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2007年2月15日 (木)

ODA記者会見で現金配布:お車代の慣行

 『朝日新聞』(2007年2月15日)によれば、「日本政府の途上国援助(ODA)が供与されるインドネシアの首都ジャカルタの大量高速輸送システム(MRT)事業を説明する記者会見で、現金が入った封筒が配られていたことが14日にわかった。会見を主催した国際協力銀行(JBIC)は「現地の慣行に従った」と説明している」。

 この金額は20万ルピア(約2700円)で配付資料の中に封筒に入れて渡されたそうである。「インドネシアでは企業などの会見で「交通費」として少額の現金が配られることがあるが、地元紙記者によると、最近は授与を慎む傾向で現金を返した社もある」と言われている。

 以上の記事に関する私の論点は2つである。第1に、この「交通費」の慣行はベトナムにもある。最近の現状はどうか。第2は、この記事を送信した記者の意図は何だったのか。

 私が滞在中の1998年にハノイで「東アジア経営学会」が、ハノイ国家大学の主催で開催された。私は、ハノイの国民経済大学に留学中だったから、この学会開催をお手伝いした。開催予算を検討して、日本人参加者の参加料などで収入は十分と思われたが、ベトナム人担当者は不足と言う。なぜならベトナム人参加者に渡す「お車代」が必要というのだ。

 学会の会場受付では、現金入りの封筒が渡され、それに対して名簿に受領のサインをする。この金銭受領の面でキッチリしていたことにも驚いた。このようなことは日本では考えられないので、大きな文化の相違を痛感した。しかし、このことが「悪い」とは一概に言えない。薄給で多忙な研究者に多数集まって欲しいと希望するのは主催者側だ。「お車代」を渡して、ぜひとも来ていただくのが集客の原則だ。

 同じことは、ベトナム企業にもあった。ある企業の新製品の発売会見では。それを取材する新聞記者に対して、会社関連グッズと一緒に「お車代」が配布されたと聞いている。この記者は、この「お車代」だけを返却した。十分な給与と取材経費がある外国人記者が金銭を受け取る必然性がないという理由だ。これは、この記者個人の見識の高さを示している。しかし、そのことがニュースになることはなかった。これは犯罪ではなく、通常に行われている「慣行」だからである。

 もしニュースにするなら、こういった「慣行」を全廃するまで戦うという本気の決意と姿勢が求められるのだと思う。場合によっては、ベトナム人全体や同僚記者を「敵」に回すかもしれない。また、これまでのベトナムの友人関係を失うかもしれない。外国人が、その国の「慣行」を批判するためには、これほどの覚悟が必要であると私は思う。慣行とは、その社会で醸成された秩序=常識であるから、善悪は別にして、それを批判するには、相当のエネルギーが求められる。

 冒頭のインドネシアの記者は、「不正」と思われる「慣行」をニュースにしたのだろうが、果たして、上記で述べたような覚悟があったのかどうか。この「お車代」の出所がODA資金の税金であるとすれば、それは税金の無駄遣いとみなされる。現在、税金の使途に国民は敏感になっているから、この「お車代」も注目される。このように記者が考えたとすれば、それは皮相的だ。ニュースの本当の相手は、インドネシアの慣行なのだ。もし記者の良心を発揮するなら、個人的に「お車代」を返却すればよかった。また、そういう記者仲間を増やせばよい。慣行に従わなければ、せっかくの会見が記事にしてもらえないかもしれない。それは、かえって税金の非効率的・硬直的な使用だ。

 最近のベトナムでは、こういう「お車代」の提供は少数になった。それだけ個人の所得水準が向上した。それを「払わない」というセミナーや記者会見が多くなり、受け取る方も「もらわない」が当たり前になってきた背景がある。「お車代」を要求することが恥ずかしい。このように社会の風潮が変化する。慣行は変幻自在だ。慣行とは、そういうものだ。

 おそらくインドネシアも同じだろう。日本のJICAやODA関連のセミナーや記者会見において今後「お車代」を払わないとすれば、それは次第に拡大していくだろう。その結果、慣行を変化させることになる。この意味で、冒頭の記者のニュースは効果があるのかもしれない。しかし摩擦が生じることも確実だろう。

 ただし、このような長期的な視野がこの記事にあるようには感じられなかった。一時的・短期的な正義感。それは悪くないが、外国の慣行について、それだけに基づいて単純に批判するのは軽率ではないか。そういった慣行ができあがった長い歴史があるのだ。彼に、それだけの配慮があったのかどうか。私は、それを問いたい。

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