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2007年9月 7日 (金)

ベトナムに帰ってきた!:ルアンプラバーン~ビエンチャン~ホーチミン市

 9月5日~6日に「世界文化遺産」に指定されているラオスのルアンプラバーンを視察してきた。ルアンプラバーン王朝の所在地であった古都である。かつての王宮が博物館になっており、その内装の黄金を使った精密さは当時の栄華を想起させる。

 9月5日午前10時30分出発の航空機が、ワッタイ空港に行ってみると午後1時に変更になっている。事前に何も連絡がなかった。こうなれば、ノンビリ時間を過ごすしかない。これがラオス流だ。乗客が少ないので燃料節約で飛ばないということは、かつてのベトナム航空で聞いたことだが、ラオス航空もそうなのかもしれない。

 空港ロビーで偶然に、ラオス国立大学経済経営学部のトンペット先生(先生=アチャン)に会った。彼とも2001年以来のつき合いだ。JICA支援で流通科学大学で研修にも来ている。同じ飛行機で、新しく設置されるルアンプラバーン国立大学の教員養成のための仕事で出張だそうだ。日本で、こんな偶然にはめったに遇わない。これもラオス的だ。

5_5  親友のトンバン先生は、すでにルアンプラバーンに出張中でマーケティングを先生の候補者に講義している。この方式は、ラオス国立大学経済経営学部で日本人JICA専門家が、ラオス人教員を指導してきたことと同様である。このように教育指導に関する日本の技術移転・技術協力の効果がある。ルアンプラバーン空港に着くと、トンペット先生の出迎えの自動車に便乗させてもらってホテルまで送ってもらった。偶然は、有り難いものだ。

 午後は、ルアンプラバーン市庁内のSTEA(科学技術環境庁)支部を訪問した。同市はラオスの観光地として有名であるから、その開発を目的とした不動産投資が最近は増加している。ラオスは外国人の不動産所有は禁止されているが、外国人がラオス人名義で土地を購入することは可能である。この現状を最初に質問した。確かに投資は増加しているが、メコン川の向こう側に開発地域は限定されている。古い町並みが残る市内の土地売買は制限があるという解答だった。政府内でSTEAの権限がどの程度あるのか明確でないが、「環境保全」という観点からSTEAに一定の発言力があることを伺わせた。

 清掃ボランティア活動の観点から言えば、CCC(子ども文化センター)が同地に設置されており、そこで環境教育が実施されている。カナダ人のボランティアも指導に来ているそうである。観光都市であるから、環境問題には熱心に取り組んでいるようだ。来年以降の活動の参考になる意見交換ができた。

 9月6日は、建設中のルアンプラバーン国立大学の新大学と、上記のトンペット先生らが指導している古い大学の両方を訪問。その後、セーの滝を見学した。新大学は、韓国政府の支援で建設中の大きなプロジェクトである。韓国が、カンボジアと同様にラオスに対してもODA供与を強めていることを実感した。

 私見では、このように最近の韓国がODAに熱心なのは、政府による企業支援の新しい形態であ62_2る。これまで韓国大統領と財閥の個別の親密な関係が指摘されてきた。たとえば、かつてのキムヨンサン大統領を三星財閥が選挙前から支援しており、その見返りとして、経済合理性からは疑問が多かった三星自動車の設立が認可されたという話がある。このような政府の露骨な企業支援が、1998年以降のIMF改革後にできなくなったので、ODAという「美名」の下に政府が企業に資金提供しているともみなされる。これは日本の方法を韓国が模倣したとも言える。

 工事は、正門と校舎の一部が完成している。ラオス国立大学ドンドック校舎には、一部の古い校舎が残っているのに対して、ここはすべてが新しい。市内中心から遠いのが難点であるが、おそらく寮が用意されるだろうから、竣工すれば、立派な大学になるだろう。首都ビエンチャンのラオス国立大学が「東京大学」なら、古都ルアンプラバーン国立大学は「京都大学」に相当するように思われた。今後、大学間での競争原理が働けば、研究教育分野の向上にとって効果的だ。

 セーの滝は、驚愕の観光地に変身していた。ゾウが飼われるようになった。1人で9ドルを払うとゾウの背中に乗って、川の中でも悠然と進むことができる。まるで「水陸両用車」である。向こう岸まで行って、さらに戻ってくるまで約30分間。この9ドルは価値がある。ただし、このセーの滝まで行くために6_42渡し船」に乗るのだが、この料金は不確定であるし、船の整備状況もよくない。新しい観光の目玉として、やさしい目をしたゾウがいるのに、そこに行くまでは旧態依然である。

 以前に、最低限の安全設備である救命胴衣がなければ、乗船しないという親しい日本人がいた。確かに、それは自己のリスク管理としては正しい選択だ。もし船が転覆すれば、雨期のメコン川の水量は多いから、さっと川下に流されるだろう。これらの改善は今後の課題である。観光地として、大部分のラオスは「バックパッカー」を中心とした「エコツーリズム」の段階でしかない。外貨獲得のために、より多くの一般の観光客を迎え入れる洗練された観光地になっていない。もう少し時間がかかるだろう。

6_19  なお私は、このセーの滝で泳いだ。数年前には、クワンシーの滝でも泳いだ。いずれも水は濁っていたが無臭である。石灰質を大量に含んでいるためである。濁っていても「汚い」という印象はなかった。その後の肌荒れもない。9ドル出してゾウに乗る学生と、無料で川で泳ぐ先生。ラオスの経済と観光の発展にとっては、学生の行動がより望ましい。しかし、日本なら「危険ですから泳がないでください」とか「遊泳禁止」の標識があるような場所で泳ぐから楽しい。これが、エコツーリズムの発想だ。多様な観光客のニーズを満たすための全国的な「観光デザイン」が必要とされるであろう。おそらく観光業も重点政策としているラオスでは、、すでに用意されているはずだ。

 その後にラオラーオの村に行った。餅米からの蒸留酒を作っている村だ。45%~55%の強い酒だが、クセがなくて甘みが少しあり飲みやすい。こういった蒸留酒を輸出品にまで商品開発するためには、やはり専門家の指導が必要であるが、そうでないからこそ観光地としての価値があるとも考えられる。以上、国際観光都市としてのルアンプラバーン発展の可能性を少し議論した。発展のための十分な潜在力があるだけに、今後も注目したいと思う。

4_36  6日の午後7時前の飛行機でにビエンチャンに戻り、7日は朝からビエンチャン~プノンペン~ホーチミン市に戻ってきた。ビエンチャンのワッタイ空港では、英字新聞『ビエンチャンタイムズ』8月6日付けに活動の様子が紹介されていた。また、流通科学大学大学院を卒業した国費留学生カンパティップさんによれば、ラオス語の有力紙『パテトラオ』紙にも大きく掲載されたそうだ。こういった活動をラオス国内で広げるために報道の役割は重要である。来年もがんばろうという気持ちになる。

 新空港からエースコックベトナム社を直接訪問し、同社の浪江社長と梶原さんに即席ラーメンのご寄付を賜った御礼を申し上げた。同社のマーケティング担当のベトナム人にビエンチャンで会ったが、タイ製品に負けないようにラオスで第1位シェアになると意欲的だった。会社の発展は自分のため、顧客のため、投資家のためという経営理念がベトナム人にも浸透していると実感できる。だからこそ日系企業で頻発した「山猫ストライキ」も発生していない。同社の製品は、ラオスやカンボジアのみならず、欧米・オーストラリア・シンガポール・中東などベトナム人が在住しているところには、ほとんど輸出されている。ベトナムの味は、異国のベトナム人には郷愁を感じさせるのであろう。もちろん日本人の私が食べても美味しい。

 なお、ラオスの清掃ボランティア活動には、同社の即席ラーメン30箱のほかに、箕面船場ライオンズクラブ兵庫大学からの活動資金の援助を受けた。ご協力を賜った皆さまに、ここに記して感謝を申し上げたい。

 ホーチミン市では、恒例で待望の「子持ちクワ」を食べてボランティアの学生達を見送った。「美味しい」とか「もったいない」とか言いながら身をほじくって黙々と食べる学生を見ているのが楽しい。100グラムで2万ドン。ベトナムでは高いが、日本では安い。クワ最高! ベトナムに帰って元気も出たし、さあ仕事と思ったら、もう日本に帰らなければならない。ベトナムにはベトナムの仕事があり、日本には日本の仕事がある。両者の一体化も可能であるが、それには時間がない。それが現状だ。

 最後の偶然に、学生と別れた後、私の宿泊ホテルのレストランで中央大学商学部・高橋由明教授が夕食をされていた。先生は、国際協力基金の支援で貿易大学ホーチミン分校で講義されるために来られている。教材は、ご自分で制作されたベトナム語版の経営学の教科書である。ホーチミン市に来られていることは以前に知っていたが、今回はお目にかかる機会がないと思っていた。

 それにしても高橋先生とは偶然の出逢いがあり過ぎる。その理由は簡単だ。先生と私の行動範囲が極めて限定されていて、それが重複しているからだ。近くの足マッサージの店とインターネット店を先生にご紹介したことから、両者の徘徊地域が限定されてしまった。以上、偶然から始まって偶然で終わる数日間だった。

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