本の中小企業のように熟練工の養成や「巧みの技」が伝承できれば、ベトナムの生産基地としての存在感を示すことができる。今後の課題は、このことをベトナム政府が本気になって取り組むかどうかである。日本政府・日本企業は、それを支援する準備はできているとみなされる。

 この経済討論会の後に、南海電鉄堺駅前のリーガローヤルホテル堺で、堺市と堺商工会議所と堺国際交流協会が主催する歓迎夕食会に出席した。在大阪ベトナム総領事館が大阪市から堺市に年内に移転することを記念しての意味も含まれている。私は、日越経済交流センターを代表して出席した。

 外務省のズン副大臣、工商省のビエン副大臣、FPT会長のビン会長らと話をすることができた。両副大臣からは、WTO加盟後の市場開放に伴って外資企業の参入で国内企業が苦境に陥る懸念が話された。お酒が入った本音の話であったので、私も、カルフールの日本撤退の経験など本音の話をした。

 ベトナムについて勉強をした有意義な2日間であった。これだけの大規模な代表団の派遣は、そのこと自体がベトナム経済の安定と自信の表明であろう。

 

 

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2008年9月16日 (火)

中断を中断:ベトナム代表団の来日とリーマンの経営破綻

 9月16日(火)は、日越外交関係樹立35周年記念ベトナム代表団2008歓迎レセプション」が、在大阪ベトナム総領事館の主催によって大阪国際交流センター(大阪市・上本町)で開催された。これは感動であった。すごいぞベトナム。ベトナム人は一般に、見栄っ張りで「エエカッコしい」なのだが、今日の記念式典は、そのような気質に内実が伴っていた。

 ベトナムからの通常の訪日団は、東京から入国し、関西から出国する場合が多いが、今回は今朝に関西空港から入国、その後に名古屋で1泊し、東京の代々木公園で20日(土)に開催されるの「ベトナムフェスティバル2008」に参加して帰国する予定である。

080916_19170002  まず、17時30分からベトナム写真展「ベトナムの国と人」がロビーで開催された。その後の18時から記念レセプションが開催され、フォーや生春巻きを楽しんだ。これは本場の味であった。この時のドレスコードは、ラウンジスーツとナショナルドレス。かなりフォーマルな指定であるが、守らない日本人が少なからずいた。関西的であるが、国際的ではない。関西的なベトナム人が国際的であろうとする時には、本家の関西人も国際的でなければならない。

 このレセプションで緑色のネクタイの男性を見つけた。やはりホーチミン市のマイ=リンタクシーの幹部であった。今回の訪日団は、ホー=ドゥック=ヴィェト越日議員連盟会長を団長として50名に達している。その中には外務省副大臣・商工省副大臣・ホーチミン市人民委員会副委員長も団員に含まれている。写真は、レセプション後の19時からメインホールで開催された「日越文化の夕べ」における大阪市の平松市長である。橋下知事は、明日・9月17日の「第2回日越経済討論会」で挨拶される予定である。その後の19時から、在大阪ベトナム総領事館が大阪市から堺市に移転することを記念して、堺市と堺商工会議所が主催するレセプションがリーガロイヤル堺で開催される。

080916_20520001  このメインホールの音楽とファッションショーが圧巻であった。テーマは「神秘のベトナム」。ベトナムの「優秀芸術家」と呼ばれる伝統楽器の奏者を始め、ミスベトナム・準ミスベトナムの出演は、ファッションショーの華。目を見張る輝きであった。そして最後は、出演者と日本人招待客との舞台上での交流である(写真参照)。約2時間の舞台公演であったが、アオザイの新しい多様なデザインが楽しめたし、そのデザイナーの若さにも感心した。

 おそらくこのショーの水準なら、ベトナム紹介の世界巡業が可能であろうと思われる。ベトナム大健闘である。約1000人収容のメインホールは、ほぼ満席であった。日本人のみならず、ベトナム人留学生も多数参加していたが、彼・彼女らにとっても母国を誇らしく、そして懐かしく想ったと思われる。東京では、私が愛蔵するCDの歌手ミー=リンが出演予定である。東京まで「追っかけ」してもよい気持ちになる。

 今日の午前中のニュースは、米国証券会社の一つであるリーマン=ブラザースの破綻が中心であった。その報道に伴って米国・日本の株価が大暴落した。おそらく米国経済の当面の衰退に伴ってベトナムの対米輸出が減少するであろうが、これまでの実例(ナマズ輸出)によれば、それはEU輸出の拡大によって補完できる可能性が高い。米国偏重ではない全方位ベトナム外交の成果が出るように思われる。

 米国発の「ベトナム通貨危機説」に同調した欧米情報崇拝の日本人エコノミストに、ぜひ今日の行事を見てほしかった。ベトナムの成長を少しでも実感できるはずである。ベトナム経済の数字だけを見るのではなく、目の前のベトナム人に「景気はどうでっか?」と聞くべきなのである。私は「ベトナム通貨危機説」を一貫して批判してきたし、それは、このブログで紹介してきた通りである。私自身、「ひょっとして・・・」と考えないこともなかったが、親しい何人かのベトナム人の意見を想起すれば、それは杞憂であると判断できた。

 先週末に福岡大学で開催された「アジア経営学会」で印象深かった報告のひとつは、久留米大学・永池克明教授の次の指摘であった。
 ・グローバライゼーション1.0: 国家と国家の国際化
 ・グローバライゼーション2.0: 企業と企業の国際化
 ・グローバライゼーション3.0: 個人と個人の国際化
 上記のバーション3.0になると、個人の競争力やスキルが問われる時代になる。このことは、外国情報を入手する場合、論文や報道に依拠するのではなく、個人の情報源をもつ時代になるという意味を含んでいる。個人と個人の関係を深めることが、ビジネスにも研究にも共通して必要であると指摘できる。

 このような意味で、ベトナム経済を本当に理解しようとすれば、上記で紹介したような人的交流の機会は不可欠である。さらに敷衍すれば、政府や自治体は企業の国際化を支援するのではなく、個人の国際化を支援する時代になったと言うことである。それを換言すれば、企業育成の時代から人材育成の時代に入ったということである。

 以上、同じ日にリーマン=ブラザースの経営破綻とベトナム代表団の訪日が重なった。この2つの出来事は客観的に何の関係もないが、私にとっては経済成長センターの新旧交代を象徴するかのように思われた。これは研究者としてではなく、未熟ではあるが、ビジネス人としての私の直感である。

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2008年9月13日 (土)

博多から近況報告やで:大阪弁やで

 前のブログのラオス報告からホーチミン市で2泊したやろ、そんで9月9日に帰国したで。その日に大学で仕事があって、次の日は教授会や。そらそうや。大学の仕事に間に合うように帰ってきたんやから・・・。

 今日(9月13日(土))のテレビのニュースを見とったら、自民党の総裁選挙の候補者が大阪来たから言うて、みんな大阪弁、使ことったワ。ほんなら久しぶりに、ワテも大阪弁、使こたろやないかというワケや。

 今、福岡に来とんねんで。福岡大学で「第15回アジア経営学会全国大会」があるねん。来週は、ベトナム国会議員団の来日があって、レセプションやセミナーに2日続けて出席しまんねん。これも仕事や。それが済んだら、もう講義の始まりや。

 こんなんしとったら、原稿、書かれへんのやけど、自業自得や・・・。愚痴や文句、言うたらアカンな、バチ当たるな。それが仕事やから・・・。今度の本はな、1冊は、ラオスとカンボジアのビジネス入門書、もう1冊は、アジアの企業経営の教科書の中でのベトナムの部分、ほんで、もう1冊は、経営学入門の教科書の中の企業論の部分を書かなあかんねん。こら、大変やで。頭の中では、もうできとんねんけど、書き出したら、いろいろ考えるワケや。

 こんなワケで、もう少しブログは休載や。書くことに集中するワ。10月から再会できるように頑張るワ。実を言うとな、今回の外国出張で、ゴッツウ嬉しいことがあってん。シンガポールとラオスでワテのブログの日本人の読者にホンマに偶然に、おう(会う)てんねん。有り難い話やで。頑張るしかないで・・・。こんなふうに思わんかったら、ワテはワテという人間ヤメや。はよ(早く)書いてしもて、すっきりしたいワ。そら編集者や出版社も同じ気持ちやろな。原稿、遅れて、ごめんな、ゴメンナ、ごめんな。このセリフは間寛平さんやったかな・・・。

 しばらく休みやから、ちょっと多めに今日は書くで。ベトナムの経済は問題なしや。元気一杯の感じや。ワテの知っとる民間企業でも、谷茂みたいに「あー忙し、あー忙し」言うて働いとる。国会議員団も上に書いたみたいに、堂々と日本に来はる。また別件で、日越経済交流センターが引き受けんねんけど、ベトナム商工会議所の会員企業の36名が東京と大阪に研修に来んねんデ。経済危機や通貨危機や言うてたけど、ホンマに危機やったら、こんなことアラヘンと思うで。

 ベトナム株式市場も上向きや。15%の高金利でも株価上昇や。これには、ホンマに強い買いの動きを感じるワ。でも注意せなあかんのは、これから下半期の企業業績の発表や。インフレやその抑制策の影響が、必ず企業業績には、マイナス要因になるはずや。そやけど、そうでない企業もあるはずや。コスト上昇を経営効率化で吸収できた企業やな。こんな企業はエエで。それがハッキリ見えてくるエエ時期と考えたらエエんちゃうやろか。ベトナム株式は、確かな選択の時代に入ったということや。今から年末が、絶好の買いの時期や。ホンマに頼んまっせ。日本の投資家のみなはん・・・。そうせな、みんな、韓国や中国やアメリカにエエトコ、取られてしまうで・・・。ほな、サイナラ。

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2008年9月 9日 (火)

ラオス報告(3):サワナケットからムクダハンを走る

shine メコン川に第2の友好橋が日本のODAで2007年に完成しました。それがインドシナ半島を横Dsc02022 断する東西経済回廊の要(かなめ)となります。これを聞けば、その実物を見なければ、CLV(カンボジア・ラオス・ベトナム)を語れないと思っていました。しかもこの橋の工事中に日本人技術者が事故で命を落としています。日本人として哀悼の気持ちをもちながら、感慨深く渡橋してタイ側のムクダハン市内に向かいました。

 ラオス側の出国手続きとタイ側の入国手続きは、各自が書類を書いて署名すれば、ラオスDsc02040人運転手の愛称・ジョニーくん(26歳:息子の年齢は1歳)が、まとめて全部やってくれました。しかし自動車の通行料が50万キップ(60ドル)ほど取られたように思います(flairflair:この記憶が残念ながら定かでない。また乗員人数5人分なのか自動車1台分なのかも??? ・・・うかつでした)。いずれにせよ、国境だから書類の作成は当然ですが、貨物の定期便トラックの場合は、もっとスムーズに通貨する必要があると思われました。交通量は、時刻が夕方のためもありますが、極めて少ない状態でした。

 橋を渡ってタイ側に入ると、自動車を消毒するシャワーが道路から吹き出しました。鳥インフルエンザを警戒するタイ側の措置なのでしょうが、ラオス人にしてみれば、あまり感じが良いものではないでしょう。タイの反政府暴動という話を聞いていますが、国境の町ムクダハンは平穏でした。ガソリンスタンドに併設されたセブンイレブンの光がshineキラキラshineと輝いて見えました。ムクダハン市内の焼き肉屋で夕食を済ませました。国境を隔てただけでラオスとタイは、こうも違うものかと実感しました。国境とは不思議なものです。夕食後にラオスに戻り、サワナケットで1泊。翌日にパクセーに向けて出発しました。

Dsc02121  パクセー市内を通り過ぎて、ラオスビールの第2工場を右手に見て進みました。メコン川をイカダのようなフェリーで渡り、しばらく走るとワットプーに到着です。私は3回目になりますが、何度来ても心が落ちつくように思われます。山上の本殿まで汗をかきながら歩くところに値打ちがあります。このワットプー遺跡の保護にも日本のODAが役立っています。早稲田大学が実施した学術調査の結果が博物館に納められています。

 このワDsc02105ットプーから最終の目的地である「コーン島」の方面まで行って宿泊すればよかったのですが、適当なホテルがないと言うので、パクセーに引き返して1泊しました。翌日に再びワットプーの方面に戻るこの距離が余分になって、最終日のビエンチャンの到着は午後11時近くになりました。運転手のジョニーくんを案内役にしての気ままな旅です。これこそ、既定の日程を消化する旅にはない醍醐味です。

 パクセー市内の早朝6時30分、偶然に托鉢のお坊さんを見かけました。裸足で一列になっての行Dsc02143_3進は、清心な気持ちにさせてくれます。こういった修行の時期が、どのような人間にも必要であるのかもしれません。少なくともメタボなどの生活とは無縁でしょう。清貧は人間の原点かもしれません。

 その後にコーンパペンの滝まで片道で100㎞以上も走りました。この滝は、確かに迫力があります。私は2回目の訪問です。今は雨期で水量が多く、耳の奥に響くような轟音が道案内の役割をしてくれました。広大なメコン川に滝があるということ自体が不思議です。この方面の旅は、もう1泊はしたほうがよいと思いました。もうカンボジア国境まで40㎞の所です。こDsc02157うなれば、カンボジア国境も突破してみようという誘惑が沸いてきます。これは次回の楽しみにしておきたいと思います。

 ラオス側で東西経済回廊の一部を実走するという目的を以上で果たせました。現在の交通量は少ないですが、これが2015年の「アセアン共同体」の成立となれば、タイとラオスのみならず、カンボジアとラオスの往来も活発になる可能性を感じました。

 ラオス南部のワットプーやコーンパペンの滝は、北部のルアンパバーンに並んでラオス最大の観光地になるでしょう。ただし現状は、宿泊や昼食施設のインフラが悪すぎます。カンボジアのプノンペン市内にもガソリンスタンドとコンビニを併設した店舗が多数あります。もちろんタイやベトナムにもあります。これらの形態の給油所と休憩所が、近い将来に東西経済回廊の沿線に林立する様子を想像することができました。ただしワットプーを観光地として重視するなら、メコン川の架橋よりも現状のイカダ式フェリーを存続させた方がよいように思います。ベトナムの「メコン川クルーズ」に似たコンセプトです。

 将来を見通した投資をする。これはビジネスの基本です。この意味で、間違いなくラオス南部は観光地として魅力的です。おそらくタイやベトナム資本が、すでに不動産投資しているのではないかと想像されます。もちろん中国や韓国も見逃さないでしょう。しかし鉱山など天然資源に注目していると聞いています。観光資源にも注目です。

 ベトナムのダナンでに5☆のフラマリゾートホテルが開業して10年以上です。開業当初、宿泊客は外国人が数人という状況がありました。それが今では、外国人のみならずベトナム人宿泊客で盛況です。今のカンボジアのシハヌークビルソクハホテルが10年前のフラマホテルと同じです。なお、コーンパペン滝の近くにリゾートホテルらしい大型施設の看板を見かけましたが、その確認はできませんでした。これも気になる次回の課題です。

 現在、ラオス北部の不動産取得や開発が注目されていますが、これからのラオスは南部です。「開発の三角地帯」。日本の外務省がCLVの国境付近をこのように表現していますが、その実態を体感できました。

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2008年9月 8日 (月)

ラオス報告(2):ビエンチャンからサワナケットへ

 ビエンチャンで私にとって不可欠の訪問先は、今年で20周年を迎えた特定非営利活動法人・国際協力NGO・IV-JAPANhttp://www6.ocn.ne.jp/~iv-japan/)のラオス事務所でDsc01186_2 す。市内から空港に向かう右手、ノボテルホテルの手前にあります。この代表者の富永幸子さんのお人柄に魅せられた方々は内外を問わず多数に及びます。ビエンチャンでは料理・マッサージ・理容・縫製などの職業訓練を実施されておられ、ラオス人青年の自立を支援されておられます。その一環で、日本料理の実習店があり、そこで昼食をすることが数年来の定番の日程になっています。ラオス人と日本人のためにも富永さんのご活躍とご健康をお祈りしています。

 ラオス国立大学経済経営学部では、カムルーサ学部長とポーシー経営学科長に偶然に 会うことDscn0745_2ができました。カムルーサ学部長は個人的にはフランスから博士号の学位を取得 し、また公的には9月から開始される経営学修士(MBA)コースの人気も高く、順調に充実した仕事をしている自信に溢れた様子でした。ポーシー学科長は学生の人気が高く、その人柄は高く評価されていました。短期間でしたがJICA専門家として仕事した経済経営学部が発展することは、自分のことのように嬉しい気持ちがします。簡単な挨拶を交わして、すでに紹介したようにトンバン先生とトンペット先生に「ラオス清掃ボランティア活動」の協力を依頼しました。

 この経済経営学部に隣接したラオス日本人材協力センター(LJCC)では、日本文化交Dscn0748 流・ボランティア活動・セミナーなど多様な活動が次々に実施されています。JICAの佐藤所長と幸喜調整員にお話を伺い、センターの発展を実感しました。最近では多数の日本人大学生が、さまざまな企画をもってラオス訪問しています。図書館も充実してきました。JICAネットで日本とラオスを結ぶテレビ会議も実施されています。事務職員の数も格段に増えています。かつての草創期の日本センターとは隔世の感を強くしました。私たちの清掃ボランティア活動も、それに応じた体制を組まなければなりません。

 ビエンチャンを離れて国道13号線を南下し、まずサワナケットに向かいました。約400㎞Dsc01985 の旅です。サワナケットからメコン川の対岸であるタイのムクダハンまで日本のODAによって第2友好橋が2007年に架橋されました。これによって東西経済回廊がベトナムからタイそしてミャンマーまで繋がることになりました。さらに300㎞ほど南下すれば、南部の都市パクセー。ユネスコが認定した世界文化遺産のワットプー観光の基地です。さらにコーヒーの産地として有名です。150㎞ほど南下して、メコン川で唯一の滝、コーンパペンの滝までを走破しました。これで片道が約850㎞。2泊3日の陸路の旅でした。 以下、続く。 

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2008年9月 7日 (日)

ラオス報告(1):ビエンチャンの点描

 サワナケットとパクセーの調査からビエンチャンに9月5日に帰ってきました。ラップトップPCを持参しましたが、どちらのホテルでもインターネットは使用できませんでした。ベトナムのホーチミン市やハノイから見ると、ビエンチャンはベトナムの田舎のように感じますが、さらにラオス南部はラオスの田舎です。

 今回のラオス訪問の目的は2つありました。第1は、第6回ラオス清掃ボランティア活動の「見直し」をすることでした。これまではラオス人大学生らと一緒に小学校や中学校を訪問し、清掃活動をしていましたが、これは「ゴミを拾う」活動です。これに対して「ゴミを減らす」活動をしようということになりました。流通科学大学の西垣くんと山川くんの発案です。具体的には、「マイバック」を普及させて、お店で受け取るプラスティックバックを減らそうとする運動です。日本でも未だ広く普及していないようですし、ラオス人にとって未経験ですが、今回の訪問では多くのラオスの人々から賛同をいただきました。

 第2の目的は、東西経済回廊の一部を実走することでした。すでに私は2005年にベトナムのダナンからラオス国境を超えてダンサバンに行きました。今回は、ラオスのサワナケットからメコン川第2友好橋を通ってタイのムクダハンに行きました。これでダナンからサワナケットを通ってバンコクまで陸路で行ける目途が立ちました。近い将来、これを実際に完走してみようと思っています。以下、これらのラオスの活動概要を写真で3回に分けて紹介します。

Dsc01944  ラオスでは8月初旬に大雨に見舞われ、ビエンチャン市内でも洪水の危険がありました。ラオス人民革命党の組織が中心に動員されたと思いますが、雨中で土嚢が作られ、メコン川の洪水を防ぎました。ビエンチャンのメコン川沿いにその土嚢が今も残されています。この長い堤防を見ていると、ラオス人の愛国的・献身的な姿が見えてくるようです。

Dscn0827_2  洪水の後は、蚊の大量発生があり、デング熱やマラリアの蔓延が懸念されるという情報を在ラオス日本大使館・領事部から入手していました。そこで箕面船場ライオンズクラブからの寄付金で200個の「虫除けジェル」を日本から持参し、ラオス首相府・水資源環境管理の青年同盟のビラニーさんを始めとする皆さんに寄贈しました。ラオス人が「香菜」を食べるのは蚊を寄せ付けないためと言われています。虫除け薬はありますが、高価ですから一般に使用されていません。少しでも役に立てばと思います。

 友好橋の近くに立地するラオスビールの本社工場を見学しました。その後に南部チャンDsc01974_2パサックの第2工場の前も自動車で通りました。年間の総生産量は、1億七千万リットル。2007年度の納税額は国内最高であり、4千七百万ドルに達しています(flairflair:数字の間違いではありません)。
 2010年のラオス証券取引所の開設時には上場を予定しており、ラオスで株価も味覚も最も魅力のある企業と言えるようになるでしょう。ラオスビールの見学を紹介してくれたのは、ラオス商工会議所の事務局長・カンタボン氏。彼との初対面の2001年当時は、ラオス国立大学経済経営学部の講師でした。謎をかけるような彼の話し方には以前から当惑します。私の懐かしい友人のひとりです。

  シルク博物館の「ラオス日本伝統文化教育センター」前で清掃活動の横断幕を持って記念撮影しました。この博物館は親友のハンサナ氏が管理・運営Dscn0810しています。夕方から「バーシー」の儀式をして、お子さん達がラオス音楽を演奏し、奥様の手作りのラオス料理を頂きました。ハンサナさんの家族は、私たちの活動をいつも支援してくれています。「上田は家族だから」と言われると、いつも恐縮してしまいます。この博物館には、「ラオス日本人材協力センター(LJCC)」の初代所長・阿部さんに連れてきてもらいました。当時は建設途中でした。その後に、日本を始め各国の特命全権大使も訪問されています。2001年にはダイエー創業者の故・中内功さんと奥様、翌年には女優で落語家の三林京子さんをお連れしました。私にとって想い出深い場所です。

以下、続く。

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2008年9月 3日 (水)

「大学洋上セミナーひょうご2008」とその後

 昨日、9月2日の朝に日本の自宅から今滞在しているラオスに国際電話がありました。私が乗船した「ふじ丸」の女子学生が船上で行方不明になったらしいという連絡でした。福田総理の退陣のためにNHK衛星放送では報道されておらず詳細はわかりませんが、今回のセミナーの参加者として大変驚きました。以下は、私が流通科学大学の教職員に向けた報告の一部です。

 「第15回大学洋上セミナーひょうご2008」に流通科学大学からは学生が18名、そして財務部の職員1名と私が乗船しております。主催は兵庫県国際交流協会、主催校は神戸大学です。職員は現在も乗船中ですから、シンガポールで下船した私が僭越ですが、このセミナーの状況などをご報告いたします。

 シンガポールからは神戸女学院学長、また前中国特命全権大使などが後期の特別講師として乗船されています。私の前期講義のレポート試験の提出者の中に、その学生がいるのかどうか不明ですが、このようなことが起きたことは沈痛の思いです。船内のどこかで無事に発見されたということを心から願っています。

Dsc01497  前期の講師陣はお互いに仲よく楽しく船内生活を過ごしましたが、後期の講師陣は笑いが消えているのではないかと想像しています。さらに言えば、このような事態における閉ざされた船内空間の状況が想像もできません。今年で、この洋上セミナーの実施は最後になるそうです。また最初のベトナム上陸のセミナーでした。感慨深い夏の想い出になるはずでしたが、その中で起きたことですから、私にとって驚愕と困惑です。

 写真は、船内ホールでの学生の様子です。ベトナム人学生の出し物を楽しんでいます。班ごとに工夫を凝らしたTシャツを着て、学生それぞれは4人一部屋で宿泊しています。こういった学生全員の前で私は、シンガポール下船直前の挨拶として「全員の健康と無事の帰国を祈っています」と最後に述べました。今もその気持ちは変わりません。

Dsc01489  船内では、乗船初日の避難訓練(写真を参照)を始めとして、安全には十分に注意が払われておりました。学生480名は20班に区分され、各班は班長が健康管理を始め、班員の学生に対する指示や統制の役割を果たしておりました。この班の2組を大学院生のリーダーが指導しております。このような組織で、全学生の管理や統制がなされていました。

Dsc01681  本学の学生は、最初の上陸地ホーチミン市のベトナム国家社会人文科学大学で300人を超える日本人・ベトナム人学生の前で立派に学生代表の挨拶をしてくれました。本学の教職員として、これは非常に嬉しく思いました。写真は、大学ホールでのスピーチです。

 以上が今回のセミナーの報告です。なお私はシンガポールで下船し、その後にハノイ経由で現在はラオスに来ております。ラオスでは本学情報学部の学生2名と合流し、第6回目の「清掃ボランティア」のために活動しています。本年度は、本学2名の学生の提案に基づいて、ラオスで「マイバック」の普及活動を提案しました。これについて、日本大使館・ラオス科学技術環境庁・ラオス国立大学経済経営学部・ラオス商工会議所の賛同を受け、来年度から本格的な活動をラオス人大学生らとすることになりました。

Dsc01927  ラオスには、今年の夏休みに九州大学・専修大学・東洋大学の学生グループがスタディツアーに来ているようです。本日のラオスビール会社の訪問では、専修大学の学生20名と一緒になりました。本学の学生2名も同社で質問をしておりました。2人とも最初の外国旅行ですが、次第に自信をもってきたように思いました。

 写真は、ラオス国立大学経済経営学部の会議室で、経営学科副科長のトンバン先生の前で「マイバッグ」の説明を英語でする流通科学大学の学生です。また前日には、ラオス最大手の英字新聞であるビエンチャンタイムズの記者にもインタビューを受けました。初めての外国旅行の学生にとっては、かなり刺激のある経験をしてもらいました。

 この学生2名はバンコック経由で9月6日にラオスから帰国しますが、バンコックでは空港内から外に出ませんので、現在のタイの暴動には巻き込まれないと思います。どうぞ、ご安心下さい。明日から、われわれはラオス南部に向かい、ベトナムとミャンマーを結ぶ東西経済回廊の一部を自動車で走行する予定です。安全に十二分に注意したいと思います。

 以上、大学洋上セミナーについて、乗船の講師の一人として報告を申し上げました。また本学学生の近況を紹介いたしました。

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