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2006年11月30日 (木)

焼き肉パーティー

 今日は、ベトナム人留学生3名と一緒に焼肉パーティをした。やや飲み過ぎなので、これでブログは終わり。

 なお、今朝の『朝日新聞』によれば、近隣の神戸学院大学経営学部の教授が強制わいせつ罪の容疑で逮捕されたという報道があった。大学での「セクハラ」や「アカハラ」というのはよく聞くが、強制わいせつ罪で逮捕というのは異常な印象を受ける。

 普通は「自戒しなければならない」と考えるのだが、それ以前の問題だ。元早稲田大学教授・元名古屋商科大学教授であった植草一秀氏に並んで、よくもまあ信じられない大学教授が現れるものだ。

 もちろん先の神戸学院大学の教授も植草氏も容疑者であって、罪状は確定していない。私が問題提起しているのは、こういった大学教授の問題が表面化する社会現象のことだ。(この部分は下記のコメントに対応して追記した。)

 この理由を簡単に考えれば、「大学生の大衆化」と同時で、「大学教授の大衆化」が進行したということなのかもしれない。かつての世間知らずの権威主義の教授よりは、現代の教授の姿は望ましいとも言える。多様な教授の併存が容認されているのだ。それが多様な学生の対応に必要であるからだ。しかし犯罪は論外だ。

 またまた、話は短くと思いながら、長くなってしまった。こういう教授は学生から嫌われるのだ。この点は自戒である。

なお参考までに、神戸学院大学は、次のような学長声明を大学HPで公開している。http://www.kobegakuin.ac.jp/topics/headline_detail.cgi?kanriid=200611035

 

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2006年11月29日 (水)

ASEANとWTO加盟に向けたカンボジアとラオス(1)

 今年の夏のベトナム・ラオス・カンボジアの訪問は、日本学術振興会「科学研究費補助金(基盤研究B)」の資金によって実現した。いわゆる「科研費」と呼ばれるもので、国民の税金を使用して実施するに値する研究を対象に交付される。

 私の研究の価値は、自分自身で評価し難いが、少なくとも何をしてきたのかは一般に「公開」または「公表」してきたつもりだ。企業経営と同様に「透明性」が重要なことは、学術研究にも当てはまる。「公金」を使用するから当然である。

 このような外国調査の場合、現地でしか入手できない資料や図書を手当たり次第に購入することが常だ。1ヶ月もの出張となると、それらが「小山」のようになる。携行品として空輸が不可能だから、別送品として日本に送ることも多い。

 本年も12月を迎えて、これらの資料を整理しておきたいと思う。そこで最初に次の文献を紹介する。Dararith KIM-YEAT, Accession of Cambodia and Lao PDR into ASEAN and WTO, Economic Institute of Cambodia, June 2006.

 WTO(世界貿易機関)には、本年2006年11月7日にベトナムが加盟を承認され、今回のベトナム国会で批准される予定である。これに先立ってカンボジアは2004年10月13日に加盟した。ラオスは未だオブザーバーの地位である。上記の資料は、WTOのような経済統合が、福祉・人権・健康権に及ぼす効果を検討している。

 私見では、米国はベトナムのWTO加盟によって、経済的には市場開放を迫ると同時に、政治的には民主化を要求してくると予想される。このような問題を検討するために、上記の資料を読んでみようと思う。著者のキムイェート氏は、フランスとカナダで高等教育を受けた法律家であり、行政や統治の分野における独立系コンサルタントである。同時に、カンボジア開発資源研究所の副所長である。なお、この著書の出版には、米国のロックフェラー財団が資金援助している。この内容について連載を開始する。

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2006年11月28日 (火)

ベトナム株式投資の売り抜けるタイミング:大前研一氏からの重要な教訓

 経済評論家・経営コンサルタントとして著名な大前研一氏が、「ここがズレてる!日本人の金銭感覚」という論考を発表している(『プレジデント』2006年9月4日)。この中で大前氏はベトナム投資について特に言及していない。しかしベトナム株式投資について学ぶことは多い。以下、その論点を紹介し、ベトナム株式投資の含意を指摘しておこう。

 (1) 「日本人というのは、つくづく貯蓄以外にお金とのつき合い方を知らない民族だと思う」。現在も日本は依然として低金利が続いているが、その対抗策を日本人は考えず、自らのお金を貯金や預金に放置している。今後は、世界を相手にした「金銭感覚」を養うべきだ。

 (2) 世界そして日本で儲けているのは「外国人投資家」だ。株式投資のタイミングは「ヘッジファンドのような海外ファンドが入ってくる時に一緒に始めて、彼らが出ていく時に手仕舞いするのが一番賢い」。しかし「日本人は何時もテンポがずれていて、挙げ句、「高値で買って底値で売る」羽目になる。これはもう国民的特技と言ってもよい」。

 (3) 「経済や投資をメディアも経済評論家も未だにファンダメンタルズで解説しようとするが、それは19世紀の考え方で時代遅れも甚だしい。今の世界のお金の流れはファンダメンタルズとは関係ない。では何が影響力をもっているかと言えば、世界を動かしているのは一握りのトレーダーやファンドマネージャーの「集団心理」だ」。

 (4) ある一つのテーマが決まれば、そのストーリーに従って資金が、たとえば為替相場に一斉に集まり、さらに次は「世界中の新興国を席巻してバブルを演出する」。投資商品に国境はない。誰かが「これからはコモディティだ」と言えば、世界中の余資は工業品や商品に向かう。

 (5) 「彼らの発想は極めてグローバルで、お金が国境を跨いだ時に一番美味しくなることを良く知っている」。資金が流入し始めれば、「その瞬間から、鞘を抜けば大儲けができる」。

 (6) 「3割・4割増の資産運用は当たり前。住宅すら投資対象の運用商品にしてしまうアメリカ人のアグレッシブな金銭感覚を日本人はもっと学ぶべきだ。マネー雑誌を読みながら、0.1%と0.3%のどちらがいいかなんて目くそ鼻くそを比較しているようではどうしょうもない」。

 (7) 「家を抵当に入れたらどれだけ借りられるか、生命保険でどれだけ借りられるか、中古車でも何でもお金に換えられるものはすべて換算して、そこから借金を差し引いたものを「貯蓄」と考える」。

 以上、大前氏の文章のいくつかを抜粋・要約した。株価動向は、欧米の投資ファンドの動きに留意する。また、これからの資産運用は世界的な視野で考える。要するに、この2点が重要だ。私も同感だ。私は以前から疑問に思っていたが、たまたま日本に生まれた日本人というだけで、どうして、大地震の確率が高い日本に長期住宅ローンで家を建てなければならないのか? 宇宙人が地球を見たら、果たして日本に住みたいと思うのだろうか? 住宅ローンを払い続けている立場からの私の率直な気持ちだ。世界に目を開く。世界に目を向ける。ますます、これからの日本人に必要である。

 これらの指摘を考慮すれば、ベトナム株式投資の留意点は次のようになる。まず、新興国ベトナムに向けた世界の投資ファンドが、これから動き出す。これまでの金銭感覚から脱却して、このようなベトナム投資の動向を傍観しない。これが以下の留意点の前提である。

 (1) ベトナム株式投資では、欧米の証券会社・投資ファンドなどの発言や動向に注目する。彼らが「ベトナム投資ブーム」を言えば、その時以降に彼らは売り抜ける可能性が高い。それが彼らの常套の手口とみなされる。

 (2) ベトナム株式投資の現状は、私見では、有望株式を仕込んでいる段階だ。まだまだ投資は間に合う。大量の資金をファンドで集めながら、それを依然として現金で保有する投資管理会社が多くある。おそらく適当な投資対象が見つからないからである。さらに現段階でのバブルを警戒しているからである。今後、公開株式や上場株式が増加してくると、それに応じて、それぞれの企業価値を評価しながら着実に株式を仕込む。

 (3) 今のベトナム株式市場で、大量の株式を一気に購入してしまえば、バブル発生である。それは時期尚早だ。さらに高値での売り抜けができない。そこで今は、しっかり株式を仕込んでおく。そしてその後にバブルを扇動する。大前氏が説明する欧米ファンドマネージャーなどの手口はこれだ。このバブル時に売り抜けて、生成期のベトナム株式市場における利益の収穫は終了する。

 (4) この「バブル」の扇動が始まるタイミングを見逃さないことが、今後のベトナム株式投資で利益を上げるための最大の要点だ。大前氏の指摘に従えば、このタイミングは、日本人がベトナム投資を本格的に始める時だ。日本人はテンポがずれていて、「高値で買って安値で売る」。この高値で売り抜けることが、すでにベトナムに投資している投資家にとって今後の最大の課題だ。このような観点からは、日本の大手証券会社のベトナム投資の動きが、このタイミングを計る尺度となる。

 以上、ベトナム株式投資の展望である。早くしないと間に合わない。早ければ早いほどよい。高値で売り抜けるための仕込みの絶好の時期は、ベトナム株式市場の発展の歴史の中で、まさに今である。

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2006年11月27日 (月)

トランコム(株):増収増益を牽引する物流情報サービス事業

 流通科学大学の特色となっている「実学」講義の一環である「21世紀の業界展望(B)」が、11月25日(土)に開講された。講師は、トランコム(株)・総務経理グループ・マネージャーの三田村直毅氏である。

 さすがに土曜日の講義となると、写真のように受講生は通常よりも少数である。しかし三田村さんの親しみやすい人柄からか、通常よりも活発な質問が出された。

Dscf0101  トランコム(株)は、名古屋市を本社とする物流サービス企業である。売上高は連結で約500億円。営業種目は、①ロジスティックマネジメント、②物流情報サービス、③貨物輸送。約800台のトラックを所有し、従業員はパートを含めて3800人に達する。東証・名証第2部上場企業である。http://www.trancom.co.jp/

 荷主側からコスト削減を常に迫られ、さらに規制緩和で価格が自由化され競争が激化する物流業界にあって、トランコム(株)は、この5年間に増収増益を続ける好業績企業である。中期ビジョンとして連結売り上げ1000億円を構想し、当面、2008年3月期に売り上げ640億円・営業利益33億円を目標としている。

 この売り上げと収益の柱が、物流情報サービスである。これは同社の独壇場であり、このサービスを大手物流企業も利用している。それは次のような仕組みである。

 往路で積載したトラックが帰路で空車なら当然、輸送効率が悪い。輸送会社はトラックを空車で走らせたくない。他方、荷主やメーカーは、少しでも低コストで輸送したい。この両者のニーズをマッチングもしくはコーディネートするのが物流情報サービスである。

 トランコム社は、多数の輸送会社とネットワークをもち、空車トラックからの要請を受けて、それらに荷物を振り分ける。このようにすれば、自社所有のトラック数より以上のトラックを運行させることができる。このサービスの収益は仲介手数料ではなく、同社自身の運送料である。運送について同社自身が責任をもつためである。

 「このビジネスモデルは模倣されやすいのではないか」という質問に対して、その心配はないとのことである。「先発行動者の利得」が依然として有効である。すでに多数の運送業者と荷主との全国的な関係を20年間に渡って同社は保持しており、業界での知名度もある。なかなか新規参入は困難のようである。

 この情報サービスは主に電話を介して行われている。もちろんインターネットの活用も可能だが、それでは同社の担当者と顧客との人間的な関係が深化しない。他方、電話による「声」でのコミュニケーションは相互の信頼関係を深める。

 これは納得できる。学生に対する連絡に私はインターネットを頻繁に利用するが、それは単なる情報伝達にすぎない。人間関係を親密に深めるためには、対面の対話が最善であろうし、少なくとも電話での会話が望ましい。これは私にとって反省材料だ。

 以上、規制緩和後の競争的な運輸業界において、好業績を達成する企業は、やはり普通でない。

 私見では、新しいコンセプトのサービスに経営資源を集中していることが成功の秘訣である。無事故で、正確に、迅速に、安価に運送する。これは運送業では当然のことであり、このような競争の舞台では他社と差別化することは難しい。トランコム社は、他社に先駆けてこれを認識し、新しい物流情報サービスに着目した。この先見性や決断力が成功をもたらした。おそらく経営者の強いリーダーシップがあったのだと想像される。

 トランコム社が成功した物流情報サービスは「特許」をもっていないそうである。したがって外国に導入は可能である。また往路と帰路の移動をムダにしないという観点からは、この物流情報サービスはトラックのみならず、船舶・航空機・タクシー(特に長距離)にも応用できそうである。

 さらに郵便物や宅配便に活用できるかもしれない。郵便物や荷物の配達を終えて、空車で郵便局や配送センターに帰るのではなく、各配達先から荷物を集めることを考える。昔からの飲食店の出前や、最近のピザのデリバリー、そして生協の宅配サービスも同様に帰路が空車ではもったいない。帰路を空車にしない何か新しいサービスはできないか?

 注:もっとも、このようなサービスを追加すれば、ドライバーの過重な負担を強いることになる。これらの問題にも考慮が必要である。

 三田村さんの講義を通して、このような問題が想起された。それほどに刺激的な内容であった。また、三田村さんは学生と年齢があまり離れておられず、先輩・兄貴というような立場から学生に対して学生生活や就職について助言していただいた。これも学生に好評であった。ここで改めて、ご講義に感謝を申し上げたい。 

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2006年11月26日 (日)

ベトナムビジネス研修の講義から:社内に眠る知識を活用する

 VJCC(ベトナム日本人材交流センター)ビジネスコース日本研修の最終日(24日)において、私は次のような話をした。

 (注:この研修は、JICA(国際協力機構)が主催し、大阪府の外郭団体であるIBO(大阪国際ビジネス振興協会)が実施した。)

 それは、いわゆる「知識管理:ナレッジ=マネジメント」の視点を企業経営に導入するということだ。この概念は、一橋大学大学院の野中郁次郎教授と竹内弘高教授が著書(『知識創造企業』東洋経済新報社、1996年)で発表している。

 ベトナム人研修生10名全員が熱心にメモしていたから、この話の反応は良いと実感した。ベトナム人は勉強好きであり、多くの本や新聞を読む。今回の受講生もそうである。しかし知識は、明示的な「形式知」だけでなく、文字で表現されにくい「暗黙知」からも習得できる。そして前者よりも後者により価値がある場合が多い。5S実施から「改善」運動に進む場合、そのヒントは従業員の「暗黙知」の中に眠っている。企業内の「暗黙知」を引き出し、それを「形式知」として把握することが経営者・管理職の役目だ。

 研修では、以上のような話をした。その前提として、次の例から始めた。「自転車の乗り方を皆さんは知っていますが、これを文章で説明できますか? 難しいでしょう。この自転車の乗り方を「暗黙知」と呼び、文書で説明できれば、それは「形式知」になります」。

 私見では、このことを敷衍すれば、ビジネスにおける経営者の「勘」とか「直感」と呼ばれてきたことも「暗黙知」に含まれる。もし、これを「形式知」に転換できれば、それは新しい発見になるかもしれない。成功した経営者の「勘」や「直感」の内容を一般化して説明できれば、それは、一般企業の経営意思決定の場面で大いに参考になるであろう。

 このような問題意識が、今回の研修を通して芽生えた。このような問題を頭の片隅に常設しておきたいと思う。このようにして仕込んだ「ネタ」のヒントが、何かの瞬間に「パッとひらめく」ことを期待したい。また、この観点から、これまでの会社設立までの私の「勘」や「直感」の経験を整理しておきたいと思う。これについては、また後日に紹介する。

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2006年11月25日 (土)

ベトナムビジネスの「見栄」の意味は?

 昨日の研修で、受講生と私の間で次のようなやり取りがあった。弊社が出資・融資して設立予定の「ロータス投資管理会社」の事務所開設の場所が、ハノイの「ホリソンホテル」のビジネスセンターということについてである。注:この会社の詳細は、近日中に公開します。

 私は、まだ利益が上がらないのに、最初から「5☆ホテル」のオフィスは不要だと指摘した。もちろん収益に応じて事務所がグレードアップすることに反対ではない。しかし当初は「小さく始める」のが、少なくとも私のビジネスの「成功の基本原則」だ。これは、昨年の日本経済新聞のインタビューでも答えたことだ。ビジネスの成功に見栄や自己満足は無関係である。

 このような「見栄」があるので、ベトナムのビジネスは総じてコスト高になるのだ。経営者・管理者がコスト削減を従業員に自ら率先して示さなければ、全社的なコスト意識は高まらない。まず経営者の高級乗用車や接待費の節約からコスト削減を始めなさい。私の発言の趣旨は、こんなことであった。その具体的な実例として、以上の「ホリソンホテル」の話題を提供した。

 これに対して受講生から、立派なオフィスで働くと言うことで従業員の勤労意欲が向上するという指摘があった。こういうベトナム人の気持ちを理解してほしいという意見だった。なるほど。私は、この投資管理会社の顧客は一般の個人投資家ではなく、主に機関投資家や法人なので、もっと安いオフィスで十分と考えていた。しかし従業員の満足度や忠誠心を考えていなかった。

 新会社は、これから人材募集の段階にはいる。給与のみならず、将来のストックオプションや人材育成策を提示することで、優秀なファンドマネージャーを募集することになる。この場合、オフィスが高級でないと、優秀な人材は集まらないであろう。この研修で、CS(顧客満足)・CVC(顧客価値創造)だけでなく、ES(従業員満足)にも配慮することが重要だと話したばかりであった。この意味で、以上のことは受講生に教えられた事柄であった。

 もちろん以上に加えて、安全・防犯上の問題もある。比較的古いビルにもガードマンがいたりすることが多いが、やはり安全・防犯の観点からは高級オフィスがよいに決まっている。もっとも投資管理会社に集まった投資ファンドのお金は、預託銀行が保管することになっている。投資家保護が制度的に決められている。

 「ベトナムのことはベトナム人に聞く」。これも私の「成功の基本原則」のひとつだった。もちろんコスト削減に常に留意してもらわなくては出資者として困る。「資本の論理」の原則を堅持しながら、ベトナムに適応するビジネスのスタイルを考える。この応用問題には、すぐに解答できない。これから具体的な問題が徐々に出題される段階だからである。私の「実学」を追究する旅は、いよいよ海洋に乗り出すことになる。 

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2006年11月24日 (金)

JICAベトナム人ビジネス研修の印象:熱心な受講生の不安

 今日は、午前9時から午後3時30分まで、大阪・茨木市にあるJICA(国際協力機構)大阪センターにおいて、VJCC(ベトナム日本協力センター)ビジネスコース受講生の中から選抜されたベトナム人研修生に対する講師を務めた。

 このVJCCは、ハノイとホーチミン市の貿易大学の敷地内に立地している。それぞれのセンターから5名・合計10名が研修生として11月12日~25日に来日し、大阪府下の中小企業を中心に視察・見学した。

 私の仕事は、11月14日(火)に各受講生の研修課題について確認・助言し、その後の本日、それぞれの成果報告に対してコメントまたは補足説明するという内容である。

 ベトナムでは、ISO(国際標準化機構)9001の取得によって、その会社の品質改善が実施されていると一般にみなされている。ただし実際には、そのISO取得を指導するためのベトナム現地のコンサルティング会社があり、その指示に従っていれば、ISOが取得できる仕組みになっている。いわば、外部からの指導による品質改善である。

 果たして、これで品質改善が持続できるのか? 品質改善の自発的な運動が発展するのか? 品質改善に対する従業員の意識を向上させるために、5S(整理・清掃・整頓・清潔・躾け)の実施が望ましいと私は強調した。5S実施は手段であり、その本来の目的は、従業員の意識改革である。それができれば、5Sは持続的な品質改善の運動の発展に貢献する。

 ISOを取得できても、5Sを実施できない多数のベトナム企業がある。それは、管理者と従業員が全社的に相互に議論していないからである。これらの相互議論に基づいた納得と合意が、継続した5S実施において不可欠である。私の強調点は、「ベトナムに帰って、すぐに5Sを実施させる」と簡単に言わないことである。「実施させる」のでは長続きしない。議論・納得・合意が5Sの基本である。

 以上の5S導入について、研修の最初でも最後でも私は強調した。また印象に残った質問は、「これからのベトナムの中小零細企業は、どのように生き残っていけばよいか?」ということであった。これは、どのようなベトナム企業にも共通した不安である。

 私は2点を指摘した。第1は、危機感を従業員と共有することである。「まあ何とかなる」という意識では、WTO加盟後の激化した競争を生き残れない。危機感をバネにして全社的に意識を変革し、コスト削減・品質改善・生産性向上に努力する。

 第2は、中小企業が一致してベトナム政府に支援・育成政策を要求することだ。日本の中小企業政策は相対的に多様で手厚いが、それは中小企業の要求運動があってこそ実現してきた。日本には大企業優先、ベトナムには国有企業優先の傾向がある。それに対して中小零細企業の育成政策の導入・充実が必要だ。このような政策を政府に実行させるためには、一定の要求運動の展開が求められる。

 このほかに様々な研修の成果が報告された。多くの研修生は、中小企業であっても日本では「企業理念」や「社是」をもっていることに感心したようである。企業理念は、その企業の将来の夢またはビジョン(=構想)である。この明確化によって、従業員の意欲や忠誠心が向上するということを私は指摘した。

 総じて、ベトナム人ビジネス人の知識と意欲は数年前に比較して飛躍的に向上している。たとえばSCM(サプライ=チェーン=マネジメント)は全員が知らないが、CRM(顧客関係管理)を既知で実践している受講生が数人いた。ベトナムのSCMは時期尚早であるが、CRMは導入の前提が整っていると考えられる。

 ベトナムの経営者・管理者に対する研修は、私にとって楽しい時間である。これまでの私の経験と思索が、少しでもベトナムの企業経営の改善に役立てば幸いである。ベトナムのおかげで私は食べさせてもらっているのだから、他方、ベトナムに貢献・協力することは当然である。

 また近い将来、今日の研修生と再会することが楽しみだ。いつものことながら、研修生に講義しながら、それと同時に研修生から私は多くのことを教えてもらっている。この意味で、このような研修における講師の機会を提供していただいた主催者のJICAおよび実施機関のIBO(大阪府外郭団体・(財)大阪ビジネス振興協会)に改めて感謝を申し上げたい。

 最後に、この研修における熱心なベトナム人の努力と健闘の成果を大いに祈念・期待したいと思う。それにしても、最近のベトナム人はお金をもっている。かつては、たとえば研修での食事代を節約するというようなベトナム人が多数であった。WTO加盟国・APEC開催国としてのベトナムの着実な発展が、こんなことからも実感できる。

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2006年11月23日 (木)

今日は映画を見た:「父親たちの星条旗」

 昨日のブログは疲れた。反論や批判の執筆はエネルギーを通常以上に消費する。また、あまり後味の良いことではない。そこで休日の今日は、高校生の長男と映画「父親たちの星条旗」を見に行った。

 映画は、太平洋戦争における硫黄島の日米両軍の攻防を米国側から描いている。上陸の戦闘場面は迫力があった。この映画が事実に近いとすれば、圧倒的な人員と物量の米軍に対して日本軍は善戦している。ぜひ12月公開の第2部「戦場からの手紙」を見たいと思った。これは、日本側から見た硫黄島の戦闘を描いている。

 ここで「善戦」という言葉には語弊があるかもしれない。そこで玉砕した日本人の気持ちを忘れてはいけない。事実は「善戦」といった「きれい事」ではないと思われる。もちろん「戦争反対」は当然である。ここでは、娯楽としての映画についての話に限定していることをお断りしておきたい。

 この映画の多くは、全米で行われた国債販売キャンペーンに時間を割いている。この場面からは、この時期に米国側は財政負担が巨額となり、さらに国民の厭戦気分が広がっていたことがわかる。これも意外な発見であった。米国も苦戦していたのである。

 戦争映画は、死別した兵士を思う肉親や恋人を描くことが定番だ。そのことで戦争の悲惨さを訴える。そして兵士間の友情や感情の起伏を描写する。これらの定石にこの映画も従っている。この意味で新鮮みはないが、期待通りの戦争映画ということになる。

 以上、いくつかの新しい発見はあったが、それほど感激という映画ではなかった。5☆満点として、☆☆☆というところである。渡辺謙が主演する第2部に期待しよう。おそらく、両作品を見なければ、この映画を評価できないと思われる。本来なら一挙上映が望ましいのだが、興業の都合から2部に分けたと想像される。

 遠い昔の高校生や大学生時代の私は、日本映画を代表する長編作品「人間の条件」や「戦争と人間」の一挙上映を1日がかりで映画館に行った。もちろん「お弁当」を母に作ってもらった。この映画も、そのようにして上映されるべきだと思った。映画館の経営効率から考えると、観客の回転数を高めるために2回に分けて上映し、さらに入れ替え制の上映方式が合理的である。

 しかし映画の顧客層を考える場合、「忙しい現代人」という側面が依然と継続していると同時に、高齢化社会における「時間に余裕のある現代人」という側面も併存していると思われる。この映画の観客層は、どちらに焦点を当てるべきか。

 私見では、後者であると思う。第2部を単独上映した後に、第1部と第2部の連続上映を期待したい。私自身、お弁当を持って再び見てみたい。もちろん、DVDの発売では両者のセット販売もありうると想像されるが、ぜひ映画館でも連続一挙上映を提案したい。 

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2006年11月22日 (水)

古森義久氏がハノイ訪問(下):「皮相」な論理の結末

 先日のAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議でベトナム訪問したブッシュ大統領を歓迎し、反体制運動家を釈放したベトナム政府に対して、古森氏は次のように述べる。

 「こうした米国への接近と融和、そして共産主義をまったく離れての外資依存の資本主義経済の導入とは、いずれもベトナム共産党が「抗米救国」として戦った米国と、米国に全面支援された南ベトナムの政府とを相手とした戦争の大義からみれば許しがたい背反となる」。

 果たしてそうであろうか? この論理に従えば、日本政府の「米国追随」政策や、沖縄など「米軍基地」の未解決問題は、多数の国民が犠牲となった太平洋戦争の大義からみれば許しがたい背反となる。たとえば米国でエルビス=プレスリーにご満悦であった小泉前首相が、「英霊」を祭る靖国神社を参拝するなど大いなる矛盾と背反だ。

 しかし日本について、私もそうだが、米国との友好関係を「許しがたい背反」と感じる人は少数であろう。小泉前首相は米国で大いに楽しめばよい。あらゆる戦争について真摯に反省し、その後に不戦と平和と友好親善を決意することは人類の進歩を表現している。

 たとえば、これまで戦争を繰り返してきた欧州諸国がEUを形成し、通貨統合まで果たした。このことは、上記の「人類の進歩」の象徴と実証である。ベトナムが米国と仲良くして何が悪いのか? まるで両国の友好親善を進めることが悪いかのような古森氏の感覚が理解できない。

 なお日本は米国に対する敗戦国であるが、ベトナムは米国に対する戦勝国である。ベトナムは、米国よりも経済的に格段に貧しいが、政治的・精神的には米国に対して余裕があるようにも思われる。後述するが、国家の矜持は経済力だけではない。古森氏は、このことも理解されていないようである。

 古森氏の議論の特徴は、共産主義や社会主義について先入観に基づく偏見・嫌悪をもつことである。おそらく南ベトナム滞在中、当時の「革命政権」に悪感情をもたれたのであろう。これが原体験とすれば、その後も現政権に好印象をもたないことは理解できる。人間は一般に、自らの原体験を引きずって生きているからだ。

 しかし仮にも古森氏が「ジャーナリスト」であるとすれば、その報道の視点をも常に自己点検しなければならない。そうでなければ、客観的な報道はできないであろう。自らの体験に基づく視点や観点は有力な説得力をもつが、それが正しいとは限らない。謙虚な自省が求められる。

 この自己点検がまったく欠落していることは、たとえば古森氏が次のように述べていることでも明白である。「中国と同様の「社会主義市場経済」という、わかったようでわからない標語の下での新経済政策である。だが自由経済も外国投資も経済学的には資本主義の権化だろう」。

 古典的な完全競争市場がありえないように、古典的な社会主義もありえない。現実のソ連が崩壊したからと言って、社会主義の思想や理念は崩壊していない。上記の古森氏は、「社会主義市場経済」に関する中国・ベトナムさらには各国共産党に関する不勉強を自ら告白している。彼の頭の中には古典的な社会主義・共産主義しかないようだ。

 理論と現実の乖離は当然である。換言すれば、建前と本音が相違するのは日常に経験する。毎日のように理性と感情が対立する。これら両者には、双方向の検証と修正が常に求められる。これらの葛藤と矛盾が自己成長や社会発展の原動力ではないのか? このメカニズムが不完全であると、ソ連のように国家自体が崩壊する。個人的なレベルでは、偏見・先入観・慣行・惰性の虜になる。

 古森氏は次のように最後に述べる。「ハノイの明るく活気ある街頭をみて、陥落前のサイゴンそっくりだなどと感じた私は皮相で不遜(ふそん)と知りながらも、ベトナム戦争の結末をそんな壮大な皮肉だなとつい思ったのだった」。

 この「壮大な皮肉」とは何か? 北ベトナムが南北統一を果たしても、結局は南ベトナムと同じになったという意味か。勝った北が、実際には南に負けたということか。経済現象的には、そうであろうと私も思う。たとえば、もし戦争がなければ、もし南ベトナム政府が存続していれば、今日の南ベトナムはシンガポールや韓国より以上の経済発展をしていたにちがいない。

 他方、民族の南北分断は、今日まで続いていただろう。中国と東南アジアの接点として米軍基地が今も温存されていたかもしれない。国家の独立や民族の統一という問題は、経済発展と引き替えに現在も継続していたと想像される。しかし現実のベトナムでは、これらの問題は解決済みである。

 現代のベトナムは経済発展に集中・邁進している。それがベトナムにとって残された当面の課題だからである。もちろん民主主義の問題や所得格差の問題が残されている。これらの課題克服もベトナム政府は十分に認識している。経済発展は重要だが、国家さらに人類の発展は、経済的な側面からだけでは判断できない。1994年以来のベトナム訪問で私はこのことを学んだ。ホーチミンが述べたように「独立と自由ほど尊いものはない」。

 経済的な側面から限定して見れば、古森氏の言うとおり、ベトナム戦争は「皮肉な結末」なのかもしれない。しかし、それは「皮相」な見解であることは間違いない。国家の独立と民族の統一を果たし、国際社会で広く認知されたベトナムが、ここまで経済発展を達成したのである。かつての南ベトナムの分断国家の経済発展とは質的に異なっている。

 もし将来に機会があれば、ぜひ古森氏にお目にかかりたいと思う。意外と、ベトナムの話で盛り上がるのかもしれない。刺激のある彼の論考に感謝したいのだが、一般の人々に対する悪影響を懸念して、ささやかに本ブログで反論・批判を書かせていただいた。

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2006年11月21日 (火)

古森義久氏がハノイ訪問(中):どのように歴史を考えるか?

 昨日の古森氏の記事について、いくつかコメントしてみよう。

 (1)古森氏が、98年当時と現代のハノイについて、次のように述べている。「街の質素さも相変わらずで、色彩が少なかった。その前後に訪れたホーチミン市とではちょうどカラー映画と白黒映画の違いだと思った。8年後のいまハノイはカラー映画の街となっていた。白黒写真がカラー写真に代わった」。

 以上のハノイの描写は的確である。98年当時、ハノイ国民経済大学の客員研究員として滞在していた。それ以前の最初のハノイ訪問は1994年だが、その当時に比べて、宿泊ホテルやレストランなどは急増し、当時の自転車がバイクや乗用車やバスに取って代わった。これが経済成長というのかと目で見て実感できる。

  (2)その的確な表現力の古森氏が、資本主義や社会主義・共産主義という話になると、急に的確性が喪失する。古森氏は、次のようにベトナムの経済を特徴づける。

 「中国と同様の「社会主義市場経済」という、わかったようでわからない標語の下での新経済政策である。だが自由経済も外国投資も経済学的には資本主義の権化だろう。共産主義のテーゼが反動思想として厳しく排除した対象である。サイゴンを占拠した当時の革命政権としての北ベトナムは外国と結びつく資本主義を闘争の標的そのものとさえしてきた」。

 以上の指摘は、古森氏の見解と事実とを区別しなければならない。まず事実の問題から検討しよう。

 上記の引用後半の「サイゴンを占拠した当時の革命政権」の話は事実であろう。この当時、ソ連社会主義が健在であり、東西対立が厳しい時代だ。南北統一の興奮状態も続いている。古森氏の指摘する出来事がその後の「ベトナム難民」を生み出す原因ともなった。また追記すれば、以前に本ブログでも紹介したように、旧南ベトナム政府関係者の子弟は大学進学まで差別された。

 しかし現在のベトナムはどうか? 大きな国際環境の変化として、ソ連社会主義体制は崩壊し、東西対立は終焉した。ベトナム政府は難民の帰国を奨励しているし、南北のみならず地域経済の格差是正を強調している。ベトナム人自身の批判によって上記のような進学差別も解消された。これらも事実である。古森氏が指摘する事実は、確かに歴史として継承・認識されるべきである。しかし果たして現代のベトナムの本質を表現する事実なのだろうか?

 歴史的な観点から見て、われわれ日本にも誤りがあった。それは、今から思えばの「誤り」であって、当時は、そうせざるをえない状況や、やむをえない事情があったと推察される。当時の状況では他に選択肢がなかった。歴史には、こういった出来事が多々あるのだと私は思う。日本がそうであるとすれば、ベトナムもそうである。

 その当時には当然の事柄が、その後世に反省され、是正され、改善される。これは、歴史の歩みの中では自然である。私は、現在のベトナム政府は、そのような政権であると思う。(続く)

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古森義久氏がハノイ訪問(上):彼は何を見てきたか?

 私は、拙著(『ベトナムビジネスがいま熱い』カナリア書房)で古森義久氏を批判したが、その古森氏がベトナムのハノイを訪問した。その記事について、私のコメントは明日に掲載予定である。

 なお先日、このブログ(11月2日)で、古森氏と同じ産経新聞ご出身の高山正之・帝京大学教授について取り上げた。その後のコメント欄に「先生と産経新聞は天敵ですね」という書き込みがあった。「天敵」とは、相手が苦手という意味が含まれているが、私にとって産経新聞は苦手でない。以前に、NHKラジオ第一放送『新聞を読んで』という番組で新聞5紙を1週間読んで論評するという仕事をした。そこで産経新聞を特別に批判したことはない。カラー写真を多数使用した読者に読みやすい紙面だと評価したこともある。

 しかしベトナムとなると、私は黙っていられない情熱を感じる。それは、記事の中で古森氏が以下で述べているような「ベトナムという語を聞くだけで、皮膚がぴりっとするような反射感覚がいつまでも残ってしまったのだ」という感覚とは少し違う。ベトナムという語を聞くだけで、何か自分のことを言われているような気がする。私の出身地の大阪府箕面市のことが気になるのと同じように、なぜかベトナムのことが気になる。「皮膚がぴりっと」はしないが、耳や眼がその方向に向けられる。

 ベトナムについて古森氏と私は共通して特別の関心がある。それでは、それぞれの相違点は何か? この問題を考えるために今日は、まず古森氏の記事を引用をさせていただきたいと思う。

--(引用開始)-------------------------------------
 【緯度経度】ハノイ・古森義久 ベトナム戦争の皮肉な結末
2006年11月18日 産経新聞 東京朝刊 国際面

 のどかな田園の風景を眺めながら、タイムマシンの心境となった。ゆったりと広がる水田に農民が散らばり、水牛までがのっそりと動く光景は30年以上も前の南ベトナムを思わせたからだ。激しい戦争の中でも農村の作業や日常の営みはいつもゆったりとみえた、あのベトナム戦争の驚異の一つだった。

 ハノイのノイバイ空港から市街までの40キロ近くの往路は工業や商業の発展を示す工場やビル、看板類も目立った。だがその合間に点在する農家のたたずまいは過去の映像と変わりなかった。ところどころに広がる水田はもっと鮮明に過去を連想させたのだ。

 ハノイの街に入って、「なんだ、サイゴンではないか」と感じた。サイゴンとはいうまでもなく、現在のホーチミン市、ベトナム戦争中は南ベトナムの首都だった。オートバイの洪水が勢いよく流れ、交わり、喧騒(けんそう)を生むハノイの光景はちょうど三十数年前のサイゴンにあまりにそっくりなのだ。

 私はベトナム戦争中、サイゴン駐在の特派員として3年半を過ごした。ちょうど3年目の1975年4月末、当時の北ベトナムの大部隊の総攻撃を受けて、サイゴンは陥落し、そこを首都としたベトナム共和国は崩壊した。その後の半年はハノイからきた新たな支配者たちの下で厳しい検閲を受けながら報道を続けた。

 その3年半は劇的な出来事に満ち、自分の青春の残りをすべて投入したような虚脱と満足とがあったから、その後もベトナムはずっと特別な意味を持つ地となった。ベトナムという語を聞くだけで、皮膚がぴりっとするような反射感覚がいつまでも残ってしまったのだ。

 さて今回、ハノイを訪れたのは98年以来である。アジア太平洋経済協力会議(APEC)の取材のためだった。その前の来訪は89年である。

 89年はベトナム軍がカンボジアからの撤退をついに宣言した年だった。ベトナムは79年にカンボジアに軍事侵攻し、大虐殺のポル・ポト政権を首都プノンペンから撃退はしたが、その後は泥沼のような戦いを続けて、国家として疲弊しきった。全世界でも最貧国の部類に落ちていた。そのときのハノイはまさに戦時の首都らしく、すべてをそぎ落としたように貧しげでスパルタふうな街だった。

 98年もベトナム社会主義共和国はドイモイ(刷新)の標語の下に経済をたぶんに開放はしていたものの、おりから東南アジアの金融危機の余波を受け、不況に襲われていた。ハノイの街路は依然、自転車ばかりで、オートバイは数えるほどだった。街の質素さも相変わらずで、色彩が少なかった。その前後に訪れたホーチミン市とではちょうどカラー映画と白黒映画の違いだと思った。

 8年後のいまハノイはカラー映画の街となっていた。街路を走るのは自転車よりもオートバイが大多数だった。市民の服装も表情も明るくみえた。ちょうど昔のサイゴンに似た外観なのだ。そんな時間のズレも、いまのベトナムがなお貧しいことを考えれば、説明がつく。APEC加盟の29メンバーでも国民平均所得ではなお最下位なのである。

 ベトナム共産党はそんな窮境を自由経済と外国投資の導入で脱しようとする。

 中国と同様の「社会主義市場経済」という、わかったようでわからない標語の下での新経済政策である。だが自由経済も外国投資も経済学的には資本主義の権化だろう。共産主義のテーゼが反動思想として厳しく排除した対象である。サイゴンを占拠した当時の革命政権としての北ベトナムは外国と結びつく資本主義を闘争の標的そのものとさえしてきた。

 そのベトナムが17日、米国のブッシュ大統領を国賓として迎えた。官民あげての歓迎の態勢だった。ベトナム政府は国家転覆罪の疑いで1年以上も拘束してきた3人のベトナム系米国人を対米友好のあかしに、つい数日前に釈放した。米国の民間の人権擁護団体から自国民の過酷な人権弾圧を指摘されても、ベトナム当局は温和な対応をみせるだけだ。ベトナムは米国となんとしても緊密なきずなを築きたいのである。

 こうした米国への接近と融和、そして共産主義をまったく離れての外資依存の資本主義経済の導入とは、いずれもベトナム共産党が「抗米救国」として戦った米国と、米国に全面支援された南ベトナムの政府とを相手とした戦争の大義からみれば許しがたい背反となる。

 ハノイの明るく活気ある街頭をみて、陥落前のサイゴンそっくりだなどと感じた私は皮相で不遜(ふそん)と知りながらも、ベトナム戦争の結末をそんな壮大な皮肉だなとつい思ったのだった。
--(引用終了)-------------------------------------

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2006年11月20日 (月)

ベトナム証券法の概要(下):(補論)ベトナム個人投資家の特徴

 以下、昨日に続いて「証券法」の概要を紹介する(出所:Vietnam Economic Times, Issue 152, October 2006, pp.50-51)。その後、ベトナム個人投資家の動向について私見を述べる。

 (7) 証券市場の活動形態に関して:政令第144/2003と同様に証券法は、証券市場における次の2つの活動形態を規制する。①証券売買センター、②証券取引所。しかしながら法は、これらの組織を運営する仕組みだけでなく、国家証券委員会によって認可された後の証券上場・証券取引・情報開示・取引成員に関する規制を発行する組織の権利と義務を補填する仕組みもより十分に規定している。つまり、投資家保護などの目的のために必要であれば、証券取引所・証券売買センターの証券取引規制に従って、証券取引を臨時に停止・中断そして取り消しすることである。

 (8) 証券の登録・預託・清算・決済に関して:公開会社発行のすべての証券は登録が必要であり、証券預託センター(SCC)で保管されなければならない。SCCは、有限責任会社や株式会社の形態で首相決定によって組織される。SCCの成員には、証券預託サービスの提供を許可された証券会社と商業銀行が含まれる。証券の決済は、SCCで開設された証券口座システムを通して実行される。証券取引の金銭決済は、決済指定(諸)銀行で開設された金銭口座システムを通して実行される。

 (9) 情報開示に関して:法の下に、発行組織・上場組織・公開会社・証券会社・資金管理会社・証券投資会社・証券売買センター・証券取引所は、定期的な情報開示・不定期な情報開示・要求に応じた情報開示の方法によって、関係当局と投資家に対して完全・迅速・正確に情報公開しなければならない。

 これらの条文の目的は、証券市場の活動における安全性・透明性・公正性・効率性を保証することだけでなく、投資家の正当な権利と利益を保護することである。(以上、引用終了)

 なお、以上の「公開会社」とは必ずしも「上場会社」ではない。その逆に「上場会社」は必ず「公開会社」である。すると「未公開株式」とは、たとえば株式会社化する時点で非公開で取得した株式である。または従業員持株を個人的に譲渡してもらうことを意味する。

 このような定義に従えば、ベトナムの店頭市場で売買される株式は「未公開株式」ではなく、「未上場株式」である。ベトナムにおいて株式上場までの過程は、次のようである。① 国有企業または有限責任会社が、株式会社化する。ここでは国有株式・従業員持株そして個人縁故株主が中心となる。② 入札によって一般に株式を売り出す。ここで公開会社となり、その後は店頭市場で売買できる。③ そして株式上場を果たして、上場会社として証券売買センターで自由な売買が可能となる。

 ベトナム人の個人投資家の多数は、②の段階であるにもかかわらず、高価格で入札する傾向がある。その結果、②の段階で十分に株価が上昇しているために、③の段階での株価の急上昇が期待できない。このことは、個人投資家が少数ということである。日本では③の段階で参加するような投資家が、②の段階で市場参加してしまう。そして③で参加する投資家がその後に続かない。

 上場前の評判が高かった「サコムバンク株」が、上場後に予想外に株価が上昇しなかった理由は、すでに②の段階で株価が十分に上がっていたからである。今後の方針は長期持続である。

 このような過程で最も儲かるタイミングは、①の段階で株式取得することである。つまり、しっかりベトナム未公開会社と縁故を作っておく。換言すれば、良好な取引関係や人間関係を維持しておく。これは外国人では難しいかもしれないが、できないこともない。取引先を紹介したり、融資をしたりして、その見返りとして無償の株式を要求すればよい。この株式を②や③の段階で売却する。もちろん長期持続してもよい。これからのベトナムビジネスには、通常の取引のみならず、このような楽しみが加わる。

 今後、外国人も含めて投資家は個人・法人ともに確実に増加する。そうなれば、③の段階での投資家の増大が期待できるから、上場時の株価急上昇というシナリオが現実になる。また当然、上場後の株価上昇に寄与することになる。 

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2006年11月19日 (日)

ベトナム証券法の概要(上)

 今日と明日は、Vietnam Economic Times, Issue 152, October 2006, pp.50-51 に依拠して、「ベトナム証券法」の概要を紹介する。 この法律の全文は、日越経済交流センターが毎月発行している『日越経済交流ニュース』で連載・紹介される予定である。

 証券法(以下では法と略記)が2006年6月29日に国会を通過し、2007年1月1日に発効する。法は、証券の諸活動を統制する包括的な規則を提供する。

 その目的は、効率性・安全性・透明性・公正性を伴って証券市場が機能することと、証券投資家および関係者の正当な権利と利益を保護することである。法は11章・136条で構成され、その内容は次の通りである。

 (1) 規則の範囲:法は、証券公開・証券上場・取引・売買・投資・証券サービス・証券市場について規定する。

 (2) 適用の対象:①ベトナム証券市場で活動して証券投資に参加するベトナムおよび外国の組織と個人、②証券の諸活動と証券市場に関係する他の組織と個人。

 (3) 証券公開の形態:①新規公開、②追加公開株式もしくは株式購入権の一般または第3者への提供。

 (4) 株式公開の規則:証券公開する発行組織は、国家証券委員会(SSC)に登録手続きが必要である。ただし次の場合を除く。ベトナム政府証券の発行、ベトナム政府が認可した国際金融組織の債券発行、株式会社に転換される国有企業の証券公開、裁判所の判決または決定に基づいた証券発行、破産または支払い能力喪失の場合に資産を受領する経営者または人物の証券売却。

 (5) 証券公開の条件:法の条文下で投資家は、設立資本金、健全な財務状況、実行資本金の使途計画に関する条件に合致しなければならない。株式公開の企業には最低設立資本金100億ドンが登録時に必要であり、公開のための登録出資証券の総価額は、出資証券公開の場合に最低でも500億ドンである。

 (6) 公開会社に関して:これは、現行の政令第144/2003/ ND-CP に比較して証券法の新しい内容である。したがって公開会社は、次の3形態の1つの株式会社である。①株式を公開する会社、②証券売買センターまたは証券取引所に株式上場した会社、③証券専門投資家を除いた少なくとも100名の投資家に所有された会社で、その設立資本金が100億ドン以上である。公開会社は、情報公開のためにSSCに関係書類の提出が求められる。

 付記:1昨日、ホンダ=ベトナムが8月末に新発売した乗用車シビックの販売台数について、冒頭と同じ雑誌記事に基づいて私は「2ヶ月間で約100台」と紹介した。しかし、その後に頂戴したコメントでは500台以上売れているという。どちらが正しいのか?
 ベトナムの新聞や雑誌における情報の信憑性は、かなり疑問がある。「うわさ」が記事になったりする。この場合、ホンダ=ベトナム社に問い合わせることが最善の確認方法である。
 ただし両方の数字を整合的に解釈すれば、民間個人向けの販売台数が約100台、それに法人向け販売台数を含めれば500台ということになる。
 いずれにせよ、本ブログに対する貴重なコメントの提供に感謝を申し上げます。

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2006年11月18日 (土)

人生のビジョンを考える:2回~3回の転職・転社は当たり前?

 木曜日の1時間目、基礎演習(1年生向けの少人数教育)の時間に大学生活の計画を書かせる課題を出した。それを考えるためには、人生のビジョンが必要だと話した。このビジョンというのは、経営戦略でも必要なもので、経営理念・社是とも言うし、もっと簡単に「将来の夢」と考えてもよい。

 私の場合、高校時代に将来は世界を飛び回るような貿易の仕事をしたいと考えていた。そのために最初は商社に入って実務を覚える。そして自分で会社を経営する。それなら大学は経済学部よりも経営学部がよいのではないか。経営学部なら神戸大学が当時から老舗だった。こんな理由と当時の学力を考慮して、神戸大学経営学部に入学することになった。

 その後、同大学経済学部の故・置塩信雄先生の「経済原論」の講義を受講した。先生の「置塩の定理」は世界的に有名で、まさに「世界の置塩」の定評そのままであった。その低音の重みのある声は、これこそが大学の講義という印象であった。そこで、もう少し勉強しようということになり、大学院で5年間を過ごすことになった。この青春時代、松田和久先生・二木雄策先生・小野二郎先生など本当にお世話になった。

 なかなか大学の就職先は見つからず、(財)日本証券経済研究所に研究員として就職した。しかし幸いなことに、就職浪人(オーバードクター)にはならなかった。この研究所では、今でも活躍されている奥村宏先生、それに松井和夫先生・田辺昭二先生から教えられることは多大であった。また本当に研究に専念できる時期であった。そして現在の流通科学大学に移ることになる。ちょうどバブル崩壊直前の1988年である。

 そして今、ベトナム・ラオス・カンボジアを専門にして、今年は会社設立を果たした。そしてベトナムでは直接投資のみならず株式投資を研究するまでになった。このように考えると、高校時代の「世界を飛び回るような貿易の仕事をしたい。会社を設立する」という初心もしくは夢は、それなりに達成しつつあるように思われる。

 このように言えば、大学院の進学や日本証券経済研究所の勤務は「回り道」のようにも思われるが、そんなことは絶対にない。それぞれが貴重な経験であったし、多大の勉強をさせていただいた。感謝の気持ちで一杯だ。何よりも大学での研究と教育があってこそ、今の生活が成り立っている。日本証券経済研究所での勤務があってこそ、ベトナム株式投資の研究に違和感はない。人生にムダなことは何もない。

 普通の寿命は80歳前後と言われているが、それよりも長く生きた場合、どうすればよいのだろうか? 「短命のリスク」と同時に「長命のリスク」を考慮しなければならない時代となった。人生を少し長めに100年ぐらい想定して、その設計すれば、「長命のリスク」は軽減・解消されるのではないか?

 このように考えれば、人生において2回~3回の転社・転職は当然だろう。大企業で定年まで働いたとしても、その後に2社ぐらいは働く余生がある。早めに退職して、次の仕事をする。さらにその次の仕事は?

 こういった長期戦略を考えることが必要な時代だ。今の勤務先である流通科学大学の停年は68歳。民間会社よりも長いが、大学院の5年間を考えれば、社会人としてのスタートが遅いのだから、その分だけ停年が長いという正当性はある。しかし、その後はどうすればよいのだろうか? また別の大学で働くとしても、「老害」にならないような自省が求められる。

 人生100歳を想定すれば、大学停年後に私の場合は32年間もある。何か新しいことをやるには十二分な時間だ。しかし肉体的な老化は進行する。こんなことを考えながらの人生の長期戦略を考える。こんな時代になったのではないか? 

 以上のような話を大学1年生にしても、実感はないかもしれない。しかし年功賃金・終身雇用の崩壊や経済のグローバル化は、現実に目の前で進行している。人生の設計図を描く新たな発想や方法が求められていることは確かである。

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2006年11月17日 (金)

ベトナムで新発売:ホンダ=シビックの苦戦?

 私が8月にベトナム滞在中、バイクでは圧倒的な人気を誇るホンダ=ベトナムが四輪乗用車シビックを発売した。1_2  
 写真は、ホンダ・シビックのハノイの販売店である。トヨタベトナムが、全面ガラス張りの大型ショールームの販売店を展開しているのに比べて、意外と小規模な店構えである。

 ホンダはバイク。トヨタは乗用車。このように従来は棲み分けていたのだが、ホンダは「顧客の需要がある場所で生産する」という方針があり、乗用車市場に参入を決めた。

 このホンダ=シビックが苦戦している。発売後2ヶ月で約100台を販売しただけである。顧客の期待に比較して、その数字は大きいとは言えない。このような販売苦戦の最大の理由は高価格である。

 I love Vietnam というスローガンによって、ホンダ=ベトナムは良い企業イメージの形成に成功した。しかし、乗用車での価格は他社と競争的であるものの、顧客にとって高すぎる。 ホンダが、平均3万7千500ドルではなく、2万2千から2万5千ドルの販売価格を設定していれば、よく売れたはずである。ホンダは、顧客に受け入れられる価格ではなく、自社の利益を優先した価格を設定したとみなされる。

 ホンダ=ベトナムが、高い価格を設定した理由は次の通りであろう。ベトナム政府が2010年までに自動車関税を引き下げると、それに応じて価格は下落する。したがって今のうちに国内自動車メーカーは利益を上げておこうと考えた。

 ベトナム人顧客は、現在の価格政策のホンダ=ベトナムを他の自動車メーカーと同じとみなすであろうし、輸入車の税金を政府が下げるのを待つであろう。(以上、Vietnam Economic Times, Issue 152,October 2006,p.42 を引用・要約)。

 ホンダ=シビックの展示発表会が8月にハノイのメリアホテルで開催された。そこで偶然に会った知人のベトナム人は「高い」という感想を述べた。その時の私の返事は「でもデザインと品質は良いんだよ」であった。

 そうは言うものの、やはり高いというのが顧客の反応の大勢だったということだ。さらに、ホンダならもっと安い価格設定にしてくれるという顧客の期待が裏切られたのである。

 しかし高いには別の理由があると考えられる。私は、乗用車発売後にホンダ=ベトナムを訪問していないが、おそらく輸入部品が多くて、なかなか価格は下げれなかったのだと思う。このような事情が、ベトナム人には理解されない。「すそ野産業」が形成されなければ、現状ではコスト削減は難しい。

 なお、この記事のより重要な一般的な教訓は、WTO加盟後の改革によって、たとえば輸入関税の引き下げが予想される場合、買い控えが発生することである。他方、各種の改革によって価格上昇が予想される場合、駆け込み需要があるだろう。この意味で、今まで以上に、ハノイにおける政府情報の重要性が増大していることを指摘しておきたい。それが市場動向を左右することになるからである。

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2006年11月16日 (木)

第4回ラオス清掃ボランティア活動:JICA日本センターのHPで紹介

 第4回ラオス清掃ボランティア活動が、JICA日本センターのHP(ホームページ)で紹介された。「nh0061.html」をダウンロード して下さい。

 多数の方々から「活動が認知されましたね」という評価を賜った。ここで改めて、これまでに協力・賛同していただいた皆さまに感謝を申し上げたい。なお、この記事は、私の勤務先である流通科学大学のHP:http://www.umds.ac.jp/index.phpでも早速紹介されている。

 ただし、この記事には誤りがある。ラオス清掃活動の発起者は私ではなく、本年3月に流通科学大学を卒業した大須賀孝二氏である。彼は、1年生時の基礎ゼミから2年生からの専門ゼミまで私の指導した学生であった。ベトナムやラオスの私の調査旅行時に、「僕も一緒に行っていいですか?」と彼が言うので、もちろんOK。そういう積極的な学生は大歓迎である。2002年にラオスの首都ビエンチャンからシェンクアンを一緒に旅行した。

 そのラオスについて、何かボランティア活動ができないかという故・中内功氏(ダイエー創業者・流通科学大学前理事長)の提案があった。なぜ中内氏がラオスなのかと言えば、2001年12月に中内氏は、ラオス国立大学経済経営学部とラオス日本人材協力センターで講演した。その当時、私はJICA専門家としてラオスに滞在しており、私が中内氏に講演を依頼したのである。

 当時の中内氏は足をくじいて車椅子で移動する状態であった。それにもかかわらず、わざわざラオスまで来ていただいた。ラオスの講義では、車椅子から立ち上がって黒板に板書し、ソムチット副学部長(カムルーサ学部長は当時フランス留学中だった)の挨拶中は起立されていた。その気迫とサービス精神は、さすがに「天下の中内」と思われた。そして何よりも、ラオスに来ていただいたことに私は今でも恩義を感じている。私の顔を立てていただいたように思う。

 中内氏の自動車の乗り降り時に私は手を貸したが、その分厚い手の感触は今でも忘れられない。その中内氏の「遺言」ともいうべきボランティア活動の提案が、この清掃活動の実施となって結実している。中内氏と私との約束は、最低10年間は続けるということであった。今年で4年目だから、まだ半分も約束を果たしていない。

 上記の日本センターのHPを中内氏に見ていただきたかった。これは正直な気持ちである。もっとも、この活動は学生あっての活動である。それだからこそ、私が同行しないで学生主体となった今年の活動が評価されたのだと思う。

 来年以降の本活動の発展を期して、できるだけ「裏方」として今後も私は学生を支援したいと思う。以前にも本ブログで紹介したように、思い切って学生に任せると、学生は実力以上に頑張る。それが学生の自信になる。それが教育の醍醐味だ。

 もちろん、この清掃活動に参加していただける方は、どなたでも歓迎である。本ブログでも来年の活動参加者を募集する予定である。ぜひ多数の方々のご参加をお願い申し上げます。

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2006年11月15日 (水)

流通科学大学FD研修会:ワークショップ開催

 今日は、久しぶりに大学の話題。流通科学大学では、この数年来、ほぼ毎月のようにFD研修会を実施している。「高度教育推進センター」が主催。教員の参加も多く、Pict0033その成果を出版物にもしており、 他大学に比較して、熱心な活動である。(注:通常の大学は「FD委員会」という取り組みであるが、それを本学は「センター」として格上げしている。)

 このFDとは、フロッピーディスクのことではなく、FD(ファカルティ=デヴェロップメント)。要するに、大学教員の教員としての力量を高めるという趣旨である。より広義には、教育内容や教育方法の向上・改善のための全学的な取り組みのことである。学生が教員を評価するアンケートをするのも、このFDの一環である。

 今日のテーマは「私語対策」をどうするか。私の場合、たとえば担当の「企業論」は、かつて500名の受講生があったが、今や最大でも200名程度である。その理由は、講義回数を増やしたからである。前期だけだった講義を後期にも実施する。このようにすれば、時間的な講義負担は増えるが、それぞれの講義での私語は格段と減少する。学生の隅々にまで目が行き届くからである。

 さらに私のノウハウは、学生に名札を作らせて、それを机の上に置かせる。こうすると名前を呼びかけることができる。質問したり、注意したり、何かと便利だ。「そこの君」とか「はい、あなた」というよりも、「○●くん」と呼ばれた方が教育的だろう。また同時に、不特定多数の匿名という環境から、固有名詞の環境になれば、学生の緊張感も高まる。

 以上を実施するためには、対話式の講義が不可欠だ。教員が即座に答えを言わない。たとえば、このブログのように「FDとは×××ということです」と定義を先に話すことが一般の講義では多いが、そうではなく、まず「FDとは、何だと思いますか?」と学生に質問することから始めるのだ。

 これには時間が余分に必要だが、それでも学生に考える時間を提供するのはよいことだ。受動的な姿勢が、能動的に変化する契機になる。「どう思いますか」と私語を促進している講義に限って、私語はない。皮肉な現状だ。

 以上、私の私語対策の工夫だが、それ以外にも参加教員が真剣に考え、議論した。流通科学大学の場合、十分にFDについて議論をしてきた。次の段階は、教員の中の議論に学生を巻き込むことだろう。その試みもすでに始まっている。議論の段階から学生を加えていく。教員と学生が一緒になって教育を改革する。これがFDの理想だろう。

 このような大学改革は、昨日に講義したJICA主催・IBO実施の「ベトナム人ビジネス研修」で私が講義した「5S導入」の実施方法と共通している。「管理者から従業員に指導・命令・強制するのではなく、管理者と従業員が議論して、納得して合意することが重要なんです。そうしないと長続きしない」。これは5Sの中の「躾け」での要点だ。

 この「管理者」を「教員」、「従業員」を「学生」に代えれば、5S実施はFD実施にも共通する。「時間はかかっても、学生を信頼して学生に任せる姿勢が重要だ」。この「学生」を「ベトナム人従業員」に代えれば、それは昨日の講義でのセリフだ。このJICAのベトナム人ビジネス研修については、後日に紹介する。

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2006年11月14日 (火)

ベトナム語を自宅で学べる!!:ベトナム語学習の勧め

 先日のIBPC・大阪市主催の「ベトナム投資セミナー」の講演後、インターネット経由でベトナム語学習サービスを提供されている小山さんと宮原さんにお目にかかった。その名称は「ベトナム語専門オンラインスクール」。より詳細は、http://vietnam.behappy-school.com/ を参照。

 受講希望者が30名集まったら講義が始まるというのが、非常に良心的かつ合理的だ。私のゼミ学生にも、この学校を紹介した。「英語がダメでも、ベトナム語がある」というキャッチコピーだ。さらに本ブログの読者の皆さんも上記に申し込みをされると、すぐに30名は達成できるだろう。

 私のベトナム語の先生は、1998年当時、政府機関「児童保護育成委員会」に勤務していたフォンさん。毎週1回、1時間ほど6ヶ月間の勉強期間だった。フォン先生は、教育訓練省・国際部長のズンさん(当時は貿易大学国際交流部長)から紹介された(フォン先生とズンさんは幼なじみ)。フォン先生からは英語でベトナム語を教えてもらった。今から思えば、もっと時間があれば、もっと英語もベトナム語も上達していたと思う。

 フォン先生は、その後にフィリピン・マニラのAIM(アジア経営大学院)に留学して、国際援助の修士号を取得。現在は、ハノイにある米国NGO・ベトナム退役軍人財団に勤務されている。このフォン先生を通して、「ベトナムの子ども達を支援する会」事務局長の板東あけみさんと親しくなった。

 (注) 板東さんは、ベトナムに「母子手帳」を普及させるボランティア活動で、ベトナム大統領勲章を受章。まさに今、ベンチェ省で開催されている「母子手帳」を普及させるための国際会議の主催者としてベトナム滞在中。この会議の成功を日本から祈念したい。

 私は近い将来、もう一度ベトナム語を本格的に勉強したいと思っている。しかし今のところ時間がない。そこで、上記のようなインターネットでの勉強システムが便利だ。個別メニューで勉強できるようになれば、ぜひ参加を検討したい。

 さらに、以前に紹介したが、アメリカの短期集中ベトナム語学習コースに夏休みに参加するという「夢」も捨てていない。この学習コースの存在は現在、ILOに勤務されている後藤健太氏に教えてもらった。

 フォン先生との勉強で記憶に残っているのは、ベトナム語の発音だ。5回ほど発音を繰り返して、「その3番目がよかった」というのだが、それを覚えているはずがない。まるで漫才のギャグのようだが、これは実話だ。

 この数年、フォン先生には時間に余裕がなくてお目にかかっていない。ぜひ次のハノイ訪問では、彼女に連絡をしてみようと思う。私よりも年齢は10歳以上若いが、いつでもどこでも先生は先生である。こういう先生に対する「礼節」を保持しておかないと、いつまでもベトナムではお客さん扱いだ。

 それにしても、日本での先生に対する「礼節」は、どこに行ったのだろうか? そんなことを考えると、先日の「ラオス清掃ボランティア活動」の学生を思い出す。日本人学生も捨てたものではないのだ。

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2006年11月13日 (月)

新たにベトナム投資ファンドの募集始まる:ユナイテッドワールド証券「民営化ファンド4」

 ユナイテッドワールド証券株式会社が、「ベトナム民営化ファンド」の第4次募集を今日から始めた。正式には、「ベトナム民営化ファンド4投資事業匿名組合」の組合員の募集であり、その期間は、2006年11月13日(月)~2006年12月27日(水)。詳細は、http://www.uwg.co.jp/vietnam/index_04.html を参照。

 この投資ファンドの特徴は、インターネット経由で申し込みができて、さらに最低申し込み金額が10万円と少額なことだ。これなら若い人でも応募できる。事実、東京で9月に開催された投資説明会でも、その出席者は若い人が多数であった。

 ベトナムを旅行して、ちょっと良いことがあった人、何かひどい目にあった人。いろいろだと思うが、ベトナムと何か結びつきをもっておきたいと思う人。普通のお土産を購入しても、1つあれば十分。その置き場所もない。この投資ファンドなら、ベトナムと関係を持ちながら、さらに利殖にもなる。投資した10万円が数年後に20万円になったとしたら、それで再びベトナムを訪問できる。ベトナムで嫌な思いをしても、この投資ファンドで儲かれば、まあ許せるではないか。こんな感覚で投資できるのが「ベトナム民営化ファンド」だ。

 同社の会長の林さん、社長の建石さんにハノイでお目にかかったが、ご両人が絶妙の役割分担をされている。積極派の林会長と堅実派の建石社長。また、創業者である林会長に建石社長が特に遠慮しているという様子もない。私の直感と経験では、こういう会社は成長する。創業者が、自分の周辺に「イエスマン」ばかりを配置して、現実が見えなくなるという話は多々あるが、同社については今のところ安心だ。なお、弊社・合同会社TETでは、顧問職の妻が堅実派。ベトナム人パートナーも堅実派。これでちょうど私とバランスが取れている。

 ユナイテッドワールド証券は、中国株式投資の経験豊富という実績がある。これは同社の「ブランド力」となっている。証券会社は市場商品を扱うだけに、その業績は良いときもあれば、悪いときもある。それでは、その会社の何を見て、その会社を判断するか。結局は、その会社の過去の実績である。中国株と言えば、同社である。さらに中国の次はベトナムで、その次はロシアだというのだから、その先見性と行動力には驚かされる。

 ただし、この投資ファンドについて私がいつも気になるのは、日本人向けの投資ファンドなのに、なぜアメリカ系投資管理会社を経由しなければならないかという疑問である。その理由は、今のところ、それしか方法がないからである。

 日本人は就労所得を尊重し、不労所得を軽視する。もしくは後者を軽蔑する傾向がある。額に汗して働いて儲けた金には、より以上に価値があるという判断だ。このようなことが、こういった投資管理会社の設立を遅らせている一因だと思われる。

 しかし、そんな価値観を、いったいだれが決めたんだろう? だれが言い始めたのだろう? おそらく不労所得でしっかり儲けている経営者=資本家が、労働者=従業員に対して最初に言い出したに違いない。一生懸命に働くことが良いことだ。楽して儲けるのは悪いことだ。文句を言わないで熱心に働く労働者に向けての教育として、これは好都合だ。不労所得を自分だけの特権にしておきたい人々が、こういう価値観を普及させたのではないか?

 少し前に「村上ファンド」の村上世彰氏が言った。「お金儲けは悪いことなんですか?」 私見では、悪いことではない。どんどん儲ければよい。その使い方が問題だ。こんなことをブログに以前に書いた。ましてや、ベトナムに投資することはベトナム経済の発展に貢献することだ。自分も儲かるし、ベトナムも大歓迎だ。さらに、その投資で儲けたお金は、ベトナムの子どもたち、その周辺のラオスやカンボジアに寄付すればよい。ボランティア活動(NPOやNGO)にとって、いくらお金があっても十分ということはない。どんどん儲けて、どんどん社会貢献すればよい。いったい、それのどこが悪いのだろうか?

 もちろん自分のために使ってもいい。でも日本の社会風潮として、不労所得の派手な使い方は「ねたみ」や「ひがみ」の対象になることを覚悟しなければならない。前述の村上氏やホリエモンが、それらの対象となり、それらの犠牲になったのではないか? 日本人の「ねたみ」と「ひがみ」は、不労所得にとって最大の強敵だ。

 以上、ベトナム株式投資によって、不労所得を増やそうという勧めである。「ベトナム民営化ファンド4」の成功を期待したい。それが、ベトナム株式市場を活性化し、それが経済成長に貢献する。これは自明である。ただし残念ながら、必ず儲かるということは自明ではないので念のため。株式投資の判断は、すべて自己責任である。

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2006年11月12日 (日)

韓日合作映画「力道山」を見た:いくつかの印象と感想

 昨日、CATVのオンデマンド放送で映画「力道山」を見た。日本と韓国の合作。2006年3月に公開。以下、その印象を列挙する。

 1.プロレスラーである力道山を演じた韓国人俳優・ソル・ギョングの日本語に驚いた。彼は、韓国人・朝鮮人に特有のアクセントをもった日本語をかなり克服し、日本語らしい日本語を話していた。これはさすがにプロだ。

 2.英雄・力道山の悲しみを表現した映画だ。私が子どもの頃、力道山とフレッド=ブラッシー、力道山とデストロイヤーの試合は今でも記憶に残っている。それにルー=テーズも印象深い(ただし、私の記憶は国際プロレスのテーズだ)。私の母もプロレスのファンだった。確か当時、プロレスとディズニー番組とが隔週で放映されていたように思う。英雄であった力道山しか知らない人々に、力道山の真実(真実に近い解釈)を知らせる映画だ。

 3.在日の韓国人・朝鮮人に対する日本人の差別と偏見が理解できる。それを避けるように、力道山自身も韓国人・朝鮮人であることを隠そうとする。この気持ちも切ない。日本人の偏狭さを改めて告発している。相撲界の上下関係は厳しいが、それに加えての民族差別がある。日本人として辛い映画だ。その力道山を利用する日本人そして英雄視する一般国民。このように日本人は不思議だ。

 4.力道山が米国から帰国する飛行機内でサインを求める客室乗務員の女性がいる。私は、この女性と結婚し、中谷美紀が演じる恋人は捨てられるという展開を予想した。この方が実話に近いと思われたからだ。しかし実際の映画は、中谷美紀との愛情が継続した。この飛行機の場面の意味が不明確だと思う。

 5.プロレス場面は迫力があった。ただし、ハロルド坂田が力道山に「コブラツイスト」の技をかけていたが、当時この技はプロレスに導入されていなかったのではないか。この技は、アントニオ猪木の得意技として売り出されたように記憶している。

 6.力道山の歴史を見ていると、次は、ジャイアント馬場の映画を見たくなる。私の世代は、ジャイアント馬場の記憶が鮮明だ。特に、ディック=ザ=ブルーザーとクラッシャー=リソワスキー、これに対してジャイアント馬場とアントニオ猪木のタッグ戦は凄かった。「鉄の爪」フィッツ=フォン=エリックも懐かしい。彼の息子達もプロレスラーになったが、今はどうしているのか? ジン=キニスキーはNWA王者として風格があった。「人間発電所」と言われたブルーノ=サンマルチノはドラム缶を抱え潰した。あの華麗なミル=マスカラスはどうなったんだろう? プロレスは我が青春だ。

 7.このような韓国と日本の合作映画が増えればよい。文化交流は重要だ。私に巨額の映画予算があれば、豊臣秀吉と李瞬臣を登場させた歴史スペクタクルを企画したい。韓日のオールスター総出演だ。なお伊藤博文と安重根については、すでに「ロストメモリーズ」を始め、韓国内で複数取り上げられている題材である。そのほかに両国の歴史を題材にした合作映画は、両国の相互理解に貢献すると思われる。

 力道山の気迫・気力・根性・意欲などなど。リングの上の力道山の裏面を見せてくれた映画であった。テレビの力道山を知る人にとっては、より以上に印象深い映画だろう。母が見たら、何と言っただろう。

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2006年11月11日 (土)

今日は個人的な同窓会:ラオス清掃ボランティア活動と「ゲイロード」

 本年9月17日~9月24日、神戸市外国語大学・兵庫大学・流通科学大学の学生7名が「第4回ラオス清掃ボランティア活動」を主催した。活動場所は、ラオスの首都ビエンチャンと郊外のバンビエン。この活動の受入機関は、ラオス首相府の科学技術環境庁。さらにラオス国立大学経済経営学部、そして同大学内の「ラオス日本人材センター(LJCC)」の協力を賜った。

 昨年までの活動は私が引率・指導するという形式であったが、今年の私は事前準備に徹して、実際の活動はすべて学生が主体となった。この学生7名の4名が集まって、今年の活動報告会が神戸三宮のインド料理店「ゲイロード」で開催された。このような学生の気遣いは、教員にとって最大の幸福である。

 このボランティア活動の要点は、ラオス人大学生・青年と一緒に活動することである。一緒にラオス小学校を訪問して、小Dscf0196学生と一緒に清掃活動をする。そのことでラオスと日本の親善交流を深める。「共に一緒に歩む」。これがキーワードである。この活動は、今春に流通科学大学を卒業した大須賀孝二氏が発案し、故・中内功氏(ダイエー創業者・流通科学大学前理事長)から支援していただいた。

 学生の感想を聞いて印象に残ったことは、客体から主体になることの苦労が理解できたということだった。昨年までの私の役割の全部を学生が担ったのだから、それは当然だ。「先生の苦労がわかりました」。「よく先生ひとりでできましたね」。こういう感想を聞かされると、それが嘘でも嬉しい。

 要するに、学生が初めて経験した苦労の中心は金銭管理だった。ラオス人大学生・青年を活動に巻き込むためには、活動Dscf0061 用のTシャツを作成する。夕食会を主催する。ビエンチャンからバンビエンまでの交通手段を確保する。表敬訪問用のお土産を用意する。こういう日本側からの働きかけに対応して、われわれをラオス側も厚遇してくれる。さまざまな活動が円滑に進行する。まさに一緒に活動している実感がある。ただし、そのためには日本側の資金負担が必要だ。このことを今年の学生は実感してくれた。

 ボランティア活動も企業活動も、お金が共通して必要だ、両者ともに、それぞれの活動を継続するために最低限の資金が不可欠である。さらに活動を拡大・発展させるためには、より多くの資金を必要とすることも共通している。この意味で、ボランティア活動の資金管理は重要な意味がある。多くの誤解は、ボランティア活動はお金と無縁ということだ。そうではない。ボランティア活動にもお金は必要だ。しっかり資金管理ができているボランティア活動は、その成果や効果も大きいし、その発展も期待できる。

 それでは、ボランティア活動と企業活動の相違は何か。私見では、優劣・勝敗の有無だと思う。ボランティア活動にも競争は存在するようにも思われるが、その勝敗は存在しない。それぞれの活動主体の個性を生かして、それぞれの得意な領域でその力量に応じた社会貢献すればよい。これに対して企業活動には、市場競争の勝敗がある。これが企業活動の厳しさだ。

 以上は、昨年春に加盟した「箕面船場ライオンズクラブ」会員としての私の実感である。「ライオンズクラブ」は「ロータリークラブ」と競合関係にあるようにも思われるが、両者に優劣はない。なお「ライオンズクラブ」は、特に視力障害者に対する支援を世界的に実施・継続している。

 さて今年の学生は、今までの「お客」ではなく、まさに「主催者」であった。だからこそ、資金管理の重要性を理解した。来年以降も、このような学生主体の活動が継続できればと思う。

 なお、学生と一緒に昼食を食べた「ゲイロード」は、私の大学生時代からのインド料理店の老舗だ。おそらく創業30年以上になる。かつてのポートアイランド店では、娘を乳母車に乗せて妻と一緒にインド料理を楽しんだ。その娘も今や高校3年生。やはり「ゲイロード」のインド料理が好物だ。シンガポール国立大学のトン先生をお連れした時は、いきなり手で食事を始めて驚いた。確かにインド料理は手で食べても何ら不思議でない。さらに学生との忘年会もやった。辛い辛いと評判はよくなかった。

 久しぶりの「ゲイロード」。数々の想い出の店。店長は顔見知りだが、インド人料理長は4ヶ月前に代わったばかりの若手。それまでのインド人料理長は年金生活に入ったそうだ。ラオスの清掃活動に参加した学生に再会できたことも嬉しかったが、この「ゲイロード」も感慨深かった。「ゲイロード」については、インターネット検索によって各種の情報が出てくる。ぜひ、ご参照されたい。

 また上記の写真は、CDーRに収録されたボランティア活動記録の一部である。私が指示したわけでもないのに、今日受け取った。日本人の大学生、まだまだ捨てたものではない。もっとも昨年までは、このCDーRを私が作成していた。もちろん今年は、昨年よりもはるかにセンスの良い仕上がりだ。「教員の背中を見て学生は育つ」。こういうことが何回か起こるから、教育者としてのやり甲斐を感じることができる。

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2006年11月10日 (金)

JICA主催・PREX実施「ベトナム人研修」の印象:貿易大学の先生たち

  2006年度「ベトナム日本センター」ビジネスコース講師受入研修が、10月15日~11月11日の約4週間に渡って実施された。この研修は、JICA(独立法人・国際協力機構)が主催し、その実施をPREX(財団法人・太平洋人材交流センター)が受託した。私は、その中で課題設定(10月16日)と総括講義(11月9日)、さらに流通科学大学での講義や学生交流(10月17日)を担当した。

 来日の研修生は、いずれも貿易大学に所属するミン先生・ンギャ先生・ザン先生・ハン先生の4名。さすがにベトナムのトップ大学。どの先生も優秀で魅力的だ。なお上記の「ベトナム日本センター(VJCC)」の施設は2002年1月にハノイ、その後にホーチミン市に建設され、そのいずれもが貿易大学の敷地内にある。

 これまでのODA(政府開発援助)は、その国のインフラ整備を目的とした「箱物」の建設に使用され、それが本当に効果的かどDsc08925うかという疑問が常に提起されてきた。これに対して、最近は「人材育成」が強調される。日本センターはその象徴的な支援拠点である。施設の建設後も、その後のカリキュラムや教育内容が指導され、その国の人材育成や文化交流に貢献することが目的とされる。この研修では、そのセンターのビジネスコース担当のベトナム人講師に日本企業の実態を見聞してもらって、ベトナムでDsc08886のビジネス教育の効果(=説得力)を向上させることが意図されている。

 写真上は、研修の全日程が終了して拙宅でくつろぐ研修生。それにPREXの田中さん・村瀬さん・通訳の橋本さんである。写真下は、流通科学大学の講義終了後、学生との記念撮影である。この講義では、対話型の事例研究を実施。ベトナムの流通システム改革やG7マートの事業展開について、活発な質疑応答や議論ができたと思う。

 今回の研修の印象は、ベトナム人教員の熱心さと優秀さである。これは、どのベトナム人研修生にも言えることだ。新しい発見は、その深い思索力もしくは思考力である。これは大学教員に必要な資質だが、その一端を若手教員から今回は感じることができた。もちろん、これまでにもベトナム人の年配教員からは、いろいろ学ぶことはあった。また、ベトナム人大学院生からも語学力や数理分析の優秀性を実感する。それに加えて今回、若い教員から、その両者を感じる取ることができた。

 ちょうど若い頃の才能が、その後の経験の蓄積によって、より深い思考力に発展していく。特にンギャ先生と話していて、そのように感じた。彼はドイツ留学後、現在は経営学部長。帰国後は管理職としての多忙な仕事も待っている。

 私は、ドイツとアメリカの経営学の双方を学び、ベトナム独自の経営学を創造してほしいと彼に期待を述べた。それに対してンギャ先生は「日本の経営学からも学ぶことは多い」と応えた。さらに私は「研究者は創造性・独創性が命だ」と指摘した。この回答は「まだまだベトナムは保守的ですから」というものだった。

 彼は今年41歳。ベトナムの改革開放(ドイモイ政策:1986年)の進展と共に青年時代から壮年時代を過ごしている。彼は、ドイモイ以前の保守的世代と、ドイモイが当たり前の改革開放世代の中間に位置している。この世代が、今後のベトナムの求心力の中核勢力であると私は思う。WTO加盟で加速する改革開放勢力と、ドイモイ以前の保守勢力の調整役だからである。

 ベトナムの将来は40歳代にかかっている。このようなことを感じることができた研修であった。貴重な機会を提供していただいたJICAおよびPREXの皆さんに感謝したい。

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2006年11月 9日 (木)

ハウス食品株式会社のSCM戦略:プロならではの「オーラ」を感じた!

 ハウス食品株式会社・上級執行役員・早川哲志SCM部長が、昨日の実学講義「21世紀の業界展望(B)」の特別講師であった。早川さんの講義から、私は「プロ」の迫力を感じた。もちろん、これまでの講師の方々が「ノンプロ」という意味ではない。管理職として当然プロであるが、それらの方々と早川さんの雰囲気はどこか違う。Dscf0774

 ハウス食品株式会社は、1913年11月11日に東大阪市で薬種問屋として創業。そして1955年に大ヒット商品「バーモントカレー」が発売された。その後に「ジャワカレー」も大ヒット。これらのカレー粉は、実は漢方薬の一種なのである。

 私見では、「カレー粉」という場合、たとえば「カレーの木」とか「カレーの実」は存在しない。各種のスパイスの混合物を「カレー粉」と呼ぶ。また、インドに旅行するとき、毎日カレーを食べることが健康の秘訣と言われた。カレーの漢方薬成分が解毒作用をもつのだと思う。カレーの成分が漢方薬ということは、ハウス食品の歴史と対応している。

 同社では、1959年に物流部が設置され、2000年に東京と大阪に受注センターが稼働。2003年に物流部が解散し、SCM(サプライ=チェーン=マネジメント)部に改組された。このように同社は物流問題に早くから取り組んできた。物流は常にコスト削減を要求され、また商品開発や営業と比較して地味な印象を与える。しかし物流は企業活動の基礎である。

 SCMは「供給連鎖管理」と翻訳される。メーカーとして、原材料の購入から生産そして販売までの仕組みを管理することである。たとえば財務管理が、企業の資金の流れを管理するのに対して、SCMはモノの流れを管理する。また物流が運送と同義に解釈される場合があるが、SCMは運送を含めた「物流の仕組み」を管理する。製造・販売・在庫というモノの流れの全体を最適化することである。

 早川さんは、営業職から仕事を始められ、物流からSCMの導入までを担当。この分野を自ら開拓されてきた。具体的には、5億円をかけてSCMのコンピュータソフトを導入し、この投資が3年間で回収された。このような改革には、常に抵抗があるものだが、同社では製造・営業を含め全社的な協力があった。SCMの導入は、結果として組織改革・企業活性化の手段であった。このほかに、実際の導入経緯が詳細に紹介された。

 早川さんのご講義は、学生向けというよりも実務家向けであり、あたかも「SCM実践セミナー」の雰囲気があった。さらに早川さんからは、通常の管理職ではなく、SCMの「プロ」もしくは「職人」としての自信や自負を感じられた。SCMという新しい分野の改革をご自分で推進・成功させてきた実績の裏付けが、そのような「オーラ」を発信するのであろう。この「オーラ」は、やはり「プロ」ならではと思われる。

 なお最後に、SCMを離れて、ご講義いただいたビジネス上の共通の要点を列挙しておく。
(1) 業務全体を調整・管理するためには、各業務の責任の所在を明確化しなければならない。
(2) 新しいことを導入・開始する場合、名称を変更することが効果的である。
(3) 「見本」はあっても「手本」はない。ぞれぞれの会社に応じた方法がある。そのために創造性を発揮する必要がある。
(4) 品質改善・コスト削減・時間短縮=生産性向上。これらはすべて数値で明示する。かけ声だけでは実現しない。
(5) P(計画)⇒D(実行)⇒C(検証)⇒A(行動)は改善活動の基本。この中のP(計画)の時点で、C(検証)するためのデータを予め決めておく。何をC(検証)するのかを計画しておく。
(6)山より大きな獅子はいない。海より大きな鯨はいない。大きいと思われる悩みも、本人が思っているほど大きくない。悩みは薬。悩みは一時的である。悩みは達成感を大きくする。こういった前向きのプラス志向が仕事を楽しくする。

 近い将来、ベトナム企業がSCMを導入するというような場合、ぜひお招きしたい講師である。また上記の6点は、来週から始まるJICAベトナム人研修で、早速ベトナム人経営者に話してみたい。以上、早川さんに感謝を申し上げたい。

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2006年11月 8日 (水)

大正製薬株式会社の独自戦略:医薬品業界の展望

 先週11月1日(水)、大正製薬株式会社・人事部長・渡邊哲氏を特別講師として「21世紀の業界展望(B)」の講義があった。この報告が遅くなり、学生を含めて関係者の皆さまPict0006にお詫びを申し上げる。

 大正製薬は、ベトナムのニャチャンで「リポビタンD」を製造・販売している。渡邊さんもベトナム工場を訪問されたことがあるそうである。ベトナムとなると、いろいろ話題が弾まないはずがない。 かつてはニャチャン空港があり、市内まで数十分であった。それが今ではカムラン空港に到着空港が変更された。同空港から自動車で市内まで約1時間という距離である。ニャチャンは海岸リゾート地で有名だが、なぜ大正製薬が同地に立地することになったのか? ぜひ現地を訪問して、お話を伺ってみたい。

 なお、多くのベトナム人男性は「リポビタンD」のようなスタミナ=ドリンクを愛用している。空港の売店で販売されている「ヘビ酒」などは、伝統的なスタミナ飲料だ。ただし「ヘビ酒」を飲んでお腹を壊したという話も聞いているので、買って飲むにはかなり決断と勇気が必要だ。ベトナムでは女性を含めて健康志向が強まっている。これは日本もベトナムも共通した世界的な傾向であるのかもしれない。また、台湾も同様であるが、ベトナムでも日本の医薬品人気がある。このような意味で、日本の医薬品企業にとってベトナムは有望な市場と考えられる。以上は、講義前後のお話をうかがっての私見である。

 さて、渡邊さんは、医薬品業界の現状と動向と自社の経営戦略とをバランス良く講義された。医薬品メーカーの活動領域は、次のような健康から治療までの領域を包括的に支援することである。 (健康) 予防←←←軽医療→→→治療 (病気) その中でも特に最近は、セルフメディケーション(自分の健康は自分で管理する)が強調される傾向がある。その背景は、財政赤字が深刻になり、医療制度改革が進行中ということである。つまり医療費の患者負担が増加しているために、自分の健康は自己責任で守らざるをえないのである。

 2004年度の日本の医薬品市場の規模は6兆5253億円であり、医療用医薬品(PD:Presecription Drug)が89.5%、一般用医薬品(OTC:Over the Counter)が10.5%となっている。また世界での市場規模は61兆円であり、米国44.1%、日本10.9%、ドイツ5.5%、フランス5.3%、イギリス3.7%、イタリア3.4%、カナダ2.1%となっている。なお日本の薬事法では、PDを不特定多数に宣伝できないことになっている。

 新薬発売までのプロセスは驚きである。新薬1品を発売するためには、物質の発見から特許出願、動物実験から人体治験、承認申請と審査、そして製品発売までのプロセスがあり、その期間は9年から17年。発売までに至る確率は、11,299分の1。さらに発売しても、必ず売れる保証はない。これらが、新薬1品の開発コストを200億円にまで高める。この高コストが、業界の集約化を進める要因となっている。

 医薬品業界の経営環境は大きく変化している。少子高齢化によって医療人口は上昇、労働人口は減少、政府税収は減少、そして先述のように医療制度改革は必至。さらに規制緩和、巨大欧米企業の日本参入。これらの環境変化は、高齢者医療品の需要拡大、ジェネリック医薬品の浸透、セルフメディケーションの意識向上、薬価の下落、食品業界の参入などをもたらす。これは、日本の医薬品企業の競争激化を意味し、差別化・特化・統合化を促進する。

 すでに第一製薬と三共製薬(⇒第一三共)、藤沢製薬と山之内製薬(⇒アステラス)、大日本製薬と住友製薬(⇒大日本住友)などが経営統合している。このような業界再編成の中で、大正製薬は大衆薬で19%の市場占有率をもち第1位である。たとえば前述の「リポビタンD」は59%、風邪薬「パブロンS」は28%。大正製薬は、多くの製薬会社が医療用医薬品に資源集中する戦略を採用する中で、この業界トップの一般用医薬品でトップを維持・拡大することを意図している。

 医薬品業界における営業職は、大別してMR(医薬情報担当者)とSR(販売担当者)になる。MRのためにはMR試験合格が必要だが、合格率の平均は75%、大正製薬は94%である。私見では、医薬品業界の営業はMRと考えてしまうが、大衆薬での市場拡大を考える大正製薬にとっては、SRも重要な仕事とみなされる。

 最後に、人事部長として渡邊さんは「就社」でなく「就職」してほしいと強調された。専門性を高めることで、自己実現ができる。それが同時に企業業績にも貢献する。つまり、企業と社員が相互に生かし合う。企業はつぶれても、自分はつぶれない。専門性・能力・スキルを積み重ねて高める。自分の職業人生を考えて、会社を選ぶことが重要。

 これらのメッセージは、社員にプロ意識をもってほしいという渡邊さんの願いである。会社に依存する社員ではなく、積極的に自分から仕事をする社員が求められる。確かに私見では、「寄らば大樹の陰」という社会的な慣行は、次第に日本で通用しなくなっている。「大樹」の中身が空洞であったり、その「根」が腐敗したりする。それと同時に、その粉飾や糊塗が許されなくなっている。自らがプロとして頑張る。厳しいが楽しい時代の到来と言えるのかもしれない。

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2006年11月 7日 (火)

「大学ゼミにもブランド戦略」に賛同:日本経済新聞(11月6日)

 花王会長・後藤卓也氏が、学生の「品質管理」をしっかりするためには、大学のゼミのブランドを確立するべきだと主張している(『日本経済新聞』2006年11月6日)。

 後藤氏によれば、「教師が個々の学生と接することができるゼミ教育を強化し、何々先生のゼミの学生は専門知識はもちろん、公共性や倫理観などもきちんとわきまえているとなれば、ブランドになりますよ」。「将来、大学名などに関係なく、企業はどこそこのゼミからしか採用しないという具合になるかもしれません」。

 私は、この主張に賛同する。それだからこそ、すでにブログで私はゼミ活動を公開している。今日、これだけ情報通信技術が発達しているのだから、それを活用しない手はない。受動的に外部の取材を待つのではなく、能動的に自ら情報を発信すればよい。私は、このように考えてブログを続けている。

 こういうことを大学の全教員が実行すれば、それは大きなインパクトになると思う。しかし強制できない。各教員が自由であるからこそ各教員の個性があり、それぞれの教育研究に特色がある。それが、研究の独創的な発想の源泉になると私は考えている。

 自らの信じる理想や展望に基づいて、それを誠実に実行する。大学教員の研究教育の基本である。それがブランド形成に結びつく。不動・不変。何があってもブレない。このような信念がなければ、ブランド形成はできない。これは、企業でも大学ゼミでも共通しているのではないか。

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2006年11月 6日 (月)

母校ベトナム人留学生の活躍:研究報告の注目点(2)

 神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程のベトナム人留学生2名の報告は興味深かった。
 Nguyen Van Thanh, Theoretical and Practical Proposals for Policyholder Protection in Vietnam Insurance Industry(グエン=ヴァン=タイン「ベトナム保険産業における保険契約者保護のための理論的・実践的提言」)。
 Masayuki Maruyama and Le Viet Trung, An Economic Model of Fresh Food Shopping Frequency(丸山雅明・レ=ヴィエット=チュン「生鮮食品購買頻度の経済モデル」)。

 タイン氏は保険論を専攻しており、ベトナム保険業に関する制度的研究。チュン氏は、指導教授の丸山教授との共同論文であり、ハノイの消費者行動の実証分析である。

 ベトナムの保険業といえば、国有企業バオベトが有名。近い将来に株式会社化すると言われているし、バオベト証券をグループ企業として所有している。保険業は1996年にバオベト1社から始まり、現在は外資系企業を含めて8社が操業している。最近では、第一生命が駐在員事務所をハノイに設置したと聞いている。

 タイン氏の報告によれば、ベトナムでは未だ保険契約者が少数であるために「保険契約者保護基金」が設置されていない。2020年までに創設が望まれると言う。これは当然であろう。

 私見では、保険契約金が、どのように運用されているかに興味がある。機関投資家としての保険会社の投資行動の実態調査が望まれる。また、その経営実態についても踏み込んだ分析が必要である。なぜならプルーデンシャルなど世界的な大手外資系生保のベトナム参入は、ベトナム経済全体に影響を与えないはずがないからである。

 チュン氏の報告は、この研究集会「VJSE KOBE 2006」の最後を飾り、午後7時過ぎから始まった。ハノイの消費者にアンケート調査を実施し、そのデータを数理モデルに当てはめた実証研究が報告された。生鮮食品の買い物頻度(1週間に買い物に行く回数)が多くなる要因は、鮮度が優先され、家から店の距離が近く、子どもの数が多く、女性であることがわかった。

 通常、冷蔵庫を所有しない人は、生鮮食品の購買頻度が上昇すると考えられるが、それは有意な結果ではなかった。私見では、身近に安価に外食でき、野菜や果物を「おしん」と呼ばれる女性が行商に来る環境があれば、冷蔵庫の用途は、食材の保存ではなく、余った料理の保存に重点があるのかもしれない。したがって冷蔵庫の有無は、食材の購入に関係ないと解釈できる。

  いずれも独創性ある内容で、さすがに博士課程の学生だ。日本に留学した成果がベトナムで現実に活用されることが期待される。タイン氏の論文は、ベトナム財務省に直ちに提言できそうだし、チュン氏の分析モデルは、これまでに紹介したベトナムのスーパーマーケットやコンビニ(G7マート)の店舗展開の市場調査に活用できる。

 研究のための研究ではなく、換言すれば、学位取得のためだけの研究ではなく、研究成果の応用と実践を志向した研究体制を考える段階にベトナムは来ている。日本での研究成果がベトナムに還元される仕組み・仕掛け・制度が必要だ。このような対策についても調査と検討が求められる。

 以上、母校でのベトナム人留学生の活躍は私にとって二重に喜ばしい。久しぶりに大いに刺激を受けた学会であった。 

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2006年11月 5日 (日)

ベトナムの「すそ野産業」育成策:研究報告の注目点(1)

 昨日開催された「VJSE KOBE 2006」(第3回ベトナム日本学生学術交流集会)で報告された研究の中から、いくつか注目される論点を紹介してみよう。

 写真は、経済経営中央研究所(CIEM:Central Institute for Economic Management)教授・ヴォ=チ=タイン博士である。今回の研究Dsc08918_1集会のためにハノイから招聘された。オーストラリアで博士の学位を取得され、国際標準の研究者である。

 報告は、ベトナムのWTO加盟の影響が概観された。激化する国際競争においてベトナム産業政策は、すそ野産業の育成が重要であると指摘された。これは政策研究大学院大学のツゥイさんの報告でも指摘されている。

 いわゆる委託加工輸出企業に対して、原材料や部品を提供する国内企業が未成熟である。後者が「すそ野産業」企業である。この両者の連携が強化されれば、ベトナム経済は飛躍的に発展する。このために「すそ野」産業を政府が支援するべきだという。

 これは、貿易収支黒字化を目標とするなら当然の主張である。しかしAFTA実施やWTO加盟を考えれば、新たなビジネスモデルがあってもよい。隣国・中国との競争を考えれば、高品質の部品産業国家としてベトナムを位置づける。

 トヨタベトナムの「輸出センター」がそれである。この輸出は、トヨタ完成車ではなく、トヨタ部品を対象にしている。ベトナムが世界のトヨタ部品の供給国となる。より一般に言って、日本のすそ野産業を支えてきた中小企業の後継者不足問題は、ベトナムで解決する。ベトナム政府は、東京都大田区や東大阪市と経済連携協定を締結する。このような本格的な構想があってもよい。

 ヴォ教授の報告を聞いて、以上のようなことを考えた。

  

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2006年11月 4日 (土)

「第3回ベトナム日本学生学術交流集会」が神戸大学で開催:ベトナム人の優秀性を実感した

 神戸大学六甲台キャンパスで「第3回ベトナム日本学生学術交流集会(VJSE KOBE 2006)」が開催された。今日が研究報告。明日が視察旅行という日程。Dsc08909_1 全国からベトナム人留学生が150名以上集まり、それに日本人が加わり総数200名の大規模な研究集会であった。

 神戸大学大学院国際協力研究科博士課程2回生のヒエップ氏が組織委員長となり、神戸のベトナム人留学生協会が準備を担当。寄付金の募集活動から、予稿集の刊行、会場の設営など大変な努力であったと思う。このような研究集会を開催できる留学生が、ベトナム人以外にあるのだろうか。その努力・熱意・活力・組織力などは敬服に値する。さすがにベトナム人である。

 私は、最後の報告部会(ベトナムのビジネス環境)の司会を午後7時30分まで担当した。それぞれの留学生の報告は高水準。また英語力にも関心させられた。日本語に加えて英語もできるベトナム人。この評価は間違いない。

 昼食パーティーでは、「デパ地下お総菜」で有名な(株)ロックフィールド提供の「生春巻き」や「牡蠣フライ」が美味しかった。社長室長の中野さんに久しぶりにお目にかかった。また、私の拙著を共創した(株)ブレインワークス近藤社長は本集会のためにご寄付されており、やはり久しぶりにお話することができた。日本ベトナム友好協会兵庫県連合会の中村事務局長もお越しになった。

 この昼食パーティ、普通はビールが出ても不思議でない雰囲気だったが、ソフトドリンクのみ。ベトナムでのパーティーなら飲めるのにと思った。この理由は、私がベトナム人だからか、または中年オヤジだからか、その両方だからであろうか。

 研究面では、神戸大学副学長を始めとして大阪大学副学長・京都大学教授など多数出席し、留学生の研究を助言していた。いつもお世話になっている在大阪総領事館フォン総領事も最初に挨拶を述べられ、その後にお話しすることができた。

 私にとって10数年ぶりの母校訪問である。写真の102教室に着席したのは、学生時代以来である。占部教授の経営管理論、二木教授の証券市場論は、この教室で受講した。当時は冷房設備がなかったが、今や当然のように設置されている。

 分科会の208教室では、吉原講師の外書購読を受講した。いや209教室だったか? 机や椅子は木製からスティール製に代わったが、フローリングのワックスの臭いは昔のままのような気がした。この同じ教室で、ベトナム人留学生が集まり、英語で討論する。信じられない夢のような感覚だ。

 私の大学院生時代の1979年に中越紛争があり、修士論文の執筆で多忙であったにもかかわらず、博士課程に在籍していたベトナム人留学生のカン氏(石井教授の金融論専攻)が呼びかけた抗議集会に出席。経済学部の則武教授も挨拶された。今から思えば、この当時から私はベトナムに縁があった。こんなことを今日は実感できた。

 日本全国にベトナム人留学生は2千人を超えている。今日は、東京大学を始めとする理工系の学生とも話すことができたが、彼らは日本企業にとって垂涎の人材であろう。ますますのベトナム人留学生の活躍を期待したい。それに刺激を受けて活性化する日本人学生。まさに国家間の関係と同じではないか?

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2006年11月 3日 (金)

今日のコメント

 明日は、全国のベトナム人留学生が一同に会する「研究交流集会」が神戸大学で開催される。私は、「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)のベトナム導入」について報告する予定だが、原稿は未完成である。

 早く準備すればよいのだが、それができないのは学生時代からの私の悪習だ。こんな時に限って、小説を読んだり、映画を見たりして現実から逃避してしまう。

 なお本日、日本経済新聞社が主催する「日経図書文化賞」の受賞図書の発表があった。

 この中に経営学分野の著書が含まれていないようだ。そもそも審査委員に日本経営学会に所属する「伝統的」な経営学者が含まれなくなった。このことは、経営学の衰退と考えるべきなのかどうか。別途に検討が必要な問題である。

 以上、今日は簡単な雑感である。

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2006年11月 2日 (木)

ベトナムについて帝京大学教授・高山正之氏は何を言いたいのか?:『週刊新潮』2006年11月9日号(p.158)の妄言

 ベトナムについて一般の人々の関心が高まっている。神戸・三宮駅前の「ミント神戸」にもベトナム料理店が開店したし、ベトナム直接投資も件数で過去最多となっている。また、ベトナム株式投資も好調だ。日本とベトナムの政府間ではEPA(経済連携協定)の協議が開始される。

 これらのことは日本とベトナムの友好関係にとってよいことだ。しかし、ベトナムの歴史や日本との関係について詳しく知っている日本人は少数であろう。それをよいことにして、研究者らしからぬ妄言を堂々と広言する大学教授がいる。これには、自称「ちょいワル教授」の私も驚いた。この驚くべき大学教授は、帝京大学の高山正之氏である。

 同氏は、元産経新聞社の編集委員。私は拙著で、ベトナムに関する古森義久氏の無責任な言説を批判したが、古森氏も産経新聞に所属している。産経新聞は、どうもベトナムに対して偏見と歪曲があるように思えてならない。

 高山教授は次のように述べる。(引用開始)「ハノイはこの前年(引用者注:昭和19年)洪水と旱魃に見舞われ多くの餓死者が出ていた。「日本軍は炊き出しをし、明号作戦(日本軍が仏印政府を倒した)のあとは仏政府のコメ倉を開いて食糧を放出した」と当時、高射砲部隊にいた落合茂氏は語る」(引用終了)。

 さらに高山教授は次のように指摘する。(引用開始)「朝日新聞の三浦俊章論説委員はこうした歴史に精通している。ただ少し人が悪くて、連載「歴史と向き合う」の中で河野洋平にこうインタビューしている。
 あなたはベトナムのズン首相の訪日の際「先の大戦で日本軍の軍政下においてベトナムに多数の餓死者を出した」と語った。
 日本は前述したように別に軍政を敷いていない。飢餓も自然災害だが、朝日系の反日学者が「日本軍の搾取で二百万人が餓死した」という嘘を流行らせた。
 日本を悪く言えば偉い政治家だと思い込む洋平はそれでこんな愚かな挨拶をした。ズン首相も返す言葉がなくて困っただろう」(引用終了)。

1_1  以上の主張は、ベトナムにおいて日本軍は正義の軍隊であり、ベトナム人も日本軍を歓迎したという印象を一般に与える。河野洋平氏は「戦時中にベトナムに対して日本は悪いことをした」という率直な反省と謝罪の言葉を述べたと私は思う。これに対して高山教授は、朝日系の反日学者の嘘に騙された愚かな挨拶をした政治家と断定している。

2_1 では、高山教授に質問である。①「朝日系の反日学者」とはだれのことか? ②「二百万人が餓死したという嘘」の根拠は何か? ③本当にズン首相が困ったかどうか確認したのか? もし私が河野洋平氏であるなら、以上の質問をして、高山教授に対して厳重に抗議するであろう。さらに言えば、朝日新聞の三浦論説委員に対して高山教授が何を言いたいのかも不明瞭である。

 日本軍のベトナム進駐について、次の2冊の著書が手元にある。吉沢南『ベトナムの日本軍:キムソン村襲撃事件』(岩波ブックレットNO.310、1993年)、早乙女勝元『ベトナム”200万人”餓死の記録』(大月書店、1993年)。

 前者については、それに啓発されて私はキムソン村を2003年に訪問した。写真上は、日本軍の襲撃について語る村人である。写真下は、村の「歴史博物館」に展示された日本軍の襲撃を描いた絵画である。なお、「歴史博物館」と言っても、日本人の感覚で言えば、小さな平屋の村の集会所である。

 高山教授が紹介した落合茂氏のような日本人もいたのだろうが、民族の独立を主張して抗日の立場を明確にする反抗的なベトナム人に対しては、吉沢氏が紹介したような、さらに写真で見るような残虐な弾圧が行われたことも事実である。

 次に、後者の著者・早乙女氏によれば、「200万人の餓死」の問題は正確な事実や経緯が確定していない。すなわち歴史的な事実が正確に検証されるべき問題ということだ。同書の記述を虚心に読めば、日本軍の影響が皆無であり、餓死の原因がすべて自然災害というには無理がある。ベトナム人自身が「人災」と判断している。このような論争的な問題を「嘘」と断言する高山教授には、ぜひ、その根拠を明示してもらいたい。おそらく新しい証言や貴重な資料を入手されているに違いない。

 以上、ベトナムについて一般に知られていないことをよいことに、論争的な問題であるにもかかわらず、一方的な主張を断定的に公表する。これは、少なくとも研究者=大学教授としての立場ではない。このようなことを私がするとすれば、その前に大学に辞表を提出しているだろう。大学教授を辞した後に、評論家として自由に売文すればよいのである。

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2006年11月 1日 (水)

ベトナム日系企業で発生した労働争議の実態:大先輩・川嶋修三さんの論文から

 先日、ベトナムビジネスの大先輩である川嶋修三さんから、ベトナムの労使問題について玉稿をご恵送賜った。これは、ホーチミン市日本商工会が主催するセミナーで9月初めにご講演された内容の追加資料である。

 川嶋さんは、ベトナム富士通コンピュータプロダクツ元社長であり、現在は、、富士通ゼネラル・タイ/上海エアコン製造担当顧問、ドンナイ省投資促進専門家、BTDJapan(商業省直轄・日越貿易投資促進局日本支部)顧問。

 今年のテト後にホーチミン市の富士通やマブチモーターなどの日系企業でストライキが発生したことは、拙著でも紹介した。私は間接的な情報に基づいて、これらは「山猫スト」であり、大きな騒動ではないと指摘した。しかし川嶋さんの説明によれば、かなり大規模な争議であった。以下、その事実を川嶋さんの論文から引用してみよう。

 川嶋さんご自身が体験されたストライキは次のような状況であった。(以下引用開始)
(1) 突然の、組合無視でのヤマネコスト
 スト賛成派の割合は不明だが、大多数が参加。リーダーグループは存在したが、彼らがすべてを仕組んだとは思えなく、あれだけ大規模なものがどのように組織されたのか、結局不明に終わっている。
(2)赤旗が乱立するでもなく、外部団体による過激なアジテーションはなし
(3)破壊行為はなし
(4)行政による調停作業は決め手を欠いて長引いた
(5)警察配備されるも、強制排除はなし
(6)妥結後は速やかに職場に復帰、(嘘のように)平常の勤務状態になる

 総合的に見て、網の目の連絡網が存在し、一定の規律の下に行われた印象が強い。このストライキは、「ドンナイ省の日系企業に集中発生した」と言う話が行き渡っているが、筆者のヒアリングでは正しくはない。また、大多数の日系企業でストが起きたような印象で報道されたり、フイリッピン、タイ、中国のような過激なストがベトナムに蔓延したと思っている人たちが多いが、そのような事実はない。これらは「風評」である。

 公的機関は、実態を整理して、正確に事実を公表すべきである。未だストに見舞われていない大多数の企業の事前対策に役立たせると共に、われわれの顧客の警戒感をも和らげてもらいたい。

 伝えられるような中国などの状況とは異なり、警察権による強制排除はなかった。企業側の期待は裏切られた。排除しなかったのは、大規模なストであったので、沈静化するまで手を出さないほうが良いと判断したのか、または、われわれが知らない色々な情報や過去の経験を持っていて、強制排除しないほうが良いと判断したのかもしれない。

 また、権力による強制排除は、人権団体や西欧マスコミの格好のターゲットになりうるし(未だに反ベトナム団体もある)、人民の味方をスローガンにする政府としては、外国企業側に立っているというような印象を与えてたくないという政治的な思惑があったとも想像される。そして、労働者側に同情的であったかもしれない。

 通常、大掛かりな破壊行為に至るような「国家騒乱」の可能性があれば、中央政府が管轄する軍隊が派遣される。今回のストライキではSP(国家治安警察?)が派遣されていた模様だが、軍隊の出動には至っていない。リーダーと言われるグループの事情聴収は行われていて、その背景も調べられたと聞いている。

 今回はヤマネコストとは言うものの、一部を除いて過激には至らず、一定の秩序が保たれていた点では、地元警察の存在は効果があったと思われる。しかし企業側の期待と行政側の行動には開きがあることは明らかで、警察権の行使は今後の課題として残った。

 人民委員会が乗り出して、まず職場復帰を呼びかけたが、効き目はなかった。調停作業は三者が同じテーブルで話し合うのではなく、個別に行われたので、企業側からクレームがあがっている。われわれが常識としている「公平な調停」に向けて、現在の法律の再検討と、公平な調停委員会の構築、および交渉はテーブルから始まるという労働者への「啓蒙」が、今後の課題である。(以上引用終了)

 川嶋さんの論文は、ストライキの背景の分析から始まり、ご自身の提言を含めてA4で30ページを超える。大学に籍を置く者でも、なかなか執筆は困難な分量である。それほどに、ご自身のご経験を広くベトナム後続者に伝えたいという情熱を感じさせる。

 この観点から、同論文は、もちろんご本人の了承を得ているが、広く公刊される方法を考えたいと思う。今回紹介したストライキについての私見については後に述べる。

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