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2007年8月31日 (金)

カンボジア第5日目:市内点描

 今日は、朝から国道1号線を通ってベトナム国境まで往復した。昨日にJICAの米田所長が、この「第2東西経済回廊」を説明されたので、当初はシハヌークビルの港湾や海岸リゾートを視察したかったのだが、今日の目的地を変更した。

 10年ほど前のハノイ~ハイフォンのベトナム国道5号線に対する日本のODA工事を想起して、カンボジア国道1号線を視察することにした。通常、こういった交通インフラが完成すると、経済は活気づくのはベトナムの例で実感している。この視察報告は後日にするとして、以下では、カンボジア・プノンペンの日常の近況を紹介する。

 カンボDsc09842ジアで食事を美味しく安く腹一杯食べるためにどうするか。答えは中華料理である。写真の料理で3.5ドルであった。もちろんアンコール(Angkor)生ビールも含めての値段だ。世界どこにでもある中華料理は日本人にとって嬉しい。もち ろんプノンペンにも日本料理店は多数あるが、値段が高い。もちろん日本よりも少し安い。以前に、利益率の最も高い料理はイタリア料理、さらにお好み焼きやたこ焼きなどの粉系料理と聞いた。日本料理やフランス料理は材料費や仕込みに手数がかかり、あまり儲からないそうだ。これらの料理の値段が高いのには理由がある。

 プノンペンには韓国人が多い。韓国は、最近にノ大統領がカンボジアを訪問し、韓国人はビザ免除。他方、日本人は観光目的で20ドル査証代を支払わなければならない。韓Dsc09824 国から新韓銀行が進出しているのに対して、日本の銀行は皆無。さらに20億ドルを投資して韓国資本が新都市をカンコーに建設予定。カンボジアでは明らかに日本よりも韓国が存在感がある。ハノイやホーチミン市でも韓国の不動産投資は活発だ。中国投資で日本に後れを取った韓国が、インドシナ3カ国で先行しているとみなすことができる。

 写真は、韓国のカンコー新都市の看板である。高層ビルと個別住宅が一緒になった住宅公園都市だ。かつて私はハノイでダエウーホテルの看板を見て、こんなものができるはずがないと思っていたが、それが見事に完成して今日も5星ホテルとして成功している。(もっともダエウー財閥本体は経営破綻したが---。) この看板も同様に思う。発展途上国では、現状から見て信じられないことが実現する。それが経済成長率6~10%の国の勢いである。ただし、当時のダエウーは資産上位の有力財閥であったが、現在のカンボジアを開発する韓国資本は中小である。三星・LG・現代といった大企業は、やはりカンボジアを「高リスク国」とみなしているようだ。

 ホテルのロビーでインターネットをしながら、いろいろな人間を観察するのは楽しい。私の前に座ったのはマレーシア人。カンボジアに金の指輪を仕入れに来たバイヤーである。自分がはめている指輪を見せてくれた。彼の隣りに中国系らしいカンボジア人がいる。商談が始まるのだ。つい私も話しに加わりたくなるが、どう考えてもキンキンのド派手な指輪が日本で売れるはずがない。でもベトナムやラオスなら売れるかも? ビジネスでは、こういう発想が大事なんだと自画自賛して自己満足した。

 ホテルのロビーには、18歳未満の未成年者を対象にした虐待や性的搾取の犯罪防止のリーフレットが置かれている。日本語と韓国語で書かれている。「カンボジアの子ども達のことを考えてください。」エレベータの中には中国で掲示されている。普通は英語版もあると思うのだが、それはない。こういう犯罪は日本人・韓国人・中国人に多いという証明であろう。カンボジアの刑罰では最高20年間の服役刑だ。日本でも刑事犯罪だ。韓国や中国での刑罰は、どうなっているのだろうか? 同じアジアの中での優越感が犯罪発生の背景にあるのかもしれない。いろいろ考えさせられる問題である。

 このリーフレットを見れば、24時間ホットラインが設置されており、「子どもの性的搾取、子ども買春の現場を見かけたら、すぐに電話してください。全国共通:023-720-555」とある。このようなホットラインは、監視社会というような批判があるかもしれないが、当面の犯罪防止として効果は大きい。この種の犯罪を本気で防止するなら、さらに「賞金」をつければよいと思うが、そうなると冤罪の発生も多くなると想像される。なお、このリーフレット作成にJICAも支援している。

 明日は、カンボジア・プノンペンからラオス・ビエンチャンに移動する。ラオスでは研究活動と同時に学生の清掃ボランティア活動を支援する。研究面では、ラオス国立大学・日本大使館などを訪問。さらにSTEA(科学技術環境庁)などを訪問する。また学生を同行して、ルアンプラバーンの不動産投資やリゾート開発の現状を視察する予定だ。

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2007年8月30日 (木)

カンボジア第4日目:今日はネクタイ着用してね!

 午前に商業省のダラ(CHHUON DARA)長官にお目にかかった。早朝から商業省のティーダさんから連絡があり、「今日はネクタイ着用してね」といった強い指示があった。「そらエライコッチャ」と大阪弁で思った。商業省の事務方トップで、その上は副大臣という地位だ。日本の政治機構で言えば、事務次官に相当するのだと思う。

 ダラ長官は、統計数値を含めながらカンボジア貿易の特徴を説明して下さった。私は今回「カンボジア縫製協会(GMAC)」を訪問できなかったが、ダラ長官自身から縫製業の現状について説明を受けることができた。カンボジア経済や輸出額の成長は順調に続いている。その成長を牽引しているのは縫製業。しかしそれは短期的であり、今後はより長期的な投資が期待される。たとえば韓国は不動産投資を本格的にしている。カンボジアはWTO加盟国(2004年)だから、政治経済的に信頼できる国であると長官は何度も強調された。

 写真の頂点が商業大臣。その下に副大臣がならび、指先がダラ長官である。完全な官僚制組織である。 
Dsc09846  カンボジア政府は、現時点で13カ所の経済特区(SEZ)を設置しているが、さらにタイ・ベトナム・ラオスの国境にそれを増設する計画をもっているそうだ。経済特区の利点と言えば、たとえばベトナム国境の経済特区は、カンボジアの金融・投資の優遇策を活用しながら、国境を超えたホーチミン市の既存の港湾を利用できる。私見では、この指摘は興味深い。ベトナム人は査証費用が必要ないし、近い将来に日本人もそうなるであろう。カンボジア在住ベトナム人は人口の数%に達し、カンボジア国内でもベトナム語がかなり通じる。このような状況はタイとラオスに類似している。タイを親工場として、ラオスを衛星工場として操業する日系企業があるが、同様のことがベトナムとカンボジアでもありうるかもしれない。このような発想を長官から頂戴した。
 
 なお、この英語の通訳をしてくれたソチヴィン氏は、筑波大学大学院に留学しており、日本語を少し理解する。そのことを後になって知った。私の方は、汗をかきかき英語で話しているのだが、そのことを聞いて少しばかり気が抜けた。もっとも彼は英語履修コースに所属していたから、ほとんど日本語は話せない。日本留学しながら、日本語を話せない留学生が、カンボジアのみならずベトナムにもラオスにも少なくない。日本人として残念に思われるが、そういう時代に日本が変化したのだと思う。日本もベトナムもカンボジアもラオスも「グローバル市場」におけるプレイヤーの一員であり、その市場の共通言語は英語である。
 
 午後は、JICA(国際協力機構)カンボジア事務所の米田所長にお目にかかった。以前に赴任されていたインドネシアと比較して、カンボジアは長い戦争の影響を強く受けている。いろいろなことを教えてくれる「先輩が不在の国」と米田さんはカンボジアの特徴を指摘された。かつての内戦で先輩が殺害されているか、教育を受けられなかったのである。日本のODAは圧倒的にカンボジアで第1位であるが、直接投資は上位10国にも入らない。カンボジア政府からも民間の投資促進を切望されるそうだ。
 
 最近のODAの特徴としては、第1に、民法と民事訴訟法が日本の支援で整備され、今年の国会で成立する予定である。第2は、「第2東西経済回廊」の改修・建設である。ホーチミン市~国道1号線~プノンペン~国道5号線~バンコックのルートの中で国道1号線の工事が進行中。1㎞=1億円の難工事である。第3は、来年に人口統計調査を支援する予定である。人口統計は経済社会発展の基本だが、カンボジアではそれが整備されていない。これは、カンボジア政府が進める地方分権政策を推進するための基礎にもなる。

 米田所長との面会を終えて私は次のように思った。カンボジアと同様にベトナムも長い戦禍に見舞われた国であるが、その戦争は民族の独立と自由を目標にした戦争であった。ベトナムの歴史はポジッティブに若い次世代に継承されていくだろう。それに対してカンボジアは、ポルポト政権時代に明白にネガティブな歴史をもっている。それは、もちろん歴史の重要な教訓となるのであろうが、その反動で、外国資本に対する過剰なまでの自由化・開放化が進行しているように思われる。やや極端な意見かもしれないが、自国民や自国政府に対する不信感が、過剰な外国尊重・外国歓迎という政治経済姿勢を生みDsc09850 出しているのではないか?

 写真は、プノンペン市内の「洪水」の様子である。現在は雨期だから、大雨の夕立が多い。そのために毎度のように市内の一部では「洪水」になる。しかし、その後は晴れるので日本の梅雨のような蒸し暑さはない。カンボジア訪問のベストシーズンは11月~4月の乾期がよいと言われている。この頃のシハヌークビルの海岸は最もリゾート地域にふさわしく、海は紺碧になるそうである。
 
 さて午後4時から、幸運にも私にとって初めて経済財政省を訪問することができた。金融産業局のバンコサル第一副局長、同局の金融市場部のチョェン副部長、同フオット副部長に面会した。ベトナム株式市場の経験を私は話し、その後にカンボジア証券取引所の開設準備状況について説明を受けた。この情報交換は貴重な機会だった。「カンボジアの証券法」は、すでに草案が完成し、今年9月の国会に上程。カンボジア証券取引委員会は、本年末か来年早々に設置される見通しであるそうだ。
 
 カンボジア証券市場はベトナムよりも自由で開放的である。外国人投資家も当初から100%の株式所有が認められる。開設当初は3~4社の上場企業数から始めてもよい。また取引は、コンピュータ化する考え方もあるが、コストを考えれば、マニュアルで開始することも考えている。そのいずれにするかは未定だそうだ。公正・公平な取引のためにはコンピュータ取引が不可欠と思われるが、ニューヨーク証券取引所(NYSE)は今でも手動取引をしている。取引の実態を見せるという意味で、手動取引にも価値があるとバンコサル第一副局長は話された。
 
 その後にカンボジア人金融情報筋と一緒に夕食した。韓国証券会社が、すでに投資銀行として進出している。またADB(=アジア開発銀行)がベトナムと同様に金融証券市場の「発展ロードマップ」を作成している。カンボジア証券取引所は韓国証券取引所が45%を出資する合弁の取引所になる可能性が高い。ベトナムでも証券取引所の開設では韓国が大きな支援をしている。ここカンボジアでも「先発行動者利得(First Mover’s Advantage)」について、日本は韓国に「一本取られた」ように思われる。

 日本人の大多数の認識によれば、日本よりも韓国は経済的に下位である、しかし韓国企業の先進性・先駆性はインドシナ3カ国では顕著である。今回のカンボジア訪問で、このことを改めて実感できた。リスク=テイク(危険受容)度が、日本企業よりも韓国企業は極めて高いと指摘できるけれども、それはビジネスにとって必ずしも悪いことではない。ハイリスク=ハイリターンは広く認識されたビジネス原則だ。

 ともかく外国人に自由で開放された市場そして国家がカンボジアだ。これが、ベトナムやラオスにはない魅力である。今回のカンボジア訪問で、そのことが実感できた。この国は、そういった意味で、何でもできる何でもありの国である。それをビジネス=チャンスと考えることができるかどうか。どちらかと言えば、「モノ作り」と得意としてきた日本人には違和感のある国かもしれないが、ビジネス対象国としては捨てがたい国と私には思われる。 

 歴史と伝統のアンコールワットを精神的支柱としながら、外国に開放された自由な国家カンボジア。こういう国の国民は今後、どのような生活を営むのか。これは世界に類例がないのではないか? 自国の資産を外国に自由に売却する国家。これは、日本でも同様であるが、それが発展途上国の場合は、その国民生活はどうなるのであろうか。こらオモロイで カンボジア。オモロイと言えば不謹慎だが、訪問5回目にして、ようやく到達した私の実感である。

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2007年8月29日 (水)

カンボジア第3日目:良い友人ができたような気がする

 午前の最初は、PAK SHUH NITTINGT COMPANYを訪問した。この会社は香港の100%出資会社である。従業員は2,000人。カンボジアには同社以外にゴールドフェーム社(従業員7000人)があり、売り上げ総額は年間でEU向けが4千万ユーロ、それ以外Dsc09831 の国が4千万ドルである。最大輸出国はドイツ。対応してくれたマーディさんは出荷担当であり、昨年もお目にかかった。2回目の面会とあって親しく話すことができた。

 従業員の最低賃金は45ドルであるが、同社の平均は65ドルとなっている。労働組合員は同社で300人。その所属は3~4団体に及び、組合の反対で2シフトの生産はできない。私見では、これがカンボジアの生産現場の特徴と言える。このマーディさんは英語を話し、経済社会についても関心が高い。いろいろ雑談したが、素直な好青年だ。彼とは今後も関係を継続したいと思った。

 その後に丸紅・今井所長にお目にかかった。現在、カンボジア日本商工会会長も兼任されている。丸紅の松下前所長には2001年以来、お世話になってきたが、今井所長とも話は弾んだ。私見では、カンボジアにおけるビジネスの困難性は、ともかくカンボジア投資について日本企業の関心が低いことに尽きる。たとえばベトナムとカンボジアを単純に比較すれば、やはりベトナムに投資することになる。カンボジアとベトナムを連携させたビジネスや、カンボジアの天然資源開発を考えると、カンボジアの魅力は増す。

 午後は、在カンボジア日本大使館の村田参事官を訪問した。村田さんはベトナム経験も長く、インドシナ半島の専門家である。ベトナムも含めてカンボジアの内情をお話しできて楽しかった。異色の外交官・村田さんに感謝と敬意を表したい。現在の特命全権大使は以前に公使をされていた篠原さんであり、小川大使の時代に私は一度お目にかかったことがある。篠原さんはカンボジアに特化された大使という印象を私はもっている。この意味で、日本とカンボジアの経済外交関係にとって最善・最強の布陣と言えるように思われた。

 最後に商業省に立ち寄った。ティーダさんから各種資料をもらって、明日の打ち合わせをした。今日の午後から、ホテル内のワイヤレスネットワークの接続が悪い。こんなことでストレスをためていると、途上国では寿命を縮める。

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2007年8月28日 (火)

カンボジア第2日目:今日は頑張った!

 午前の最初、カナダ銀行・副頭取のヴァンさんに面会。これまでに私が知っているカンボジア人の中で最も忙しい人物であった。電話と面会者の数が異常に多い。同行は1991年に海外在住カンボジア人によって設立された。カンボジアではANZに次いで評価の高い商業銀行である。カンボジア銀行協会の会長もされていると聞いたが、その確認はできなかった。その後、ジャーナリスト・プイキアさんを訪問。彼とは3年前からの交際だ。どのように彼が思っているかは別として、私にとってカンボジア人の親友の一人である。

 午後は、シンガポールの上場企業であるアパレル縫製企業集団オーシャン=スカイ社のカンボジア現地法人ブライト=スカイ社を訪問した。同社の主な輸出先は米国であり、GAPが主要取引先である。カンボジアと同様の生産工場をベトナムを含む世界に配置しており、同社の本格的な世界戦略と広大で近代的な生産工場に感心した。カンボジアの人件費はベトナムよりも高いという指摘は、すでに私も数年前から公表していた。

 最後に、倉田浩伸さんが経営する高品質コショウの生産・販売のクラタペッパー社を訪問した。同社については、昨年の同時期にすでに紹介しているが、倉田さんとは初めてお目にかかった。地元の英文雑誌『ザ=カンボジアン』(The Cambodian Issue#30,July/August、2007,pp.22-23)において、コショウの栽培は「Black Gold」という表題で倉田さんは顔写真入りで紹介されている。このようにカンボジア国内でも評価された企業である。

 倉田さんを訪問したのは、カンボジアにおける農産物の輸出促進について現状を伺うことと、ベトナム・ダラットにおける農産物の製品開発に対するヒントを考えるためであった。倉田さんによれば、農産物の生育について歴史を学び、伝統的な農法を守ると言うことであった。これは、化学的な農薬や肥料を使用しないということを意味する。新しい農法を導入するのではなく、伝統的・歴史的な農法を維持することが重要である。私見では、このように考えれば、手間暇のかかる無農薬の有機製法は、人件費の安価な途上国にこそ最適である。そしてこれこそが、日本を含めた先進国が求める農産物である。

 「クラタペッパー」社の主要顧客は日本人であるが、日本市場におけるカンボジア産品の認知度が低いことが課題として指摘された。また『地球の歩き方』にも同社は紹介されているが、多くの日本人観光客は、世界文化遺産「アンコールワット」を訪問するが、首都プノンペンを素通りしてしまう。このことは、すでに私も昨年のブログで指摘した。プノンペンにはポルポト政権時代のカンボジアの暗黒の近代史が刻まれた博物館が存在するが、それについて多くの日本人は目を向けようとしない。これも、日本人の歴史認識に関する問題点のひとつと考えられる。

 以上、これだけインタビューすると、かなり疲れた。しかし充実感・達成感・興奮感がある。なお、上記の倉田さんにNHKが取材に来るそうである。ハノイの小松さんとお母様にもNHKの取材があった。今回の出張は偶然にもNHKと縁がある。

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2007年8月27日 (月)

プノンペン第1日目:まあ順調にスタートです

 午前中に商業省の貿易部を訪問。午後は「カンボジア日本人材協力センター:CJCC」のイングレン氏と小室さんに会った。所長のオムラビィさんと日本側リーダーの中村さんにもご挨拶した。小室さんは、昨年にベトナムで買ったエースコックの「ふりかけ」を差し上げたことを今でも覚えていて下さっていた。午前と午後の間に、いくつかの今後のアポを取った。

 私が商業省を訪問時に運転手トーチさんに携帯電話の新しいSIMカードを買ってもらった。カンボジア人の身分証明書がないと外国人は購入できない。18ドルでカードを買って、ベトナムのSIMカードと入れ替える。すると、カンボジアでも携帯電話が使用できる。番号は、092-451253。電話会社はモビテル。この会社はカンボジアの会社だ。

 誰もが見ているブログで電話番号を公開するのは、どう考えても個人情報の過剰露出であるが、この有効期限は6ヶ月。しかも私のカンボジア滞在は長くない。このような事情で番号を公開をする。何か、ご意見があれば、ご連絡ください。このカンボジア訪問の目的は、カンボジアWTO加盟後の経済と企業経営の影響の調査であるが、それに関連する証券取引所の開設準備状況についても関心がある。

 ベトナムの場合、WTO加盟ということで政策的な安定感があり、さらに外国人の投資枠が拡大。そのために外国投資ファンドが急激に流入。その結果、ベトナムの株式市場は活況を示し、さらに直接投資や貿易を波及効果的に拡大させた。カンボジアの場合、すでにWTO加盟を果たしているにもかかわらず(正式加盟は2004年)、証券取引所の開設は未だである。この進捗状況に関する情報は、かなり上部層の政府関係者しか知らないようである。

 ベトナム株式市場の教訓を言えば、早くに株式市場の開設を情報公開し、一般の国民に株式売買の基礎知識を普及させることだ。株式会社とは何か。株式市場の役割・機能は何か。こういった基礎知識を広く普及させることが、カンボジアでは早急に望まれる。

 今回のカンボジア訪問で、うまくいけば、財務省のカンボジア人担当者に会えるかもしれない。いずれにせよ、カンボジアにおける株式市場の知識普及は一部を除いて皆無であるし、その情報公開も不十分である。市場育成のためには、情報公開と株式知識の普及を徹底することが不可欠である。こんな話をするつもりだ。

 商業省の前で約束時刻まで待機していると、ビナ=エースコックのステッカーを前後の貼った商用車から3名が降りてきた。私が声をかけると、カンボジアの販売代理店の人々であった。彼らはベトナム語を理解し、もちろん英語も話した。声をかけて名刺を交換した。名前はベトナム人だった。ベトナムという名前を見ると、ついつい親しみを感じてしまう。同郷人のような感覚になる。

 なお、昨日のベトナム語「ちょーイ、お~イ」の意味について、ハノイ在住の小松みゆきさんから連絡をいただいた。これは「Oh,My God!」という意味で北部でも南部同様に頻繁に使用するそうである。私は、たまたまハノイでこの言葉を聞く場面に出会わなかったのかもしれない。「なるほど、こういう時に使うのか」という状況を体験・納得したのは、今回が初めてであった。以上、追記して補足します。

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2007年8月26日 (日)

プノンペンに移動:「ちょ~イ、お~イ!」

 午前中にホーチミン市からプノンペンに移動。タンソンニャット空港に着くと、隣接した新空港ターミナルが8月28日からオープンするそうだ。これは、日本の複数の建設会社が担当したODA案件だ。

 離陸してから50分後のカンボジア・プノンペンはジリジリ暑い。ホーチミン市よりは乾燥した暑さだ。空港には、事前に連絡しておいた顔なじみの運転手トーチさんが迎えに来てくれた。安心できる運転手は仕事の基本である。

 ホテルは商業省・貿易促進部のイングさんが予約してくれたニューヨークホテル。インターネットが使えることが私のホテルの条件であった。確かに、このホテルはワイヤレスのインターネットが可能であるが、部屋の中ではネットワークのシグナルが弱すぎる。部屋を変えるように言ったが、満室ということで、1階ロビーで使用しなければならない。今までに利用したホリデイビラホテルは、室内でのインターネットは電話回線を経由した「ピ~ヒョロヒョロ」だった。

 今日から頭を切り換えて、ベトナム語から英語の世界に入る。カンボジアとラオスの生活だ。ところで昨日は「ちょ~イ、お~イ」というベトナム語を覚えた。「おお神様、どうなってるんだ!」というような場合に使うが、ハノイで私はは耳にしなかった。三洋電機ホームアプライアンス・ベトナム元社長の竹岡さんとベトナム旅行した時に、よく竹岡さんは使われていたが、昨日に同社の現社長の片岡さんとお話ししていて、その意味が納得できた。

 昨日は土曜日であるにもかかわらず、午前中はブレインワークス社の本社・近藤社長とお目にかかり、午後に前述の片岡さん、そしてエースコック=ベトナムの浪江社長からお話を伺った。三洋電機では「山猫スト」が発生した経緯を説明していただいた。なお、ベトナムのサンヨーは白物製品では最大のシェアを維持しており、市場参入企業が多い中で大健闘している。他方、エースコックでは労働組合との協調的関係が話題となった。

 私見では、エースコック社はベトナムの現地企業としての立場を明確にしている。たとえば同社は「ホーチミン市日本商工会」に参加していない。「ベトナム企業」という立場を鮮明にするためである。また台湾の統一企業グループがベトナム即席ラーメン市場に進出時に、それに対応するために同社従業員の全社的な結束が固まったとも想像される。もちろん手厚い福利厚生も従業員には好評だ。

 いつまでも日系企業ではなく、ベトナム企業に成りきる姿勢が、ベトナムでの円滑な労使関係の秘訣かもしれない。特に国内市場向けの生産をしているエースコックやサンヨーには必要なことであると思う。このことは、ベトナムに限らず、国際ビジネスでは共通した重要点であると指摘できる。
 
 今日は日曜日。明日からの訪問先の準備が必要だ。周辺に蚊が飛んでいる。デング熱に注意だ。1階ロビーでのワイヤレス=インターネットは昼間に利用することにしよう。このホテル、悪くはないが、「ちょ~イ、お~イ」だ。

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2007年8月25日 (土)

ダラットからホーチミン市に:ダラットのブランド価値創造

 昨日、ダラットのある「ラムドン省観光貿易投資促進センター」のVu Van Tu 所長にお会いし、ラムドン省の貿易の現状や展望について説明を受けた。

 ダラットの特産品は6つある。野菜、花、コーヒー、茶、イチゴ、キノコ。これらの中で花は、国際的に評価されている。2004年から展示会を開催し、昨年2006年から国際的な催しとして「フラワーフェスティバル」を開催している。花の耕作面積は2,500万ヘクタール、年間70万本を輸出。特にランは200種類以上あるが、国際基準が難しい。ユリやバラの輸出も増加している。

Dsc09712  野菜は、耕作面積2,500万ヘクタール、出荷量70万トン。輸出は10%以下である。輸出先は主に台湾。ホウレンソウ・キャベツ・人参・トマト・アンテチョークである。ここで袋詰めにして出荷される。コーヒーの耕作面積は、ダックラック省に次いで2番目で118ヘクタールある。アラビカ種とロブスター種は半分半分である。お茶の耕作面積は国内の3分の1を占め、最大である。25,000ヘクタール以上ある。お茶については、日本向けに輸出する工場もある。

 WTO加盟後の競争は激化する。その場合の優位性は、外国投資家の農産物に対する技術指導が進められていることである。競争の潜在力は十分にあると国際的に評価されている。それに対して課題は、野菜の品質が均一でないことである。外国業者と契約を結んでも、品質にバラツキがあるために問題が発生する。このように品質改善が最大の課題である。加工技術も不十分である。さらに輸送費も割高である。

 中国産の果物・野菜・人参・トマト・イチゴなどが輸入されている。価格は安いが、品質がよくないとベトナム人は広く認識している。しかし低価格だから低所得者が購入している。

 つい最近、ダラットのブランド価値を高めるために、センターが品質保証する制度を始めた。農家を土壌の品質から肥料の使用も検討し、さらに収穫・出荷まで指導する。そして最後の検品に合格した商品だけに「ダラット産」の認定印を押す。またダラットの農家が集まって株式会社を作り、外国資本を受け入れたい。このような形態で外国からの技術指導をしてほしい。

 ホーチミン市からダラットまでの高速道路建設、ダラット空港の国際化し、当面はシンガポールとタイの路線が検討されている。さらに日本の500ヘクタールに及ぶリゾート開発計画もある。

Dsc09765  以上のようなお話を、ご多忙の中で伺った。上記の「ダラットブランド」の会議があり、その直後にお時間を作っていただいた。これまでに日本からのJICAやJETROの援助や助言を受け入れてきたが、さらに日本企業を直接受け入れたいと強調された。

 私見では、さらなる民間ベースの日本とダラットの関係強化が求められる。近い将来に、日本の農家との交流活動が始められても良い。簡単に言えば、日本の農業の国際化である。日本の農業技術の継承先として、人口豊富なベトナムを対象とする。日本の農家が出資して株式会社を設立し、技術を移転しながら、その株式会社の利益配分を受ける。このような試みが検討されてもよいと思われる。

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2007年8月24日 (金)

ダラットで「アメリカ戦争」を考える

 まずダラットでは、日越経済交流センターでホーチミン市代表を依頼しているタムさんの実家を訪問した。お父上のザンさんは1957年生まれ。タイビン省からダラットに来て、生家の家業である「ブン」(お米の麺)を生産し、小売店・飲食店に卸売している。通常は毎日500㎏の生産であるが、最近は300㎏に落ち込んでいる。その理由は豚の病気のために、豚肉を使った「ブンチャー」を一般の人々が食べなくなったからだ。(注:ハノイで私はブンチャーを食べたが、確かに客足は少し減っていたのかもしれない。)

 ブンは、日本で言えば「生のうどん」であり、長期保存できない。日本では1人前ごとに冷蔵パック販売しているが、ベトナムでは山盛りにしたブンを市場(いちば)で量り売りで販売している。「私のブンは心を込めて作っているので、ダラットで一番美味しい」と自負されている。確かに食べてみると、「コシ」がある。歯ごたえが違う。この感想がザンさんに伝わったか不明だ。こういう表現は日本独自であろう。
 
Dsc09728 写真は、右からタムさん、タムさんのお母さんのビックさん、ザンさん、そして左はブン作りを住み込みで手伝っているナムさんである。ビックさんは、神戸市外国語大学大学院を卒業して大阪で働いているフンさんのお姉さんである。

 ザンさんは「アメリカ戦争」(外国人は「ベトナム戦争」と呼んでいるが、ベトナム人はこのように言う)に従軍してホーチミン市内に進駐し、さらにカンボジア戦線まで従軍している。彼との戦争に関する議論は、日本の人々に直接聞いてほしい内容だった。ザンさんは「私は学問はないが---」と謙遜されるのだが、彼が命のやり取りをしている時、日本の私は勉強と遊びで気楽に時間を使っていた。彼の勉強は、戦争を通した命がけの勉強である。「何のために死ぬのか」という問題に対して、自分が納得できる解答がないと戦争はできないと思う。ベトナムでは、こういった教育のために現在でも国民の政治意識は高いと推理できた。

 「アメリカ戦争の時、中国やキューバはベトナム派兵を提案した。当時のホーチミン主席は、お金の支援は受け入れるが、人間の血の支援はいらないと断った。お金は返せるが、人間の命は返せない。」「戦争が終わって最近はアメリカ人がベトナムにも来る。しかし私は悪いと思わない。その時の政治指導者が悪いのだ。でもアメリカ人は「お金」好きのように思う。ベトナム人は心を大切にする。」

 人間の命は何者にも代え難いということは、私の世代は頭で考えているが、戦争を直接経験した同世代のベトナム人は体感している。その指摘は説得力がある。さらに日本人は「お金」も「心」も大切にする国民であると外国人から評価されたいと思った。まだまだベトナムから学ぶことは多い。

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2007年8月23日 (木)

涼しいベトナム体感:ダラットを訪問

 昨日のホーチミン市は多忙だった。ベトナム商工会議所ホーチミン市支所双日を午前中に訪問。その後にベトナム株式情報誌である『マネーベトナム』社長の宇都宮さんと昼食をご一緒した。午後は、日商岩井ベトナム総代表であった伊藤さんにお目にかかった。ベトナム未公開株式に投資される投資会社を設立されている。ビジネスモデルは異なるものの、ベトナム株式投資という点ではロータス投資会社と共通している。

 伊藤さんは、ベトナムでは伝説的な人物だ。初代の日本商工会会長に就任され、「ベトナムでは日商岩井が強い」という評価の基礎を作られた。私は何度も「その話なら、伊藤さんに会ってみたら」と勧められたことがある。今回、株式投資という共通の話で初めてお目にかかれて光栄だった。

Dsc09680  その後、ビナフジ=エンジニアリング10周年記念パーティに出席するために花束を持ってノボテルホテルに向かった。富士電機E&C株式会社のベトナム現地法人が1997年に設立され10年になる。初代ベトナム社長であった関沢さんに1999年に私は大変お世話になったことがある。それ以来、関沢さん(現在、海外本部営業統括部長)からご厚情を賜っている。この様子は、以下で紹介されている。http://www.moneyvietnam.com/modules.php?name=News&op1=economy&tab=5&sid=4079

 今日は、ベトナムホーチミン市からダラットにやってきた。ホーチミン市から約300㎞である。バスで6時間以上かかる。ダラットの野菜は有名だし、イチゴや果物の産地でもある。また全国的に有名な新婚旅行の場所でもある。

 ベDsc09710トナムのWTO加盟に伴う影響として、大量で安価な中国の農産物の本格的なベトナム流入が指摘される。国民の大部分を占める農民の問題を無視することはできない。このような観点からダラットの農産物事情を調査してみることにした。

 ダラットの第一印象は、まるでハノイの「冬の世界」に戻ったようだ。人々はジャンパーを着込んでいる。私は薄着だったので、衣料品店で長袖のシャツを探した。ダラット市場(いちば)の近くのホテルに宿泊した。昼間は賑わいを見せたホテル周辺が、夜間には静寂に包まれ、久しぶりに熟睡できた。

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2007年8月22日 (水)

「ヒトミ弁当」を知っているか?:中部ベトナム日系企業連絡会が9月発足

 昨日、ダナンでは老舗となった高級レストランである「ハナ=キム=デン」のオーナー・井上さんに目にかかった。1994年に宿泊したバクダンホテル前がレストラン、事務所はホテルの隣りである。井上さんは、1989年当時にホーチミン市に来られ、翌年の1990年からダナンにお住まいである。

 中部に進出する日本企業が増えたために、本年9月に「中部ベトナム日系企業連絡会」を発足させることとなり、井上さんが事務局長、会長にマブチモーター社長が就任予定である。ダナンの投資環境について、十分に納得してから日本企業は進出してきてほしいというのが、この連絡会結成の趣旨の一つである。さらに最近になって多数の工場見学者がダナンを訪問するようになったが、その多くは「物見遊山」。こういった人々の窓口に連絡会がなるという議論もあるそうだ。

Dsc09667  ダナンの発展は間違いないが、問題点も多数存在していると井上さんは指摘する。日本人学校や国際水準の病院がないために、家族同伴は無理。労働者は豊富であるが、工業団地が市内から20㎞ほど離れているので、人が集まらない。労働者はノンビリしており、労働意欲・熱心さは十分でない。労働者は豊富だが、労働力は未熟と言える。ホーチミン市やハノイに比較して賃金は安いが、優秀な従業員は両都市に働きに出るので、ダナンに定住させるためには高給を支給せざるをえない。

 ダナンは、日本の名古屋のような位置づけであり、住民気質も人民委員会もハノイやホーチミン市から独自性をもっている。両都市よりも不動産価格は安いが、日本の投資は遅い。リゾート投資について日本企業は出遅れている。日本企業には、やはり「モノ作り」技術の移転が期待されている。

 さて井上さんは、日本におられる頃から「鉄道マニア」だそうで、ベトナム鉄道も利用されるそうである。そのベトナム鉄道では、車中のサービスとして、つい最近まで「ヒトミ弁当」が提供されていたそうである。いわゆるベトナムの駅弁である。この駅弁サービスを提案した人物が「ヒトミ」さんである。ほかでもない日越経済交流センター初代理事長・現会長の人見美喜男さんである。人見さんは「ホーチミン市名誉市民賞」の受賞者であり、ベトナムに貢献していることは知っていたが、「ベトナム駅弁の父」になっているとは知らなかった。井上さんは人見さんに直接会ったことはないが、「ヒトミ弁当」の経緯や日越経済交流センターのことはご存じであった。

 こんなことで、井上さんとは初対面であるにもかかわらず、すっかり親しくなった。またの再会を約束してダナンを後にした。今は、ホーチミン市である。

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2007年8月21日 (火)

ダナンの変貌:近代都市として発展

 今日は、ダナンからホーチミン市に移動。ダナン工科大学のナム学長と数年ぶりにお目にかかった。今年に学長に就任され、多忙を極めておられる。私の第一印象は、管理職として「顔つき」が変わられたように思われた。それだからこそ管理職なのだと思う。責任ある仕事に対して、それに対応する「顔」になるのは当然だ。また、ホーチミン市人民委員会の国際部のヒューさんも同席された。対日本の窓口として立場は違うが、2人は親しい関係だ。

 ナム学長は、9月初旬にJICAの支援で立命館大学を訪問するという話だった。大学管理のノウハウを学ぶという目的だそうだ。ベトナムでは、若年層の人口が急増するから、それに伴う高等教育の充実が不可欠である。そのために大学運営の効率化・近代化を検討することは重要だ。時宜にかなった研修であると思う。

 それにしても、ダナンの街の近代化は驚嘆する。ヒューさんの「セオム」での案内で痛感した。ホーチミン市やハノイの喧噪とは違って、幅広い両側4車線~6車線の道路が整備されている。さらに大型船の対応も可能なダナン港、東西経済回廊の終点としての陸路も整備された。またリゾートとして評価の高い海岸線、近隣にはホイアン・ミーソンという世界文化遺産、そして温泉も近くに数カ所ある。古都フエにも日帰りで観光できる。

 工業団地は整備され、日本企業の進出も増加中。当然、日本料理店も増加。日本語を話すベトナム人も集まってくる。特にホーチミン市で顕著な労働力不足は、今のところ心配なく、労働者の定着率も高い。唯一の難点は、台風が来ることと指摘する日本人がいたが、それは日本も同様だ。

 このようにダナンは、新たな日本企業の進出先として検討されてもよい。当然、日本からの直行便の就航も時間の問題となるであろう。ホーチミン市に経済が偏重していたが、最近は工業団地の整備によってハノイ周辺の経済発展は目を見張る。その次の経済発展は、ダナンであろう。

 ハノイ・ホーチミン市・ダナンを中心として、次第に近隣都市に経済発展が波及していく。同じ中部のズンクワットの石油精製プロジェクトの完成は、石油関連製品の原材料供給を可能にする。これらの輸入依存から脱却できる。ダナンの発展は時間の問題だ。そのように確信した。

 ただし証券市場の知識はダナンで普及していないそうだ。証券会社の支店も少数だ。銀行融資に代わる資金調達手段として、株式市場を利用することは経済発展に大いに貢献する。銀行融資と異なって返済しなくて良い資金である。これを活用してこそ、経済発展は加速する。株式知識を一般に普及させるために、ダナンでも「株式セミナー」を開催する。これは私に対する課題だ。 

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2007年8月20日 (月)

ダナンでの情報収集:ダナンの魅力

 ダナンのフラマリゾートホテルは、普通のリゾートホテルに戻ってきた。どういう意味かと言えば、外国人とベトナム人、欧Dsc09653米人と東洋人といった組み合わせがバランス良くなってきた印象を受けた。国内外から広く支持・評価されている。以前は、ベトナム人が多すぎた。おそらく金持ちのベトナム人は、このフラマよりも超高級なナムハイホイアンのリゾートに移動したのではないか? 

   ベトナム人の富裕層は、驚くほどに金持ちだ。さらに株式投資・不動産投資にDsc09650非常識なまでの大金を投入する。私は、このような現象について、ベトナム人一般のギャンブル好きとか、株価評価を的確にできない未熟な株式投資家の存在が原因だと説明してきた。しかし、どうやらそればかりではないらしい。

 日本でも同様だが、「悪銭は身につかず」とか「不労所得だから大胆に投資できる」という気持ちが作用した結果という説明がある。つまり、「汗水をたらして働いた金」ではないので、思い切って投資できる。そういった資金は、ワイロとか麻薬などの犯罪を通して蓄財されている。どうせ不労所得なのだから、何も考えないで株式や不動産をともかく高くても買う。なるほど、この説明力は高い。すべての投資資金がダーティではないにせよ、たとえば日本の国税当局なら、こういった不動産・株式の個人投資家に査察を入れる状況であると想像できる。

 これまでの私のダナン訪問は10回程度と思う。その経験から言えば、ハノイやホーチミン市から離れているだけに、身近に当事者がいない。政治や経済の権力から離れているので、以上のような本音の情報や見解が収集できるように思われた。ハノイやホーチミンでは、そういった裏の話は、単なる話ではなく、具体的な内容をもっている。だから話し難いという心理が働く。このように考えると、ダナン訪問の価値はある。

 昨年末の東西経済回廊の開通を機会に、ダナンに対する日本企業の注目度が高まっている。もちろん直接投資は大歓迎であり、駐在事務所がある東京のみならず、大阪からの投資も積極的に受け入れる方針である。一般論ではなく、具体的なビジネス案件が歓迎される。しかし、これはダナンにとって「受動的」な経済発展の考え方である。

 これに対してダナンの「能動的」な関心事は、対ラオス投資である。東西回廊のラオスでのビジネスの仕組みを作ることで、その終点の港湾都市ダナンの存在価値が高まるという都市戦略である。ダナン、そしてベトナムとラオスの関係をどう見るか。この視点が次第に重要になってくると思われた。

 先日に訪問したラオス国立大学のトンバン先生は、今年の夏休みの家族旅行は、ベトナムのビン(ゲアン省)での海水浴と言って写真を見せてくれた。ラオスからもベトナムに関心が高まっている。彼の奥さんはベトナム語が上手だ。このようにベトナムとラオスの関係の緊密化、それを中国とタイが傍観しているはずはなく、両国も積極的にラオスに接近する。このラオスと同様の位置づけにカンボジアがある。

 今回のインドシナ半島3カ国の今回の調査訪問は、手前味噌の自画自賛になるが、今後のアジアの政治経済動向の焦点を探ることになりそうだ。WTO加盟というキーワードを切り口にして、加盟後のカンボジア、加盟直後のベトナム、数年先の加盟をめざすラオスの経済・企業経営の特徴を比較検討して抽出する。有用な研究成果を目標に頑張ってみようと思う。やはりダナンのリゾート滞在で余裕がもてるからこそ、こういう発想が出てくる。明日は、喧噪のホーチミン市に向かう。

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2007年8月19日 (日)

ハノイからダナンに移動:もっとハノイで仕事したい---

 今日は、ハノイからダナンに移動。ダナンでは恒例のフラマリゾートホテルに宿泊。ここで副首相時代のズン首相に会ったことがある。各部屋にはインターネットのLANが敷設されており、便利になった。ダナン市内で日本語フォントのある「ネットカフェ」を探し回ったことは過去の思い出になった。

 昨日は、ロータス社で仕事の話をタイ社長とした。昼食は、ポエメの鈴木さんと一緒。国民経済大学に留学中に同じ研究室だったフン先生にも会った。彼女の姪が高校生で、日本留学したいと言うので、貿易大学の「VJCC:日本センター」を案内した。ここには日本留学の資料や大学案内がそろっている。

 フン先生は、この7月に博士号を取得。立派なものだ。「でも給料安い」。ベトナム人教員に共通したセリフである。彼女から、ベトナムのWTO関連の資料をもらった。特にCDに収録されたWTO加盟のための政府職員のトレーニングコースの教材は興味深い。イタリアが財政支援した研修セミナーが2005年から2006年に開催された。その内容が収録されている。

 貿易大学も国民経済大学も10階建て以上の高層の研究・講義棟の建設が進められている。高等教育をベトナム政府が重視している証拠である。その前に教員給与を上げることが必要であろう。優秀な人材が民間企業に移らないように国立大学の給与を高く設定する。これはシンガポールの教育政策であるが、そういった対応をベトナムも検討してよい。

 その後に偶然にブーバンに路上で会った。チャンナントン通りのビアホイ(生ビール店)でビールを飲んでリラックスした。その夜に発表される宝くじを買った。1枚5,000ドンで、1等になれば、7,500万ドン(約50万円)が当たる。熱心な「宝くじおばさん」の笑顔に負けて買ってしまった。ブーバンは「あっちへ行け」というのだが、少し無粋に思われたからだ。

 しかし、何でブーバンに偶然に会うのだろうか? やはり彼との特別な関係を感じてしまう。本当に「兄弟」なのかもしれない。他方、1994年以来の親友であるハウさんから電話をもらった。彼のことは、私の拙著にも書かれている。プレイクに出張でハノイで会えなくなったという連絡だ。彼は現在、情報通信分野の投資コンサルティングをしている。自宅での夕食に招待してもらっていたのだ。

 本日、ホテルからノイバイ空港まで、ロータス社のソン会長が自らカムリを運転して送っDsc09645 てくれた。いろいろ車中で話し合った。ハノイ新都心(APEC国際会議場の周辺)は、韓国資本の不動産投資が活発だ。韓国人は投資決定が早い。確かに、そのように思う。この新都心は、20年前の韓国ソウルのヨイド島(現在は国会議事堂や韓国証券取引所がある)を想起させる。次々と高層ビルが建ち並び、地方から次々と労働力が供給される。地下鉄が開通し、郊外の個人住宅やアパーDsc09649 トと都心部を結びつける。また工業団地周辺にアパート群が林立する。外国人の私ですらそう夢想するのだから、このように韓国人が考えないはずはない。

 日本で、こういった成功体験は忘れ去られたのであろうか。どう考えても、ベトナム経済は成長し、今こそ投資すれば、必ず儲かる。ただし、だれが儲かるか? これが大問題だ。尊大な態度の外国人が儲けるのは、なかなか難しいと思っておいた方がよい。ベトナム人と一緒なら儲けられると思う。ベトナムやベトナム人は、それほど甘くない。ベトナム人の良きパートナーを見つけること。これが決定的な決め手だ。この点で私は今のところ幸運だ。ただし、ビジネスのパートナーに「絶対」はありえない。「今のところ」としておこう。これは男女関係も同じかな---?

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2007年8月18日 (土)

今日は休日と思いながら---

 昨日は、午前中にベトナム石油ファイナンス投資会社のクアン会長にお目にかかった。国営独占企業であるベトナム石油会社のグループ企業の投資部門を担当する会社だ。豊富な資金量を誇るファイナンス会社であるから投資先は多々ある。クワン会長の話を聞いていると、ベトナム経済の発展は確実と断言できる。彼の会社に必要なものは人材だ。お金は十分にある。いろいろ今後の展望について話をした。

 その後に、弊社・ロータス証券投資ファンド運用管理会社(ベトナム国家証券委員会認可)のIR(投資家広報)担当の採用面接をした。インターネット上に、Vietnam Works という求人サイトがあり、それを見ての応募である。その完全な日本語は、若い日本の大学生よりも優秀なように思われた。敬語の使い方が上手い。ベトナム人の語学力は本当にスゴイ。現在の会計責任者のダオさんの面接も私が立ち会った。Img_0345_2彼女の場合、私との握手の強さが印象深かった。もちろん彼女は銀行の会計担当経験者である。こういった経験がなければ、国家証券委員会は会社設立を認可しない。

 写真はロータス社のメンバー。左から、ダオさん(会計責任者)・トアンさん(内部監査・企業分析)・タイ社長・ウエダ顧問・ソン会長・ハンさん(受付・秘書)。なお、ホーチミン市に「UEDA」というブランド名の靴下の製造会社があるが、同社とウエダ顧問は無関係である。

 昼食をJICA長期専門家の市川さんとご一緒した。市川さんによれば、昨年7月よりも今年7月までの日本の直接投資の金額は「増加している」ということだった。市川さんは計画投資省であるから、より最新のデータを入手されている。前回のブログで「減少している」理由を考えたが、実際は増加している。各方面からの情報収集は重要だ。

 午後に、日本経済新聞の長谷川さんとお話しした。1988年の入社以来、兜町を担当されており、証券分野の専門ということであった。ベトナム証券市場が、グローバルな金融市場として発展するという視点が重要であると強調された。これに対して私は、ベトナムは社会主義を志向する国だから、野放図な放任された市場はありえないという指摘をした。それだからこそ、かつての日本のように政府主導の通商産業政策をベトナム政府も採用しようといしている。

 長谷川さんは、いわゆる生産市場と金融市場の区別が必要というご意見だった。かつての日本の「護送船団方式」の政府主導の金融市場を模倣すれば、ベトナム金融証券市場の発展は阻害されるという見解だ。これには私も同意だ。しかし「マネーゲーム」もしくは「カジノ市場」の助長が望ましいはずがない。もっとも、それも市場原理の結果だからしかたがないという意見もありうる。長谷川さんとの意見交換は白熱したが、楽しかった。また連絡しましょうということで再会を約束した。

 長谷川さんも「ベトナム好き」だと確信した。同類は相通じる感覚を共有している。他方、この感覚を感じられない日本人もいる。ビジネスだけの人だ。誰もが言うように、ビジネスの基本は、人間と人間の信頼関係である。ベトナム人を相手にして、ベトナム人に「この人はベトナムを好きだ」と感じさせなければ、ベトナムのビジネスは成功しないであろう。こういう「感覚」といった証明不能の話は無意味かもしれない。しかし人間とは大部分が「感覚」で生きている。だから人間は面白いし、ビジネスも面白い。私は最近、このように思うようになった。

 その後に、JETROハノイの荒川投資アドバイザーにお目にかかった。9月に大阪の投資セミナーで講演をされるそうなので、お目にかかれればという約束をした。荒川さんとは、荒川さんがハノイ西友の社長であった時代からの交流だ。西友がユニマートに代わり、そして現職である。荒川さんは大学院時代からベトナム語を専門にされており、ベトナムと生活を同伴されてきた方である。ベトナムの大先輩である。

 なお、このJETRO事務所のあるビルの1階にADB(アジア開発銀行)やWB(世界銀行)の刊行物センターがある。ここで掘り出し物の文献も購入できた。すでにハノイだけで10㎏ほどの購入書籍がある。とりあえず日本に送ることにする。明日は、ハノイからダナンだ。

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2007年8月17日 (金)

ハノイの仕事:調子は上昇

 昨日の午前には、三井住友銀行の斎藤ハノイ駐在所長、その後にロータス社でメールをチェックして、昼には三進交易の新妻所長(日越友好協会理事)とお目にかかり、その後にジャーナリストの井上さん、そして三菱商事の唐沢・総代表にお目にかかった。

 唐沢さんは、私が副理事長をしている日越経済交流センターの月刊誌『日越経済交流ニュース』を前任の総代表・寺村さん時代から購読していただいている。

 三菱商事は、ベトナムシンガポール工業団地(VSIP)を設立運営するシンガポール会社に出資していることから、日本企業をVSIPに誘致している。すでに南部でVSIPの2期工事は終了し、次に北部で1カ所、そしてハイフォンで1カ所の工業団地を計画している。

 最近、ズン首相はシンガポールを訪問し、シンガポールはベトナムに積極的に投資を進めている。唐沢さんと、昨年の同時期に比較して日本企業の投資総額が今年は減少している理由について意見交換した。

 唐沢さんによれば、統一企業法や共通投資法の施行細則が決まるまで日本企業は投資を控えており、それが昨年から施行されたので、一気に投資が増えた。昨年が異常に多いと考えるべきだというご意見だった。

 お話を伺っていて、唐沢さんも「ベトナム大好き」という印象がヒシヒシと伝わってきた。このことは、同行したロータス投資会社のソン会長やITIP社ののトアン社長が言っていた。確かに、そうでなければ、ベトナム人との仕事はできないであろう。

 なお、日本で「猛暑」が続いているということだが、ベトナム・ハノイは「猛暑」という表現は適当でない。先日に指摘したように「モワァー」としている。かつての私は「サウナ」好きだったが、この数年以来、高血圧のために利用していない。しかし、ベトナムでは身体に優しい「ミストサウナ」が待ってくれている。これは考えてみれば、幸福だ。

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2007年8月16日 (木)

緊急報道:「マネーベトナム=ドットコム」でロータス社が紹介される

 昨年末(12月18日)に「マネーベトナムドットコム」(http://www.moneyvietnam.com/
というサイトが立ち上がっている。私見では、ベトナム株式の動向について簡潔に理解できる。独自の取材記事があり、情報に信頼性がある。

 ベトナムに関する日本語の情報は多くなったが、その記事の多くは現地の新聞記事の翻訳である。この新聞記事の信憑性に問題がある。記者の問題提起や憶測が、あたかも事実のように認識されることが多い。「ベトコンバンクが増資する。株式取得できますか?」というような質問を受けることがあるが、この「増資する」というのは計画に過ぎない。具体的な時期や内容も決まっていない。

 たとえば『東京スポーツ』(大阪では『大阪スポーツ』)に「×××離婚!!」という第1面記事がデカデカと掲載されるが、その最後に小さな文字で「か?」と書いてあったりするのに似ている。

 このような憶測の情報を避けるためには直接の取材が一番だ。この意味で、マネーベトナム=ドットコムは、より正確な情報提供のメディアとして期待される。

 このサイトに「ロータス証券投資ファンド運用管理会社(ベトナム国家証券委員会認可)」が紹介された。タイ社長のインタビュー記事である。ロータス社の少数精鋭の優秀なメンバーの写真も掲載されている。冒頭で紹介したサイトを参照されたい。

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2007年8月15日 (水)

ハノイの仕事

 午前中は、ベトナム現地法人であるITIP(国際投資貿易促進)有限会社を訪問。同社は、不動産投資や日本との貿易を目的にして設立され、「ロータス証券投資ファンド運用管理会社」にも投資している。その後、ポエメ(洋菓子製造販売)の鈴木さんと昼食をご一緒した。鈴木さんは昨日に紹介したハイハコトブキ前社長だ。私にとって1994年以来のベトナム研究の恩師だ。

 午後はJETROハノイの高野次長を訪問。最近のベトナム投資について意見交換した。日本からの投資金額は、昨年よりも今年は上半期の同時期で減少しているそうだ。この理由は何か? 私見では、次のように考えられる。

(1) 日系工業団地が満杯になった。
(2) 東西経済回廊が完成したと言うものの、その経済効果が発揮されるには時間がかかる。
(3) WTO加盟によって投資優遇策がなくなった。
(4) 組み立て産業を支持する「すそ野産業」が未だ不完全であり、その相乗効果が早急に期待できない。
(5) これまでの企業進出の増大に伴う賃金上昇・人材不足・離職率上昇・労働争議の発生は、その後に続く日本企業の進出を躊躇させている。
(6) いわゆる「第2次投資ブーム」とみなされる大手企業の大型投資や再投資が一巡し、それに続く中小企業の投資に移行している。
(7) シンガポール・韓国・中国などの投資も増加し、オフィスビルなど不動産価格が上昇している。

 以上は、それぞれ検証が必要である。さらに高野さんによれば、ベトナム直接投資の優位性が明確でなくなってきた。WTO加盟によって中国とタイから低い関税で製品が輸入できる。わざわざベトナムで直接投資して生産する理由がない。確かに私見でも、特に南部で見られる賃金や離職率の上昇は、中国やタイに対するベトナムの優位性を確かに減退させている。

 これらの投資減少の理由は、ベトナム直接投資の障害要因とみなされる。その克服やその見通しはベトナムの発展にとって重要課題であり、別途に検討される必要がある。

 ここでは、特に大卒の優秀な人材の存在を強調したい。少なくとも日本人大学生よりも一般に流暢な英語を話し、短期間の日本語習得の能力も高い。さらに基礎学力を大学で十分に習得している。だからこそ日本におけるベトナム人留学生の採用を希望する企業は増加している。このように考えれば、少子高齢化・人口減少に直面する日本が持続的発展するための「切り札」がベトナムとみなされる。

 日本人と親和性の高いベトナム人が、日本の強力なパートナーとなる。このような長期的な視点を持てば、上述の障害要因の克服は時間の問題だ。思い切った日本側の投資決断が全体の投資環境を改善する。

 午後の最後に貿易大学の敷地内にあるVJCC(ベトナム日本人材協力センター)の小樋山所長にお目にかかり、ベトナム人人材のお話を伺った。小樋山さんには、いつも親切に対応していただいて感謝である。そのお話と表情から発散されるベトナムとベトナム人に対する貢献の熱意に私はいつも圧倒されそうになる。

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2007年8月14日 (火)

ハノイの混沌に触れる:1998年当時の残像を見た

 ハノイの宿泊ホテル周辺を歩いてみた。ホム市場は、韓国資本などが出資して大改装される計画があったそうだが、出資の条件が折り合わずに挫折したと聞いた。この前の一方通行の道がフエ通り。このフエ通りにある「ブンチャー」の店は今もお客で一杯だ。値段は14,000ドン(約100円)。最初に訪れた1998年当時は6,000ドンくらいだった。約10年で物価は2倍になった。

Dsc09618  写真は、ビンコムタワー。一方通行のバチオ通りの終点にある。ホアンキエム湖に隣接する「チャン=ティエン=プラザ」よりも人出が多く、さすがにホーチミン市からの進出した商業施設である。店作りのセンスがよい。上階はオフィスビルであり、日系企業も多数入居している。私は、このパロマカフェで生ビールを飲むのが好きだ。こういった近代施設と古いフォーの店舗などが併存している。これがベトナムだ。より一般には発展途上国の特徴と言える。かつての韓国ソウルもそうだった。

 チオベットヴォン通りの「フォー」のお店は10,000ドン。けっして清潔とは言えないが、嬉しいほどに安くて美味しい。これに比べて、全国チェーンのマレーシア資本の「フォー24」では24,000ドン。しかしハノイでは、ホーチミン市ほどに顧客は多くないのではないか。その理由は、平均所得が低い(1人当たりGDPがホーチミン市1,600ドル、ハノイ1,300ドルと言われている)というよりも、美味しい店がハノイに多いからだと思う。それに加えて外国人観光客は、ホーチミン市ほどハノイは多くないように思う。正確な数字は未確認。

 ホム市場の前に「ワンタン麺」の店があった。この店にも何度も行って「化学調味料を入れ過ぎるな」と言いながら、薄味の美味しい熱いスープをすすった。当時の店主のおじいちゃんが健在だったが、現在、店は工事中。店を改装するのか、新しい業種になるのかは不明だ。少し日本語ができる店主の表情は、何か寂しそうに見えた。

 ホム市場の「ハイハコトブキ」のケーキ店は、同社の売り上げ一番の店である。今は、鈴木社長が退職し、当時の活気がないように思われた。しかし9月の「バンチュンツー」(中秋の名月に月餅を食べる)商戦の宣伝はすでに始まっていた。この店の前で鈴木社長は、ベトナムで初めてサンタクロースの格好をしてクリスマスのケーキを販売した。その姿が今でも目に浮かぶ。

 かつての「ラ=テレッサ」というイタリア料理店は閉店。マレーシア人がオーナーだったが、店の経営はベトナム人に任せていた。よく「赤ワイン」を飲みに行った。ここで現在、金沢の重光商事で働いているベトナム人のリンさんに初めて会った。当時の彼女はハノイ外大生で学生アルバイト。月に60ドルほどの収入と言っていた。(注:こういった昔のことは良く覚えている。老化の証明だ。)その店跡の隣りに「足マッサージ」の店が今年7月末に開店した。この店で感心したのは、1階が奥の方まで駐車場になっている。自動車時代の到来を考慮した設計である。ただし、こういう構造は地震には弱いのに---と思ったりした。一般にベトナムは地震に無警戒だ。ベトナムにも温泉があり、地震も経験している。完全に安心とは言えない。

 今回の出張は、WTO加盟の影響を企業経営の観点から調査することが目的だ。その最大の注目点は、ベトナムにおいては証券市場の開放と言えるが、そのほかに縫製企業など労働集約的産業の輸出急増、進出した外国企業のインセンティブ(投資優遇策)の解除(WTO規則では国内外企業の平等が原則なので優遇策は好ましくない)といった問題がある。ベトナムの統一企業法や共通投資法は、国内外の企業を平等に規定している。

 住み慣れたベトナムについては、こういった一般的なWTO問題を私なりに味付けした研究成果を出したいと思っている。上述の研究目的から言えば、次の訪問先のカンボジアとラオスの知見を広めることが今回の主要な調査活動になる。ラオスも土地勘があるので大丈夫と思う。最大の課題は、カンボジアをどう攻めるかである。これまでに数回訪問しているので、今年が勝負だ。 

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2007年8月13日 (月)

ハノイの1日が始まる

 ハノイでの仕事が始まった。午前中にブーバンに会った。日越経済交流センターの前ハノイ代表。ベトナム鉄道労働組合8万人の委員長を務めたベトナム共産党50年党員である。今年で80歳になる。

Dsc09624  私のベトナム語力では十分に会話ができないのだが、意思疎通はできる。彼と私は「兄弟(Anh Em)」である。私が留学中の1998~99年は本当にお世話になった。ベトナム人を理解するためには、一宿一飯の恩義や年長者に対する敬意を忘れてはならない。
 
写真は、ハワイのお土産をブーバンからもらった。ブーバンがハワイにいったわけではなく、友人のお土産らしい。その1枚を私が頂戴した。同じ柄の色違い。こうやって見ると、確かに、趣味の悪い不思議な兄弟のようだ。最近のベトナム人でも、こういった「兄弟」といった親密な関係を好まなくなっているが、私は好きだ。個人的な趣味だ。「ベトナム人からもらったハワイのお土産」として大事にしよう。

 その後、ロータス証券投資ファンド運用会社で会議。午後は、投資計画省(MPI)のJICA長期専門家の市川さんと意見交換した。市川さんとも長い交流が続いている。市川さんがホーチミン市JETRO投資アドバイザー時代からの旧知の関係だ。市川さんとの話は、いきなりの本題から始められる。それが楽しい。
 
 さらにベトナム航空本社でホーチミン市~プノンペン~ビエンチャン~ホーチミン市の航空券を買った。順番を表示する整理券を取って、しばらく待つと電光掲示板と音声で整理番号と窓口番号を教えてくれるシステムだ。日本より以上に親切だ。ただし航空券の購入には身分証明書やパスポートが必要である。私はホテルに忘れたので、待ち時間を利用してタクシーで取りに帰った。戻ってみると、すでに本社ビルの入り口は半分閉まっており、順番を待つ人は数人に減っていた。航空券を購入して時計を見ると午後7時だった。
 
 ハノイ市内にはベトナム航空のブッキング事務所が点在していたように思うのだが、それが減少。その影響で本社ビルに顧客が集中しているように思われる。私見では、ベトナム航空の経営合理化の結果である。何と言っても、将来の株式公開を予定する超優良の国営企業である。

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2007年8月12日 (日)

ハノイの「モワァー」とした感覚

 日曜日で旧知の人々に会った。まず、和津田撃夫(わつだ・うつお)さんは健在だった。約1年ぶりの再会だ。もっともハノイのベトナム日本人材センター(VJCC)やノイバイ空港で少しお目にかかったことはあるが、お話をするのは久しぶりだ。

 和津田さんは左手と足がご不自由で、杖がなければ歩行が困難。障害者手帳をお持ちである。今年で63歳になられた。日本での煩わしい生活から逃れ、ベトナムで第2の人生を始めたい。このような理由で、JETROハノイの2代目所長の朝倉さんのご紹介もあり、私がハノイ生活の最初の道案内をさせていただいた。

 これが2000年だから、もう7年間が経過した。和津田さんの仕事は当初から日本語教師。日本語を無料でベトナム人に自宅で教えておられる。大学生から社会人まで幅広い人たちを総数20名ほど自宅に集めて、週に数回の講義をされている。学生からは慕われておられるようで、さまざまな支援をしてくれるそうだ。学生にしてみたら、無料で日本語を教えてもらえるのだから、本当の恩師である。「先生のために何かしてあげよう」と思うのはベトナム人なら当然だ。こういう精神が日本人の学生には少なくなった。

Dsc09610  和津田さんは、大阪外国語大学インドネシア語学科を卒業されているから、英語を始め語学には堪能であるが、さすがにベトナム語は今でも難しいと言われている。しかし年に何度かの日本帰国以外のほとんどをハノイで単身赴任され、自活されておられるのは立派だ。ご自分の生活をハノイで確立されているようで安心した。ここでの自分の位置が確定したような印象を受けた。

 現在の住居は4階建ての家を全部借りておられて、家賃は月額200ドル。1階がリビング、2階がキッチン、3階が書斎と寝室、4階が教室として使用されている。各部屋にはエアコンもあり、なかなか快適なように思われた。ただ大きな通りから奥まっているので、自動車は入れない。これが難点だ。しかしバイクタクシー(=セオム)なら問題なく自宅前まで運んでくれる。ベトナムは何かと便利だ。

 つい先月に、やはりハノイ在住の小松みゆきさんの母上が認知症であるにもかかわらず、ハノイでお元気で過ごされていることを、小松さんの執筆された著書の書評を通して紹介した。それに加えて身体のご不自由な和津田さんもハノイで、日本より以上に生き生きと過ごされている。

 日本で忘れられた人情や思いやりがベトナムには残されている。湿度の高い暑い空気の中で、それに加えて人間の温かみも伝わってくるように感じた。この「モワァー」とした感覚がハノイの魅力だ。 

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2007年8月11日 (土)

今日からベトナムに戻ります

 昨日の東京の日帰り出張後、今日はベトナムに戻る。関西空港の「さくらラウンジ」から夕陽を眺めながらの恒例のブログである。

 8月4日に帰国し、ちょうど1週間の日本での滞在であった。全般に睡眠不足で忙しかった。教授会、同窓会、ラオスボランティア活動の打ち合わせ、ゼミ学生の「飲み会」、試験の採点、講演会、大阪での商談、東京出張と休みなしだ。緊張感が継続しているから元気なのだと思う。

 明日からのハノイの時間を有効に使おうと思う。果たして日本に帰ってくるのは、いつなのか? このブログを読み続ければ、それが次第に判明するようになっている。

 今回は、ベトナム語の勉強をするための教科書や、先週に購入した資料や書籍も持参している。それらを読みながら、現地調査を進めたい。多数の方々にご迷惑をかけながら、申しわけなく思いながらの仕事が始まる。

 研究室での文献研究は、こういった気遣いが不要だから、気楽だなと思ってしまう。これは学者としては逸脱した感覚なのかなと反省もしている。でも、それが「実学」を追求することを決意した私の宿命なのだ。まあ、なんて大げさなんだろう。沈む夕陽が言わせるセリフだ。

 

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2007年8月10日 (金)

東京一極集中を考える:大阪はどうなりまんねん?

乗り遅れるな!ベトナムビジネスがいま熱い Book 乗り遅れるな!ベトナムビジネスがいま熱い

著者:上田 義朗,ブレインワークス
販売元:カナリア書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 今日は朝から東京に日帰り出張。これまで東京は遠い存在だったが、弊社を設立後、仕事は東京から来ることが多く、毎月1回は東京出張している。

 確かに「仕事は東京」と実感できる。人と金と情報が東京に集中する。それぞれの量(ボリューム)が大きい。ある有望なニュービジネスがあっても、その投資家や顧客が東京なら見つかるが、それ以外の都市では、なかなか見つからない。新しい金融商品取引法の施行に関する解釈は金融庁に行かなければ明確にならない。国際的な弁護士の助言が欲しいが、それは東京にしか事務所がない。こういう事例が多々ある。人・金・情報の市場規模が大きい東京でビジネスチャンスが多いのは当然だ。以上、都市間の競争から見れば、東京は圧倒的な優位性をもっている。

 他方、第2の大都市である大阪の地盤沈下が指摘されて久しい。大阪に本社があった企業が次から次に東京に本社機能を移転させてきた。大阪でコンサルティング業は成立しにくいと指摘される。情報にお金を出さないからだ。このような大阪と東京の格差は、ますます拡大するのであろうか。今後の大阪に発展の見込みはないのであろうか。

 ここで大阪の発展の方策に関連させて、ベトナムを考えてみたいと思う。

 私は、上記の拙著で「ベトナム人と関西人は似ている」と強調した。大阪さらに関西とベトナムは、最善のパートナーになる潜在性をもっている。それを顕在化・表出化するために何をすればよいか? 

 その要点は、政・財・学(政治家・企業経営者・大学研究者)が緊密に連携してベトナム関係強化の方針を決定することだ。自治体の経営も企業経営も重要なポイントは共通している。それは思い切った経営資源の集中化、ターゲットを絞り込んだ差別化戦略の採用である。

 大阪がベトナムと強力なパートナーシップを全国に先駆けて結ぶ。ベトナムと心中するつもりで関係を構築する。この思い切った決断こそが、活路を拓くと私は思う。そのための基礎は大阪=関西に十分に蓄積されている。

 少子高齢化・人口減少という現状を考えれば、日本単独での経済成長が難しくなっている。そこでアジアと共に経済成長するという発想が生まれる。「東アジア共同体」の構想は、その具体例である。

 この場合、日本政府レベルで言えば、アジア諸国のみならず世界に対して全方位外交が重要であろう。他方、都市レベルで言えば、「一品一村」ではないが、「一アジア諸国一都道府県」という発想があってもよいと考えられる。たとえば大阪はベトナム、兵庫はインド、埼玉はラオス、福岡は韓国といったイメージだ。そういったアジア諸国との関係を重点的に深化させることで、 新たな観光地が生まれ、新たな産業も生まれるだろう。横並びではなく、各都道府県の特徴を打ち出すことができる。

 現状は、どの都道府県もアジア諸国との関係を重視するという観点は共通しているが、それぞれに具体的な特徴がない。特徴を明確化するために、各都道府県が独自にアジア外交すればよい。その決断をすればよい。早いモノ勝ちだ。

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2007年8月 9日 (木)

20年前にタイムスリップ:この感覚は初めてだ

 大阪証券取引所に所用があり、その後に(財)日本証券経済研究所・大阪研究所を訪問した。大阪・北浜の証券会館別館・5階に証券図書館があり、そこで担当職員の玉谷さん・中西さんにお目にかかった。

 私は、このビル6階の研究室に1983年4月~1988年3月まで勤務したが、現在の6階は「空きフロア」になっている。今は5階の図書館と7階の研究所長室が昔ながらにある。証券図書館の書架の間を歩いてみて、まるで20年前に戻ったような感覚になった。これが「タイムスリップ」なのかもしれない。新鮮な、かつ衝動的な感じがした。

 この日本証券経済研究所・大阪研究所で私は、奥村宏先生(龍谷大学から中央大学)・松井和夫先生(大阪経済大学)・入江恭平先生(中京大学)・二上喜代司先生(滋賀大学)・田辺昭二先生などと研究室を並べて仕事していた。その想い出が、一挙に噴出した。それだからこそ「タイムスリップ」感覚を体験できたのだ。

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2007年8月 8日 (水)

日本証券業協会・証券広報教育センター主催「公民科・社会科研究セミナー」の開催

 中学校・高校の公民科・社会科の先生を対象とした研究セミナーが、大阪の淀屋橋で開催され、私は「アジア経済:躍進するベトナム経済の現状と実力」というテーマで講義した。

 受講者が中学・高校の先生という状況は初めての経験であった。これまでの学会の報告と言えば、相手も私と同様の立場であるから想像力が働く。他方、ビジネスセミナーの場合も私自身が会社設立した経緯から、受講者から何を期待されているかは想像できる。しかし当然、そういった受講生の期待を理解できることと、その期待に的確に応えることとは別である。だから講演や講義は何回やっても難しい。

 おそらく今回の研修の場合、ベトナムや東南アジア関係の統計資料やデータを大量に提供することで、一定の期待を満たすことができると思われた。そういった資料があれば、中学や高校の授業ですぐに使用できるからだ。それを認識していながら、なかなか時間がなくて準備できなかった。

 そうは言うものの、おそらく中学や高校でベトナムを話題にした授業は、ほとんどないという現状であろう。したがってアジアに親近感をもってもらうという目的で、その実例として最新のベトナムを取り上げるという趣旨で話を進めた。

 約80名の中でベトナムに行かれた先生は10名ほどおられたが、ベトナムを含めた途上国の変化は激しいから、先入観は禁物という話を強調した。質問では、生徒を含めた一般の日本人の認識と現地の現状との格差が大きいことが理解できたという指摘があった。そして、その解消のために何をすればよいかという質問があった。

 現地を訪問し、積極的にアジアの人々と接触することが重要だという当たり前のような解答をした。少しの勇気や意欲でアジアを訪問し、アジアの人々と触れあえば、若い人の視野は格段に広がる。これは、大学生をベトナムやラオスに引率して痛感することである。それによって個々人の人間的な大きな成長が期待できる。

 今後、中学・高校・大学の先生が一体となって連携して、アジア諸国との連携を拡大・深化するような試みが、さらに企画されてもよいと思われる。少子高齢化と言われる時代に、若い人々に対する教育はより重要な課題であり、そのためには質的な向上と内容の充実が求められる。その方法として、今回のセミナーのような中・高・大の連携の発展が期待される。ベトナムに関する講義というだけでなく、セミナーの新しい企画という観点からも私にとって勉強になった。

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2007年8月 7日 (火)

ラオスのダイエー創業者・中内功:2001年12月

 先週、ラオスを訪問し、その様子を紹介した。帰国後に『読売ウィークリー』2007年8月19日~26日で「大塚英樹氏が初めて明かす・独占・中内功の壮絶な晩年(前編)」を読んだ。

 2005年9月19日に83歳で亡くなった中内氏に対して、私は同年9月最初にEメールを送っていた。今年9月に第5回目を実施予定の「ラオス清掃ボランティア活動」の報告がその内容であった。いつもは筆まめに返事を直ちに頂戴していたが、その時の返事はなかった。日本に帰国後に大学の事務局に事情を聞くと、中内氏は入院中ということであった。そして私のEメールは永遠に返事が来なくなった。

 中内氏とラオスとの関係は、2001年9月~12月までJICA短期専門家として私がラオスに赴任していた時から始まる。私の使命(ミッション)は、ラオス国立大学経済経営学部およびラオス日本人材協力センター・ビジネスコースの運営支援であった。その一環として、中内氏に来寮をお願いした。

 予め「ラオスに来てください」というお願いをしており、中内氏からは「検討する」という返事を頂戴していた。その後に足先を骨折されて車いすを使用されていた。それでもラオスに奥様と一緒に来てくださった。その間、ラオスの日本大使公邸で夕食会が開催された。

 冒頭の記事では、中内氏は01年に、ファウンダー(創業者)に就任してからは、ダイエーのことはほとんど語らなくなった。現に、これ以降、マスコミのインタビューには応じていない。貝になったのだ。ナゾに包まれた最晩年に、中内は何を思っていたのか。」(90ページ)と書かれている。

 この時期に、中内氏はラオスを訪問し、経済経営学部のラオス人大学生やラオスのビジネス人を対象に2回の講義をしていた。小さな「サカエ薬局」が強大な流通企業となり、ハワイのアラモアナショッピングセンターを買収するまでに成長する。この映像を交えた説明にラオス人受講生の中から「ウォー」という「どよめき」が起こった。この時の中内氏は、車いすから起立して毅然と話されていた。

 講義前の昼食では、ナンプー噴水公園にあるイタリア料理レストランのオペラから取り寄せたピザを美味しいと食され、講義後の夕食では、ラオ=プラザ=ホテルのレストランで、カレーライスをやはり美味しいと嬉しそうに食べられた。

 この講義では、ダイエー発展の歴史が語られ、自らの現状には触れられなかった。ダイエーの歴史は中内功の歴史でもある。その講義は誇りに溢れ、堂々としていた。日本では「貝になった」中内氏が、ラオスでは雄弁であった。

 その胸中は不明だが、少なくとも私には「我が人生に悔いなし」というメッセージが伝わってきた。講義であるからには、どんな受講生にも何らかのメッセージがなければならない。それぞれのメッセージは、受講生によって異なる。講師の意図するメッセージとそれは、必ずしも一致しなくてもよいと思う。

 私がラオスにこだわる理由は、このような想い出とメッセージがよみがえるからである。 

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2007年8月 6日 (月)

ベトナムの新政府メンバー決まる

 ベトナム帰国時のタンソンニャット空港で入手した Viet Nam News, August 3, 2007 によれば、8月2日に新しい政府のメンバーが国会で承認された。副首相5名と22省庁の大臣が決まった。

 これまで工業省と商業省が統合され、工業商業省(Ministry of Industry and Trade)となったことが注目される。新大臣は Vu Huy Hoang 氏である。他方、計画投資省は存続している。日本における通商産業省(現在:経済産業省)と経済企画庁(現在:内閣府)のような役割をすることが期待される。

 通産省(経産省)は、日本の産業政策を策定・施行してきた。これまでのベトナムでは国内市場は工業省、貿易は商業省といった区分があり、その両省での利害対立があった。しかし、WTO加盟によって経済的な国境が消滅してきた。つまり、国内市場分野と貿易分野が一体化してきたことを意味する。両省の統合はWTO加盟に伴う必然的な対応であるとみなされる。

 なお、副首相5名の氏名・国会信任率・略歴は次の通りである。
(1)Nguyen Sinh Hung: 党政治局員、88.84%、1946年1月18日生まれ、ゲアン省出身。
(2)Pham Gia Khiem: 党政治局員・外務大臣、96.35%、1944年8月6日生まれ、ハノイ出身。
(3)Truong Vinh Trong: 党政治局員・党中央委員会書記局員、83.98%、1942年11月11日生まれ、ベンチェ省出身。
(4)Hoang Trung Hai: 党中央委員、72.62%、1959年9月27日生まれ、タイビン省出身。
(5)Nguyen Then Nhan: 党中央委員、教育訓練大臣、79.31%、1953年6月12日生まれ、チャヴィン省出身。

 単純な私見であるが、副首相2名が外務大臣と教育訓練大臣を兼任している。この両分野についてベトナムが重点を置いていることが想像できる。なお、ただ1人の女性大臣は労働・傷病兵・社会省の Nguyen Thi Kim Ngan 氏である。

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2007年8月 5日 (日)

ロータス社提供「ベトナム経済ニュース」(11):メリルリンチ証券の資金引き上げの意味

 ベトナムとラオスから帰国し、少し落ちついた。ロータス証券投資ファンド運用管理会社のソン会長の次の言葉が印象的であった。

 「メリル=リンチ証券がベトナムから資金を引き揚げる。ベトナムよりも中国やインドが有望とみなしている。これは、メリル=リンチ証券としては妥当な判断だろう。ベトナムの証券市場が、メリル=リンチの資金量に対応するほどに大きくないということを意味している。

 しかし、そうだからと言って、ベトナム証券市場が成長しないというわけではない。個人投資家の「タンス預金」が株式市場に流入しており、その資金は実物経済の成長に貢献する。したがって、いわゆる「バブル」もしくは「マネーゲーム」とは考えられない。

 われわれロータス社のような数億円程度の小規模ファンドは、現在の調整局面では「買い」であり、それがベトナムの市場規模に適応した合理的な戦略だと思われる。株価は需給で決まる。過大な需要が価格上昇を招き、需要は減少する。メリルリンチ証券は、この理論に従っている。

 メリル=リンチ証券のような世界最大手の会社が、撤退の「うわさ」を作り出し、株価下落の時点で「買う」という姑息(こそく)な手段を取ることはないだろう。」 注: これは「風評の流布」に該当し、日本なら違法であろう。

 以上、ロータス社のソン会長の見解である。私見では、メリル=リンチ証券の発表で個人投資家は「弱気」になり、さらに株価は下落するかもしれない。ベトナム人個人投資家は「狼狽売り」または「売り急ぎ」である。他方、ロータス社のような機関投資家にとっては「買い」の好機到来である。それほど下がる必要のない銘柄まで、心理的な要因で株価下落している。今こそ、機関投資家の出番である。 

 私は、ソン会長の見解を支持する。極めて合理的ではないか? 恐るべきベトナム人である。

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2007年8月 4日 (土)

「ベトナム流サービス」との戦い

 「ベトナム流サービス」とは、ハノイに滞在していた1998年当時から戦ってきた。昨日までのホーチミン市のホテルの室内清掃の中年女性。私が荷物を取りに戻って偶然に顔を合わせたので、通常はベトナムで「枕銭」は置く必要はないが、その時は1万ドン(約70円)のチップをあげた。

 その日の夕方に部屋に帰ると、パソコン用のLANケーブルや電源コードなどが、クルクルときれいに巻かれて整理されていた。また、きちっと四角に洗濯物がたたんである。机の上の書類や雑誌も整頓されている。

 これらは、ありがた迷惑である。コードを再び伸ばさなければならない。自分で私が洗濯するのは他人の手に触れられるのが嫌だからだ。処理済みと未処理の書類や雑誌の区別がつかなくなってしまう。

 この「ベトナム流サービス」との戦いは、ハノイ在住の小松さんからも1998年当時から聞かされた。写真屋に現像と頼むと、写真店員の趣味で写真を並べ替えて渡してくれる。自分の気に入った服があるのに、別の服が似合っていると勧められる。過剰に化学調味料を入れてくれる。これらも「ベトナム流サービス」の実例だ。

 これらが顧客サービスと思っている本人に悪気はないが、少なくとも私には迷惑である。こういったサービスが容認されてきた社会がベトナムである。ベトナムでは「マニュアル」に基づいたサービスが常識なのだろうか。必ずしもそうでないようにも思える。柔軟な対応ができるベトナム人の事例を多々知っている。

 より現実的な対応は、こちらの要望を口頭で伝えればよい。「私物に触らないで」。この一言で問題は解決する。そんなに大きな問題ではない。ベトナムでは、より一般に外国では、日本での「思い込み」や「常識」は禁物である。ビジネスでも、ここまでできたのだから、もう大丈夫だろう。これも「思い込み」である。これが禁物である。

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2007年8月 3日 (金)

ホーチミン市から関空へ

 今日は、JETROホーチミン事務所、ホーチミン市日本商工会、スカイ物産有限会社、双日を訪問した。その後、ホテルで原稿を書いて深夜便で関西空港に帰る。新しくできた第2滑走路に到着すれば、嬉しい。

 明日は、勤務先の流通科学大学でFD研修会・教授会・ホームカミングデイがある。このために帰国する。休めばよいと思うのだが、そうなると年俸が減収になる可能性もある。同大学の教員評価は厳しいのだ。

 8月中旬に再度ベトナム・ラオスに戻る予定だ。またホーチミン市からプノンペンも調査する。カンボジアは昨年の訪問で様子がわかってきたので、より有効に活動できると思う。事前の訪問準備が重要なのだが、帰国後も多忙で時間が十分でない。

 走りながら考えて、考えて走って、疲れたら十分に休む。こういうスタイルの調査が続いている。ゆっくりと時間を取って調査できることを楽しみに、ともかく走ろう。ゴールは自然に見えてくるはずだ。

 ベトナムでの再会を楽しみに、多くのお世話になった人々に感謝を申し上げたい。

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2007年8月 2日 (木)

日本とベトナムの経済連携には中小企業の観点が必要だ!

 昨日、ホーチミン市人民委員会の投資貿易促進センター(ITPC)を訪問した。投資促進部長のユン(DUNG)さんにWTO加盟後のベトナム企業に対する影響を聞いた。

 ベトナムは中小企業がほとんどであり、WTO加盟によって外国企業が参入すれば、中小企業は倒産するのではないかという話であった。私見では、そのためにベトナム中小企業が日本の中小企業との連携を深めればよい。日本側がもつ技術と品質と信用をベトナム側がもつ豊富で有能な人材と結び付ければよい。こんな返答を私はユンさんにした。

 必ずしも大企業が常時勝って、中小企業が常時負けるというわけではない。大企業と同じ土俵で戦えば、中小企業は必ず負けるが、中小企業には中小企業の戦い方がある。これは、ベトナムの対アメリカ戦争での教訓であると思う。

 このように考えれば、中小企業レベルの国際連帯ができれば理想である。人材不足の日本の中小企業をベトナム企業が補完する。こういった連携関係を構築することが、WTO加盟後の貿易投資促進の要点である。ユンさんとの話を通して、このようなことに気づくことができた。現在進行中の日本とベトナムのEPA(経済協力協定)交渉でも、中小企業からの観点が十分に考慮されなければならない。

 さて、実際のビジネス現場のレベルでは、いわゆる中小企業の経営者が、ベトナム訪問することから上記の「EPA」が具体化されるとみなされる。ここでの留意点は、大阪国際ビジネス振興協会(IBO)が毎月発行している「IBOニュース」8月号からの連載を参照していただきたい。私の記事は、国際協力銀行大阪支店が協賛していただいている。http://www.ibo.or.jp/html/index9.html

 日本経済を支えてきた中小企業が、今こそ生き残りをかけてベトナムと連携する。こういった中小企業の知恵と根性と新発想は、大阪経済の特徴にもなってきたのではないか。「ベトナムと大阪は、ホンマに、よう似とる」。以上、ここホーチミン市での私の実感だ。

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2007年8月 1日 (水)

今日は何をしたか?ホーチミン市

 ドンズー日本語学校でホエ校長と伊藤先生に会う。ホエ校長とは10年来のつき合いである。ホーチミン市のホテル代を節約するためにホエ先生の勧めで、この学校に宿泊したこともある。シャワーに温水はなかったが、それがベトナム流である。何とか数日を過ごしたことがある。今日は、ここで岡山テレビが取材に来ていた。ベトナムを代表する最も古い民間の日本語学校だから、取材の対象としては十分である。

 VJCC(ベトナム日本人材協力センター)の藤井所長に会う。最近のビジネス事情を伺った。昼食の後に、以前に日越経済交流センターの大阪で働いていたオアインさんに会った。新しいセンターのホーチミン市代表のタムさんを紹介することと、最近のベトナム情勢を聞くためだ。

 その後、ホーチミン市人民委員会の投資貿易促進センター(Investment & Promotion Center)を訪問し、投資促進部長のDungさんにお目にかかり、これも情報交換した。

 以上、私の今日の情報収集活動である。さらに夕刻に大阪からお越しになった大井社長とチョロン(中国人街)の海鮮料理店で夕食をご一緒した。このブログでも紹介した「クア」(日本名はエガニ)が私にとって最高である。ハノイでも「クア」を食べたが、大きさが違う。何度も言うが、ホーチミン市の「クア」は最高。しかもシーズンが違うと思うのだが、動いている生きた卵付き「クア」がいる。1㎏で22万ドン(約1,500円)。日本なら最低でも5千円はすると思う。

 自分で言うのも厚かましいが、今日は大活躍だった。はっきり言って疲れた。お休みなさい。

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31日の出来事

 7月31日にビエンチャンからホーチミン市に移動した。このブログを書きたかったのだが、インターネットが不調で書けなかった。このココログのブログは、前月にさかのぼっての公開日時の変更はできないので7月31日が空白になった。これが残念だ。、ともかく、このブログも連続で602回目を迎えた。

 この日は、日越経済交流センターのホーチミン市代表のタムさんと日本食を一緒した。新鮮な魚と新鮮な話題の樋口オーナーで有名な「Kカフェ」で刺身を食べた。その後にブログと思ったら、サーバーが不調だった。

 トランジットしたプノンペン空港は本当に立派だ。昨年の夏に、武部・自民党幹事長(当時)と冬柴公明党幹事長(当時)とプノンペンからハノイまで同じ航空便であったことを思い出す。この8月には、プノンペンを再び訪問する。いろいろ最近の経済経営情勢を各方面から聴けるのが楽しみだ。

 プノンペン空港で買ったカンボジアの新聞によれば、「世界七大不思議」の中にアンコールワットが含まれなかったことに、カンボジア人は大いに誇りを傷つけられたようだ。日本も奈良県の法隆寺が入選しなかったという報道があったように思うが、カンボジアではその落胆が国家レベルである。

 ホーチミンのタンソンニャット空港から市内(ドンコイ通りと直角に交わるサンワビルの正面、マックティブオイ通りのバック=ダン=ホテル)までメーターでは5万ドン少し。空港内のタクシー案内を利用すれば、7万5千ドン。私は、以前の嫌な思い出があるので、空港内のタクシー案内を利用した。

 以前に私は客引きタクシーに乗って、10万ドン払わされたことがある。これが不愉快な出来事だ。私にh元気があれば、喧嘩(もちろんクチ喧嘩)して「それならタクシーを降りる!」と強引にドアを開けて外にでる「演技」をするのだが、元気がないとそういう大活劇は無理だ。(注:これは危険ですから、無謀な人以外は絶対にマネをしないでください。)

 以上、ホーチミン市での仕事が始まった。

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