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2008年5月31日 (土)

第69回証券経済学会全国大会の報告について:早稲田大学

 土曜日の東京は雨。宿泊ホテル(飯田橋)で傘を買った。部屋の窓からは「東京ドーム」が見える。

 学会の会場である早稲田大学には今回で2回目の訪問。時計台のある大隈小講堂で受付があり、そのの場所を聞いたのだが、私は「大隈(おおすみ)」と言ってしまい、「ハア~?」という反応であった。当然だ。その直後に気がついたが、「大隈(おおくま)」に決まってるではないか。でも、「大隅」を「おおすみ」と読んでしまうところが、私が関西人であり、また同時に「KY」の始まりだと恥じ入った。

 私の報告について、明治大学・勝悦子教授からコメントを賜った。ベトナム株式市場の脆弱性、さらにベトナムの金融危機の懸念が指摘された。特に為替市場からの経済危機の懸念が表明された。私は、ベトナム株式市場の低迷にもかかわらず、またその脆弱性にもかかわらず、楽観論を主張した。ベトナムの実物経済が堅調であり、それが金融的な問題点をも克服すると考えているからである。

 私は最後に「私の楽観論勝先生の悲観論。これでバランスの取れたベトナム株式市場の状況を理解していただけたのではないか?」と述べた。

 勝先生は、私の熟知していない範囲のことまでもコメントされ、さすがに国際金融分野における最先端の研究者であると感服させられた。報告後に、私は勝先生に「私は半分以上はベトナム人ですから」と話した。

 1997年末に私は韓国を訪問したことがある。韓国におけるアジア通貨危機の影響を調査するためである。(注:当時の私は、韓国財閥の動向にも研究関心があった。) 日本の報道では「石油不足で冬を越せない韓国経済」と言われたが、ソウルのロッテ百貨店や新世界百貨店を見れば、人々は旺盛な購買力を見せていた。韓国経済の悲観論が日本で流布されていたが、実際の国民生活は日々営まれていることを実感した。その後の韓国経済の復興は歴史的事実である。

 このことを勝先生のコメントの返答にしたい。確かにベトナム経済の深刻な危機的状況があるかもしれない。しかしベトナムの人々は日々に生活し、懸命に働いている。ドン高と言われながらも、直接投資や輸出は好調である。紆余曲折はあるにせよ、ベトナム経済が発展しないはずがない。これが私の確信である。それは、長期的に株式市場が発展することは間違いないという意味である。

 勝先生のコメントからの自省点は、ベトナム株式市場での悲観論の論点を多々収集することが重要ということである。私は「ベトナムのような新興国では「大局」を見ることが重要だ」と強調して、上述のような「紆余曲折」は気にしないでよいという立場であった。しかし徹底して、ベトナム株式市場の悲観論を論破しなければ、ベトナム株式市場の成長性を広く認識していただけない。勝先生の悲観論に対する反論が、時間の制約もあり、十分にできなかった。この意味で「私の負け」だと自覚した

 「もっともっと勉強しなければ・・・」。学会参加の意義は、このような自省ができることである。コメントを賜った勝悦子先生、時間が大幅に超過してご迷惑をおかけした司会の代田先生(駒沢大学)を始め、ご出席の先生に感謝を申し上げたい。

 

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2008年5月30日 (金)

東京に来ました:第69回証券経済学会全国大会

 第69回証券経済学会(http://www.sess.jp/)全国大会で研究報告のために東京に来た。神戸で午後6時前まで講義して、その後に報告の内容をチェックして、午後7時に新神戸から東京に移動。東京到着は午後11時であった。あわただしい日々だ。

 上記の学会のホームページの「学会・部会のお知らせ」に私の報告の概要が掲載されている。「ベトナム・カンボジアにおける株式市場の展開と動向」という論題である。

 会場は早稲田大学。報告後は、ちょっと休憩しないと、これは「過労死」の危険がある。

 そうは言うものの、いたって元気な自分がうらめしい。ちょっと休憩したい気分なのだが、そういうわけにはいかないようである。

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2008年5月29日 (木)

ベトナムのインフレ対策は購買力=所得の上昇で

 ベトナムのインフレが進行中である。4月の消費者物価指数の上昇は前月比11%を超えている。これに対して金融政策=高金利政策で対応しようとしている。

 もちろんインフレ対策として政府主導の物価統制・価格凍結も採用されている。たとえばガソリン・石油価格の価格安定や国営企業の価格凍結である。しかし民間企業の活動に対して政府は直接干渉できない。あくまでも市場メカニズムを通してインフレ抑制を考えている。

 ベトナムは市場経済化を真面目に推進しているのだが、その理由は何であろうか。おそらく米国から「市場経済国」であることを認めてもらう必要があるのだ。すでにベトナムはWTO加盟を果たしたが、現在も米国は縫製品についてダンピングの疑いをもっており、監視を継続している。その米国から「市場経済国」と認定されれば、米国企業からの投資はさらに拡大する。

 米国との経済関係の拡大は、中国の経済的影響に対する「外交カード」として使用できる。中国という超大国に隣接したベトナムにとって、その影響を牽制するためには米国という超大国との関係を重視せざるをえない。

 なおインフレ対策として心理的な要因を言えば、かつての日本のように「所得倍増」計画を全面に強調することである。インフレを克服するために購買力を高める。つまり所得も上昇させる。これは国民を心理的に安心させる。「インフレが心配だが、所得も上がる。インフレもやむをえない」。そして所得上昇は、新たな株式投資家を増加させることにもなり、株式市場の発展に貢献する。

 外国企業の直接投資の魅力が、所得上昇で弱まる懸念がある。しかしそれは、どの国でも先進国に向けて通過する経路である。韓国も台湾も中国もそうであった。こういった国々の経済成長過程や日本の「所得倍増計画」からの教訓が、現代ベトナムに緊急に必要とされているように思われる。そう言っても、こういった分野の研究蓄積は多くないのではないか。 

 

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2008年5月28日 (水)

イオンとダイエー:特別講義の紹介

 流通科学大学の「実学」講義の一環である「21世紀の業界展望」では、学外の実務家の方々を特別講師として迎えて、ご講義を賜っている。そこで流通業界については以下の講義が開講された。

5月7日(水):イオン株式会社 西日本カンパニー人事教育部部長 田中恒星氏
「真のグローカル企業を目指して:新たな成長に向けた変革と挑戦」

5月14日(水):株式会社ダイエー 人事・人材開発本部人事企画部 久保 敦氏
「21世紀の業界展望:小売業再編の中で」

 かつては強力なライバル関係にあった両社も、今ではイオングループの一員として、それぞれの個性を競う関係に変化しているように思われた。

 イオンの田中氏は、少子高齢化の日本社会をグローバル化で乗り切ることを明言された。このように紹介すると、攻撃的な企業のように思われるのだが、他方で、「創業250年」の伝統と「社会貢献」の重要性が指摘された。流通最大手企業の風格を感じた。

 イオンの前身である岡田屋の次の家訓が印象深い。
 1.下げて儲けろ、上げて儲けるな。
 2.大黒柱に車をつけよ。


 1は価格のことである。「便乗値上げ」で儲けるなんてとんでもない 誠実な商売をするという意味である。2は即座に理解できない。「動かしてはいけ不動のものに車輪を付けて変化に対応する」という意味である。この家訓によってイオンは「変化に対して抵抗がない」。

 ダイエーの久保氏は、流通小売業界におけるダイエーの先駆性を強調された。創業者・中内功の開拓者・革命家としての情熱が社内に継承されていると感じた。流通小売業において利益率を上げると同時に販売価格を下げる「切り札」とも言えるPB(プライベート=ブランド)は、ダイエーによって最初に開発された。

 1961年:インスタントコーヒー。1964年:ブルーマウンティングンゼ(下着)。1970年:ブブ(カラーテレビ)・・・。1980年にPBの総称「セービング」が発売され、その後に2回の改訂を経て、1996年には「プライベートブランド製造業者協会」の優秀賞を受賞した。そして2007年にイオンの「トップバリュー」がダイエーで販売開始され、「セービング」は歴史の歩みを終えた。

 ダイエーは、「小売業界の先駆者として業界や社会に対して大きな影響を与えてきた」。これは、だれもが認める事実である。このDNAをダイエーが継承することで、イオングループの中にあっても、その個性を今後も発揮できる。また、そうあってほしと私は思う。

 注:イオンは本年8月に純粋持株会社を設立し、その傘下にグループ企業を集約させる。このことは、イオンがダイエーの株式を所有するのではなく、この持株会社がイオンやダイエーの株式を所有することを意味する。持株会社がグループ企業を統括し、それと同時にグループ各企業は、より独立性や個性を発揮できる。イオンの大黒柱に車をつける方法で、ダイエーの開拓DNAが温存されたとみなされる。

 

 

 

 

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2008年5月27日 (火)

熊岡路矢『カンボジア最前線』岩波新書を読む:1993年までのカンボジア(下)

 カンボジアにおけるポル・ポト派は、熊岡路矢氏から次のように指摘されている。

 「どんなイデオロギーであれ、これだけ人間を(カンボジア人に対しても、外国人に対しても)物のように、またゴミやがらくたのように扱えるポルポト派に対し、強い違和感を感じた。「旧体制の人間、都市住民、知識人、われわれに反抗する奴らは、田畑の肥料になることで役立つしかない」という有名なポルポト派のおどかしと、実際ストレートにこの言葉を実行してしまう荒々しさは、破壊的ニヒリズムぬきには理解できない」(p.48)。

 このような国際的・歴史的に類例を見ないような凶悪なポル・ポト派を政権から追放したベトナム自身は、おそらく「正義」を実行し、国際社会からも賞賛されると思っていたのではないか。しかし実際は、大虐殺を行ったポル・ポト派を含む反ソ連・反ベトナムの「民主カンプチア」政権が依然として国連で承認され続けた。

 他方、ベトナムに支援されカンボジアの大部分を実効支配したヘン・サムリン「カンプチア人民共和国」政府は、「ソ連・東欧諸国・ベトナム・ラオス・キューバなどが承認するに留まり、中立的な立場からはインド一カ国が国交を樹立した」(p.174)。ヘン・サムリン政権は国際社会からの開発援助を受けることができなかった。このことは「「援助」の政治性が指摘されるポイントである」(p.174)。

 ベトナムに対しては、おそらくベトナムが想定していた国際的な賞賛どころか非難と制裁が待ち受けていた。

 イラクのフセイン政権を打倒するためにイラク侵略した米国は、自国の行為を「正義」と広言している。他方、おそらく米国より以上にカンボジアで「正義」を実現したベトナムが非難された。カンボジア情勢が正確に伝達されていなかったからである。また伝達されていたとしても、政治的な観点からベトナムが非難された。公平に見て、これは理不尽である。近い将来に開廷される予定の法定では、ポル・ポト派の犯罪を裁くと同時に、ベトナムの名誉回復がなされてもよいと思われる。

 このようなベトナムやヘン・サムリン政権に対して、カンボジアの人々の中には次のような感情をもつ人がいる。「ポル・ポト時代に家族を殺されました。憎いです。しかし、カンボジアを乗っ取ろうとしているベトナムと、これに協力してきたプノンペン政権はもっと嫌いです」(p.204)。

 おそらく現在のカンボジア人であっても、以上のようなベトナムに対する感情をもっている人がいるであろうことをベトナム人・ベトナム企業は念頭に置いて、カンボジアでのビジネス活動を検討しなければならない。

 

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2008年5月26日 (月)

熊岡路矢『カンボジア最前線』岩波新書を読む:1993年までのカンボジア(上)

 熊岡路矢『カンボジア最前線』岩波新書(1993年)を読んだ。私の関心と印象は、カンボジアとベトナムの関係についてであった。いくつかを以下で抜き書きしてみる。

 なお同書の「ヴェトナム」という表記は、以下では「ベトナム」と変更している。私が「ベトナム」を一貫して使用していることと、日本の外務省の表記も「ベトナム」だからである。私見では、「ベ」と「ヴェ」のいずれの表記であっても、原語のViet Namを正しく発音できないのだから、両者の区別は重要ではない.。日本語表記は日本人のためだけの便宜にすぎない。

 「1978年12月にベトナム軍20個師団が、数百人の「カンプチア民族救国統一戦線」(ヘンサムリン議長)とともに国境を越え、ポル・ポト声援を一気に倒してしまった」(p.2)。これが「ベトナムのカンボジア侵攻」と呼ばれる出来事である。

 「ベトナム軍は、これ以後約10年間、1989年9月の完全徹底まで、カンボジアに駐留した。ベトナム政府は、駐留していたのは正規軍ではなく、ベトナム兵が「自発的に」カンボジアの人々を助けにいったのだという建て前で、カンボジア在留ベトナム軍を、「志願兵の軍」であると内外に説明してきたが、実際には政府の決定による正規軍の派遣であった」(p.40)。

 1979年1月10日に樹立された新政府・カンプチア人民共和国の「政権政党は、「人民革命党」(1993年現在は「人民党」)である。・・・「「ヘンサムリン」政権は、ベトナムの影響下でつくられ、ソ連・東欧圏の援助を受けたので、「ベトナム型社会主義政権」の側面をもつことは否定できない。しかし、実際に内側で暮らして感じたのは、イデオロギー色が薄く、カンボジア人が生き延びるための「サバイバル」政権の性格が非常に強いことである」(p.43)。

 ただし「ヘン・サムリン政権誕生以来、国連におけるカンボジア議席問題が、カンボジア問題の焦点のひとつであったが、約12年間、国連議席は、つねにゲリラ側=「亡命政権」の側に与えられ続けた。79年から82年までは、ポルポト派の「民主カンプチア」政権が、そして82年から「パリ和平協定」までは、「民主カンプチア」三派連合政権が、国連議席を維持してきた」(pp.43-44)。

 この当時、「「ベトナム=悪」、「ヘンサムリン政権=かいらい政権」という雰囲気」(p.88)があり、著者のカンボジアでの活動も自国内で支持・支援される可能性が少なかった。著者自身も、「1978年クリスマスのベトナム軍のカンボジア侵攻を聞いて、その前の国境紛争について情報が少なかったこと、ベトナム共産党(旧労働党)とカンボジア共産党(ポル・ポト書記長)は”友党”であると思っていたこと、そしてポル・ポト体制下で起きたことへの無知もあり、ただただ驚いた。この時点からJVC参加音1980年まで、ベトナムが一方的に悪いと思っていた。80年に一緒に働いた日本人ボランティアの多くも、侵略者ベトナムと戦うポル・ポト派ととらえていた」(pp.45-46)。

 flair:カンボジア在住の著者であってでも、以上のような誤解をしていることに私は驚かされた。客観的に見て、それは他国へのベトナムの侵略であったが、今から考えれば、ポルポト派の大虐殺を阻止した文字通りの「救世主」はベトナムであった。このことでベトナムは国際非難を浴びたし、経済制裁まで受けて、自国の経済発展は大きく遅れた。さらに「懲罰」を名目として1979年に中国からの軍事的侵略まで受けている。今日ポルポト派の大虐殺が明らかにされ、それに対する国際法廷まで開廷される予定であるが、ベトナムに対する名誉回復は果たされたのであろうか。ベトナムは、この歴史をどのように自国で語っているのであろうか。注目される論点である。

 「1987年あたりからは、国際情勢、およびカンボジア問題の国際解決の流れのなか、ベトナムはカンボジアへのコントロールをゆるめていった」(p.42)。「1989年以降、ベトナム政府の影響力は目に見えて落ち、その後ヘン・サムリン政権は、よい面での変化も悪い面での変化も、主にカンボジアだけでやってきたのだと思う。事前に警告されたように、ベトナム軍撤退後、ポル・ポト派は、領土の拡大をはかり、その結果20万人近い国内難民が出た」(p.43)。

 「それまでは、土地も建物も公有だったが、1989年よりカンボジア人の間で使用権が売買できるようになった。1991年からは外国の企業も使用権を売買できるようになってしまった」(p.43)。

 「米国の政治指導者たちは、・・・ベトナムによるポル・ポト政権打倒は、一国の主権侵害であり、周辺のカンボジア、ラオスを併合し、ベトナム中心の「インドシナ連邦」をつくるのではないか、という疑念まで起こさせたに違いなかった。
 その結果、米国を中心に西側社会と国連は、経済封鎖・制裁、援助の凍結を行った。それとともに、ベトナムへの懲罰と包囲網の一環として」(p.3)・・・インドシナ難民を寛大に容認するという「過剰反応ともいえる決定をしてしまった」(1979年7月の「第1回インドシナ難民国際会議」)(p.3、p.6)。

 「広義の「政治難民」と判断できる者は、2割もいなかった。残りの8割強は、よりよい生活を求める「経済難民」であったと私は思った」(p.7)。

 flair:私見では、今日の外国在住ベトナム人(越僑)のベトナム帰国を積極的にベトナム政府が奨励し、実際に帰国および投資・送金が増加していることによって証明されている。いわゆる「ボートピープル」と呼ばれたベトナム難民が「経済難民」であったからこそ、WTO加盟を果たしたベトナムの経済的魅力に惹きつけらている。

 12世紀からカンボジアは衰え、カンボジアの地図を見れば、「ベトナムとタイが、いかにえげつない領土(特に海岸線)のとり方をしたか、よくわかる」と「亡くなられた産経新聞の近藤紘一記者」が教えてくれた(p.24)。「その結果、島々もたくさん取られてしまった」(同上)。

 「1720年には、カンボジアはアユタヤ(タイ)、ベトナムに服属する」(同上)。「そして19世紀、・・・フランスが、カンボジアを保護領とした。フランスの最大関心はベトナムにあったようで、ラオスとカンボジアについては、ベトナム人を中間官僚(たとえば税官吏)に登用して支配した。したがって、ラオス人やカンボジア人の、本来フランスへ向かうはずの憎しみや反感の一部は、強くベトナム人に向けられて、現在にいたっている」(p24,p.27)。 (以下、続く)

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2008年5月25日 (日)

大阪府橋下知事の「大阪ミュージアム構想」:やっぱり「商都復活」やで!

 5月21日に大阪府の橋下知事は、「大阪ミュージアム構想」を発表した。その内容は、メールマガジンによれば、以下のように述べられている。

 「京都や奈良は「古都」、神戸は「港まち」という空気感がありますが、大阪は一言では表現してきませんでした。これからは地域住民や市町村が主役となって、大阪の良さや魅力を再発見し、府も一緒に演出をし、「大阪といえばミュージアム」というイメージを国内外へ向けて発信していきたいと考えています。大阪ミュージアム構想は、まだコンセプトをまとめた段階です。皆さんのご意見をお待ちしています!」

 注:大阪府メールマガジン「維新通信」は、大阪府政の最新情報をタイムリーにお届けするメールマガジンです。登録内容の変更・配信停止の手続き・バックナンバーは下記のアドレスにて。http://www.pref.osaka.jp/magazine/index.html
 編集・発行:大阪府広報室広報報道課 ダイヤルイン電話:06-6944-6007
http://www.pref.osaka.jp/     mailto:koho-g07@sbox.pref.osaka.lg.jp

 昔から大阪は「商都」と呼ばれた商売の都市であったように思われる。こういう伝統から脱却して、カタカナ語の「ミュージアム」が提唱されている。ウ~ン。50年以上大阪に住んでいる者として違和感がある。

 私見では、アジアと共に成長する「大阪商都」復活。在日韓国人・朝鮮人を始めとして、大阪にアジアの人々が住みやすい環境を作る。アジアの人々が日本に住むなら大阪。中小企業の元気な大阪。小売店・商店街が繁盛する大阪。「アジアの屋台」といった猥雑なイメージが大阪だと思う。こういった中に飲んだり食ったりという「食い倒れ」の大阪が絡んでくる。アジア料理店の一番多い地域は大阪。このような構想はどうか。ビジネスは東京商売は大阪猥雑なイメージで元気な大阪。こんなコンセプトで他の都市と差別化して、大阪経済を活性化する。

 たとえば大阪府による箕面森町(みのお・しんまち)の住宅開発も、このまま人口減少が継続することを考えれば成功は疑問だが、大阪全体で外国人の居住者が増加すれば、十分に採算が合うのではないか。アジアに活路を求める。そのためには、少なくとも英語が通じる環境整備も重要である。こういう観点からの教育改革を推進する。このような施策を具体化するために、「大阪経済特区」つまり規制緩和を政府に強力に求める。大阪の活性化の決め手はこれと私は思う。

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2008年5月24日 (土)

ロータス投資運用会社提供「ベトナム経済ニュース(19)」:最近の株価低迷は優良株取得の好機

 本日、日越経済交流センターが主催し、東京・渋谷のニュース証券株式会社が協賛する「ベトナム株式セミナー」が、大阪。天満橋のOMMビルで開催された。それに関連して、ベトナム株式の動向を紹介する。

 ハノイの現地法人・ロータス証券投資ファンド運用管理会社は、最近の株価動向について次のように報告している(2008年4月『月次報告』)。やや長くなるが、最近の株価低迷に関する考え方を紹介する。

 2008年4月にVN-Indexは、1.06%(516.85ポイントから522.36ポイント)上がりました。一方、HASTCは6.79%(181.43ポイントから169.11ポイント)落下しました。著しく落下する傾向はさらにOTC市場に観察されます。

 諸銘柄(上場およびOTC株)の株価が、帳簿価格および/もしくは当初の額面価格よりも低下しました。今後も上記のような銘柄がまた出現する可能性が高いと予測されています。

 これらの株価の額面割れは、その銘柄の価格が安価あるいは高価ということを意味しません。実際の株式価格は、その企業のキャッシュフローの出入りと現在の金利から大きな影響を受けているために、帳簿価額および額面価格と緊密な関係がありません。

 4月末時点で、近年また今年の第1四半期に良好な営業成績を発表した企業の銘柄について、株価上昇の傾向が見られました。ただし、その傾向は5月に入って大量の銘柄が落下すると同時に既になくなりました。

 中国の証券市場でもベトナムと同様の現象が出現しました。昨年の頂上から半分ほど落下した後に、一時的に回復しましたが、最近になって引き続き下落の傾向を示しました。

 インフレ抑制を目的にしたベトナム国家銀行の金融引き締め政策そして各商業銀行間の激しい金利競争によって、預金金利および貸し出し金利が高率で維持されました。このことは下記のように証券市場に影響を及ぼしました。

 (1)現在価値に適用される割引率、株価予測も常に調整しなければなりません。
 (2)証券市場に投資するよりも銀行に預金した方が魅力的になります。
 (3)企業は資金借り入れがより困難になるか、あるいは高金利で借り入れなくてはなりません。これは企業活動をより困難にします。

 一方、IPO(新規株式公開)に関して、ベトナム工商銀行は発行株式数の25%に相当する株式を国内外の投資家に売り出す計画を政府に提出する予定です。ただし、IPOの実施期間はまだ未定です。

 4月に外国投資家の買い込み価額が1.4億USDに達しました。計画によると、OTC株取引の集約化の試験は2008年の第2四半期に実施されるとこことです。ただし、それはあくまでも予定であり、もしOTC株の取引が改善されれば外国投資家は、よりOTC株に接近しやすくなり、それにより市場の落下傾向をある程度制限できるか、あるいは回復に繋がることも考えられます。また今後、外国投資家保有枠が拡大される噂も耳に入りました。

 弊社の主観的な見解としては、ベトナム株式市場の下落の主な原因は、その企業内部の問題というよりも、投資家の心理的な要素、さらに国内の組織・個人投資家数の発展が市場の発展速度に追い付かないためだと考えられます。さらに株価が下落することによって優良銘柄を取得できる可能性も増大すると確信しています。

 コメント(私見): 数日前に「今が買い時」と指摘したが、上記の見解はさらに踏み込んで、さらに株価が下落したほうが優良銘柄を買いやすくなるとまで述べている。また確かにOTC市場が整備されると、外国人投資家の投資を促進するであろう。

 ただし外国人投資家枠の拡大まで政府は決断するだろうか。日本でも「外資による乗っ取り」については抵抗が大きい。私は、インフレ抑制のための高金利政策ではなく、主要な消費財の物価凍結が望ましいと思うのだが、より検討が必要である。当面、株価上昇は外国人投資家の動向に依存しているとみなされる。

 日本の優良株を想起すればよいが、額面割れのベトナム優良株は絶対に買いだと思う。経験豊富な日本人投資家が、ベトナム人投資家と同じ投資行動をすることは無意味である。そうでないとすれば、投資家心理は日本でもベトナムでも世界共通ということであろう。

 なお本日の株式セミナーでOTC市場や未公開株の取得について、会場からご質問を頂戴した。上記のロータス社のレポートのように、OTC市場が整備されれば、外国投資家は確実の投資を拡大するであろう。

 株価反転は間違いないが、そのきっかけは何か。長期には、金利水準が低下した時、短期には外国人向けの制度改革が実施されると報道された時であろう。

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2008年5月23日 (金)

NHK衛星第一放送:アジアンスマイル「希望の歌声よ響け~ベトナム・ハノイ~」

 ハノイで取材された表記のテレビ番組が放映される。ハノイの小松みゆきさんからの紹介である。

 本放送 5月25日(日)午後6時10分~
 再放送 5月18日(水)午前9時35分~

 ベトナムにおける枯れ葉剤の被害者が前向きに生きる姿を描いている。枯れ葉剤は遺伝子兵器であって、原子爆弾と同じである。戦争当事者の被害のみならず、その遺伝子に影響を及ぼし、戦争に無関係の後世にまで被害が続く。

 ベトナム前副大統領のグエン=ティ=ビン女史が、この枯れ葉剤の被害者のためにベトナムで運動している。このことはビン女史が数年前に広島に来られた時に話された。

 アメリカ大統領選挙が話題となって久しいが、こういった現在にも被害が続く歴史問題について、新しい大統領はどう考えるのだろうか。こういう負の歴史を清算できてこそ、オバマ大統領候補が言うように本当にアメリカは変わるのだと思う。しかし、それはできないであろう。それがアメリカという国だと思う。

 以下のポスターを参照していただきたい。Photo 画像をクリックすれば、拡大できます。

 なお以前に指摘したが、現在のベトナムにおける枯れ葉剤(ダイオキシン)は、戦後30年以上が経過しており、拡散して消滅している。ベトナムの農産物について、ダイオキシンは問題ない。

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2008年5月22日 (木)

映画『花はどこへいった』坂田雅子初監督作品:試写会チケットを進呈します

 日本ベトナム経済交流センターの顧問をされている旅行ジャーナリストの大野尚子さんから、上記の映画の案内を頂戴した。

 ベトナム戦争で使用された枯葉剤(ダイオキシンが主成分)が、米軍兵士であったフォトジャーナリストである夫の命を奪った。その真実を探るために妻である坂田雅子監督が、ベトナムを訪問する。こういった内容のドキュメンタリー映画である。

 この映画のタイトルは、私が中学生時代のピーター・ポール&マリーのヒット曲と同じである。また何度も口ずさんだ「戦争を知らない子ども達」のザ・フォーク・クルセイダーズも、この曲を歌っている。http://www.youtube.com/watch?v=KqrI0igP6oI なお、この「戦争を知らない子ども達」は私が中学生の時、文化祭の舞台上で歌った。1970年前後、フォークソングの全盛期であった。懐かしい・・・。 

 この「花はどこへ行った」はベトナム反戦運動を背景にして歌われたが、イラク戦争に深くかかわるアメリカの現在の心情を表現しているようにも思われる。この意味で、この映画、アメリカで次は公開されるべきなのかもしれない。そして今でも枯れ葉剤の加害責任を認めていないアメリカに対する世論を喚起することが期待される。

 大阪では、5月29日(木)14:00~、6月2日(月)16:00~:松竹試写室
 東京では、6月14日(土)~7月4日(金):岩波ホール

 私は大阪での両日ともに講義と仕事があるので行けないのだが、大阪のチケットは10枚頂戴している。冒頭のセンター(http://j-veec.jp/)宛にご連絡をしていただくと、先着順でチケットを郵送いたします。

 一般公開は、7月上旬から第七藝術劇場にてロードショー。順次、京都シネマ神戸アートビレッジセンターにて公開予定。

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2008年5月21日 (水)

今こそ買いのベトナム株式:この好機を逃すな!

 ベトナム株価指数が、この数年間で最安値をつけた。おそらく、さらなる金利上昇が、その要因である。

 私見では、インフレ対策のための高金利政策(=金融引き締め)は、市場経済の「正論」であるが、経済成長を同時に追求しなければならない新興国では、消費財つまり食料品や住居の価格凍結価格統制といった政策が望ましいのではないか。

 ベトナム政府は真面目だから、WTO加盟後、ますます市場経済を推進すると本気で考えているように思われる。そんなに無理する必要はない。日本に先例がある。今でも日本企業には「談合」や「カルテル」がある。イオンやダイエーでも「価格凍結」・「値上げストップ」宣言をしているではないか。

 もちろん以上の日本とベトナムで事情が相違するのは当然であるし、このようなベトナムの政策についての妥当性や有効性について、さらなる検討を要する。そうは言っても、いずれにせよ、ベトナム株式は今が買いだ

 たとえば、これまでに日経平均株価が7,000円台になったことがあった。最安値は、2003年4月28日の7,607円である。この当時、この水準が底値であり、「今が買いだ」とだれもが思ったが、実際に買った人は少数であった。もはや、この時点で余裕資金をもった投資家が多くなかったのである。

 しかし、この時点で株式購入すれば、今では約2倍になっている。まさにベトナム株式市場は、この日本の状況であるとみなされる。

 すでに株価下落で損失を受けている投資家にとって追加投資は難しいかもしれない。それでも「ナンピン買い」ができれば、それは得策である。さらに新規投資の好機でもある。今こそ、新規の投資家がベトナム市場に注目してよい時である。

 東京のニュース証券(株)は、ベトナム株式の直接売買をすでに開始している。また新たな投資ファンドの組成準備も始まっているようである。好業績のベトナム企業が、かつての半値以下の株価で購入できる。この好機を逃す手はない。今こそ、ベトナム株式投資である。

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2008年5月20日 (火)

「大学洋上セミナーひょうご2008」の打ち合わせ会

 今日の午後は、(財)兵庫県国際交流協会で昨日紹介した「大学洋上セミナーひょうご2008」の講師の打ち合わせ会があった。

 さらに今日は、人生の半分以上を過ぎた私の誕生日である。この日は多くを語らずに終わりにしようと思ったが、少し以下で追記する。

 先週に中国の四川大地震の募金に協力した。流通科学大学の中国人留学生が各研究室を回って、募金を集めている。これに応じた。「対面募金」の効果は大きい。

 他方、これまでにミャンマーを私は2回訪問した。最初は1998年。日本商工会議所の投資視察団の皆さんとベトナムから合流し、三井物産が開発したミンガラドン工業団地を見学した。また同じく笹川平和財団の支援で2001年にヤンゴン大学経営大学院の学生に講義したこともある。先日の台風の被害で彼らは、どうしているのだろうか? ミャンマー情勢について以前から気になっていたのだが、今回の台風被害で改めて思い出される。

 中国・ミャンマー(ビルマ)ともに犠牲者のご冥福をお祈りしたい。ひとりの人間にできることには限りがあるが、いろいろな場面での奉仕ができればと思う。We Serve.これは、国際ライオンズクラブ設立の理念でもある。

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2008年5月19日 (月)

「大学洋上セミナーひょうご2008」:ご協力のお願い

 すでに紹介した通り、8月18日から9月7日まで「大学洋上セミナーひょうご2008」が実施される予定である。

実施主体: セミナー実行委員会(兵庫県内大学・兵庫県・(財)兵庫県国際交流協会)
講義担当大学: 神戸大学
運営主体: (財)兵庫県国際交流協会

 上記の期間、約450名の兵庫県の大学生が大型船「ふじ丸」に乗船し、神戸~ホーチミン市~シンガポール~広州・香港~神戸を巡る。それぞれの寄港地での陸上活動も多彩に企画されている(参照:http://www.hyogo-ip.or.jp/yojo/)。なお学生募集は終了した。

 このセミナーで私はベトナムについて講義する。さらに日越経済交流センターは、このセミナーを支援することを4月の理事会で承認した。ホーチミン市において日本語を学ぶベトナム人大学生20名とベトナム人講師1名に対して、神戸までの片道の航空券を贈呈するという内容である。

 これらのベトナム人学生は、神戸からホーチミン市まで日本人学生と一緒に乗船し、船上での国際交流に貢献する。またベトナム上陸のための船上研修にも協力する。ベトナムと同様にシンガポールと中国からの大学生も合流する。船上という限られた空間でのグループ活動や講義は、日本人学生と外国人学生の双方にとって多大の教育効果をもたらす。

 ただしベトナム人学生の場合、ホーチミン市から神戸までの旅費が自己負担ということが問題であった。日本語を学ぶ学生であるから、日本を訪問したいのだが、その費用を負担できない。もしくは費用負担できるとしても、日本滞在が数日間であり、すぐに乗船して帰国ということになる。せっかく日本に行くのに数日の日本滞在はもったいない。このような理由で、このセミナーに協力してくれる現地ベトナム人学生の募集が難しいと懸念された。

 そこで創立15周年を迎えた日越経済交流センターが、このベトナム人学生の来日費用について募金活動をすることになった。募金方法は以下の通りである。問い合わせ先は、同センター(http://j-veec.jp/)または(財)兵庫県国際交流協会(http://www.hyogo-ip.or.jp/)である。

募金方法 (財)兵庫県国際交流協会「ひょうご草の根国際交流推進募金」宛
        専用振り込み用紙をお送りいたしますので、上記にご請求ください。
募金額 個人1口:1,000円、法人1口:50,000円 (何口でも可)

 この募金は、法人税における損金算入、所得税における寄付金控除が認められる。なお、この募金活動は「日本ベトナム友好協会兵庫県連合会」のご協力を頂戴している。

 ご寄付を頂戴した皆さまには、来日するベトナム人学生の歓迎夕食会に出席していただける。よろしく、ご協力をお願い申し上げます。

 経済交流の前提は人材交流。このように考えれば、日越経済交流センターが日越の青年の交流に協力することは、創立15周年にふさわしい事業であると思われる。またEPA(経済連携協定)の締結によって、日本とベトナムの人材交流が活発化することを想起すれば、民間企業にとっても、このような日越双方の大学生に対する支援は、社会貢献もしくは社会的責任を有効に果たすことになると思われる。

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2008年5月18日 (日)

昨日はティッシュの配布:その教訓

 昨日は、箕面船場ライオンズクラブの活動(アクティヴィティ)の一環として、献血の宣伝活動をした。ティッシュを配布して、献血の場所まで通行人を誘導する仕事である。「献血」という手持ち看板を片手に持ち、「献血にご協力をお願いします」と言いながら、ティッシュを配布する。heart04

 場所は、大阪府箕面市の新都心と言われているヴィソラというショッピングセンターである。ここは、イオン系のカルフールを中核店舗としており、映画館やレストラン・フィットネスセンターなどが集積している。

 ライオンズクラブが協力する献血活動は、大阪・和歌山で必要とする献血量の約13.7%に達している。残念ながら、私はイギリスを訪問したことがあり、狂牛病の感染を防ぐという目的で献血は禁止されている。ただし、それまでの私は学生時代から献血を継続しており、日本赤十字社から50回献血の表彰をうけたことがある。100回を目標にしていただけに、かなり無念である。

 このティッシュ配りが、なかなか面白い。このブログで以前にも紹介したが、通行人が1人か複数かを確認し、その人数に応じたティッシュを袋から出して、相手の目を見ながら、笑顔でティッシュを渡す。ヨチヨチ歩きの子どもからもティッシュをねだられることも何度かある。これは可愛い。他方、まったくティッシュ配布を無視する人もいる。タダでもいらないということだ。その時は少し不愉快になる。weep

 このティッシュ配布の休憩時に献血会場のテントに戻ると、意外なことに気がつく。ティッシュを受け取らない人や、愛想の悪い人が献血に来てくれている。配布時の不愉快が解消される。当然のことながら、ティッシュを受け取るという行為と、献血をするという行為は別個である。頭で理解していながら、これを実際に見聞したのは初めてである。

 人間は面白い。上述のように表情や態度と本心が一致しないことが多々ある。人間の表情や態度から本心を判断してはいけない。ただし、表情や態度から本心を読むこともできる。おそらく、その読解の可否は一瞬である。本心を示す表情や態度は一瞬しか出ないからだ。また、その表情や態度は個々人で相違していたり、クセがあったりする。

 こういった人間観察は、ビジネスの本質であろう。人間観察の出来・不出来が、ビジネスの成否につながるとも言えるのではないか。人間の本心の読解力を修得する。これは永遠の課題だ。

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2008年5月17日 (土)

中国・ベトナム・カンボジア:アジア新興株式市場の系譜

 実は、私の指導する大学院生がもう1人いる。中国人留学生である。昨日の大学院生の研究対象はカンボジアであるが、彼女のそれは中国の株式市場である。

 私は最近、ベトナムの株式市場を念頭において、株価とインフレと経済成長の相互関係に関心をもっている。ベトナムにおいて、これら3つの経済現象の調整的な発展が政府の重要課題だからである。そのための政策運営はいかにあるべきか? この問題について中国の経験を彼女に調べてもらうことにした。

 このような研究をすれば、中国~ベトナム~カンボジアという新興国における株式市場の動向の調査が連携することになる。中国の経験をベトナムが学び、その教訓をカンボジアが引き継ぐ。こんなことを勝手に考えながら、私の構想は広がる。

 もっとも、こういった研究構想は私の夢、より正確には妄想であるかもしれない。そう簡単に解明できる問題ではない。

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2008年5月16日 (金)

若い人のカンボジア人気?:独創性の追究

 私の勤務する流通科学大学の大学院・修士課程1年生が、カンボジアの経済・金融システムの研究を始めた。彼の学部時代の卒業論文のテーマはドイツの金融市場であったが、その後の私の勧めもあって、新興国のカンボジアを研究対象にすることにした。

 この時の私の「勧め」は、「誰もやっていないことを研究しなさい」ということだ。ドイツの金融市場の研究において「独創性」を追究するのは難しい。

 なおカンボジアでは昨年9月に「証券法」が国会を通過し、2009年後半に「証券委員会」が発足し、その後に証券取引所の開設が予定されている。

 上記の大学院生とは独立して、学部のゼミナール3年生の学生3名が、卒業論文のためにカンボジア研究をしたいと言い出した。私にとっては嬉しい申し出である。ただし、その契機は、テレビ番組「行列のできる法律相談所」において、レギュラー出演の北村弁護士のカンボジア訪問を見たことだそうである。

 ゼミナールの指導教員である私がベトナム・ラオス・カンボジアを何度も訪問しているにもかかわらず、それが研究の動機にならない。当然であるが、テレビ出演の北村弁護士の影響力には負けてしまう。

 それはともかく、若い人々がカンボジアに関心をもってくれることは有り難い。大学院生と学部学生が連携して、今年の夏はカンボジア調査である。

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2008年5月15日 (木)

ハノイで荒川さんに再々・・・会:ベトナムで中小企業は何をするか?

 先週末から火曜日早朝までのベトナム訪問は短期間であったが、収穫は豊富であった。月曜日にハノイJETRO投資アドバイザーの荒川研さんにお話を伺う機会があった。2006年9月にハノイ西友社長から現職に移動され、現在までに4000枚以上の名刺を交換されたそうである。20ヶ月で4000枚。1ヶ月で200枚。休日と祭日を除けば、1日で10枚の名刺交換。これだけのベトナム来訪者がいる。まさにベトナムブームである。

 いくつかの興味深い論点を荒川さんから提供していただいたが、その中で今日は表題について紹介する。ただし内容は私が敷衍している。文責は、すべて私にある。

 「ベトナムのインフラは十分整備されていない」。「ベトナムの法整備は不十分だ」。こういった話は多々あるが、それがベトナムだ。そうだからこそチャンスもある。インフラが未整備なら、インフラ整備の仕事がある。不十分な法律なら、その法律を活用するビジネスを考える。

 こういった発想は、リスクを恐れずにリターンを追求する中小企業の社長が当然もっていなければならない。ビジネスは度胸だ。ビジネスは「腹」だ。自己の気概根性で起業し、事業を発展させてきた中小企業の社長にとって、ベトナムのような発展途上国は魅力が満載である。

 しかし最近、中小企業の社長であっても、大企業の課長のような発想の人が多い。ここでの「大企業の課長」とは、あまり良い意味ではない。自己保身。リスクを自分で取らない。自分で意思決定しない。事業家・起業家といった気質よりも、組織人としての官僚的な性格が強いということである。中小企業の経営者が、こういった気質をもってしまうと、現在より以上の成長が期待できない。そして、どうやって中小企業が大企業と勝負できるのか?

 日本で不可能なことがベトナムで可能になる。それは何か? この問題意識こそが、中小企業がもつべき対ベトナム進出戦略である。荒川さんのお話から、こんなことを私は考えた。

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2008年5月14日 (水)

ハノイの小松さんからメッセージ:次は6月13日です

 まったく偶然に月曜日にハノイで小松みゆきさんと立ち話をした。電話では連絡を取り合っていたが、まさかお目にかかれるとは思わなかった。しかも鈴木さんが経営するケーキ店ポエメの前である。 

 今日は、小松さんからの以下のお知らせを紹介する。

 typhoon NHKハイビジョン特集:「引き裂かれた家族~ベトナム残留元日本兵の60年」が、このたび再放送されることになりました。

 放映日 2008年6月13日(金曜) 9:00~10:50 BSハイビジョン

 この番組は、2005年8月5日に「戦後60年企画」番組として放送されたものです。この2年以上、日本とベトナムは緊密な関係にありますが、投資が盛んな現在だけでなく歴史的な関係にも目を向けてゆければよいと思います。

 そういう意味でBS放送ではなく、誰でも見られる地上波(普通のTV)で放送してもらいたいと思います。 そうした要求を皆様が、NHK宛に声としてあげていただきたく、併せてよろしくお願い致します。

 もっと知りたい方への参考資料

[1]小松みゆき「ベトナムの蝶々夫人」国立民族博物館監修、季刊『民族学』108号、2004年春。
[2] 小松みゆき 「終わらない戦後:ベトナムの日本人兵の妻たち」朝日新聞社発行、週刊『AERA』No.55、2004年12月6日。
[3] 井川一久「ベトナム独立戦争参加日本人の事跡に基づく日越のあり方に関する研究」東京財団研究報告書、2005年10月。
[4] 井川一久「日越関係発展の方向を探る研究:ベトナム独立戦争参加日本人~その実態と日越両国にとっての歴史的意味~」東京財団研究報告書、2006年5月。
[5]「ベトナム独立戦争:命かけた日本兵」『東京新聞』、2007年11月26日。

 コメント:昨年末にチェット国家主席が来日した時、太平洋戦争の終結後もベトナムに留まり、ベトナム独立のために抗仏戦争に従軍した日本人の何人かを表彰した。こういった過去を明らかにする人もいれば、それを隠す人もいると想像される。歴史から学ぶ。日本とベトナムの交流を示す歴史的事実として、当事者が生存中に記録されることが望まれる。

 

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2008年5月13日 (火)

「敵」の孤立化は勝利の鉄則:ベンタイン市場の教訓

 13日(火)の早朝・午前7時に関空に帰ってきた。1時間目・午前9時から講義があるために、関空から神戸市西区学園都市までタクシーを利用した。おかげで8時30分前に着いた。「時間がお金」と考えれば、9時までの時間をお金と交換してほしいと思った。

 2回の講義(経営学入門・企業論)の後に、三宮と大阪で企業の方々との面会があった。かなり多忙な1日であった。しかし特に疲れたとは思わないし、睡魔に負けるというほどではない。よく学生が講義で居眠りすることがあるが、その原因のひとつは、やはり緊張感の欠如なのだろう。緊張感のある講義。これが目標だ。

 さて今回のベトナム訪問中、ホーチミン市の観光名所になっているベンタイン市場で、次のような印象深いことがあった。われわれ日本人5名で市場のお店を物色していたが、Tシャツを買うと言うことで、日本人S氏がベトナム人の店員につかまった。

 私を含めた同行4名は、当然、S氏の買い物をサポートしようとするのだが、それぞれの日本人に店員が対応して、買い物をしようとするS氏の間に割って入って、サポートを阻止しているように思われた。これは、後から気がついたことであって、その時は、ごく自然に店員が対応しているように感じた。私もベトナム人店員と世間話をしたり、他の日本人の買い物の相談をしていて、S氏の買い物サポートを失念していた。

 しばらくしてS氏に買い物の結果を聞けば、通常の数倍の高い値段であった。まさか私は、お金をS氏が払ってしまうと思っていなかったので「エーッ」と思ったのだが、ご本人は「寄付金を払ったみたいなものだから」と余裕であった。ここで私が、「高いヤンケ。カネ返えさんかい」と一暴れしてもよかったのだが、それはS氏の悠然とした態度とは不釣り合いに思われた。また、自分で交渉して買うことが買い物の楽しみであるとすれば、その結果も自分の苦い想い出になる。

 以上のようなベトナム人店員の対応が意図的であるとすれば、それは恐るべき販売技術だ。グループのお客を分断化・孤立化させて、それぞれを攻める。集団全体を一気に殲滅するといった攻撃ではなく、各個撃破の作戦である。この販売技術は、たとえば住宅販売の場合、家族の中で子どもに焦点を当てた販売をするとか、お母さんに気に入ってもらう販売促進をするとか、お父さんの書斎を強調するといったことに類似している。

 このベンタイン市場の販売技術について、それが本当かどうか。この仮説を検証する必要があるが、面白いテーマであると思う。なお、S氏の次の買い物(購入した数10枚のTシャツを入れるカバン)については、しっかり私が値切ったことは言うまでもない。

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2008年5月12日 (月)

ハノイの都市マーケティング

 11日(日)にホーチミン市からハノイに移動。航空機の中で教育訓練省のズン国際部長に偶然に会った。貿易大学の国際関係部長から省に移動して10年ほどになられると思う。その間、アメリカ出張もされており、ご多忙と思って遠慮して、なかなか会えなかった。

 ズン氏は、大阪の拙宅にも宿泊されたこともあり、ハノイでは双方の家族で夕食をご一緒した。なつかしい想い出がいくつかある。こういった偶然があると、わざわざベトナムに来た価値がある。

 ハノイのノイバイ空港では、ロータス投資運用会社の投資家広報(IR)担当のタインさんが出迎えてくれた。せっかくの日曜日なので申し訳ない気がした。ホテルにチェックイン前にハノイ新都心を自動車で回った。同行した日本人の皆さんは、初めてのハノイ訪問だから「フーン」という印象なのだが、私にとっては何度見ても目を見張るような発展である。

 ここでハノイ観光の教訓であるが、まずゴチャゴチャした旧市街を訪問し、その後に新都心を訪問し、私の馴染みの「MY WAY」でビールを飲んだり、ブンチャーを食べる。初めてのハノイ訪問者を驚かせるためには、旧市街から新都心のコースである。新都心から旧市街のコースでは、やや幻滅するかもしれない。ハノイという都市のマーケティングのためには、観光客の驚きの演出が不可欠である。

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2008年5月11日 (日)

ファンド運用管理会社は経済成長を支援する

 ホーチミン市に到着し、気温は28度。それほど暑くない。青空が見えているが、地面がぬれていたから、雨が降ったのだ。それで気温が下がった。ともかく、この街の喧噪は相変わらずである。昨年12月15日からのバイク運転手のヘルメット着用義務化は定着しているようだ。しかし、これから暑くなると不快が増す。着用が維持できるのだろうか。

 到着後に知人・友人と夕食を一緒にして情報交換。場所は、恒例の子持ちCUA(日本名:エガニ)の店である。初めての人は安さと美味しさに驚き、私のような何回目かの人は、その反応を見て満足する。

 その前に本屋に立ち寄り、最近の雑誌を何冊か買った。以下では、その中から表題の記事を紹介する。Vietnam ECONOMIC NEWS, No.19, Vol. 18, May 6, 2008, p.23.

 国家証券委員会が認可した証券ファンド運用管理会社は、多数の申請があるのだが、現在は23社である。(注:この中に私が顧問をしているロータス証券投資ファンド運用管理会社も含まれている。)専門的な投資判断や投資行動は、証券金融市場の発展に貢献するという内容である。
 
 私見では、以前から指摘しているように、ベトナム人投資家は「衝動買い」と「狼狽売り」を特徴としている。じっくりと考えた長期投資ができないものか。さらに言えば、証券会社の自己売買にも、その傾向があると思われる。また、株式発行企業にも、株式市場を「錬金術」の場所のように考えて、株価操作をしてきたのではないか。

 これらが株価の乱高下を招き、企業の株式公開を妨げる。それは資金調達計画にも影響し、経済成長を阻害する。そして総体としてベトナム株式市場さらにベトナムに対する信頼を失わせている。

 投資専門家であるファンド運用会社では、その企業や株価の評価に自信と誇りをもっている。多数の企業を訪問し、さらに財務諸表を検討して投資先を決めたり、IPOでの入札価格を決めている。たとえば前述のロータス社のタイ社長=運用担当部長がそうである。
 
 こういった人々の優れた専門性や努力が、多数の投資家のマネーゲーム的な投資行動によって活用されないでいる。これは、国家的な損失とも指摘できる。的確な株価評価が通用しないような高株価となり、その後には評価以下の低株価となる。そうだからと言って、投資のプロである運用担当者が一般投資家に追随すれば、その存在価値がない。

 たとえばロータス社は、企業価値を適正に評価し、割安株を長期に所有するという基本的な投資戦略をもっている。

 これは正論であるし、時間が経過すれば、投資家に広く理解されることである。このように考えれば、おそらく今回の株価低迷を経て、次は投資信託ブームが到来する。投資ファンド運用管理会社の出番が来る。それが株価上昇の契機になるであろう。

 今後のベトナム株式市場では、黎明期の熱狂が冷めて、次は着実な成長期に入ると予想される。上記の記事は、その前兆と私は考えている。

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2008年5月10日 (土)

またまた関空から:ベトナム出張です

 今回のベトナム出張は短期間。こんにちわ~で終わりである。

 久しぶりに大阪は雨。関西空港行きのバスは、土曜日であるにもかかわらず、阪神高速・福島付近で渋滞。中国の胡錦涛・国家主席が滞在しているためである。そう言えば、今日の夕方に帰国されるということだがら、その時間帯には関空も混雑するのだろう。

 最近になってベトナムが注目されているとは言え、やはり中国とはマスコミの注目度が格段に違う。テレビで橋下大阪府知事の表情を見ていると、すっかり中国派になってしまったのかと思う。こういう会談があるから、財政難の中で4億円を支出しても上海万博に出展を決めたのだと納得してしまう。

 昨日は、ベトナム航空の成田~ホーチミンの便が運休。私の知人は、広州経由で約2時間遅れのホーチミン到着となった。到着後の市内観光がキャンセルになってしまった。私も、かなり前だが、航空機の運休のために台湾経由でベトナムに行ったことがある。こういった航空機のトラブルは、必ずあるものだから慌てないが、できることなら勘弁してもらいたい。

 そろそろ搭乗時刻。仕事と気分転換。帰国後の新たなエネルギーの充電の旅である。

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2008年5月 9日 (金)

今日で休載は終わりです

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。明日から再開です。

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2008年5月 8日 (木)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 7日 (水)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 6日 (火)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 5日 (月)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 4日 (日)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 3日 (土)

休載のお知らせ

 5月9日まで休載します。現在、原稿執筆に専念しています。

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2008年5月 2日 (金)

北京オリンピック以降に中国経済成長は失速するか?:民主化と愛国心の観点から

 これまでのオリンピック開催や万国博覧会の開催経験を見れば、たとえばオリンピック東京大会(1964年)・大阪万博(1970年)の後に日本経済の成長は失速している。

 その理由は簡単に次のようである。国際的なイベント開催のために、高速道路や新幹線などインフラ整備事業が推進され、その国内需要が経済成長を牽引してきた。そのイベントが終了してしまうと、それに関連した需要がなくなり、そこで経済成長の勢いが止まる。

 同じことはオリンピック・ソウル大会(1988年)にも妥当する。もっとも韓国・ソウルの場合、オリンピック開催を契機にして政治的な民主化運動が進展し、賃金が大幅に上昇した。それは「民主化のコスト」と呼ばれたほどである。これが、その後の経済成長を鈍化させた主要な原因ともみなされる。

 いずれにせよ、過去の日本や韓国を見れば、オリンピック後の経済停滞が事実となっている。中国もそうなると懸念されるのは当然である。しかし私は、そうならないと今年2月のラオスやカンボジア訪問で確信した。その理由を以下で述べる。

 (1) 中国国内の需要は減少しない。日本や韓国と違って中国は広大である。オリンピックの北京、万国博覧会の上海が終わっても、それ以外の主要都市、さらに地方都市や内陸部の開発需要は依然として大きいとみなされる。それが経済成長を維持する。

 (2) 中国国内の需要が減少したとしても、それを補う海外需要が増大する。それは中国周辺国に対する外国直接投資である。ラオスの不動産開発や、カンボジアの鉱山開発などのように中国は積極的な海外進出によって経済成長を維持できると思われる。

 かつての日本や韓国と中国では時代背景が相違している。現在の経済はグローバル化が格段と進展している。換言すれば、外国投資環境は大きく改善されている。たとえ国内経済が不振であっても、外国の経済活動で補填できる環境が整備されている。このように考えれば、中国経済は何ら心配ないと思われる。

 ただ留意すべきは、韓国のような民主化運動が、中国でもオリンピック以降に興隆しないかということである。オリンピックを開催するからには、国際社会の一員として恥ずかしくない国でなければならない。このような愛国的な意識が、少なくとも韓国では、政治的な民主化を推進する原動力になったと私には思われる。

 それでは中国はどうか。オリンピック開催前にチベット問題が発生した。そのために民主化推進という国民の愛国心が、国家統一という愛国心にすり替えられたように思われる。よりよい方向に国家を変革する意識は愛国心の発露である。中国の場合、それは民主化であったり、所得格差の是正であったりする。しかし同時に、国家の独立や統一という意識も愛国心を表現している。中国政府は、国民の世論形成において、前者の民主化を後者の国家統一に代替することに成功したとみなされる。

 チベットの自由や民主化は、中国全体の自由や民主化と不可分であるが、前者のみが強調されると、一般の中国国民は「国家分断」の危機感を覚える。そうなれば、中国の国家統一を守ることが主流になり、中国の民主化という問題意識は後回しにされる。韓国のようなオリンピック開催後の民主化というシナリオは、中国の場合、偶然または巧妙に書き換えられたのである。

 このように考えると、オリンピック後の中国経済の停滞の懸念は小さいとみなされる。しかしそれは、民主化問題の先送りであり、経済停滞の火種が残されていると考えるべきであろう。 

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2008年5月 1日 (木)

聖火リレー再考:『ヒットラーへの聖火』

 昨日、オリンピックの聖火リレーについて私見を述べた。これに関連して偶然に『朝日新聞』(2008年5月1日夕刊)「窓:論説委員室から」は、「ヒトラーと聖火」というコラム記事を署名入りで掲載している。

 同記事によれば、「聖火リレーが近代五輪に登場したのは、1936年開催のベルリン大会だった。その8年前のアムステルダム大会で「聖火」が初めて使われ、ベルリン大会で「リレー」が加わった」そうである。

 さらに「なぜ聖火リレーになったのか。国威発揚を狙ったということは容易に想像がつく。33年1月に政権を握ったヒトラーは、オリンピックを国家プロジェクトと考えていた。国民の結束を強め、ドイツの発展を誇示する。聖火リレーはそのために不可欠な仕掛けだった」と指摘されている。

 昨日の本ブログでは、聖火リレーの意義について個人的な意見を述べたが、それは大きな誤りであった。誤りというよりも、あまりにも理想主義的であった。前述のように聖火リレーの起源は「国威発揚」なのである。ベルリン大会を主催したナチス・ヒトラーが開始したのである。なるほど、そのような経緯を考慮すれば、日本でもベトナムでも中国国旗が振られても不思議ではない。

 「国威発揚」がけしからんと私は言っていない.「国威」の有り様や「発揚」の方法が問題である。他国に脅威を感じさせる「国威」、他国に政治的な圧力をかけた「発揚」が、必ずしも唯一の「国威発揚」の形態や内容ではないと私は思う。

 北京大会を主催する中国および中国人は、このような聖火リレーの起源を知るべきである。そのことを教訓にして自省・自戒することが、大国である中国の文字通りの国威発揚になると考えられる。

 おそらく中国政府は、以上のようなことは十分に承知している。それにもかかわらず、チベット問題に対処するために、中国国旗を振らざるをえない政治的な意図が働いているのである。多額の国家予算を使用するオリンピックであるから、それに応じた国内の政治事情が考慮されても不思議でない。このような意味で、今のような開催地の決定方法では、オリンピックと政治を切り離すことはできない。今回の北京大会では、このような問題を提起したという意義を見いだすこともできる。

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