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2006年11月21日 (火)

古森義久氏がハノイ訪問(中):どのように歴史を考えるか?

 昨日の古森氏の記事について、いくつかコメントしてみよう。

 (1)古森氏が、98年当時と現代のハノイについて、次のように述べている。「街の質素さも相変わらずで、色彩が少なかった。その前後に訪れたホーチミン市とではちょうどカラー映画と白黒映画の違いだと思った。8年後のいまハノイはカラー映画の街となっていた。白黒写真がカラー写真に代わった」。

 以上のハノイの描写は的確である。98年当時、ハノイ国民経済大学の客員研究員として滞在していた。それ以前の最初のハノイ訪問は1994年だが、その当時に比べて、宿泊ホテルやレストランなどは急増し、当時の自転車がバイクや乗用車やバスに取って代わった。これが経済成長というのかと目で見て実感できる。

  (2)その的確な表現力の古森氏が、資本主義や社会主義・共産主義という話になると、急に的確性が喪失する。古森氏は、次のようにベトナムの経済を特徴づける。

 「中国と同様の「社会主義市場経済」という、わかったようでわからない標語の下での新経済政策である。だが自由経済も外国投資も経済学的には資本主義の権化だろう。共産主義のテーゼが反動思想として厳しく排除した対象である。サイゴンを占拠した当時の革命政権としての北ベトナムは外国と結びつく資本主義を闘争の標的そのものとさえしてきた」。

 以上の指摘は、古森氏の見解と事実とを区別しなければならない。まず事実の問題から検討しよう。

 上記の引用後半の「サイゴンを占拠した当時の革命政権」の話は事実であろう。この当時、ソ連社会主義が健在であり、東西対立が厳しい時代だ。南北統一の興奮状態も続いている。古森氏の指摘する出来事がその後の「ベトナム難民」を生み出す原因ともなった。また追記すれば、以前に本ブログでも紹介したように、旧南ベトナム政府関係者の子弟は大学進学まで差別された。

 しかし現在のベトナムはどうか? 大きな国際環境の変化として、ソ連社会主義体制は崩壊し、東西対立は終焉した。ベトナム政府は難民の帰国を奨励しているし、南北のみならず地域経済の格差是正を強調している。ベトナム人自身の批判によって上記のような進学差別も解消された。これらも事実である。古森氏が指摘する事実は、確かに歴史として継承・認識されるべきである。しかし果たして現代のベトナムの本質を表現する事実なのだろうか?

 歴史的な観点から見て、われわれ日本にも誤りがあった。それは、今から思えばの「誤り」であって、当時は、そうせざるをえない状況や、やむをえない事情があったと推察される。当時の状況では他に選択肢がなかった。歴史には、こういった出来事が多々あるのだと私は思う。日本がそうであるとすれば、ベトナムもそうである。

 その当時には当然の事柄が、その後世に反省され、是正され、改善される。これは、歴史の歩みの中では自然である。私は、現在のベトナム政府は、そのような政権であると思う。(続く)

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