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2007年4月14日 (土)

『白い巨塔』と『華麗なる一族』:型にはまった様式美

 木村拓哉の『華麗なる一族』に誘発されて、かつての映画版をレンタルビデオで再び見た。「再び」というのは、若い頃に映画館で見た記憶があるからだ。

 その配役の多くは、旧作テレビ版『白い巨塔』に重なっている。田宮二郎(財前教授⇔美馬中)、佐分利信(船尾教授⇔万俵大介)、小沢榮太郎(鵜飼教授⇔永田大蔵大臣)、加藤嘉(大河内教授⇔銭高常務)、西村晃(滝村名誉教授⇔綿貫専務)、中村伸郎(東教授⇔松平日銀総裁)。

 山崎豊子原作の『白い巨塔』も『華麗なる一族』も、男性の権力欲・名誉欲・金銭欲を描いた人間ドラマという点で共通している。こういうドラマの配役となると、上記のように重複してしまう。同じ俳優が、同じ雰囲気をもって異なった役柄を演じているという印象だ。いわゆる「はまり役」だ。これらの映画は安心して見ていられるが、新鮮みがない。

 私は、それでよいと思う。これらは、一種の様式美をもった連続映画なのだ。それぞれの俳優が、活動分野や時代は異なっても、地下水脈のように連続する男の欲望を演じる。佐分利には佐分利の「型」がある。その目配りや仕草は、歌舞伎で「見栄を切る」ように型式化されている。同様に中村には中村、田宮には田宮の「型」がある。それらの演技が共鳴して、権力の構造や欲望の渦が地表に浮かび上がってくる。

 これらの男優に対して、『白い巨塔』と『華麗なる一族』に共通した女優は、北林谷榮(山田うめ⇔佐橋総理夫人)である。前者が、十津川村の農家のおばあちゃん。後者が、気取った総理夫人。この好対照を見事に演じる北林の演技力もスゴイが、それよりも一般に、前述のような男優の「型」に比べて、女優の「型」にはまらぬ柔軟性に驚かされる。

 「型」に依存して生きる男性、「型」の演技を期待される男優に対して、それに囚われることなく変幻自在に対応する女性と女優。上記の二作品から、このようなことを私は感じた。そしてそれは、かつての日本社会の特徴ではなかったか。これに対して、最近の日本はどうか。このような「型」を演じる男優がいなくなったように、男性も「型」から自由に生きている。それが現実ではないか。

 「型にはまらない人生」。以前には、こういう表現があったように思うが、最近では死語になっている。そもそも「型」それ自体が消滅しているからである。そういう現代であるからこそ、「型」にはまった往年の様式美を備えた『白い巨塔』や『華麗なる一族』は新鮮で見飽きない。

 以上は、私の世代からの一つの見解である。若い人々は、こういう映画にどのような感想をもつのだろうか。新作の唐沢版『白い巨塔』や木村版『華麗なる一族』が、つい最近に放映されたのだから、共通の話題になりうる。これらが描いた権力の腐敗や政治の汚職は今日までも解消されていない。この意味からも、こういった問題は、もっともっと積極的に議論しなければならない。それが原作者の意図であろうし、映画がリニューアルされる理由であると思う。

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