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2007年6月13日 (水)

大学における教員評価

 流通科学大学では「教育活性化」として、教員評価が今年度から実施されている。各教員がA・B・Cの3段階に評価され、それぞれ給与に反映される。

 こういった評価は、普通の企業では通常に実施されている。大学だけが例外ではありえない。評価方法は完全ではないので、今後も改善していく。これが推進の論拠のひとつだ。

 頭の中では理解していても、実際に「あなたは??評価」ですという通知を受け取ると違和感がある。特に20歳代・30歳代の若手教員は、どんどん収入が増えなければ生活設計できないだろう。これに対して、子どもが独立した60歳代の教員が同じ基準で評価される。これは変だ。これまでの「年功賃金」には、このように考えれば、正当性がある。

 大学における教育者・研究者には独立性・創造性が要求され、それに応じた自負心があると思う。そういった教員に対して評価を下すことは、その勤務意欲を大幅に衰退させることにならないのだろうか。

 私事でいえば、私は自分自身の「実学」を遂行することで時間と頭が一杯だ。どんなことでも全力を尽くす。それだけのことだ。そう思っていても、なかなか思うようにいかない。時間と能力に制約があるからだ。学生を含めて多くの人々にご迷惑をかけることもある。こういう私自身を評価する? それは評価する側の自由だ。人間は、常に他人から評価されている。これも頭で理解できる。評価を気にしてもしかたがない。しかし正直に言って、その評価が給与に反映するのは愉快でない。お金はみんな欲しいのだ。これは感情の問題だ。他方、実際の切実な生活の問題でもある。

 今後、教員の評価の是非や方法は広く問題にされるだろう。その本質は、論理と感情のジレンマと思われる。頭で理解できても、感情がそれに追いつかない。人間の仕事の意欲は、その双方で決まるように思われる。少なくとも評価の目的は、仕事の改善・向上だ。評価のための評価であってはならない。

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