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2007年3月23日 (金)

「成績」と「コミュニケーション能力」

 2007年3月22日『朝日新聞』によれば、2008年の主要100社の採用計画の調査が実施され、「就職氷河期から温暖化」という見出しを掲げている。どの企業も採用は「面接重ね人物を見極め」るとしている。

 採用にあたって重視している点で、100社中80社と突出しているのが「コミュニケーション能力」。次点が「行動力」(54社)、そして「熱意」(36社)・「人柄」(33社)と続く。「成績」は何と0社である。

 就職情報サイト『リクナビ』前川編集長は、「コミュニケーション能力が重視されるのは、同じ価値観を持つ人と話すことの多い学生が、異質な価値観を持つ大人の中に入っても十分な意思疎通力があるかを確かめるためと言える」と指摘している。

 それでは大学教員として、どのようにして学生を教育すればよいか? 私は最初に、特に1回生の時に偏差値の呪縛から脱して、学生自身の精神を解放してやることが重要だと思う。大学という自由な環境では、個性を十分に発揮できる。こういう意識を最初にもたせてやる。この解放がなければ、伸びる個性も伸びないように思う。変に「成績」を追求するだけの学生になってしまう。

 高校時代のように勉強の結果としての「成績」ではなく、大学卒業後の就職では各自の「能力」それ自体が問われる。このように考えれば、自己の能力を高めるためには、結果を意識していてはいけない。たとえば、座禅を組む。その結果、精神的に成長したとしても、それだからと言って、目に見える結果は何も残らない。それでも「能力」は高まったのだ。

 最近の学生が「資格取得」に熱心なのは、「成績」重視の価値観からの解放ができていないからだろう。座禅をすることで自己の精神力を高めることが目的なのに、座禅をしたという証明書の取得を目的にするような話だ。

 コミュニケーション能力は、さまざまな人間関係を経験することで養成される。そのためには、個人的には、学生に迎合しないことが重要ではないかと思う。学生の立場になりながら、学生に対して厳しく接することも必要だろう。学生に迎合したコミュニケーションは、あまり「能力」向上に貢献しないのではないか。あまりにも安易だからだ。どのような能力も、それぞれに応じた「障壁」があり、それを超えることで鍛えられると思う。

 自分の家庭で「頑固親父」になれないから、せめて大学でそうなってみるのも悪くない。大学生は、いい迷惑だ。しかし、それを迷惑と思わせないためには、なぜそうするのかを学生に説明して納得させなければならない。今は、こういう説明責任や透明性が重視される時代だ。しばらくは「ちょいワル教授」で行こうと思っていたが、これからは「ちょいワル頑固教授」になってみようか。これもオモロイやないか。

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