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2008年5月 1日 (木)

聖火リレー再考:『ヒットラーへの聖火』

 昨日、オリンピックの聖火リレーについて私見を述べた。これに関連して偶然に『朝日新聞』(2008年5月1日夕刊)「窓:論説委員室から」は、「ヒトラーと聖火」というコラム記事を署名入りで掲載している。

 同記事によれば、「聖火リレーが近代五輪に登場したのは、1936年開催のベルリン大会だった。その8年前のアムステルダム大会で「聖火」が初めて使われ、ベルリン大会で「リレー」が加わった」そうである。

 さらに「なぜ聖火リレーになったのか。国威発揚を狙ったということは容易に想像がつく。33年1月に政権を握ったヒトラーは、オリンピックを国家プロジェクトと考えていた。国民の結束を強め、ドイツの発展を誇示する。聖火リレーはそのために不可欠な仕掛けだった」と指摘されている。

 昨日の本ブログでは、聖火リレーの意義について個人的な意見を述べたが、それは大きな誤りであった。誤りというよりも、あまりにも理想主義的であった。前述のように聖火リレーの起源は「国威発揚」なのである。ベルリン大会を主催したナチス・ヒトラーが開始したのである。なるほど、そのような経緯を考慮すれば、日本でもベトナムでも中国国旗が振られても不思議ではない。

 「国威発揚」がけしからんと私は言っていない.「国威」の有り様や「発揚」の方法が問題である。他国に脅威を感じさせる「国威」、他国に政治的な圧力をかけた「発揚」が、必ずしも唯一の「国威発揚」の形態や内容ではないと私は思う。

 北京大会を主催する中国および中国人は、このような聖火リレーの起源を知るべきである。そのことを教訓にして自省・自戒することが、大国である中国の文字通りの国威発揚になると考えられる。

 おそらく中国政府は、以上のようなことは十分に承知している。それにもかかわらず、チベット問題に対処するために、中国国旗を振らざるをえない政治的な意図が働いているのである。多額の国家予算を使用するオリンピックであるから、それに応じた国内の政治事情が考慮されても不思議でない。このような意味で、今のような開催地の決定方法では、オリンピックと政治を切り離すことはできない。今回の北京大会では、このような問題を提起したという意義を見いだすこともできる。

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