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2007年2月21日 (水)

ベトナム株式市場の国家統制:日本からの教訓

 3月27日にハノイのVJCC(ベトナム日本人材協力センター)で開催予定のベトナム人向け株式投資セミナーの講義を私は準備している。そこで手始めに、小林和子『産業の昭和社会史⑩証券』日本経済評論社(1987年)を読んでいる。小林先生は、(財)日本証券経済研究所に現在も勤務されている私の大先輩。証券史の第一人者である。以下では同書の中で、太平洋戦争前の時期における株式市場に対する国家統制について紹介する。

 「株式市場は戦争については状況によりいろいろの反応をしたが、経済統制については一貫して強い抵抗を示した。結果として、この時期の株価は暴落と低迷を交互に繰返し、株価の維持が何度も問題になった。
 満州事変の勃発時にもそうであったが、廬溝橋事件の直後の北支派兵決定にも、株式市場は「暴落」で応えた。続いて、増税案、株式金融の抑制、臨時資金調整法につながる統制の報道、および戦局の拡大にも大暴落を示した。国家総動員法案と電力国家管理法案については市場はむろん警戒して反落し、公定価格制には暴落した。
 国家総動員法第十一条を発動して配当制限を行う案が出された時にも大いにこれを嫌ったが、十四年八月に配当統制令は発動された。
 いくら統制を嫌っても、これを避けることはできない。この繰り返しが、株式市場に次第に無力感を忍び寄らせた。---(省略)---
 十五年七月に大蔵省・商工省と相談の上、九月に東株関係者の手で日本証券投資が設立された。それでも株価維持はうまくいかず、十六年三月には金融界をバックとした日本興業銀行の提案を容れて、株式梃入れ機関として日本協同証券が設立された。七月には興銀に同証券に対する融資命令が発動され、同証券は無制限融資方針を明らかにした。さらに八月には、政府が株価の最低を決定しうる株式価格統制令が公布施行され、ようやく株価は下げどまった。
 経済統制を嫌い抜いた株式市場が、文字通り株価を統制するための法律により、崩壊から救われたのは皮肉である。救われはしたが---、株価はもはや株式市場の正直な判断を示す指標ではなくなった。株式市場は自由市場から統制市場の時代に入ったのである」(pp.33~35)。

 以上の引用文について、どのような感想をもたれただろうか。市場原理と国家統制は矛盾する。しかし市場原理に従った株価暴落を止めるためには、国家統制に依存せざるをえない。まさに皮肉だ。また、あたかも日本の敗戦を予感するかのように、株式市場は戦局の拡大とともに株価下落を繰り返したとみなされる。株式市場は、まさに経済社会の先行指標である。

 ここで注意すべき教訓は、おそらく日本の株式市場の歴史において最大の暴落であった1990年から始まる「バブル経済」の崩壊の時期にあっても、上記のような「株式価格統制令」は発動されなかったということである。つまり、株価そのものを国家統制するというような事態は、通常の市場経済ではありえない。それは、戦時下の統制経済においてのみ実施されたのである。

 私は、国家が市場を統制・管理することがあっても不思議ではないと思う。今日の日本経済でも、すべてを市場原理に任せれば、「勝ち組」と「負け組」が発生する。その格差を何とかしなければならないということは、野党のみならず、与党も認めていることである。ただし、この市場の統制・管理は、その市場のルールに限定されるべきである。市場価格それ自体に国家が直接干渉するとなると、それは戦時経済と同じになる。

 完全に自由な市場経済の推進ということは、それもひとつのイデオロギーであって、それが科学的な唯一の真理ではありえない。国家もしくは政治の存在意味は、国民の幸福を増進することに尽きる。それだからこそ国民は税金を払っている。このような趣旨で、市場原理のルールが国家・政府によって設定されることは当然である。

 以上の検討からベトナムに対する教訓を言えば、ベトナム株式市場のルールを国家・政府がどのように決定するのかが重要である。けっして株式市場における株価それ自体に国家・政府は介入すべきでない。そのような戦時統制経済に匹敵するような事態を回避するためにこそ、市場のルールが予め設定されるべきなのである。

 次回は、日本の株式市場からの教訓として戦後の「証券民主化」について検討してみようと思う。

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