« 愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ | トップページ | ベトナムWTO加盟は「明治維新」か「GHQ改革」か »

2006年12月 8日 (金)

ここまで許されるのか?投資ファンド:投資家保護の観点から

 先日来、ベトナム投資ファンドの検討をしてきた。その後に信頼できる関係者からご意見を賜り、「ベトナム株ノーロードファンド」に違法性はないとのことである。このファンドに法的な不安はないので、もし誤解を与えたとすれば、ここでお詫びを申し上げたい。

 しかし、それはそれとして、ここまで規制緩和は進んできたのかという印象は免れない。たとえば私のような個人でも、少し工夫をすれば、不特定多数の投資家を相手にした投資ファンドを募集できるという結論になるからだ。

 結局、投資家による自己責任の原則が、政府による投資家保護の施策よりも優先されるということなのだろう。これは必ずしも悪いことではないが、それならば、それを周知徹底することが重要だと思う。

 ところで毎年のように「金融詐欺」事件が後を絶たない。お金に対する欲望は多くの人々の中で普遍だ。そうではない人々も存在するが、それは不自然だと思う。

 よく指摘されるのは、中小企業における熟練工に対する評価だ。こういった人々の職人気質は、自らの技術と経験に対する誇りが基礎になっている。しかし、彼らが金銭的に報われているかどうかというとそうではない。「仕事は金ばかりじゃない」。この自負心があるからこそ「職人」と呼ばれるのだ。

 しかしそれでは、後継者が育たない。長い年月をかけて苦労して技術を習得して、その報酬が「職人」と呼ばれる賞賛だけでは、広く一般に魅力ある仕事とは思われない。その結果、後継者不足ということになる。これは結果として、日本の「ものづくり」の伝統が途絶えることを意味する。

 仕事の成果に応じた報酬は不可欠だ。さらに不労所得に対する日本人の偏見も解消されるべきだと思う。自己責任と政府保護の領域を確定しなければならない。自己責任を言うなら、それを普及・養成するためには、教育改革の議論にまで踏み込まなければならない。

 このように、日本におけるお金に関わる問題は、単なる金融制度の規制緩和というような領域に限らず、より大きな社会問題として総合的に議論される時期だと思う。ホリエモンや村上ファンドの事件が、その発端とみなされてよい。

|

« 愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ | トップページ | ベトナムWTO加盟は「明治維新」か「GHQ改革」か »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/7888/4466225

この記事へのトラックバック一覧です: ここまで許されるのか?投資ファンド:投資家保護の観点から:

« 愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ | トップページ | ベトナムWTO加盟は「明治維新」か「GHQ改革」か »