« 愛国心に訴える:「ベトナム経済救国戦線」を結成すれば? | トップページ | カンボジア情報:新川加奈子『カンボジア今』を読む(5) »

2008年6月28日 (土)

カンボジア情報:新川加奈子『カンボジア今』を読む(4)

 カンボジア人の気質を理解する場合、かつてのポル・ポト派幹部に関する新川氏の次の指摘は重要である。

 「残虐行為を行ったことに対して、恥も悔恨も認められない。彼らは悪行を行ったことを認めたくないのである」(p.38.)。

 その理由は、「仏教の「輪廻―因果応報」を信じており、裁判でなく宗教的報いを、今後死後の世界でも、その後の生まれ変わった世界でも受けることを恐れているからではないか。しかし、もしこのような宗教的観念が、真実を語ることを妨げているのであるなら、それは根深い問題である」(p.40)。

 ベトナムは大乗仏教、カンボジアとラオスは上座部仏教と特徴づけられる。大乗仏教は、大部分の日本人の宗教と同じであると考えれば、ベトナム人の宗教観は理解できる。旧正月にはお寺参りをして、それぞれの家では先祖に手を合わせ、クリスマスにはプレゼントやクリスマスツリーを飾る。このようにベトナム人は宗教について許容範囲が広く、柔軟である。これは宗教のみならず、ベトナムの国民生にも反映しているように思われる。

 これに対してカンボジア人の宗教観をこれまで私は十分に知らなかった。馴染みの運転手が、プノンペンからシハヌークビルを往復する時に、休憩場所にあるいくつかの仏像に手を合わせていたことを見た程度である。

 前述のような「輪廻」がカンボジアで深く信じられているとすれば、極端に言えば、おそらく現世の行動はすべて正当化される。たとえば贈収賄でも、「もらって当然」・「贈って当然」という論理が働くはずである。「もらう人」は前世で善行を積んだ人である。「贈る人」は、その後に儲けたお金の一部ををお寺に寄付すれば善行になる。このような心理的な正当化があれば、贈収賄が法律で厳禁されても、おそらく解消されない。

 さらにビジネスで納期が遅いので苦情を言えば、「それは貴方の前世が悪いからだ」と反論される。さらに交通事故や病気になっても、それは前世の影響なので文句を言えないし、あきらめの心境になる。

 このような宗教の曲解もしくは牽強付会が蔓延しているとすれば、こういった国のビジネスは大変だ。「輪廻」の思想は、現世の悪行を抑制する効果よりも、現状の悪行さえも肯定・正当化する効果を生むのかもしれない。この点がカンボジアで一般化できるのか。ビジネス上のトラブルの原因にもなるので、さらに検討と確認が必要な論点である。

|

« 愛国心に訴える:「ベトナム経済救国戦線」を結成すれば? | トップページ | カンボジア情報:新川加奈子『カンボジア今』を読む(5) »