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2007年3月22日 (木)

週刊誌の奥深さが少し理解できた

 『週刊新潮』3月29日号、35ページに私のラオスについてのコメントが掲載された。東京・新橋駅前で1時間の取材であったが、私のコメント掲載は7行だった。

 大学で『週刊新潮』に掲載されたと同僚の教職員に話せば、多くの反応は「セクハラ事件ですか?」。「ちゃうちゃう。ラオスの金鉱の話や」と言えば、「金を盗んだんですか?」。「NO~~!」。こういう冗談が言える職場は楽しい。

 午後にベトナム株式投資の話をしている時に、この記事の話をすると、「ラオスの金鉱採掘の権利は買えるのですか?」という質問があった。「それは無理です。でも、カンボジアではベトナム国境付近でボーキサイトの鉱脈があり、山全体を買っている中国人がいますよ」なんて答えた。いやはや。この世の中、すべて金儲けなのだ。金儲けの「勝ち組」と「負け組」を区分する境界は何か? その答えは私見では、本人の意欲に尽きる。

 さて新橋駅では、すでに記事ができあがっていて、写真入りで2~3ページの分量の原稿を見せていただいた。それが実際の掲載では、ほんの少し。この事情は、別途に取材のフリー記者がいて、ラオスの記事を出版社に持ち込み、その記事を編集・改訂して掲載する。このような仕組みで週刊誌はできあがるからだと推察される。

 考えてみれば、贅沢な話だ。読み捨てのように扱われる週刊誌であるが、その内容と情報は厳選されている。これを機会に、心して週刊誌を読んでみたい。

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