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2006年12月 7日 (木)

愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ

 このタイトルは、初代ドイツ帝国首相の「鉄血宰相」と言われたビスマルクの名言だそうである。「21世紀の業界展望」の講義の中で某講師の先生から紹介された。

 「体験」と「歴史」は異なる。体験は、個人的な「歴史」であるが、それが普遍的な内容をもっているとは限らない。体験は歴史から逸脱したり、特種な事例であったりする。人類の歴史に法則性はあるが、個人の体験は偶然の連続と言えるかもしれない。その集積が歴史を作る。このようなことを自覚しなければならない。

 私は、この短い文章に触れて、ベトナム戦争のことを想起した。南ベトナムに駐在経験のある人は、当時の北ベトナムに反感をもち、さらに現在の政府にもその反感を持ち続けることがあるかもしれない。親しい南ベトナムの人が弾圧されたという事実があることは想像できる。自らの「体験」に基づく感情だ。

 しかし「歴史」からみれば、民族の統一や独立といった普遍的な価値観の実現を目標とした闘争がベトナム戦争であった。自らの「体験」は、その「歴史」の中の一場面だったのだ。その自らの体験から、すべてを評価することは誤りだ。より大きな歴史的な客観的な評価を考慮しなければならない。

 タイトルにある「賢者」と「愚者」は、どのような文脈で使用されたのかは不明だが、一般化するには過激な表現だ。しかし、「体験」と「歴史」を区別することは重要である。現代のベトナム人が、必ずしも反米でないこと。戦後の日本人が反米から親米に転換したこと。これらは、この「体験」と「歴史」を多くの国民が区別して認識した結果なのかもしれない。

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